第五章 〜彼の嫉妬〜
お名前設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
普通に歩いているつもりなんだろうけど
ワイパーさんの歩幅は私のそれより大きいから
私は小走りで、必死に横を歩く。
「あのっ、何か怒ってます?」
「……怒ってねェ。」
前を向いたまま
ぶっきらぼうに一言だけそう答えた。
繋がれた手は尚もグッと引っ張られていて
これが怒ってないなんて嘘だ。
そう思った。
「でも……」
「いいから。さっさと帰るぞ。」
「でもっ……手、少し痛いです。」
そう言うと、ワイパーさんはピタリと立ち止まり
握っていた私の手を自分の手のひらに乗せ
それを見つめていた。
「悪い。」
「あの…私、何かしました?」
「………」
「何かワイパーさんが怒るようなことしちゃったなら言ってください。私も、言ってもらわないとわからないので……」
もう片方の手をワイパーさんの手の下から添えて
両手で包むように握った。
暗くて表情が見えなかったので顔を覗き込むと
反対の方へ逸らされてしまって
結局表情は読み取れない。
「……怒ってんじゃねェ。焦ってんだ。」
私が両手で包んでいたはずなのに
その大きな手は、手首を返して
私の両手を簡単に握り、そのまま引き寄せられ
背中を強く抱き締められる。
一瞬の出来事に、何が起こっているのか
わからなかった。
ドクンドクンドクン。
目の前の厚い胸板から大きく鼓動を感じる。
タバコの香りがふわりとして
片手は私の両手を包んだままで
片腕だけで、背中から肩まで抱き締められていた。
前にビーチでコナッシュから
守ってくれたときのことを思い出したけど
その時よりも明らかに優しい温もり。
みるみる体温が上昇していくのが
自分でもわかった。
「あ、あの…ワイパーさん…?」
「手ェ繋いだだけで舞い上がってる場合じゃなかった。」
呆れているようにも、悔しがっているようにも
取れる様子で、そう呟いた。
この状態でワイパーさんが喋ると
おでこに吐息が当たって
低い声は耳だけでなく全身に響く。
私は下を向いたまま
この緊張、このドキドキが伝わらないように
身体を硬くすることしかできなかった。
「変なことはされなかったか。」
「え……変なこと?」
「さっきの男にだ。」
「料理長に?されてないですよ。方向が同じだったから送ってくれただけです。」
ハァ〜っと息を吐きながら、首をもたげてきて
肩に顔を埋められる。
ワイパーさんの耳にかけられていた長い髪が
サラリと私の胸元へ流れて
額に感じていた吐息が、今度は首筋に直接あたる。
どちらもくすぐったくて、身体が勝手にこわばる。
「おれが行かなきゃ、向こうは家に連れ込むつもりだったかもしれねェ。」
両手が解放されたかと思うと
その手は背中に回され、尚も強く抱き締められて
完全に身体と身体が密着した。
「な、何言ってるんですか?なんか…ワイパーさん、変です……」
「あァ、変なんだ…他の男に……触らせたくねェ。」
耳元で、小さな声で囁くようにそう言われた。
「嫉妬だ。わかってる。」
肩に埋められた顔はそのままに
「誰かに笑顔を振りまいてるだけで、ハラワタが煮え繰り返りそうだった。」
両方の手で強く強く密着するほど抱き締められて
「情けねェが、余裕がねェ。」
この腕の中は
全身がとろけそうなほど、甘い甘い空間。
「幻滅したか?」
一度顔を離して、覗き込んできたワイパーさん。
こんな不安気な表情の彼は初めてで
胸をギュッと掴まれたように苦しくなる。
正直に気持ちを言ってくれたことで
私も素直になれそうで
今度は自分から、その胸に額を押し付けた。
「嬉しいです……でも、恥ずかしすぎて…顔が見られません。」
見えなかったけど、笑ってくれたのか
フッと息を吐いて、また強く抱き締められる。
「あの、ワイパーさん…名前……」
「……名前?」
「さっき呼んでくれましたね。”ミドリ”って。」
「……そうだったか。」
「嬉しかったです。いつも”お前”だったから……」
「………」
「ミドリ。」
耳に吐息がかかるほど近く
これまでにないほどに優しく甘い声。
自分の名前を特別に感じた。
なぜか私は涙が出そうになって
顔を隠したまま、大きな背中に手を回した。
そこからはもう、どちらも何も言わなくなって
ただただ、お互いの熱を分け合っていた。
胸はずっとドキドキしていて
それすらも心地よく感じる。
ひと通りの全くない、真夜中の薄暗い道の端。
いつまでも、こうしていたいと思った。