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桜は二度咲く

春の京都は人が多い。
御堂筋は鬱陶しいと叫びだしそうになりながら、溢れかえる観光客を苦々しげに眺め、ひっきりなしに到着する新幹線の中から吐き出された観光客の中、ことさらキョロキョロと辺りを見回す旅慣れない様子の観光客を見つけると、他の観光客達の波に飲まれ流される寸前で襟首を掴む。
「どこ行くつもりや?」
それが久しぶりに会った恋人への最初の一言だった。
『逢いたかった』なんてセリフが出てくるとは到底思ってはいなかったが、それにしても淡白というか、なんというか。
恋人である坂道はそう思いつつも、ある意味それが一番御堂筋らしくて笑ってしまった。
「なに笑うてるんや?」
不服そうな顔をする御堂筋に、坂道は何の躊躇いもなく言う。
「久しぶりに逢えたのが嬉しいからだよ?」
この素直さがなければ、二人が付き合うという形にはならなかったかもしれない。
「久しぶりって、昨日も電話してたやろ」
素直な坂道とは正反対の御堂筋は赤くなる顔を隠すように京都の街を歩きだす。
御堂筋は、また観光客に飲まれそうになる坂道に手を伸ばしそうになったが、人の多さに重ね、自分からその手を繋ぐ勇気がなく、代わりに歩く速度を緩めて坂道が迷わないようにしていた。
今日は、二人で花見をするために京都で待ち合わせ。
坂道はTVで毎日の様に流れる桜前線に胸踊らせて御堂筋に花見を提案したのだ。
軽々しく待ち合わせが出来る距離にも暮らしていないのだが、待ち合わせがお互いの家の真ん中でも千葉でもないのは、京都なのはTVで流れる桜の名所のど真ん中に暮らす御堂筋が歩けば当たる程の桜をわざわざ見に行く事に渋ったから。
今日も京都駅まで来る事すら億劫だったが、掃いて棄てる程の観光客の人混みに行く事と坂道に会える事を秤に掛けた結果、今に至る。
嫌々そうだった御堂筋だが、今日のプランはしっかりと立てていて、京都駅から流れる観光客とは違う花見場所を見つけていた。
坂道に『この時期の京都駅なんか行きたない』と文句を言いながらもロードで何度か花見場所の下見にまでやって来ていたから、それは多分自分の不快感を軽減させる為だけではないだろう。
京都駅から観光客を満載したバスに乗らずに辿り着けるその場所は、観光客どころか地元民も殆んどいないが見事な枝垂れ桜が咲き誇っていた。
「すごい!」
枝垂れ桜を見慣れない坂道は、連なる枝垂れ桜に声をあげる。
「死体埋まってるからやね、隣はお寺さんやし」
御堂筋の言葉に坂道は「情緒がない」と口を尖らせて非難しながらも、桜の向こうにある壁の上から卒塔婆が少々見えていて、もしかしたらそういうものなのかと納得しそうになった。
「…土葬じゃないじゃないか!!」
気がついて軽く睨むと、御堂筋は舌を出してそっぽを向く。
風になびいて揺れる枝垂れ桜は花弁を舞わせ、自力で美しく花を咲かせていると抗議するようにも見えた。
「今日、風強いね…桜、すぐ散っちゃいそう」
枝垂れ桜を見上げた坂道が残念そうに言うと、御堂筋も揺れる桜と上空を流れる曇を見上げる。
ロードレースはロードレーサーのメンテナンスも然ることながら、コースの状況と共に天候が大事な要素。
大事な要素とはいえ、天候は人間の力ではどうする事も出来ないのだから受け入れるしかない。
それは百も承知ではあったが、御堂筋は今日の天気をコンディションの悪いどんなレースより苦々しく思っていた。
風が吹く度に枝をしならせ落とした花弁は小路を彩って絵はがきの様ではあったが、数日前に下見に来た時の満開の桜を坂道に見せてやれなかった事への苛立ち。
その傍らで坂道は不意に座り込み、靴紐でも解けたのかと目をやる御堂筋に小路の飛び石の隙間から茎から落ちた桜の花を拾い上げて見せてきた。
「桜のままなの見つけたよー」
この悪い花見のコンディションの中で笑顔を見せる坂道に、御堂筋は面をくらいながら考える。
ロードに乗って苦しいはずなのに笑う理由を聞いたら『一緒に走ってると楽しくて』と答えた坂道がいま笑っているのは、自分と一緒にいて楽しいと思ってくれているのかどうか…と。
「くびちょんぱやね」
素直に聞けたら楽だろうが、それを出来ない御堂筋が嘯いて言えば、坂道は少し表情を曇らせる。
「そうだね。キレイだけど、なんだか可哀想…もっと木で咲きたかったよね?」
その疑問符は坂道の手のひらに乗る桜に向けられた物か、自分に向けられた物かも分からず御堂筋は応えられなかった。
その瞬間、突風が小路の向こう側から吹き抜けてくる。

ビュゥゥゥゥゥ…

御堂筋は、吹き抜ける風の音で聴覚と、一斉に風に吹かれてしなりぶつかり合う枝から放たれた沢山の花弁に視覚を奪われ、目の前いた坂道が消えてなくなってしまう感覚に襲われた。
「坂道っ?」
名前を叫びながら手を伸ばす。

ヒュゥゥゥゥゥ…

風が過ぎ去ると、枝垂れ桜は枝を鳴らしながらも何事もなかったのように残った花を枝に灯らせる。
「脱臼しちゃうよ」
肩を擦りながら坂道が冗談を言うが、御堂筋は顔を強張らせて呟いた。

「消えてなくなるかと思うた…」

引き寄せられるまま胸に収まった坂道が御堂筋を見上げると、その顔は真っ青になっていて、喪失の記憶を思い出し震えているようにも見える。
事細かにではないが、幼い御堂筋に起こった事は聞いていた坂道は、嫌な記憶を思い出させてしまったのかと心が傷んだ。
「御堂筋くん…僕、消えたりないよ。ずっと一緒にいる。御堂筋くんより長生きする保証は出来ないけど、僕なんだかんだ丈夫だし、大丈夫な気がするんだ。それに御堂筋くんがどこ行っても追いつく様に頑張るし…えっと…たとえ御堂筋くんが嫌がっても追いかけちゃうかもしれない…」
懸命に言葉を繋ぐ坂道。
御堂筋は素直に愛おしいと思った。
でも、その愛おしさを上手く言葉にする事が出来ず。
「それでも心配だったら、手を繋いでてくれる?」
坂道はそう言うと、御堂筋の手にそっと握った。
「ええよ」
御堂筋はその手を握り返し、坂道に口付けを落とす。

ヒュゥゥゥゥゥ…

また風が枝垂れ桜を揺らして花弁を二人に注いだが、しっかりと繋がれた手に御堂筋はもう不安とは思わなかった。
「ところでさ…」
唇を離した二人がしばし視線を合わせていると、坂道は申し訳なさそうに言う。
「さっき拾った桜…潰しちゃった」
そう見せてきたのは、繋がれていない方の手のひらの中で握りしめられてしまった桜。
御堂筋は「情緒がない」と仕返しの非難をしつつ、その潰れた桜を手のひらから拾いあげる。
「だって…いきなり凄い風吹いてビックリしたし、急に引っ張られてビックリしたし、それに…なんか力入っちゃって…あれ?僕なんか恥ずかしい事言った…かも」
自分の言ったプロポーズの様な言葉を思い出して真っ赤になる坂道。
「取り消したいんか?」
「取り消さないけど!」
手を繋いだ二人が歩いた小路を振り返れば、降り注いだ花弁が淡い色のバージンロードの様。
枝垂れ桜は、花見に来たなら自分たちをきちんと見ろとでも言うように風になびいた枝を鳴らし、促された様に見上げれば、花弁を散らした枝から若葉が顔を出している。
「桜、だいぶ散っちゃったね」
御堂筋は坂道が握り潰した桜を潰さない様に、そっと手のひらに包んで言った。
「桜なんか、また見れるわ」



来週には桜前線が千葉に到来するらしい。
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