好きを煮詰めた他人のぼくら
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『孝ちゃんといるぅ!』
『コアラになるから孝ちゃん家の子になるの!』
可愛い駄々を叶えてやればよかった。そう後悔するなんて思ってもみなかった。
『孝ちゃん! スマホ買ってもらった! 孝ちゃんの名前を一番最初に登録したの!』
「おれもそうすればよかったなぁ。初めてはおとんにやってもうたわ」
『おじちゃんに負けた!』
「他の初めては名前にやるから勘弁してや」
『はじめて?』
「おー。全部あげたるよ」
まあ初恋はすでに奪われとるんやけどな。その言葉は心のなかにしまう。微笑ましい内容の電話に顔を緩める。誇らしげに自分の名前を一番に登録したなんて可愛いとしか言いようがない。名前はいつも可愛い。大阪人の勢いに腰が引けてるときでさえ「かわええなぁこの子」と思ったのだ。小2の時点で。なんなら初めて会ったときから好印象しかなかった。照れ照れした様子で「名字名前です。白ご飯のお供は明太子です」だ。何で照れながらご飯のお供紹介してんねん。なんかかわええな。と最初からやられていたのである。そんな隠岐が名前に勝てるわけがない。優しくするし甘やかす。隠岐の常識だった。
全部あげる。言葉のとおりだ。隠岐の可愛い子のためだったら何でもできる。現在親の手伝いで小遣い稼ぎをしている最中である。あと成績アップで小遣い額増量の話もこぎ着けた。なんで金を貯めているかの理由なんて最初からバレているので両親とも好意的だった。お年玉次第では中学生のうちから名前に会いにいけるだろう。中学生なので日帰りと条件をつけられるだろうが。一緒に名字さん家に遊びにいってもええんやで? と言われているが、親同伴はこっぱずかしい。そういうお年頃なので。しかし会いたくなったらなりふり構わず頼るのも手だ。
「友だちできたん?」
『うん! というか幼稚園のときの友だちと再会したの。仲良し復活ってかんじ』
「よかったなぁ」
寂しがり屋なので友だちがいないと落ち込んでしまうだろう。近くにいたら助けてやれるが今は遠く離れた場所にいる。……もどかしいわ。まだ離れて数週間というのにもう名前が恋しい。電話している最中なのに重傷だなと苦笑した。
『名前ー! そろそろお風呂入りなさーい』
『あ、お母さんがお風呂入れって』
「ばっちり聞こえたわ。ゆっくりお湯に浸かるんやで」
『はーい。孝ちゃんまた明日ね』
「おー。おやすみ」
『おやすみなさい』
その言葉で電話は途切れた。明日は何時頃に電話しようか。そう考えていたのにそれどころじゃなくなるなんてその時は思ってもみなかった。
──未曽有の大災害。いや、侵略。別世界からやってきた侵略者によってある場所はめちゃくちゃにされた。フィクションのような話がテレビ越しに伝わってくる。何を言っとるんや、と他人事のように思えないのは侵略された場所が場所だったからだ。三門市。名前のいる場所だ。
血の気が引くというのはこの状態のことを言うのだろう。震える手で名前の番号にタップする。音楽が流れるが繋がらない。何度も何度もかけた。途中で親に止められた。今は待つしかない。無事なら連絡がほしいとだけメッセージを送って見守ろう。今はスマホがライフラインだろうから、と。唇を噛み締めながら言葉に従った。そんな状態で学校へなんて行けるはずがなかった。親もそんな隠岐を否定しなかった。
「名前……」
お願いします、神様。名前を連れて行かんといてください。なんでもするから。お願いやから。毎日祈った。ニュースで出る死傷者と行方不明者の数に名前がいないことを願った。
そんな状態が十日経った。隠岐の体調は最悪だった。ろくに眠れてもないし、寝たとしても名前が侵略者に殺される夢をみる。連れ去られた夢をみる。縁起でもない。
はあ、と息を吐いて名前と写っているアルバムをみる。気休めだ。でも他にしようがない。写真のなかの名前と自分は幸せそうに笑っていた。
そのときだった。
スマホがメロディーを奏でた。すぐさま手にとる。この音楽はあの子専用だ。画面には名前の文字があった。
「名前ッ!?」
『わ、孝ちゃんびっくりした』
途端に身体の力が抜けていくのが分かった。ずるずる壁に背中を押し付けその場に座る。名前だ。名前が生きてた。涙ぐむ目を押さえて声でバレないように話しかける。
「そっちは大丈夫なん?」
『うん。私の住んでた地域はボーダーの人が来てくれて。家も無事だったけど立ち入り禁止になってて帰って来られなかったの。スマホも家に起きっぱなしでずっと連絡できなくてごめんなさい』
「無事ならそれでええよ」
心からの言葉だった。生きていてくれるならそれでいい。
『心配かけてごめんなさい』
「名前のせいやないやろ」
『でも孝ちゃん、疲れた声してる。ずっと心配しててくれたんでしょ? だからごめんなさい』
バレていたことに動揺する。名前の前では余裕のある姿でいたかったのに。そう思うのに今は取り繕うことが出来なかった。
「……もう会えんかと思った」
『私はここにいるよ。ちゃんと生きてるよ。孝ちゃん、泣かないで』
喉が鳴る。頬に冷たいものが勝手に流れる。目をぎゅっと押さえたが止まりそうもなかった。
しばらく名前は話し続けた。なんてない話を。隠岐を慰めるように。それがひどく懐かしく感じた。
***
名前がボーダーに入った。なんでやねん。率直にそう思ったしそう突っ込んだ。
『いっぱい助けてもらったから。それに私も守ってあげたいって思ったの。ネイバー怖かったもん』
怖いと思うのなら守られる側でいたらええ。そう言いたかったが名前の声は決意に満ちあふれていた。これを否定したら名前の勇気と決心を否定することになる。隠岐はそんなことはしたくなかった。だから決めた。名前には全部やると決めている。
「おとん、おかん。おれボーダー入るわ」
「おまえはまた……」
「名前ちゃんやろぉあんた本当にあの子のことになったら分かりやすいわあ」
呆れていた。でも否定はされなかった。しかし今じゃないと言われた。
まだ復興の段階で集めているのは地元の隊員。他方の隊員を募集するなんて段階ではない。その余裕もないだろう。そしてせめて中学生のうちは家にいろとも言われた。名前と同じところにこれからずっといるつもりなら今のうちに親孝行しろ、子供孝行させろ、と。ほんの少しだけ歯がゆい思いをしたが、両親への親心が勝った。
名前にどんな訓練をしているのかそれとなく聞く。守秘義務があるのか詳しいことは教えて貰えなかったが、身体能力が関係してるからいっぱい走ってる! とだけ漏らしたので、隠岐も身体を鍛えていた。その日が来るまで。
そしてその日がやってきた。ボーダーのスカウトが隠岐の地域にやってきたのだ。
「おれ、ボーダー入ります。入らせてください」
少しの説明の段階で手を挙げたのでスカウトに来ていた嵐山隊はポカンとしていた。しかし隊長の嵐山だけは「理由を教えてくれるか?」と穏やかに、そして強い眼差しで訊ねてきた。
「大事な子がボーダーで戦ってるんです。おれも一緒に戦いたい。……これやと駄目ですか?」
「いいや。立派な理由だ」
ひとまずトリオンから測定しようか。嵐山は朗らかに言った。幸いなことに隠岐のトリオンは多めで戦闘隊員としてやっていけるだろうと太鼓判を押された。
他の地域へのスカウトの兼ね合いですぐにボーダーに入れるというわけではなかったが、目標の一歩目までやってきた。両親に話すと「早かったなぁ」と少し寂しげに言われた。隠岐は逆に遅かったと思ってた。焦ってたんだとそこで自覚した。
『孝ちゃん、なんだかご機嫌だね』
「そんなことあらへんよ。いつもどおりや」
『いいや、何年電話してると思ってるの。今日の孝ちゃんはご機嫌です!』
名前にもバレたが理由は言わなかった。びっくりさせたかったからだ。泣くやろうなぁ。その顔が簡単に頭に浮かんでその日を待ち望んだ。
****
可愛くなってる。隠岐の可愛い子がさらに。もっと。たくさん。
金髪の人相の悪い男と話している名前を発見してすぐさま話しかけに行った。振り返った顔はまだ幼さが残っていて昔の面影もあったが、女の子から少しずつ成長していっているのがすぐに分かった。なので抱きつかれて内心焦ったが平静を装って相手をした。
「おい、うちのスナイパー泣かしてるおまえはなんだ」
「諏訪さん! 孝ちゃんです! 大阪の孝ちゃん!」
「ああ? おまえが孝ちゃんか?」
名前以外に孝ちゃん呼びされる違和感がすごかった。なんなら人相の悪い相手からの言葉だ。似合ってない。そして名前は隠岐のことをこの男に話していたようだ。
「なんで孝ちゃんがここにいるんだよ」
「今日からボーダーに入隊した隠岐孝二言います」
さらりと名前を修正しておいて抱きついている名前からも少し距離をとったが名前は甘えるように手をぎゅっと握ってきた。名前は隠岐に対して甘え癖がついている。可愛いからいいのだが、今の名前に慣れるまで少しまってほしい。
「? 孝ちゃんなんか、大きくなった、ね?」
手をぎゅっとしながら顔をゆっくり上下させて身長差を計ってるらしい。遅いわ。相変わらずゆったりしとる。こっちは一目で気づいたというのに。
「成長期やからなぁ」
「カッコ良くなったね」
「……それはありがとぉな」
嬉しそうに言う名前の方が余裕がある説が出てしまった。少し悔しい。
「この人は私の所属してる隊の隊長さんで諏訪さんっていうの」
「おーよろしくな隠岐」
「よろしくお願いします」
「初めて会った気はしねーな」
「私が孝ちゃんのこと普及しておきました!」
「なんでやねん」
「好きなものは知ってもらいたい派です!」
「……そうなんや?」
一瞬動揺したのが諏訪にバレて「おまえ苦労してそうだな」と初対面数分で言われてしまった。別に苦労じゃない。これは可愛いからいいのだ。