月島蛍と転校生女子【完結】
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episode.08「遠足前の小学生」
——一番好きだもん
好きな子からそんなことを言われたら、どんなに冷静な人間でも浮かれてしまう。
ふわふわと落ち着かない気持ちのまま週末を過ごし、迎えた月曜日。
朝練を終え教室へ向かうと、登校してきた名前と廊下で遭遇した。
目が合った瞬間、名前はビクッと体をこわばらせる。
「おっ、オハヨウゴザイマス」
「おはよう」
片言で気持ちのこもっていない朝の挨拶。
珍しく視線も合わせてこない。
いつもはしつこいくらい話しかけてくるのに、今朝はすぐにその場を去ろうとする。
「ちょっと」
そそくさと教室を目指す彼女を追いかけた。
足の長さの違いのせいか、容易に追いつくと名前は再びビクッとした。
「その変な態度、何なの?」
「わかるでしょ?恥ずかしいんだよ。この間はなんか…大胆すぎたと言いますか、勢い余ってと言いますか……」
言いながら俯き、耳まで赤くなる。
「休みの日に会えたから、なんだか舞い上がっちゃって……」
続く言い訳が可愛く思えて、月島も顔が熱くなってきた。
「だから冷静になった今はちょっと、月島君と顔を合わせるのは今の私には地獄というか……穴があったら入りたいってやつで……とにかく恥ずかしいの!もう!」
恥ずかしがっていたはずが、なぜか怒っている。
「それじゃ」と言って去ろうとするが、名前が肩からかけている鞄の端を咄嗟に掴み、それを阻止した。
「駅前のケーキ屋。土曜にリニューアルオープンだって」
「え?」
唐突ではあるが、彼女の好奇心を掻き立てるであろう話題。
案の定、名前はパッと顔を上げた。
やっと、目が合った。
「一緒に行かない?」
格好悪いことに、少し声が震えた気がする。でも名前の瞳が輝いたのでホッとした。
「テスト前だから部活も休みだし、勉強の気分転換ってことで」
「やった!行きたい!」
その素直な反応が彼女らしい。
「10時にお店の前ね」
月島の声色がどこか優しくなる。
名前はコクンと頷き、足取り軽く教室へと入っていった。
ーーーーーーーーー
その日まで、期待と不安が入り混じったような毎日を過ごしていた。
教室で顔を合わせても、交わされるのは挨拶程度。
しかし距離ができたわけではなく、和やかな雰囲気が2人を包んでいる。
きっと新しい何かが始まる。
2人で、始めたい。
口には出さずとも、お互いにそう意識しながら、その日を迎えた。
「……うわ…」
約束の時間より5分ほど早く店に到着したが、そこにはすでに行列ができていた。
10時オープンのはずだが、店内は人で賑わっている。予定よりも人が多く集まったので早めに店を開けたようだ。
この行列だと、店に入れるまでどのくらい待つかわからない。
今日は諦めて日を改めるか…と迷っていると
「月島君」
後ろから声をかけられ、振り返る。
「おはよう」
久しぶりに向けられた笑顔にドキッとした。
「おはよ」
「すごく並んでるね!びっくりしちゃった。私たちも並ぼ」
「いいの?時間かかりそうだけど」
「だって、このために来たんでしょう?」
「……うん」
誘った手前、列に並ばせてしまうことに気乗りしなかったが、名前の方はこの行列に怯まなかったのでホッとした。
最後尾に並ぶと、店員からチラシを1枚渡される。リニューアルオープンを記念した限定メニューのようだ。裏面には通常のメニューが書かれていた。
名前にも見やすいように下の方でそれを持つと、「ありがと」と嬉しそうに覗き込む。
「忠も来たかったかなぁ」
メニューを見ながら名前がボソッと呟いた。
「まぁ誘えば来たかもね」
「今からでも呼ぶ?」
「……僕と二人は嫌なの?」
「……嫌じゃないです」
彼女と、この距離感は久しぶりだった。
月島はこの一週間、ずっとそわそわと落ち着かない気持ちで過ごしていたが、今、緊張が最高潮に達しているのが自分でわかる。
彼女を楽しませられるか不安だった。
「どれにしようかな。月島君決めた?」
「まだ」
「やっぱりこのシュークリーム食べ比べセットかな。でも数量限定だから、売り切れちゃったときは…どうしよう!」
「いくらなんでも、そんなすぐ売り切れることはないでしょ」
「でも念のため、考えておかなきゃ。その時はこのチョコケーキにする」
「まぁ、好きにすれば」
しかし、相変わらず彼女はお喋りで、ひとりで勝手に楽しそうなので、話しているうちに緊張は溶けていった。
その後も名前の話に相槌をうっているうちに人の列は流れ、あと5組ほどで入店できそうなところまで来た。
「もう少しだね」
列が動いたのに合わせて前に進むと、名前の足元がフラついた。
月島はそっと手を伸ばし、その肩を支える。
「ごめん、ごめん。つまづいちゃった」
名前は笑っているが、月島は違和感を感じた。
「………ねぇ」
名前の前髪をかきあげるように、額に手のひらを当てる。
熱い。
「………」
ヤバイ、という表情で名前は黙り込んだ。
よく見ると顔も少し赤い。
「……いつから?」
「今朝、起きた時からこんな感じ……」
「無理して来たの?」
「無理なんてしてない。大丈夫。動けるし」
月島は手に持っていたチラシを折りたたんで鞄へとしまった。
「帰るよ」
「え!せっかくここまで並んだのに?」
「悪化する」
列から出ようとする月島の腕を名前が両手でギュッと掴む。
「嫌だよ。すっごく楽しみにしてたんだもん。一週間ずっと。昨日の夜だって眠れなかったくらい」
「だから熱出たんでしょ」
「………」
「遠足前の小学生」
「……帰りたくない…」
駄々をこねる様は本当に小学生のようだ。
今にも泣き出しそうな表情。
名前のこんなにも悲しそうな顔は初めてで、少しくらいなら平気か?と一瞬揺らいだが、心を鬼にした。
「今日は帰るよ。また来ればいいじゃん」
「月島君が部活のない休日なんて、滅多にないでしょ?」
「部活の後で良ければ、いつでも付き合うから」
「本当?」
「嘘つかないよ」
「……じゃあ、帰る」
自然と名前の手を引き、列を離れた。
小さな手のひらが自分のものよりも熱い。
彼女の家を目指し、無理させないようにできるだけゆっくり歩くが、さっきより熱が上がってきているようで、だんだんと言葉数は減り、息もあがってきていた。
「………乗って」
月島は名前に背を向けてしゃがみ込む。
「………えぇーっ!!」
状況を把握した名前の声が裏返る。
周りを歩く人たちの視線を感じ、いたたまれない。
「無理無理!嫌だ!恥ずかしいし、重たいから!」
「このままだと僕の方が恥ずかしいから、早くしてよ」
騒いでいた名前は月島の一喝で大人しくなり、後ろからおずおずと首に手を回してきた。
「……お邪魔します」
背中全体に重みがかかる。
脚の裏に腕を回して立ち上がり、そのまま歩き出した。
「………」
「………」
歩くのが辛そうで、ついやってしまったが、迎えを呼ぶとか、タクシーを拾うとか、もっと他にやり方があったんじゃないか?と後悔し始める。
背中で感じる温もりは驚くほどに柔らかいし、耳の後ろで呼吸音がやけに大きく感じる。それに、なんだかいい香り。
具合の悪い彼女に対して、不謹慎な考えばかりが浮かんできて、自分が嫌になる。
「月島君」
しばらくの無言を破るように発せられた言葉は、熱のせいか吐息混じりで艶っぽい。いつもの元気で無邪気な彼女からはかけ離れていて、その声を聞いただけでどうにかなりそうだった。
「なに」
必死で平静を装って、いつもの素っ気ない返事を返した。
「重くない?」
「気にするほどじゃないよ」
「じゃあ気にしない」
顔は見えないが、安心したようにふっと笑ったのがわかった。そして、首に回された腕にギュッと力がこもる。先ほどよりも顔と顔が近くなった。
「背中、あったかい」
「………」
耳のそばで響く甘えてくるような声に、返事もできなくなった。
頼むからもう黙ってて。
そう強く念じると、思いが通じたのか沈黙がしばらく続いた。
「……月島君」
少しして、また名前を呼ばれる。
今度は消え入りそうに小さくかすれた声だった。
「なに」
「……あの日…」
「………あの日?」
「……何て、言いかけたの…?」
すぐにピンときた。
山口んちの前で会った、あの日だ。
——一番好きだもん
——僕も
気持ちを言ってしまいそうになった、あの日だ。
「僕も…の続き……聞きたい……」
月島に緊張が走る。
今度こそ、言ってしまおうか。
『絶対、幸せにする』とか、そんな格好良い言葉は言えないけど、自分なりの気持ちを……
覚悟を決めた。
「苗字さん」
「………」
名前を呼ぶが返事はなく、規則正しい呼吸音だけが聞こえてくる。
「苗字さん?」
「………」
2回目も月島の声は虚しく空に消えた。
首に回されている腕が少しずつ力を失い緩んでくる。そして、スー… スー…という寝息。
名前は大きな背中の温もりによる安心感と、熱のせいもあり眠ってしまっていた。
フッと笑みがこぼれた。
残念なような、少しホッとしたような。
すぐ目の前の角を左に曲がれば、遠くに彼女の家が見えてくる。
そんな道端で
「………僕も好きだよ」
月島は小さく囁いた。
