好きを煮詰めた他人のぼくら
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教育実習生が来るらしい。隠岐としてはへえといった感想だったが、女子は賑わっていた。理由はイケメンだからと。
「女子は美形に弱いよなー」
「美人の女の教育実習生やったら同じ事言われそうやな」
「正論ビンタやめてください隠岐くん。隠岐くんだって美人に興味でるでしょ」
「男でも女でも興味はないわなあ」
隣の席のクラスメートとそんな会話をする。ちぇっと言わんばかりの顔に笑っていると「そんな余裕な顔してっけど」と言葉が続く。
「名前ちゃんのクラスだってよ教育実習」
「へえ」
「え? それだけ?」
「名前、イケメン興味ないからなあ」
「おまえと付き合っててそれはないだろ」
「言い方間違えたわ。おれ以外の男に興味ないんよ」
「あ゛ー! このバカップル! 美人の女実習生はどこかにいませんかー!」
「男子うるさいっ!」
クラスメートの反応に笑っていた。そう、そのときは笑えていた。
それは一限が終わって化学室に移動していたときだった。後ろの扉から入ると名前が黒板を消していた。前の授業は名前のクラスだったらしい。名前、と言って手伝おうとしたら先に見慣れない若い教師が「名字さん」と話しかけた。白衣を着ているが見たことのない教師だ。一緒に来たクラスメートが「あれが教育実習生の先生」と指差した。その教育実習生は名前に近づいて耳元で何か呟いた。耳元で。
「!?」
途端に名前は顔が真っ赤になり、キョロキョロ周りを見渡すように顔を動かす。そして隠岐を発見してピキリと固まった。
「名前、」
「先生! 失礼します!」
「はい、行っていいですよ」
黒板消しが途中、その上隠岐が名前を呼んだことに気づいていたというのに荷物を持って走って去って行った。名前が、隠岐を無視した。あの、名前が。
固まった隠岐と目が合ったのは若い教育実習生。教育実習生は少し目を見開いたと思ったら、ふっと不敵に笑った。そして口パクでこう言った。「名前ちゃん」と。
ピキリとどこかが鳴る音がした。
「隠岐くん? 隠岐さん? 隠岐様? なんか切れた音したんですけど? 笑顔に圧あるんですけど? 名前ちゃんに無視されたからってキレちゃ駄目よ?」
「前言撤回するわ」
「えっ」
「興味津々やわあ。美形の男の教育実習生」
さてどうするか。隠岐の頭はそれで埋まった。ちなみにクラスメートは半泣きで「隠岐がご乱心じゃー!」と叫んだ。
***
「名前、昼一緒に食べようや」
「先生に化学準備室の片付け頼まれてるのっ!」
逃げられた。
「名前、帰るで」
「先帰ってて! 片付け終わらなくてっ!」
逃げられた。
二回。たった二回と言う者もいるだろうが、あの名前が隠岐を避けている。瞬く間にその事実は広まった。そして避けた理由に使われた化学準備室の片付け。噂の実習生が使っているとかなんとか。名前の友人の淀山に話を聞くと「そういえば名前には馴れ馴れしい気がしますね。あの先生」とのこと。ついでに「名前もあの先生に対して挙動がおかしいです」とのこと。
「隠岐、落ち着け。名前ちゃんは一途な子。イケメンにはなびかない。そうだろ?」
「笑顔を忘れてますよ? 隠岐くーん?」
二名ほどクラスメートが着いてきている。隠岐は無視してずんずん足を進めているが。どこに? 化学準備室である。その前までやってきて扉を開けようとしたときだった。
「やめて! それだけは!」
「!」
名前の悲鳴にすぐさま扉を開ける。そこに広がった光景に目を疑った。後ろのクラスメート達が声にならない悲鳴を上げている。なぜなら名前が教育実習生の背中から抱きついている光景が広がっていたからだ。
「おや、ノックなしに入るのは無粋ですよ」
「こ、孝ちゃん……!」
「名前?」
「ひえっ」
名前を呼んだだけである。それなのに名前は教育実習生の背中に隠れた。隠岐からまた逃げた。名前が。拳をぎりと握る。
「名前。怒らへんから顔みせてや」
「口調がもう怒っていますけどねぇ」
「あんたには関係ないやろ」
「関係はありますよ? 名字さんとはただならぬ仲なので」
「は?」
「淫行教師!?」
最後の言葉はクラスメートのものである。実にストレートかつ失礼な言葉であったのに実習生は笑うだけで否定しない。
「名前」
「は、はい」
名前は顔をみせてくれない。こんなこと初めてだ。いつも笑顔で孝ちゃんと呼んでくれていたのに。昨日までは笑いあってたのに。
「名前、おれのことが嫌になったのなら言っていいから。直すから。頼むから顔みせてや」
「え、孝ちゃん……? それは、」
「女性は年上を求めがちですが一個年上なんて物足りないんでしょう。頼りにならないなら言ってあげたほうが彼のためですよ、名字さん」
ぐさりと言葉が刺さるのが分かる。そうだったのだろうか。名前にとって隠岐は頼りにしてもらえない存在になってしまったのか。暗い考えは下へ下へと向かっていく。そのときだった。
「もーっ! さっきから何なの! 龍臣くん! 孝ちゃんに突っかかってばっかりで! いい加減にしないと怒るよ!!」
「もう怒ってるだろ。やっぱお子様だなおまえは」
「そのお子様パシらせて仕事押しつけてる駄目な大人に言われたくないもん!」
「ほー。生意気言うじゃん。あの写真孝ちゃんに見せていいのかな?」
「!! 絶対だめっ!」
スマホをもって手を伸ばす実習生に背後から飛びついて背伸びして手を伸ばす名前。……よく見ればさっきも抱きついているというよりこんな光景だったような……? と頭を回転させる。というか実習生の名前への口調が変わった。それは親密さはあったがどちらかというと……と思っていたところでクラスメートのひとりが口を開いた。
「あのー、つかぬ事をお聞きますが、先生のフルネームはなんでしょうか」
「名字龍臣ですよ」
「名字、龍臣……」
「このお馬鹿とはいとこだぜ、孝ちゃん?」
ニヤリと笑ったその顔は名前の血縁とは考えられないくらい邪悪なもので。一気に手のひらの上で転がされていたのを自覚した。
「いやーまさかおまえん家の自慢の孝ちゃんを写真じゃなくて生でみるとは思わなかったわー」
「うるさいな! 早くその写真けして!」
「ほら、孝ちゃん。意地悪した詫びだ。見ていけ」
「ああー!」
龍臣から投げられたスマホをキャッチする。その画面にいたのは……
眉上ドパッツンの昼寝姿の名前の写真だった。
「……………」
「孝ちゃんに見られたー! 明日から学校来れないぃ!!」
「この写真ください」
「えっ」
「は? 物好きだな。こんなアホ面ほしがるなんて」
「可愛いしか感想はありません。家宝にします」
「孝ちゃん想像とちょっとちげーんだが?」
「ください」
そう言いつつ勝手に龍臣のスマホを操作して隠岐のスマホに送った。家宝が増えた。心がほくほくしていると名前が龍臣の後ろから出てきた。
「孝ちゃんそんな写真けして!」
「そんなことより名前が今日おれの誘いを断ったのはこの写真のせい?」
「え? あ、うん。言うこと聞かないと孝ちゃんにみせるって……言うこと聞いたのに見せられたけど!」
「かわええで」
「嘘だ! みんな笑ってたもん! 私が中1のとき龍臣くんが美容師に目覚めた気がするとか言って勝手に切ったのみて!」
「龍臣さん、美容師の才能あります」
「まじかよ。転職すっか?」
「なんで意気投合してるの!」
もー! と言って名前は抱きついてくる。憤って隠岐の胸に頭をぐりぐりしている。その名前の温かさにほっとした。結果としては名前に三回避けられただけ。理由もあった。それなのにこんなに狼狽した。情けない。情けないが少し気になる点がある。
「名前、化学室で顔真っ赤にして走っていったのなんやったん?」
「んにぐっ!」
また真っ赤になった。隠岐からも離れてしまった。どこかに逃げようとしてるが入り口は隠岐とクラスメート、背後にはやけにニヤニヤしてる龍臣がいる。
「あのときちょうど孝ちゃんいたの傑作だったなー」
「龍臣くん言わないで!」
「色気ねーからいつまでも処女なんだよって言っただけだぜ孝ちゃん」
空気が固まった。
「ばかー! ばかー! 何でそういうこと言うの! 意地悪教師! 教師失格!」
「別で内定もらってるから教師ならねーけどな」
「じゃあ教師ごっこ気分だったってこと!?」
「まーそういうこった」
二人の言い合いが止まらない。とりあえず背後のクラスメート達に顔を向ける。なぜか肩をびくりとさせた。
「何も聞いとらんよな?」
「は、はい?」
「何も聞いとらんよな?」
「はい、何も聞いてません」
「同じく」
よし。
そして名前へのフォローはどうするか。色気云々は繊細な話だし、処女の話題は隠岐から出すには沼にはまっていくようなものだ。悩んでいるうちに龍臣は話を続ける。
「いつまでも待たせて孝ちゃんの身になったれよ。可哀想に」
「それはちゃいますよ。龍臣さん」
「ん?」
「おれは好きでこのペースでおるんです。我慢なんてしとりませんよ」
「まじかよ。忍耐ありすぎねえ?」
「名前とおるだけで幸せなんで」
「……へえ。いい男捕まえたな名前」
龍臣の言葉に名前は顔を赤らめながら隠岐の学ランの袖をつかんだ。視線が合わないが恥ずかしがっているだけだと判断して龍臣と向き合う。
「生意気な口調で突っかかってすみませんでした」
「ああいいよ。こっちもわざとやってたし」
「理由きいても?」
「名前も名前の親もおまえ大好きで盲目入ってね? って思ってな。だから勝手に見極めたろって思って。暇つぶしに」
「暇つぶし……」
「そう暇つぶし」
綺麗な顔でにっこり笑う龍臣に「龍臣くん性格悪いの」と名前から注釈が入った。振り回された隠岐はそれにNOと言えなかった。
「孝ちゃん」
「うん?」
「避けてごめんなさい。不安にさせてごめんなさい」
「おれも余裕なくてごめんなあ」
「孝ちゃんは悪くないよっ!」
「強いて言えば悪いの俺だしな」
「ほぼ龍臣くんのせいでしょ! 私もだけど! 理由は龍臣くん!」
「はっはっはっ」
「自由すぎる……!」
にぎぎと龍臣を睨む名前に苦笑する。怒りはあかんな。冷静さかいてまう。この二人の間に色気なんて微塵もない。ちゃんと見ればわかっただろうに。でも名前案件だと自重できる気がしない。
そう思いつつ言い合う二人を宥めてから化学準備室の片付けを手伝った。クラスメート達はいつの間にか逃げていた。