短編


「麗奈…」

ソファでスマホを弄る私に申し訳なさそうに左手で右手の親指を握りしめた恋人が話しかける。

これは言いにくいことを伝える時の癖。


あーもー
またか


鳩尾の辺りから少しずつムカムカしたものが上がってくるのが分かる。

だけど私は冷静に、いつも通りに返すんだ。


「ん?なーに?天ちゃん」


「明日のご飯なんだけど…行けなくなっちゃいました…ごめん…なさい…」


だよね
だと思いました
仕事忙しいんだもんね
仕方ないよね

でもさ
これもう4回目だよ

最初はデートの約束だったのにさ
次は仕事の後のごはんになって
その次もその次も行けないってどういうこと?


「ん、分かった」

思ってたことが態度と声色に出てたみたいで、天ちゃんの眉毛がハの字の形になってしまった。


「麗奈、ごめん」

「…天ちゃん仕事ばっか」


天ちゃんの目を見ずに漏れた言葉はれなの本音だった。

天ちゃんがムッとしてしまうと分かっていたのに。


「仕方ないじゃん、仕事なんだから、今忙しい時期だって前から言ってたじゃん」

「それが分かってるなら守れない約束しないで。れなだけ楽しみにしてて馬鹿みたい」

「だっからなんでそうなるの!?しょうがないじゃん!」

「しょうがないのはれなも分かってるよ!約束破るのは天ちゃんじゃない!何でれなが怒られないといけないの!?」

「じゃあ全部天ちゃんが悪いってこと!?」

「れな何も悪くありませんけど」

「もうやだ!怒ってる麗奈嫌い!!」


天ちゃんは寝室へ行ってしまった。


あー…
やってしまった…


スマホの待ち受け画面の笑顔の私たちを見て、大きなため息をついた。


ーーーーーーー


『山﨑、明日出社』


六文字の漢字のみのメールが私を絶望のどん底に突き落とした。

明日はちょっとだけ仕事をして麗奈と待ち合わせしてご飯を食べに行く予定だったのに。

ほんっっっとに最悪。


「うーーーーー」

麗奈と私の家。
私に与えられた四畳の仕事部屋。
机に突っ伏してこれから待ち受ける私の可愛い可愛い恋人への言伝の心の準備をする。


やだ
言いたくない
絶対絶対絶対絶対怒る
ひゃくぱー怒る
やだぁ
ケンカしたくないよぉ

「言いたくないよぉ、麗奈ぁ」


ここで麗奈に助けを求めててもしょうがないので、大きなため息をついてリビングへ歩みを進めた。

扉を開けるとソファに座った麗奈がスマホを構っている。


少しだけ息を吐き、右手の親指を左手で握りしめ、精神統一。


「麗奈…」

「ん?なーに?天ちゃん」


あ、終わった
超怒ってる


私は今、麗奈とケンカをして寝室のベッドでうつ伏せになり泣いている。

いや、泣いているわけではない。
涙が勝手に出てくるだけ。


だってさ?
あんなに怒ることなくない?
全部天ちゃんが悪いみたいな言い方してさ
いや、私が悪いんだけど
でもさ、仕事なんだから仕方ないじゃん
麗奈のこと傷つけちゃったかな
でも麗奈ももうちょっと優しい言い方してくれてもよくない?
ああ、麗奈に嫌われちゃったかな
でもさ?


なんて麗奈への不満を吐き出したり自分を責めたりを交互に繰り返していたら、気づいたら寝てしまって朝になっていた。


ーーーーーーー


今日は一日全く仕事に集中出来なくて
二回も注意されてしまった。


ケンカして先に寝室に行ってしまった天ちゃんと顔を合わせたくなかったからゆっくりめに寝室に行った。

スヤスヤと寝息を立てていてほっとしたけど
普段は仰向けなのに、昨日はうつ伏せで寝ていた。
泣いてたんだと思う。

れなの方が家を出るのが早いから寝ている天ちゃんを起こして行ってきますをしている。
どんなに疲れてても、絶対に起こしてね?としつこく言うから仕方なく起こすのが日課。

でも今日は起こさなかった。
まだケンカ中だから。
っていうくだらない意地で。

仕事をしているうちにだんだん頭が冷えてきた。
昨日のれなは本当に大人気なかったと思う。


仕事ばっかりで、れなが大事にされてないみたいで嫌だった

恥ずかしいけど
もっと天ちゃんに構って欲しかった


「ちゃんと謝ろう」


帰り道、ふと顔を上げると、いい香りのするお店。

少し口角が上がった。



ーーーーーーー



「天ちゃん今日のやる気すごいねぇ!」

同期のまつに褒められたけど、全然嬉しくない。

「絶対に今日は早く帰る。まつも早く終わらせて帰った方がいいよ。隈すごいよ」

失礼な!とふざけながらまつをデスクへ返す。


絶対に今日は早く仕事を終わらせて、早くうちに帰って、麗奈と仲直りする。


朝目が覚めたら、隣に麗奈がいなかった。
ケンカした後だから当たり前なんだけど、でも、ほんのちょっとだけ私を起こして、いってきますのぎゅーをしてくれるんじゃないかって期待していた。


すごくすごく悲しかった。

それが麗奈への気持ちだったって分かった。

麗奈がいないなんて考えられないから。

ちゃんと麗奈に謝る。


「お疲れ様でーす!」


打刻して駅まで走る。

我ながらとんでもない速さで仕事を終わらせることができた。

素晴らしい。
やればできるじゃないか、わたし。


早く、少しでも早く麗奈に会いたい。



ーーーーーーー


玄関の扉が開く音がして天ちゃんが帰ってきた。

痛っなんて声が聞こえてきた。
どっかにぶつけたのかな?

ドタバタとリビングに近づいてくる音がする。
想像より帰ってくるのがずっと早かった。
仕事頑張ったんだね。


「麗奈!」

扉を開けるや否やれなの名前を呼んでいて、少し笑ってしまった。

もう怒ってないよ


「おかえり」

「ただいま!麗奈、あの」

「天ちゃん、座って」

「はい」


背中にリュックを背負ったまま、天ちゃんはダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。

れなも向かいの席に腰掛けた。


「天ちゃん、ごめんなさい!」

れなは頭を下げた。

「れなとっても大人気なかった。天ちゃんが忙しいの分かってるのに…いじわるなこと言ってごめんなさい」


天ちゃんは椅子から立ち上がり、れなの真横に膝立ちになってれなの手を握りしめる。


「麗奈ぁ、先に謝らせちゃってごめんね?頭あげて?天ちゃんも麗奈に謝りたかったの。約束守れなくてごめんなさい」


ごめんねぇと天ちゃんに抱きしめられた。
麗奈も抱きしめ返したかったがリュックが邪魔で腕が迷子になってしまったけど

なんかそれもれな達らしいなって思えてきた。



お互いに思っていたことをちゃんと伝えて、ちゃんと仲直りをした。



「ねえ天ちゃん、一緒に食べよ」

れなは冷蔵庫から箱に入った二つのシュークリームを取り出した。


「待って麗奈ちゃん」


天ちゃんは驚いた顔でリュックを肩から下ろし中を弄る。

すると中から同じ店の、全く同じ大きさの箱が取り出された。

天ちゃんが箱を開くと
シュークリームが二つ。


驚いた顔で二人で顔を見合わせる。


「天ちゃんこれ、生クリームとカスタードのやつ?」

「うんっ!やば!すご!」

「ふふ、四つになっちゃったね」

「あはは!ほんとだ!」


二人で甘いシュークリームを食べた。


「ねえ天ちゃん、れなとシュークリームどっちが好き?」

「麗奈に決まってるでしょ〜。麗奈ちゃんは?」

「天ちゃん」

「えへへ〜。麗奈大好き」
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