黒尾鉄朗とひとりぼっちの女の子【連載中】
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episode.08「可愛い」
「あんた何?その前髪」
久しぶりに朝に母と顔を合わせた。
夜の仕事をしている母とは、生活リズムが違う。母は私が学校から帰宅する前に出勤し、早朝に帰宅して、私が起きる頃にはベッドの中。
学校をサボっていても特に叱られることはないし、お互い基本的には自室で過ごしているので、同じ家で暮らしていてもほとんど会話もない。
しかし今日は朝起きると居間でニュースを見ていて、私のボサボサの髪を見るなり一言そう言った。
「ちょっと長いけど、気にしない」
切るのが面倒で伸ばしっぱなしになっている前髪。確かに目にかかるのは少し邪魔だけど、横に流せばあまり気にならなかったので、そのままにしていた。
「もう高3でしょ?もっと見た目に気を使ったら?化粧もしないし。そこそこ可愛く産んであげたのに」
母は立ち上がると私の背を押して洗面所へ連れて行く。確かに、こうして改めて見ると鏡に映る自分は少し野暮ったい。
母は櫛で私の髪をとかし始める。なんだか幼い頃に戻ったようで、心地いい。
「切りすぎないでね」
ハサミを用意する母にそう言うと「任せなさい」と自信満々の返事が返ってきた。
ザクザクと髪を切る音がして、切った髪がパラパラと顔に触れる。目を閉じているので不安だったが、母の美的センスに任せるしかなかった。
「おっけー。完璧!」
その言葉に目を開ける。
眉と瞼の間で切り揃えられた前髪。久しぶりに自分の目をまじまじと見た気がする。おかげで視界はクリアになった。
前髪だけでなく、サイドバングまで作ってくれて、顔周りの印象が大きく変わった。
最後にオイルを髪に馴染ませると全体に艶が出る。
すごい。自分じゃないみたい。
「……ありがと」
「はいよ。髪、染めないの?」
「うん、黒がいい」
この世に黒髪の人なんてたくさんいるけど、私には特別に感じる。
好きな人と同じ、”黒”。
「ふーん。まぁでも、だいぶ良くなったよ」
母は私の髪をするりと撫でると「じゃ、おやすみ」と言って自室に入っていった。
ーーーーーーーーーー
教室に入るのは、少し緊張した。
私の髪型に多少の変化があったところで、誰も気にもとめないだろうけど
似合ってないかなぁ、とか、変じゃないかなぁ、とか、不安もあったから。
「髪、いいじゃん。さっぱりしたな」
席に近付いてきた黒尾君が笑ってそう言ってくれたので、ホッとした。
この日の放課後——
「苗字さん、ちょっと」
下駄箱で靴を履き替えていると、声をかけられた。
例の佐々木さんだ。どこか怒っている雰囲気。
そして今日は後ろに3人ほど友人を従えている。
「急に髪型変えたりして、なに色目使ってんの」
やっぱり怒っているみたい。
そして言われた言葉の意味がわからない。
髪型って少しずつ変えていくものなの?
色目ってどうやって使うの?
なんて質問を返すと余計に怒らせそうなので、返事に困った。
「全然似合ってないから。それに、前に調子乗んなって言ったよね。まさか黒尾のこと本気で狙ってるわけ?」
「いえ、そんな大それたことできるわけが……」
「とにかく、これ以上彼の周りをうろちょろしないで」
「別にうろついてるわけでは……」
「口答えしないで!目障りなのよ!この淫乱女!!」
声が響き、他の生徒たちから視線を浴びる。
ああ、嫌だ。今この場から存在を消したい。
高校生になってからは、こういうのなくなってたのに。
何で私が淫乱なんだ。私が乱れるところをその目で見たとでも言うのか。
「私は処女だ!!」って大声で言い返してやりたい。
……そんな勇気はないけど。
「佐々木、やめろ」
頭の上から静かに低い声がした。
見ると、私の後ろに黒尾君が立っていて、彼女たちを見下ろしていた。
「見苦しい」
「黒尾……」
目の前の彼女たちから焦りの色が見え始める。
「俺が誰といようが、あんたらには関係ないでしょーが」
パッと私の手を引いて、黒尾君は校舎を出た。私は足がもつれそうになりながら、引かれるままに必死でついて行った。
学校を出るとスピードを緩め、並んで歩道を歩く。
繋がれたままの手が気になるけど、まずはお礼を言わなくては。
「助けてくれてありがとう。黒尾君」
「おう。気にすんな」
「もう大丈夫だよ?部活でしょ?戻らないと」
「今日休み」
「へぇ。珍しいね」
「このまま一緒に帰るぞ」
「!」
突然のことに驚いて、言葉を失った。
黒尾君も何も言わない。
繋がれた手のひらが、ただ熱い。
「黒尾君、あの、手……」
「前に握手してやったでしょ。そのお返し」
いや、握手っていうかこれ……
「つーかさ、いつまでその『黒尾君』て仰々しく呼ぶのよ」
「いえいえ、呼び捨てなんて恐れ多くて」
「友達だろ?距離感じるんですけどー」
私の手を引くように少し前を歩く黒尾君の表情は見えないけど、その口ぶりから拗ねたように口を尖らせているのがわかった。
「なんなら『鉄朗』でいいのよ?」
「っ!!それは無理!無理無理!無理だから!……黒尾、で許してください」
「しょーがないな」
振り返りざまの笑顔にキュンとする。
視線を手先に向けると、ギュッと握られたまま。それにもまた、体が熱くなる。
「……ねぇ、友達ならこうして手を繋ぐのは普通?」
長らく友達なんていなかったから、私にはわからない。しかも男友達なんて未知の世界だし。
それに、彼への気持ちを自覚したばかりの私には刺激が強すぎる。
「……いや」
ポリポリと頬をかきながら、なんだか煮え切らない反応。
「小学生ならまぁありだろうが、高校生となればあんまやらねぇだろうな」
「え……では、これは……」
「これは……」
「?」
「俺の独占欲」
「………どっ…は?」
「急に垢抜けたから、正直焦った」
「え?私が?」
「クラスの男どもに結構見られてた。気付かなかったか?」
「そんなわけないよ。気のせい」
「誰も自分になんか注目してない、とでも思ってる?」
全くその通りなので、素直に頷く。
「それは間違いだな。結構可愛いから、少しは気にしたほうがいいぞ」
「……かっ……」
つい、立ち止まった。
ボッと火がついたように顔が熱い。
”可愛い”って言った?
黒尾君が私のこと”可愛い”って……
両親以外からのそんな言葉、生まれて初めてで
しかも相手は好きな人で
——俺の独占欲
完全に思考が停止する。
「………おーい」
目の前に黒尾君の顔が現れる。
背を屈めて、動かなくなった私の顔を覗き込んできた。
恥ずかしさから、私は繋がれていた手をパッと離した。
「あの!もうここで!!」
「あ?」
「さよなら!!」
勢いよく走り出す。
これ以上は無理だった。
助けられて、手を繋がれて、可愛いとか言われて、なんかいつもの彼じゃないみたいで……私は完全にキャパオーバーだ。