最終章 〜奏でる〜
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母を失ったときから
私の人生の絶望が始まった。
父の虐待、貧困、ひとりぼっち
そして声までも失った。
誰もが当たり前にしていることを
私はできなかった。
そんなつまらない人生でも
生きていくことをやめなかった。
ただ生きてさえいれば
いつか幸せなことが訪れる、って
小さな希望を捨てられなかったから。
捨てなくてよかった。
信じていてよかった。
スモーカーさんと出会えたことは
きっと、私の人生の中で
一番、幸福な出来事。
音の鳴らない恋の行方 最終章 〜奏でる〜
「おいミドリ。」
ふいに名前を呼ばれて顔を上げると
そこにはいつも通り、眉間に皺を寄せた
不機嫌そうな顔。
「最近やけにここへ来るな。暇なのか。」
ここはスモーカーさんの部屋。
あれ以来私は、非番の日や休憩時間に
暇さえあればここに足を運んでいた。
スモーカーさんの仕事の邪魔はしないよう
こうして本や新聞を読んで大人しく過ごしている。
『失声症の治療のためです』
得意げに書いたメモを見せる。
「それとこの部屋とどう関係がある。」
作業が一段落したのか、スモーカーさんは
葉巻に火をつけると大股を広げて私の隣に座った。
『ロイス先生に なるべく心を穏やかに
過ごすようにって言われたんです』
「……やたら爽やかなあの医者か。」
『スモーカーさんのそばは心が安らぐから』
「………」
『仕事の邪魔はしないので』
「……好きにしろ。」
その言葉に頬が緩んだ。
ただ拒否されないことが嬉しい。
この人への気持ちは忘れる、なんて言っておいて
結局今も好きなまま
毎日想いは大きくなっていく。
いつも機嫌が悪そうに眉間に皺を寄せて
態度も大きく、言葉遣いは悪い。
でも、こうしてそばにいさせてくれて
本当は優しく、甘いところもある。
最初から、障害に関係なく
私をひとりの人間として接してくれた
ただひとりの人。
スモーカーさんが、ずっと好き。
「……そんなに話せるようになりたいのか。」
声が出せないなんて、誰がどう考えても
どうにかしたい問題であるのは明確なのに
スモーカーさんはいつも
それを大したことのないように考えている。
そういうところに、私がどれだけ救われたか。
『スモーカーさんと話したいんです』
素直な気持ちを真っ直ぐにぶつけた。
『私の声で もっとあなたと話したい』
予想外の答えだったのか、メモを読んで
スモーカーさんの目が見開いた。
やっぱりまだ あなたが好きだから
そう書こうとして、やめた。
「………」
「………」
沈黙がなんだか気まずくて
伺うようにスモーカーさんを見ると視線が交わる。
切長のするどい目が、真っ直ぐに私を捉えていて
なぜか視線を逸らせなかった。
スモーカーさんは
口に咥えていた葉巻を右手で外すと
反対の手が伸びてきて、私の髪に触れる。
そのまま襟足までひと撫でされて
同時にスモーカーさんの顔が近付いてきた。
うそ。
うそ。
この状況、もしかして。