割れた星
会社を継ぐと決めた日のレースの内容は覚えてない。
成績は散々で勝てもしないのにボロボロになっただけの俺がまた御堂筋と小野田が表彰台に上がる姿を見ていた記憶だけある。
俺は会社を継ぐことになったと言っても、大学に通いながら父親の会社に一応の入社し、父親に付いて回りながら仕事を覚える生活。
そんな生活の中でロードの立ち位置は、趣味という名の息抜きになった。
幸いな事に仕事は意外に楽しくて、どうやら俺に合っているらしい。
あの最後となったレースの日をキッカケに小野田とは連絡を取り合うようになり、俺が関西方面に出張があれば鳴子も呼んで三人で会う事もあって、大学でロードをやっている時よりも心の隙間が埋まった様にも思う。
そうして一年が過ぎた頃、俺は正式に父親の会社を継いだ。
鳴子が音頭を取った社長就任祝いとかで京都に呼び出され、就任祝いなら主役である俺が何故呼び寄せられる形なのかと不満に思ったが、小野田の都合と聞けばホイホイと京都まで来てしまうから、俺はほとほとアイツには弱い。
待ち合わせた場所の居酒屋に顔を出すと、先に合流してから来たのであろう小野田と鳴子は俺が個室に入った瞬間にクラッカーを鳴らす。
「よっ!スカシ社長ー!」
鳴子が変わらないノリで俺に直撃させたクラッカーの紙テープを頭から落とすと、小野田がドリンクメニューを差し出してくる。
「今泉くん、おめでとう。遅くなったけど誕生日もおめでとう。もう二十歳だからお酒飲めるんだよね?」
「ワイもこの前二十歳になったで小野田くん!大人やからワイはビールや!」
「僕はまだだから、オレンジジュースだよ」
「スカシはワインやな…スカシやし」
普段、年上の部下というやりにくい人間ばかりと話しているせいか、鳴子の悪ノリも懐かしくて笑ってしまった。
三人で話す事と言えば、高校の時の話。
鳴子や小野田は今もロードを続けていて、小野田に至っては御堂筋との連勝。
小野田の大学は今までの成績を塗り替え、すっかり常勝校にまでなっているのに現在の話が少ないのはロードに乗っていない俺のせいだろう。
「この前、田所のおっさんのパン食ってな…」
鳴子が地元の話をしたついでに、俺は聞いた。
「千葉、帰ってるのか?」
「帰っとるで?夏にスカシにも千葉で会うたやないか」
「お前じゃない、小野田だよ」
鳴子の話を止めさせ小野田を見ると、小野田は少し困った顔で答える。
「誕生日には帰ったけど…」
今は10月。
その間にゴールデンウィークも夏休みもあったのに、半年以上も帰ってないのか。
オレンジジュースの入ったグラスを持つ小野田の指先は色濃く焼けをしていて、ふと自分の手を見ればグローブ焼けの境目ももう曖昧になっていた。
「帰る暇あったらペダル回してたくて」
小野田は笑って言うが、その口振りは小野田らしくなく、アイツを思い出す。
「御堂筋が無理させてるんじゃないのか?」
「いやいやいや、違うよ!御堂筋くんはむしろ帰れって言ってくれるんだけど、僕が…御堂筋くんと走って…たいから…」
御堂筋の名前を聞いて、御堂筋の名前を口にして、小野田が顔を赤らめる。
俺は、あの最後の大会の日に見た、小野田が御堂筋から手を離す光景を思い出した。
「大変だと思ったら言えよ、小野田くらいウチでいつでも雇ってやるから」
「スカシ、ワイは?」
「お前は無理だ」
「なんでや!社長ぉ!」
俺は本気だったけど、鳴子が笑い話にして小野田が笑う。
それから尽きない思い出話に花が咲いていたが、疲れていたのか小野田はいつの間にか座布団の上で丸まるように眠っていた。
何度か声は掛けたが、目を覚ます気配のない小野田。
日々、どれだけ体力を消耗してるのだろうか。
「御堂筋呼ぶかー?」
眠っている小野田に鳴子が問えば、その名前にだけ反応をして指先が動くからか、鳴子が当たり前の様に小野田の携帯から御堂筋に連絡する。
15分もしないうちに店にやってきた御堂筋は、個室に入るなりテーブルに置かれたワイングラスやビールジョッキを見ると、俺を睨んだ。
「サカミチに呑ませたんか?」
「小野田はオレンジジュースしか飲んでない…お前との練習がキツイだけだろ」
俺は睨み返すが、御堂筋はそれを無視してポケットから出した一万円札をテーブルに置くと、脱いだ自分上着を掛けた小野田を包む様に抱き上げる。
眠っているはずの小野田の手が無意識に御堂筋の背中に回されても、御堂筋は振り払う事もしない。
俺は御堂筋の置いた一万円札を握りしめて追い掛けようとしたが、小野田を抱いた御堂筋にピシャリと言われた。
「釣りはいらんよ。サカミチだけ貰ろうてければえぇ」
一瞬だけ、御堂筋がニヤリと笑う。
俺は、返せと言い返したかった。
しかし、小野田の手はしっかりと御堂筋のシャツを掴んでいて、その言葉は飲み込むしかない。
「釣りは今度小野田くんに渡すし、頼むわー」
そう普通に言う鳴子が信じられなかった。
そのまま御堂筋に抱かれた小野田を見送ってから、鳴子に聞く。
「なんで御堂筋呼んだんだよ?」
「だって、この近くに一緒に住んでるし」
「は?」
俺は初耳だった。
まさか、小野田があの男と一緒に住んでるなんて。
「御堂筋は家からも通えるけど、ルームシェアして部屋でも練習出来るちょっといいとこ住んどるんやと…行った事はないけど」
自宅でも練習漬け。
昔は自分もやっていた。
あの御堂筋を越えるために。
「なんかムカつくけど、御堂筋と組んだら小野田くん元々早いの更にめっちゃ早なったもんなー」
鳴子は、摘まんだ枝豆の皮を皿に投げつけながら続ける。
「それに小野田くんのあの赤うなる顔見て、なんも言えんやろ?…てか、ビール苦!腹立つくらい苦!」
俺は、そう言いながらビールを飲み干す鳴子を眺めるしかなかった。
成績は散々で勝てもしないのにボロボロになっただけの俺がまた御堂筋と小野田が表彰台に上がる姿を見ていた記憶だけある。
俺は会社を継ぐことになったと言っても、大学に通いながら父親の会社に一応の入社し、父親に付いて回りながら仕事を覚える生活。
そんな生活の中でロードの立ち位置は、趣味という名の息抜きになった。
幸いな事に仕事は意外に楽しくて、どうやら俺に合っているらしい。
あの最後となったレースの日をキッカケに小野田とは連絡を取り合うようになり、俺が関西方面に出張があれば鳴子も呼んで三人で会う事もあって、大学でロードをやっている時よりも心の隙間が埋まった様にも思う。
そうして一年が過ぎた頃、俺は正式に父親の会社を継いだ。
鳴子が音頭を取った社長就任祝いとかで京都に呼び出され、就任祝いなら主役である俺が何故呼び寄せられる形なのかと不満に思ったが、小野田の都合と聞けばホイホイと京都まで来てしまうから、俺はほとほとアイツには弱い。
待ち合わせた場所の居酒屋に顔を出すと、先に合流してから来たのであろう小野田と鳴子は俺が個室に入った瞬間にクラッカーを鳴らす。
「よっ!スカシ社長ー!」
鳴子が変わらないノリで俺に直撃させたクラッカーの紙テープを頭から落とすと、小野田がドリンクメニューを差し出してくる。
「今泉くん、おめでとう。遅くなったけど誕生日もおめでとう。もう二十歳だからお酒飲めるんだよね?」
「ワイもこの前二十歳になったで小野田くん!大人やからワイはビールや!」
「僕はまだだから、オレンジジュースだよ」
「スカシはワインやな…スカシやし」
普段、年上の部下というやりにくい人間ばかりと話しているせいか、鳴子の悪ノリも懐かしくて笑ってしまった。
三人で話す事と言えば、高校の時の話。
鳴子や小野田は今もロードを続けていて、小野田に至っては御堂筋との連勝。
小野田の大学は今までの成績を塗り替え、すっかり常勝校にまでなっているのに現在の話が少ないのはロードに乗っていない俺のせいだろう。
「この前、田所のおっさんのパン食ってな…」
鳴子が地元の話をしたついでに、俺は聞いた。
「千葉、帰ってるのか?」
「帰っとるで?夏にスカシにも千葉で会うたやないか」
「お前じゃない、小野田だよ」
鳴子の話を止めさせ小野田を見ると、小野田は少し困った顔で答える。
「誕生日には帰ったけど…」
今は10月。
その間にゴールデンウィークも夏休みもあったのに、半年以上も帰ってないのか。
オレンジジュースの入ったグラスを持つ小野田の指先は色濃く焼けをしていて、ふと自分の手を見ればグローブ焼けの境目ももう曖昧になっていた。
「帰る暇あったらペダル回してたくて」
小野田は笑って言うが、その口振りは小野田らしくなく、アイツを思い出す。
「御堂筋が無理させてるんじゃないのか?」
「いやいやいや、違うよ!御堂筋くんはむしろ帰れって言ってくれるんだけど、僕が…御堂筋くんと走って…たいから…」
御堂筋の名前を聞いて、御堂筋の名前を口にして、小野田が顔を赤らめる。
俺は、あの最後の大会の日に見た、小野田が御堂筋から手を離す光景を思い出した。
「大変だと思ったら言えよ、小野田くらいウチでいつでも雇ってやるから」
「スカシ、ワイは?」
「お前は無理だ」
「なんでや!社長ぉ!」
俺は本気だったけど、鳴子が笑い話にして小野田が笑う。
それから尽きない思い出話に花が咲いていたが、疲れていたのか小野田はいつの間にか座布団の上で丸まるように眠っていた。
何度か声は掛けたが、目を覚ます気配のない小野田。
日々、どれだけ体力を消耗してるのだろうか。
「御堂筋呼ぶかー?」
眠っている小野田に鳴子が問えば、その名前にだけ反応をして指先が動くからか、鳴子が当たり前の様に小野田の携帯から御堂筋に連絡する。
15分もしないうちに店にやってきた御堂筋は、個室に入るなりテーブルに置かれたワイングラスやビールジョッキを見ると、俺を睨んだ。
「サカミチに呑ませたんか?」
「小野田はオレンジジュースしか飲んでない…お前との練習がキツイだけだろ」
俺は睨み返すが、御堂筋はそれを無視してポケットから出した一万円札をテーブルに置くと、脱いだ自分上着を掛けた小野田を包む様に抱き上げる。
眠っているはずの小野田の手が無意識に御堂筋の背中に回されても、御堂筋は振り払う事もしない。
俺は御堂筋の置いた一万円札を握りしめて追い掛けようとしたが、小野田を抱いた御堂筋にピシャリと言われた。
「釣りはいらんよ。サカミチだけ貰ろうてければえぇ」
一瞬だけ、御堂筋がニヤリと笑う。
俺は、返せと言い返したかった。
しかし、小野田の手はしっかりと御堂筋のシャツを掴んでいて、その言葉は飲み込むしかない。
「釣りは今度小野田くんに渡すし、頼むわー」
そう普通に言う鳴子が信じられなかった。
そのまま御堂筋に抱かれた小野田を見送ってから、鳴子に聞く。
「なんで御堂筋呼んだんだよ?」
「だって、この近くに一緒に住んでるし」
「は?」
俺は初耳だった。
まさか、小野田があの男と一緒に住んでるなんて。
「御堂筋は家からも通えるけど、ルームシェアして部屋でも練習出来るちょっといいとこ住んどるんやと…行った事はないけど」
自宅でも練習漬け。
昔は自分もやっていた。
あの御堂筋を越えるために。
「なんかムカつくけど、御堂筋と組んだら小野田くん元々早いの更にめっちゃ早なったもんなー」
鳴子は、摘まんだ枝豆の皮を皿に投げつけながら続ける。
「それに小野田くんのあの赤うなる顔見て、なんも言えんやろ?…てか、ビール苦!腹立つくらい苦!」
俺は、そう言いながらビールを飲み干す鳴子を眺めるしかなかった。