咲く菫色/クラッカー
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適当に2人の兄の相手をして帰りを見届けた後
部屋のドアを開けると
ミドリは焦ってソファから立ち上がった。
「クラッカー様。先ほどは——」
「いいんだ。座ってろ。」
先ほどの態度を反省して
なるべく優しい言葉遣いを心がけたが
どうしても尖った言い方になってしまう。
ソファの端に小さく座るミドリの隣に
人ひとりぶんの距離を空けて座る。
ふと、こうして2人きりの空間というのは
初めてであることに気が付き、急に緊張した。
部屋には呼んだものの
何を話したらいいのかもわからない。
手を伸ばせば届く距離にいることに
意識し出して、身体も硬直してくる。
触っても…いいものなのか…?
膝の上に置かれている小さな手を視界にとらえて
自分の手を伸ばしてみる。
——が、
「お疲れですよね。何か飲み物をお持ちしますね。」
そう言いながらミドリがまた立ち上がったので
すぐに手を引っ込め
誤魔化すようにその手を体の前で組む。
「……おれといるのは嫌なのか?」
「えっ……」
組んだ手先を一点に見つめ、怒っているようにも
どこか寂しそうにも見えるクラッカーの姿に
ミドリは焦って隣に座り直し
体をクラッカーの方へ向けた。
「申し訳ありません。そんなつもりでは——」
「やめるなら今のうちだ。」
「…え?」
「じきに式の準備が始まる。婚約を断るなら…今のうちだと言ってるんだ。」
「そんな、断るなんて……」
ミドリはクラッカーのことが大好きだった。
ただ、これといって秀でた能力もなく
この屋敷に大勢仕えている平凡な使用人のひとり。
そんな自分が、どうして主人であるクラッカーに
受け入れられたのか。
とても現実とは思えない。
自分に自信が持てない。
こんな自分が
クラッカーと肩を並べて良いはずがない、と
この婚約話で周りが盛り上がるにつれ
不安は大きくなっていた。
そんな不安から
彼を想う気持ちは大きくなるばかりなのに
自分で制御してしまう。
私の気持ちを優先してはいけない。
自分には選択する権利はない。
使用人としての立場を忘れることは
やっぱり許されない、と。
「……私には…断る権利などありません。」
「あ?」
「私はクラッカー様に従うだけです。」
「なんだ、それは……」
こんなことを言ったら
怒らせてしまうかもしれない。
でも、ミドリの方こそ彼に言いたかった。
やめるのなら今のうちです、と。
「クラッカー様には……こんな私なんかよりも、もっと相応しいお相手がいらっしゃいます。」
「……そんなにおれが嫌なら、そう言えばいいだろう。」
言いながら立ち上がり、背を向けるが
暗くなったクラッカーの表情を
ミドリは見逃さなかった。
怒らせたわけではなく、傷付けてしまった。
「クラッカー様。そういうわけでは——」
「もういい。ひとりにしてくれ。」
背を向けたまま、ドアを指差す。
ミドリはその大きな背中に向かって頭を下げ
静かに部屋を出ていった。
ドアが閉まると、クラッカーはその場に座り込み
グシャグシャと頭を掻く。
”こんな私なんか”
あいつはそう言った。
やはり、これっぽっちも伝わっていなかった。
おれは”お前がいい”のに。