咲く菫色/クラッカー
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最初は、花壇の前で座り込むその後ろ姿に
なぜか目を惹かれた。
「何してんだ?」
「クラッカー様。」
おれが唐突に声をかけると慌てて立ち上がり
グローブをした手を前に組みながら頭を下げる。
「花壇の手入れです。あの、雑草を抜いておりました。」
「構わねェ。続けろ。」
「はい。ありがとうございます。」
丁寧にもう一度頭を下げてから座り込み
作業に戻る背中に、もう一度声をかけた。
「そんな場所の花なんか、誰も見てねェぞ。」
「そうかもしれないですけど、私は花が好きなので。」
それまで気にしたことのなかった自分の屋敷の庭。
改めて見回してみると
色鮮やかな花が所狭しと咲き誇っている。
こうやって丁寧に世話をしてやると
花も綺麗に咲くんだな、と素直に感心したものだ。
それを、誰に褒められるでもないのに
楽しそうに作業を進めるこの女にも
不思議と興味が湧いた。
腰まである長い黒髪を上半分だけアップにし
それを花の形をした髪留めで留めている。
化粧を施している様子はないのに
透明感のある美しい肌に整った顔立ち。
大勢いるメイドの中で、そこまで目立つことは
ないのだろうが、誰が見ても美人だと言える。
「名前は?」
「はい、これはスミレです。」
わざわざ振り返っておれを見上げる
大きく開かれた丸っこい瞳。
吸い込まれそうな感覚になり、目を逸らした。
「花じゃねェ。お前のだ。」
「えっ、私のですか?」
ただのメイドなんかに名を聞いたのは
初めてのことだった。
お前が驚くのも無理はない。
「悪いな。邪魔をした。」
なんだかむずがゆい気持ちになって
逃げるようにその場を離れた。
結局名前はわからなかった。
あんな女の名前なんてどうでもいいじゃねェか、と
自分に言い聞かせながら屋敷へと入った。
〜咲く菫色〜
次に会った時
お前は屋敷の出窓に花を飾っていた。
「……また花か。」
急に声をかけられて驚きつつも
おれを見るなりすぐに笑顔に変わった。
初めて見る、お前の笑った顔だった。
「お庭で咲いたものを少し持ってきました。ただの廊下も、華やかになるかと思いまして。」
「なるほど。悪くねェ。」
「ありがとうございます。」
おれはなぜかその笑顔を直視できなくて
すぐさまその場を離れた。
ーーーーーーーーー
今まで気にも留めていなかったのに
一度認識すると、その存在ばかりに目がいくのは
どうしてなのか。
お前はただの屋敷のメイドで
おれからすれば、特別でも何でもない
数え切れないほどいる家来どものひとり。
なのに、なぜか目を引いて
なぜかお前にばかり用事を言い渡した。
「腹減った。早めにメシにできるか?」
「はい、すぐに。クラッカー様。」
お前はおれの要求に、必ず「はい」と答える。
「今日はカスタードとエンゼルが来るんだったな。」
「はい、ご準備整っております。クラッカー様。」
どんなときも、どんな要求にもだ。
「退屈だ。何か本とかねェかな。」
「はい、ご用意してきます。少しお待ちくださいませ。」
お前がいつでも、何にでも「はい」と答えるから
おれは、難なくお前を手に入れた。
「お前、おれの妻になれ。」
「………」
「………」
「……はい、クラッカー様。」
いつの間にか、おれはただのメイドに
心底惚れ込んでいた。
「いい加減、名前を知りたい。お前のだ。」
「……ミドリと申します。」
「よろしくな。ミドリ。」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。クラッカー様。」
こうしておれは
ほとんど会話をしたこともない
今しがた名を知ったばかりの女と
結婚の約束を交わした。
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