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君の名前

『御堂筋くん』という名を一番最初にその名前を口にした時は、僕がその名前を口にしていいのか迷った。
案の定、御堂筋くんは嫌そうな態度だったけど、あの時に勇気を振り絞らなかったら、その名前は僕の人生で一番口にするであろう名前にならなかったと思う。
恋人になった時『翔くん』と呼びたくなった事がある。
翔と言う名前は御堂筋くんに合っているし、御堂筋くんの家族しか呼ばない響きで、どこか憧れがあった。
けど、結局呼べずに終わってる。
正確には一度だけ御堂筋くんに『翔』という名前で呼べと言われて、情事のどさくさに紛れて呼んだ事があるけど、お互いに照れてしまってその後ギクシャクしてしまってからは呼んでない。
御堂筋くん自身が周囲に『御堂筋くん』と呼ばせているのもあって、その呼び名は周りの人と一緒。
特別感がなくて寂しく思った事がない訳ではないけど、御堂筋くんに抱き締められるのは僕だけだという自負があったから『御堂筋くん』のままでいい。
そう、思ってた。
「Akira!」
そう呼ばれ、振り返った御堂筋くんは駆け寄ってきた美女にハグをする。
フランスに来てからは、これが日常。
僕のアイデンティティーは粉々になった。
美女と短い会話の後、離れた所でジトッとした視線を送っていた僕と目が合った御堂筋くんは何事もなかったかの様に僕の傍にやってきて言う。
「昔、サカミチに『翔』って呼べって言った事あるやろ?」
そんな昔の事を覚えていた事にビックリした。
僕が呼んだ状況を思い出して赤面したら、御堂筋くんも赤くなったから、多分御堂筋くんも同じ事を思い出してると思う。
「アレから呼ばへんから何かムカついた事もあったんよ」
「え…ごめん」
「いや、謝ることやなくて今となっては良かったって思うてるって話」
「うん?」
話の意図を探りながら返事をした僕。
今は『Akira』と呼ばれる事の方が多くて、『御堂筋くん』と呼ぶのは僕くらいなものなのか…と気がついた。
僕の粉々になったアイデンティティーは、再生する。
「僕、世界一御堂筋くんって呼んでるよね!」
復活した僕が自信を取り戻して言うと、御堂筋くんが真っ赤になるから、妙な反応に僕が御堂筋くんの名前を一番呼んでるであろうシーンを思い出してしまった。
僕は話を変えようと、急に練習メニューを記入したボートに目を落とす。
「あ!明日練習さ!」
「さっき明日の練習、休みやて」
「あ…そ、そう?」
さっきの美女との会話は、その業務連絡だったんだなと思いながら、僕はそれ以上話は続けられず、今日こなした練習メニューをチェックするかのように顔が上げられなかった。
今日の練習メニューが頭に入ってこないのは、フランス語で書かれているからじゃない。
「サカミチ…今夜もボクの事、呼んでくれるん?」
頭上から聞こえてくる御堂筋くんの声は艶を帯びていて、僕はボートに顔を隠しながら答えた。
「…ひゃい!」



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