黒尾鉄朗とひとりぼっちの女の子【連載中】
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episode.10「ただひとりのひと」
最近は、なんだか楽しい。
以前から高校生活にはそれなりに満足していた。
まぁいつもひとりだったけど、中庭で過ごす静かな昼休みとか、バレー部の覗き見とか、いくつか楽しみはあったから。
そこに突然、入り込んできたひと。
ひとりじゃないこと……誰かといることは、楽しいと教えてくれたひと。
ただただ憧れていた存在だったのに、今は1番近くに感じるひと。
黒尾といるのは、すごく楽しい。
「最近、楽しそうね」
今日もまた、久しぶりに朝に顔を合わせた母にそう言われ、私ってわかりやすいのかな…と思った。
「……友達できた」
お弁当に入れる玉子焼きをひっくり返しながらそう答えると、母は手を叩いて喜んだ。
「よかったじゃない!」
「うん」
少し照れ臭くて、えへへ、と笑う。
と、母からギュッと抱き締められた。
「私のせいで苦労かけてきたよね。ごめんね」
「やめてよ。恥ずかしい」
「でも良かった。お母さん、安心した」
母は私の肩に両手を置いてとびきりの笑顔で笑う。
「名前、私ね、結婚するの」
「………えっ…」
母から突然の告白。
言われた瞬間、母の笑顔から色が消え、私の目の前は真っ暗になる。
ジュージューと、玉子焼きが焦げていく音だけが頭に響いていた。
ーーーーーーーーーー
昼休み。
焦げてしまったけど、仕方なくお弁当箱に詰めてきた玉子焼きを口にする。そこにいつもの甘みはない。
美味しくないから先に食べてしまおう。そう思って、もうひとつある玉子焼きを箸で持ち上げる。
と——
「珍しいな。黒焦げ」
黒尾が隣に座りながら手元を覗いてきた。
「……うん、ちょっと苦いの…」
昼休み中の彼の登場にもすっかり慣れた。というか、毎回心待ちにしているし、彼が来ない日はとてもガッカリしてしまう。
黒焦げの玉子焼きにぱくっと食い付いた。
それを無心で噛んで、飲み込んだ。
「………何かあったか?」
黒尾が横から顔を覗き込んできて、近い距離で目と目が合い、ドキッとした。
「いや、俺の勘違いならいいんだけど。今日はずっと表情暗かった気がして」
「っ……」
心配してくれている目元が優しくて、目頭が熱くなってくる。
母の結婚話を聞いてからずっと、泣くことを堪えていた。
そんな私に、この人は気付いてくれていたんだ。
「私……ひとりぼっちになる」
言った瞬間、涙が溢れた。
「お母さん、再婚するんだって」
ポロポロとこぼれる涙が頬を伝って、雫になり、膝の上の弁当箱に落ちていった。
黒尾は弁当箱をベンチの上へ移してくれて「悪いっ、タオルもティッシュもねえっ」とポケットを探る。
私が突然泣き出したせいで、焦っているようだった。
「平気。持ってる」
私はスカートのポケットからハンカチを取り出して、顔を覆う。
「ごめんね……」
急に泣き出して、心配をかけて、困らせて。
「いいよ。俺に気使うな」
ポンポンと大きな手に優しく背中を撫でられて、更に涙が止まらなくなる。
この涙の理由を話した。
黒尾には、聞いてほしいと思った。
小学3年生の頃——
家を出て行く父は「いつでも会えるから寂しくないよ」と言ってくれた。
その言葉の通り、父はよく私に会いにきてくれて
バレーの試合を見に行ったり、レストランで美味しいものを食べたり、動物園や遊園地へも連れて行ってくれた。
けれど時が経つにつれて、その頻度はみるみる減っていき、ある日突然
——お父さんな、子どもができたんだ。新しい奥さんとの子
——だから、なかなか会いに来れなくなるかもしれない。ごめんな、名前
その日から一度も父に会うことはなかった——
「お母さんも、好きな人と暮らすんだって。すごくお金持ちの人なんだって、喜んでた」
——このアパートはあんた使っていいから。生活費は全部彼が出してくれるの
——もうバイトも辞めていいからね
「お母さん、笑うの……あんたなら大丈夫よ、って。今までもひとりで生きてきたようなものだから、って。私……寂しいなんて言えなくてっ……」
私の背を撫でながら、黒尾は静かに話を聞いてくれていた。
「お父さんの幸せも、お母さんの幸せも素直に喜べない私は、悪い子なんだよ。だから皆、私を置いていなくなる……」
悲観的になってしまって止まらない。
こんなことを言っても、黒尾を困らせてしまうだけなのに
今までずっと堪えていた感情が溢れて止まらない。
「誰も……私をいらないんだよ。皆が私から離れていく」
と、背中を撫でてくれていた手が頭に添えられて、そのまま黒尾の胸元へと引き寄せられる。
「俺が居る」
シンプルなその言葉がストンと胸に落ちてきて、一気に暖かい気持ちが広がった。
「苗字、俺居るから」
その暖かさにまた、涙が止まらなくなる。
「お前を守るとか、ずっとそばにいるとか、カッコ良いことは言えねぇけど……お前のそばから消えたりしないよ。絶対」
反対の手で私の手を取ると、自分の膝の上でギュッと握ってくれた。
大きくて強い、私の大好きな黒尾の手だ。
「いいか、苗字。他に誰もいなくなっても、俺は居るから」
「ありがと……黒尾……」
すがるように胸元におでこを押し付けると、更に頭を抱かれて、膝の上の手は強く握られる。
その腕の中の温もりは、とても安心できるものだった。
「寂しくなったらいつでも電話しろ。ワンコールで出る」
突然の申し出にフッと笑みが溢れる。
「ワンコールは無理ある」
「……スリーコール」
「ふふっ」
「風呂入ってても、夜中でも、何してても必ず出るから」
「試合中も?」
「………」
「うそ。意地悪ごめん」
いつの間にか涙は止まって、笑顔になっている私。
「ありがとう、黒尾。元気出た」
「ん」
「あ、お弁当途中だった」
私は黒尾から離れて体勢を戻し、再び弁当箱を膝に乗せた。
「切り替え早いね」
私がおかずを頬張る姿を見て、黒尾は楽しそうに笑ってくれる。
絶望を感じるくらいに悩んでいたのが嘘かのように、元気にしてくれた彼に
”ありがとう 大好きだよ”
そんな想いを込めて、私も笑った。