山口忠と積極的な女の子
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episode.06 「帰り道」
——それは、今日の休み時間の出来事。
「あっ、苗字も数学苦手?」
数学の教科書を広げ難しい顔をしていると、通りすがりの日向がおもむろにそう声をかけた。
「うん。日向ほどじゃないけどね」
「あっ言ったな!でも俺ね、今日進学クラスのヤツに教えてもらうことになってるから、テストなんて余裕だもんね!」
ニッと得意げに笑ってピースをする。
日向の”進学クラスの友達”
そのワードにすぐにピンと来る。
「もしかしてバレー部の?」
「おう!」
「今日の放課後?」
「そうだよ。テスト前は部活ないから、やることないしなー」
1年生で、進学クラスで、バレー部
といったら、もう二択。
もしかしたら……
「ねぇっ!」
通り過ぎようとする日向の服の裾を掴む。
「ん?なに?」
「その勉強会!あの…よかったら私も混ぜていただけないでしょうか……」
「いいよ!」
決死の思いで頭を下げる名前とは裏腹に、あっけらかんとした返事が返ってきた。
数学を教えてもらいたい、なんてただの口実で、頭の中にあったのは
「もしかしたら放課後のひとときを好きな人と過ごせるかもしれない」
という邪な思いだけ。
ほんの少しの時間でも、一緒の空間で過ごせるだけでいい。
少しでも彼との接点が持てれば、それで……
そう思って臨んだ勉強会だった。
それが今、あろうことか
意中の人と肩を並べ、駅までの道を歩いている——
「もしかしたら相手は山口君かもって思って、私から日向にお願いしたの。完全に下心でした!ごめんなさい!」
急に罪悪感が湧いてきた名前は、今日の経緯を正直に山口に話し、頭を下げた。
「あははっ、謝ることないよ。しかも下心って!」
不快に思うこともなく、楽しそうに笑ってくれる姿に胸が温かくなる。
「山口君の教え方、すごくわかりやすかったよ。ありがとうございました」
「どういたしまして」
2人になってからずっと緊張している。
好きな人の横にいるだけで気持ちが舞い上がって、自分が自分じゃなくなったようにうまく振る舞えない。
こんな事態になることを前もってわかっていたら、聞きたいこととか、話したいことを考えておいたのに……とも思ったが、きっと用意していても頭が真っ白になっていたかもしれない。
とにかく、優しい山口は隣でずっと笑ってくれていて、名前にとってはとても愛おしい時間だった。
あっという間に前方に目的地である駅が見えてきてしまい、時間の過ぎる早さに寂しさを覚える。
と、名前のスマホが震えた。
「あ、ちょっとごめん。日向からだ」
「日向?」
立ち止まり、電話に出る。
山口も同時に立ち止まり、様子を伺った。
「はい、もしもし……うん…えっ、気付かなかった!……いいよいいよ!明日で!だってもう家でしょ?……うん、大丈夫だよ!……うん、また明日ね」
数十秒の会話を終え、電話を切る。
「日向、どうかした?」
「私の教科書間違えて持って帰っちゃった、って」
名前は自分のカバンの中身を確認すると「本当だ。数学ないや」と呟いた。
「えっ、大丈夫?」
「あ、うん。明日返してもらうし、今日は違う教科勉強する」
「でも今日一緒にやったとこ、家で復習するって言ってなかった?」
「そうしたかったけど、仕方ない」
心配させまいと笑顔を見せると、カバンを肩にかけ再び歩き出す。
と、山口はカバンから数学の教科書を出して早足で追い越し、正面に立った。
「よかったら俺の持っていって」
「ええっ!でも……」
「俺は今日英語やるつもりだったから」
なかば無理やり教科書を押し付けるように渡すと、名前は少し戸惑いながらも嬉しそうにそれを受け取った。
「……ありがとう」
さらに山口は、軽く深呼吸をし、緊張した面持ちでポケットからスマホを出す。
「……あとさ…苗字さんの連絡先、聞いてもいい?」
「ええっ!」
「いや、もしまた勉強でわかんないところとかあったらさ、電話でもメッセージでもいいし、いつでも聞いてよ」
言い訳を述べるようにそう言った。
日向が知ってるのに自分が知らないなんて嫌だ、なんて
まさか、そんな本音は言えるわけがなかったから。
「よ、よろしくお願いしますっ」
山口の内心はつゆ知らず、名前は震える手でスマホを取り出した。
向かい合い、スマホとスマホを合わせて
連絡先を交換する。
「……死んじゃうかも。嬉しすぎて」
「え?……ん?」
画面を見つめながら名前がポツリと呟き、山口はまた心の声かな?と思った。
「ずっと、知りたかったの。山口君の連絡先。でも…さすがにがっつきすぎかなぁ、って……」
「いや、全然そんな…いつでも教えたのに。気軽に連絡してよ」
「いえ、気軽になんてできません……」
大袈裟だな、と山口は笑った。
が、反対に名前は瞳がどんどん潤んでいく。
「どうかした!?」
「優しいなぁって」
山口の連絡先が入ったスマホを大事そうに胸に抱いたまま、真っ直ぐに顔を見上げる。
じっと見つめてくる大きな瞳に山口の方が耐えられず、視線を遮るように顔の前に手をやった。
「……照れるからあんま見ないで」
「ご、ごめん」
照れてる山口君。かわいい。
駅のロータリーに着き、別れた。
一度立ち止まって振り返り、手を振ってくれる。
照れ臭く思いながらも、軽く手を振り返した。
名前の背中が見えなくなると、急に解かれた緊張に深く息を吐いた。
「………」
隣を歩いて、駅まで送って
振り返って手を触り合って、見えなくなるまで背中を見送って
なんかこれって、あれみたいだ。
”恋人同士”ってやつ。
自分の考えに、勝手に顔が熱くなる。
特に用もなかったコンビニへ入り、飲みたいわけでもなかったが目についた飲み物を買って、家路に着いた。
雪がパラパラと降り始めた空を見上げる。
思い出すのは、今日見た様々な表情の彼女。
ちょっとしたひっかけ問題に手が止まって固まるところ。
その手の小ささ、華奢な指先。
恥ずかしそうに教えてくれた、茶道部を選んだ理由。
2人になったときの、緊張した姿。
微かに震えてた、スマホを持つ手。
名前さんの周りには男なんてたくさんいる。
むしろ日向のように同じクラスでもない俺は、彼女との接点なんてひとつもない。
それでも俺は今日、前よりも彼女に近付けた。
ただ周りにいるだけの男たちになんて負けたくない。
ポケットに手を入れて、中のスマホをギュッと握る。
近づきたい。
もっと、もっと。