仙牧 新⬆旧⬇


──エイプリルフールか?

そうどこか困ったような表情の牧さんにそう聞き返された時、本日最大の不運にオレはがっくりと肩を落とすしかなかったのだった。



「牧さんって、どんな食いもんが好きなんだ?」
海南との合同練習の最中、オレとペアを組んだ神にそう聞いた途端、もうこれ以上曲がらないと悲鳴をあげていた身体にさらに体重を掛けられて、大きな呻き声を上げて悶絶する。
「ギブギブギブっ!」
「一足飛びにズルしようとした罰だよ。そういうのは周りに聞くよりちゃんと本人に聞かないと」
「だってあの人に好きなもん聞いても"なんでも好き"っていうから──いてぇって!」
「ちゃんと本人にも聞いたあとに周りにも聞いてくるとか、なおムカつく」
そう言ってさらに力を込めてくる神に、悶絶しながらジタバタしていると「神、ほどほどにしてやれよ」と魚住さんとペアを組んでいた牧さんからの声が飛んでくる。
少し距離があるからオレと神との会話は聞かれてはいないだろうが、やっぱり色んなところを見てるんだなぁと妙に感心してしまった。
かくゆう牧さんはべったりと床に胸を突いた前傾姿勢で、逆に魚住さんが「お前どんな柔軟性してるんだ」とあたふたしている程だった。
「牧さん」
すると唐突に神が牧さんを呼んだ。
ん?と顔だけをオレたちの方を向けた面倒見の良い海南のキャプテンは、その体勢とも相まって可愛さで悶絶してしまいそうだった。
しかし神が何をしようとしているのか分かってしまい、思わず足を叩いて止めさせる。人から言われるのと、自分であの人に聞くのでは意味が違った。

「牧さん、仙道が付き合って欲しいんですって」

しかし神から放たれた一言は、想像していたものの斜め上をいくもので。
こっちを見つめていた牧さんと魚住さん以外にも、周りで柔軟を組んでいた海南・陵南の両選手にもばっちりそれは聞こえてしまったらしく、和気藹々とした雑音は掻き消えて、辺りがしんと静まりかえる。
そうして無数の棘のある視線がオレに突き刺さるのを感じた。
──待ってくれよジンジン! オレの同級生! なんだっていきなりそんなド直球投げちまうんだ!!
「ちがっ、牧さん! オレっ」
混乱して訳の分からないことを考え慌てるオレとは裏腹に、こちらを向いたままだった牧さんが「おお、いいぞ」と実に軽い調子で宣った。
「えっ」
「えぇっ!?」
「牧、お前本気なのか??」
オレや神以外にも、魚住さんにまで心配されて、牧さんが「だって買い物とかに付き合うんだろ?」とド天然をかましてくる。
海南・陵南に一瞬走ったピリついた空気も牧さんがそう言った途端に、なんだそうか、そんなことかと緩和されて、元の騒々しさが戻ってくる。どんだけ愛されてんだよこの人はっ!
どこか釈然としない気持ちになりながらも、ほっとした気持ちにもなり、オレは胸を撫で下ろしながら「じゃあ牧さん明日とかどうですか?」と少々投げやりになりながら会話のボールを放った。
すると「おお、いいぞ」とまたもや軽い返事が返ってきて慌ててしまって、オレの思考は一時停止してしまう。
「──ええっ!」
「明日はウチ海南|は練習は休みなんだ。陵南もなのか?」
前傾姿勢から体側筋を伸ばす体勢に変わりながら、牧さんが魚住さんに視線を向けた。──うち陵南|は、今日の海南との練習試合で勝てば休み。それが田岡監督に提示された条件だった。
「お前らに勝てばな」
ぐいぐいと体側を押すも、そちらにも素晴らしい柔軟性を発揮する神奈川の帝王に魚住さんが憮然と言い返す。
「なら尚更気張ってやらねぇとな」
そうニヤリと言ってのけた牧さんに、魚住さんが「やってやるさ……ウチの仙道がな!」と闘志を燃やした瞳で言いきって、暫し主将同士のバチバチとした読み合いが始まってしまう。
思わぬ流れ弾に完全に打たれながらも、それでも今日の試合に勝てば、──もしかしたら明日の牧さん過ごす休日を与えられるかもしれない。そう思えば俄然やる気が湧いてくる。
「牧さんとデート……」
──ならばこの思いがけない機会を、決して無駄になどできない。
オレの呟きは、牧さんたちには聞こえなかったらしく、後ろにいた神だけが渋い顔をしていた。
「俺は別に仙道に塩送ったつもりはなかったんだけどな」
ちぇっとひっそりののしる神に、尚のこと力をぎゅうぎゅうと押しつぶされながら、「さ、いこーか」とオレはいつものセリフを吐き出したのだった。



*****



そうして翌日の江ノ電の藤沢駅にて。
オレはそわそわしながら改札で牧さんを待っていた。

昨日の試合結果といえば、何とか延長戦につれ込んでの七十五対七十五の対ゲームで。なんとか対面と休みをもぎ取れはしたけれど、やっぱりあの人は強かった。
全ての攻撃の起点があの人だとは分かりつつも、あの早いドライブで切り込まれ、抜群の体幹でファールをものともしないあの人を止めに行くのは骨が折れる。
三点プレーで押し切られないようにするには、あの人にボールを渡さないようにするしかないだろう。夏のインターハイの県予選で、越野にあの人をぶつけるのは少々ミスマッチが過ぎるかもしれない。もしもアイツが間に合うならば、オレが直接牧さんを止めるのもやむなしなんじゃ──。

そんなふうに牧さんを待ちながら、珍しく考え事をしていたオレは、あの人に「お前、帽子かぶると印象が変わるんだな」と声をかけられて飛び上がってしまった。
いつの間にか目の前には、見慣れた紫と黄色のジャージ姿でも濃い緑色の制服姿でもない牧さんが直ぐ傍に立っていて、暫しその出で立ちに魅入ってしまう。
──今日は五月並みの陽気となるでしょう。
そう出かけに見た天気予報の通り、少し汗ばむくらいの暖かい春の気温である。
牧さんは白いシャツにカーキの薄手のエムエーワンを羽織っていて、普段ポンパドールにしてきっちりとセットされている髪は下りて流されていた。
それに銀縁のメガネもかけていて、こう言っちゃなんだが、まるで別人のようだった。バスケをしてる時の威圧感が少し薄れて、親しみやすい人のような、なんだか可愛くもに見えてしまう。
いや牧さんこそ印象が違いますよ、と思ったままの台詞が口からまろびでそうになって、慌てて口をつぐんだ。
「お、そうか? この季節って何着ていいかわかんねぇからな」
「え、もしかして思ったこと言葉に出てました?」
「──印象が違うって言っただろ?」
小首を傾げる牧さんを見ながら、思っていた事がを口に出していたことに気がついて顔面を青くするオレに「可愛いなんて初めて言われたがな」と抑揚に笑ってトドメをさしてくる牧さんは「切符どこまでの買ったんだ?」と続けて確認してくる。
「ぐぇ、それも言っちゃってたんだ、すみません……とりあえず江ノ島まで買いました」
「江ノ島なぁ。普段はだいたい鵠沼までだからそっちまでに行くのは久しぶりだな」
そう言って券売機に向かう牧さんについて行きながら「牧さんは結構海岸には来るんスか?」と声をかける。
「趣味がサーフィンなんだ。このへんチャリでよく走ってるぞ」
「え、サーフィン?」
意外な趣味にびっくりした声を上げると、牧さんが「そんなに驚くことかぁ?」と笑った。
その笑顔が何だかとても人懐っこくて、そうしてなんだかとても綺麗で──この人日常生活ではよく笑うんだな、そうこっそり心のメモに書きつける。
「この辺り多いだろ? チャリにサーフボードキャリー付けて走ってるサーファーが」
「確かに。初めて湘南来た時、浅瀬でプカプカ浮かんでるのが全部人間だって教えてもらった時は割と衝撃でしたよ」
「まぁたしかに日本中どこでも観れる光景じゃないのかもな。お前はしないのか?」
「こっち来てから釣りは覚えたんスけどね。あのぼーと待ちしてる時間が好きで」
二人で改札を通り抜け、ちょうど発車間際だった電車に飛び乗った。
行楽シーズンで満員の電車の中はごった返していて、隣の人が少し押してきて閉まった扉を背にした牧さんを抱き込むような格好になってしまい、知らず心臓が飛び跳ねる。
その体勢をあまり気にした様子のない彼が、オレの心情になどには構わず続けた。
「逆に俺は釣りはあんまりしたことがねぇんだ」
「っ、へぇそうなんスか? なんか意外」
「母さんが生魚が苦手でな。──って、なぁおい仙道」
牧さんはそう言って、片手を上げると徐にオレの額にひたりと押し当てた。

──心臓が飛び出るんじゃないかと思ったことは、人生で数える程しかない。

その数ある一回が、こんな唐突に訪れるなど思っておらず、オレは呼吸が止まった気がした。
案外ひんやりとした手のひらが心地がいいとか、のぞき込まれた瞳の色が薄い琥珀色をしているんだとか、なんだかお花のようないい匂いがするのだとか、左の泣きぼくろは思ったよりも小さいのだとか。──頭はどんどんいらん情報を溜め込んで今にもショート寸前だ。
「ま、まきさっ」
「顔赤いぞ。お前無理してねぇか?」
「──やっ!そんなこと全くないですから!」
──一瞬オレがこの人に向ける欲を孕んだ思いを見透かされたのかと思った。
なんとか言葉を飲み込んで「ならいいんだが」と離れていってしまう手を、酷く名残惜しく思ってしまう。

そうだ。──オレはこの人に惚れている。

いつその気持ちに気がついたのかなんて分からなかったが、この人の一挙手一投足全てが気になるくらいにはこの人が好きで好きでたまらなかった。
だから、その離れていく手を追いかけるように、心に秘めた言葉が溢れた。
「まきさんっ、あの、オレ、」
「お、もう着くぞ」
しかし。減速し始めキーキーと耳障りな音を立てる電車の音に、オレの台詞はかき消されてしまい、言葉を飲み込むことしかできなかったのだった。


*****



そのあとは、──牧さんとのデートだと意気込んだオレの決意とは裏腹に、まぁ散々な結果だった。

うちの姉ちゃんからかっぱらってきた水族館の入場券片手に「……男二人で水族館か?」「オレ魚を見るのも好きなんです」と少し戸惑う彼の肩を押して意気揚々と入場するまではスムーズだった。
なぜかタカアシガニの前でカニに魅入られて動かなくなってしまった牧さんを引っ張って、デートの定番イルカのショーに連れ出してみれば、素直にはしゃぐこの人の笑顔が見れたのは最高だった。
しかし、まだ春先だと言うのに、新人イルカが飛び跳ねた瞬間、なぜかオレにだけものすごい量の水しぶきを食らって全身水びたしになってしまい、「お前、なんか生臭いぞ」と牧さんに微妙に距離を取られたことはマイナスだった。
気を取り直して牧さんにサーフィンスポットを案内してもらおうと、満開の桜並木を楽しみながら海岸線二人で歩いていたら、今日のために姉ちゃんに買ってもらったバゲットハットを、あろう事か鳶に攫われて牧さんの大爆笑を頂いてしまったり。

そう。
なぜだか今訪れて欲しくない不運に見舞われ、デートでは彼にかっこ悪い姿ばかりを晒してしまってちょっぴり落ち込んだりもしていたのだ。

極めつけは夕方の鵠沼海岸で、富士山の横に沈む夕陽を二人で眺めるというこれ以上ないシチュエーションで告白した時だろう。
穏やかな潮風に吹かれながら夕陽を見つめる牧さんがオレが今までに見た誰よりも美しく、電車の中で尻すぼみになつまてしまった言葉が再び頭を駆け巡り、今度こそ溢れてしまった。

「オレ、牧さんのことが好きです」

距離を縮めてからとか、もっとこの人のことをよく知ってから、反対にこの人にオレのことをよく知ってもらってからとか、そんなものは露とも思い浮かばなかった。
本当にシチュエーションと景色とオレの感情だけの拙い告白に違いない。バスケ以外のことで、後先考えるのは得意ではないのだ。
牧さんは、オレの隣で夕陽を見つめていたリラックスした体勢のまま動きを止めてオレを凝視している。

「あー、……そりゃあエイプリルフールか?」

そして、何処か困った表情のままそう返され、オレはもう泣きたくなってしまった。
瞬時に頭の中にカレンダーを思い浮かべて、今日の日付を思い出して、暦に対して八つ当たりしてしまいになってしまう。
「っ、牧さん」
「いやだって合同練習試合の時に、神が俺に、お前が付き合って欲しいっつった時に、お前、即座に否定したじゃねぇか」
しかし思った答えの斜め上を行く第二弾を経験して、オレは牧さんの顔を驚いて見つめた。
彼が浮かべていた困ったような表情は、今やどこか拗ねたような、そのままキスして押し倒してしまいたくなるような顔をしてオレを見つめ返していた。
その瞳に映るオレへの嫌悪の色などないと分かって、オレははたと考え込んだ。
──もしかして、ここはガンガン攻め込むべき時なのではないか?
今こそ点取り屋と言われたオフェンス力を発揮するべき時ではないのか?
第六感に近い確信を抱き、瞬時に今だと判断したオレは、膝の上に置かれていた牧さんの両手を取ってぎゅうと握り込んだ。
電車の中でオレの額に触れてくれた時と同じく少しひんやりとした両手が、しかし今は微かに震えていることに気がついて、絶対にこの機会を逸するなという思いが強くなる。
「エイプリルフールなんて、すっかり忘れてました。今日はもう牧さんとデート出来るんだって思ったら、いっぱいいっぱいで。思いっきり舞い上がってたんです」
そう言うと、琥珀色の瞳がたしかに揺れるのが見えた。
「……デートでもなんでもないだろ、俺はただお前に付き合っただけで、」
「オレは、牧さんとデートだと思って色々準備してきましたよ。水族館のチケットだなんてあからさまに用意して牧さんに引かれるのなんて嫌だったんです」
姉ちゃんから暫く買い物の荷物持ちに付き合うことを条件に貰って来たそれは、しかしずっと好きな人と行ってみたかった場所だ。
オレの好きな物や場所、この人にも知ってもらい。
そんなことを考えて選んだ場所でもあった。
「牧さんと海岸線を歩くのも本当に最高でした。次はサーフィンしてるあんたを間近で見てみたい」
「っ」

「かっこ悪いところもたくさん見せちゃったけど、今日この日を嘘になんてしたくないんです。むしろこの日をスタートの日にしたいんです」

オレがそう言いきって、両手を握り込むと、あんなに冷たかった牧さんの両手が、今や熱いくらいに熱を持っていることに気がついた。
電車の中ではオレが彼に見惚れて顔を真っ赤にしてしまったが、今牧さんは半分ほど富士の裾野に沈んだ夕陽にも負けないくらい真っ赤になっていた。そして。
「お前が──っ」
くわりと目を剥いた彼が、珍しく語気を荒げて言葉を紡ぐ。

「付き合ってくれなんていうから……っ、だから今日は一日ずっと何してても手につかなかったのに、お前はなんにも言ってこないからっ」
──だからあれは、エイプリルフールの嘘だと思って、何にもなかったのだと思い込もうとしていたのに。

そう言って今や恨みがましくこちらを見つめる目の前の人が愛おしくて堪らない。
オレはもう返事も聞かずに目の前の逞しい身体に抱きついてた。

「もっとオレに色んな牧さんを近くで見させて、もっとオレにあんたを教えて」
──絶対にオレはあんたにウソなんてつきませんから。

今にも心臓がどこかに行ってしまいそうなくらいドクドクとうるさい鼓動を、まるで収めるように、牧さんがオレの背中に両手を回してくれる。
そうして抱きしめられた彼の鼓動も五月蝿いくらいに脈打つ音を聞きながら「俺もお前のことが好きだよ」という甘い声に包まれたのだった。






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