二章
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「……ったく、お前はっ!!この……バカタレが!!!」
一際大きな声を発したのは忍術学園六年生の潮江文次郎、それを浴びせられたのは食堂のおばちゃん見習い椿。
「またそうやって首をつっこむから!!ろくなことにはならないんじゃないか!!」
そう言ったのは別の声、同じく六年生の食満留三郎。
椿は文次郎と留三郎に攻められるように囲まれていた。
彼らを取り巻くように他の六年生もそれぞれ思う心の内を顔に出している。
こうなったのはつい先程のこと。
戸津からの依頼を渋々受けることになった学園長が此度の依頼内容を先生方や上級生に話したのだった。
堀殻城へ輿入れする馬印堂城の千姫、その身代わりとして椿が姫の囮となる。
千姫が堀殻へ向かう様子を派手に演出して敵である差臼城の注目を集め、その隙に本物の千姫はこっそりと堀殻城へ向かうというもの。
集められた先生方や上級生はそのどちらかに振り分けられ、差臼を足止めしたり護衛をしたりと言った内容の忍務に就くことになる。
勿論その場にいた面々には椿が作戦に参加することを反対した者もいた。
だが彼女が学園長を説得したように、学園の忍たまやくのいちでは差臼に偽物とばれるのは容易く、危機に晒される可能性は高い。
千姫に容姿がそっくりで尚且つ、”本物”であった椿ならば万が一の事態にも対処することが可能であり、すぐに差臼が手を下すことも考えにくい。
もし何か起こっても、忍術学園の優秀な先生や生徒たちが自分を守ってくれると信じている。
学園長が彼女の言葉をそのまま皆に伝えると、反対していた者たちも拳を強く握り奥歯を噛みしめるのだった。
忍術学園にはこの依頼を断れない理由がある。
馬印堂城と堀殻城、そのちょうど中間に位置する忍術学園。
もし千姫の輿入れが失敗したとして、怒った堀殻が何を仕出かすかは明白だ。
椿がどうだとかの前に、学園全体が戦にでも巻き込まれるのを防ぐ必要があるのだ。
……ということがあったのだが、それでも文次郎と留三郎は本人に直接言わないと気が済まなかった。
「お前がやらなきゃならんことでもないだろうが!なんで危険に首を突っ込むんだ!今すぐ降りろ!俺が代わりにやる!!」
「嫌よ。もう決めたことだもん。それに文次郎に千姫の代わりなんか勤まるはずがないじゃない。顔見られた瞬間に終わりだよ。」
「なら俺がやる!こいつには無理だろうが俺なら問題ないだろ!?」
「何だと!?」
「何だよ!?」
「ちょっと二人とも、言ったでしょ?差臼は千姫の容姿を知っているんだよ、私以外には適任がいないの!」
言うことを聞こうとしない彼女に彼らの苛立ちは募る。
他の六年はどうなのかと周りを見渡すが、仙蔵は椿に賛同するような姿勢を見せる。
「文次郎、今更何を言っても事態は変わらない。わかっているだろう?椿は言い出したら聞かないことを。」
「仙蔵、だからと言ってなっ…!」
「それにいざという時のために我々が傍にいるだろう?その、万が一を起こさないよう努めることも我々の仕事だ。」
「なぁ、文次郎、留三郎」
小平太が口を挟んだ。
「何が問題なんだ?私たちが椿を守ればいいことではないのか?」
「万が一があると言っている…!」
「万が一を起こさなければいい話だろう?」
「小平太、そんな簡単に事が進むと思っているのか?囮になるんだぞ?敵の狙いを一身に受けるのはこいつなんだぞ!?」
「それはわかっている。だからこそ、私たちがいるのではないのか?」
そうなる前に自分たちが防げば良い。
小平太の言葉に、文次郎と留三郎に迷いが見える。
本当はわかっているのだ、らしくないと。
二人が臆病になってしまっているのは、椿が大怪我を負ったあの時のことを思い出してしまうから。
何もできなかった自分たちが不甲斐なくて情けなくて、またしても彼女が一人で何かを背負ってしまうのではないかと慎重になってしまう。
「伊作、お前だって椿が危険に晒されるのを黙っているわけじゃないだろう?」
「留三郎、それは……そうだけど……」
伊作はちらりと椿を見た。
彼女の揺るがない瞳、有無をも言わせない気迫と言い返せない自分がいて留三郎の言葉にも笑って誤魔化した。
流石に同室の彼にそうされてしまうと、留三郎も呆れて物も言えなくなった。
「ねえ文次郎、留三郎。私、皆を信じてるよ?」
「信じるって……」
「学園長先生ご自慢の忍たまたちが、忍務を遂行できることを信じてる。」
「っ……!」
忍務の遂行、それは千姫を無事に送り届け、椿も学園に帰ることを意味する。
すなわち、完璧な作戦の成功だ。
彼女は誰一人欠けることなく忍術学園が危機に晒されることもない、そんな希望を抱いているのだ。
浅はかな考えだと思われるかも知れない、ただそれを椿は自分たちに重ねて見ている。
一番危険であるはずの彼女がこんな自分たちを信じているなど……そんな期待を簡単に切り捨てることなど、男としてできるだろうか。
それにしても、まさか仙蔵に小平太まで椿側につくとは思わなかった。
残りの面子が成り行きを見守っていると感じると、二人が何を言っても覆らないと感じざるを得ない。
何より彼女の、信じているという言葉が二人の心を揺さぶる。
「…………あーーー!!わかったよ!!俺たちがどうにかすればいい話なんだな!!椿、お前は大人しくしてろよ!?自分一人でどうにかしようなんて考えるんじゃねぇぞ!?」
「文次郎……うん!わかった!よろしくね。……留三郎」
「……お前の頑固さには呆れて物も言えねえ……わかったよ、その代わり、危ないことするなよな。」
「ありがとう。二人とも大好き。」
彼女からの不意打ちを食らった二人は、互いに顔を合わせてすぐに背けた。
ようやく決着がついた話し合いを見ていた伊作は素直な感想を口にする。
「でも珍しいね、い組で意見が分かれるなんて。」
「いや、あれはそういうことではないだろう……」
「え?どういうこと?」
長次はその理由がなんとなくわかっていた。
今回の作戦内容をよく考えてみれば、自ずと答えは導き出せる。
「……仙蔵はただ、あれがしたいだけのようだ。」
伊作の視線を誘導するように仙蔵に目を向ける。
あれと言うのはそう……
「椿、千姫の輿入れは一週間後だったな。では今から打ち合わせしようではないか。」
「打ち合わせって、なんの?」
「決まっているだろう、姫君のお輿入れだぞ?いつもより煌びやかにお前を着飾る必要があるだろう?楽しみだな。」
「!!ちょっ、仙蔵、あああの、それは、」
「さあ行くぞ、作法委員会に集合をかけているからな。」
キラキラした顔の仙蔵に椿は成す術もなく連れ去られてしまった。
「あ、おい!仙蔵!…………なんだ、あいつ、それがしたかっただけかよ……」
文次郎が力が抜けたように呟いたが、仙蔵が言った”着飾られた椿”の姿が頭に浮かんでいることに気付いて、すぐにそれを払拭する。
伊作も文次郎と同じことを思ったのだろう、乾いた笑いを浮かべた。
「……一つ、気になることがある。」
「長次、どうした?」
「馬印堂が堀殻に千姫を輿入れさせる理由がわからない。」
「ん?さっき学園長が言っていただろう?差臼に行かせるわけにはいかないし、力が弱いから堀殻と手を組みたいって。」
学園長が説明していたことをそのまま繰り返した。
まさか話を聞いていなかったわけでもあるまいに、長次にしては珍しいと思った。
だが留三郎の言葉に長次は首を横に振った。
「そうではない。もしそれが成されなければ堀殻の怒りを買い、忍術学園をも巻き込む戦になるという話だった。簡単に戦をちらつかせる城に嫁がせるというのは、差臼と条件が似ている。」
「差臼よりはマシ……ってこととか?」
「いや、正確にはそうではない。」
否定を口にしたのは六年生ではない。
五人は横から入って来た声の方に目を向けると、こちらへ近づいてくるのは利吉だった。
「利吉さん」
「堀殻城は確かに力のあるところだ。だが好戦的かと言うとそうではない。実際あの城が戦を起こして他の領地を手に入れたという事実はない。世を渡るのが上手いと言った方がいいか、交渉術に長けていて自国を守りつつ豊かさも手に入れている。城主は民からの信頼も厚い。」
「え?何故そのことを……?」
「私は仕事で堀殻に潜入調査していたんだ。だから向こうの情勢は知っている。堀殻からの申し入れがあった馬印堂は、是が非でもこれを締結させたいのだ。どちらの城にとっても差臼は脅威でしかないから。」
城同士が結ばれることで力も強まる。
馬印堂としては願ったり叶ったりであるし、堀殻もそうすることで差臼を挟み撃ちにできると言うのだ。
戦う意思がなかったとしても、城の連携は差臼を抑制することに繋がる。
「なるほど、わかりました。しかしそうすると新たな疑問が出ます。」
「そう、戸津さんが言っていた”失敗すれば怒った堀殻によって忍術学園も危機に晒される”ということです。利吉さんの言うように、堀殻が温厚なところであるなら、何故怒りを買うことになると言うのか……」
「学園の協力を仰ぐために誇張して言ったんじゃないのか?」
「だとしたら嘘の情報を入れられたということになるんだぞ?こっちは命を懸けてるんだ、依頼人との信頼関係が崩れることは許されない。」
六年生が話し合う様子を利吉は見ていた。
疑問を持ちそれを追求するとはさすが六年生、ただ言われたことを成し遂げるだけではなく納得のいくもの、自分の信じられるものを見つけようとしているのだ。
頃合いを見て利吉は口を挟む。
「正解としては、あの人は慎重で大変疑り深い。そう言ったのは学園長先生が一度は受けると言った依頼を、椿さんや樒さんが絡んだ途端に渋ったためだろう。馬印堂としては学園の協力はなくては困るからね。何を隠そう、私に堀殻を調査させたのも戸津さんなのさ。」
「え!?」
「あの人は千姫が嫁ぐ場所として堀殻が相応しいのかも疑っていた。城主同士が約束したことでも果たしてそれが最善なのか、独断で私に依頼してきたのだ。」
「自分んとこの城主も信じていないということですか?」
「そうではないよ。もしそうなら城を捨てるか、他の城と手を組んで馬印堂を陥れるだろう。私は彼が、馬印堂を心から大切に思っているのだと思う。でなければわざわざ堀殻の調査をして、千姫が幸せになれるかなんて気にもしないだろうからね。」
「……そう、か……」
忍術学園の協力を得るために、彼も必死なのだ。
戸津と直接会いそれを肌で感じた利吉の言葉に、皆納得の表情を浮かべる。
「まあ、細かいことは気にしないで要は千姫を堀殻へ無事に連れて行けばいいわけだな。」
「同時に差臼が狙ってくるであろう、椿の方も守らないといけないな。」
「本当に、あいつは首を突っ込みすぎだ。」
「確かに心配ではあるけどね。」
各々が少し整理できたのだろう、小平太の言葉を皮切りに表情が和らぐ。
「作戦は一週間後だったな、皆よろしく頼むよ。」
そう言い残して利吉はその場を離れた。
父、山田と学園長に自分も作戦に参加する旨を伝えなければならない。
何よりも椿を……彼女を守るためにも自分が動かなくてはならない。
そう、約束したのだ。
椿が樒を見つけた時、彼女はいつも通りの様子を見せた。
悪いように見えた顔色も、その心配は必要なかったとばかりに戻っている。
声をかけると素っ気ない返事が戻ってくるがこれはいつものことなので寧ろ椿を安心させた。
「椿の方こそ、疲れているように見えるが……?」
樒がそう言うと椿は一瞬驚いたような顔を見せたがすぐに照れたような笑顔になった。
「そうかな……?」
あの後仙蔵を始めとする作法委員会の打ち合わせに付き合わされ少し疲れていたのだが、樒が名前を呼んだことが嬉しくてはにかんでしまう。
それに自分を気遣う樒が、少し歩み寄って来てくれていることも椿を喜ばせた。
友達になりたい、その想いが伝わった気がしたのだ。
樒は機嫌がいいのか、今回の作戦も気になっていると言う。
あの場に同席してしまったことが原因であろう。
椿は正直迷った。
樒と親密にはなりたい、折角彼女が自分と忍術学園にも興味を持ってくれている、だがそうは言っても身元が判明すればここを去る人物だ。
簡単に作戦内容を話してもいいものか……
渋っているとそれがわかったのか、樒は諦めたように椿に詫びる。
自分が部外者であることも忍者の世界に守秘義務が生じることも理解を示した。
「……ごめんね……」
椿がそう言うと樒は気にするなと言って、初めて笑った。
樒が笑ってくれたのだと少し興奮した様子で椿は土井にそのことを話しに来た。
椿が嬉しそうに話す様子を土井も優しい表情で聞いていた。
樒が少し心を寄せてきたことが彼女はとても嬉しかったのだ。
同性の、同じくらいの歳の友人がいなかった椿にとって、樒がそのような態度を示したことは特別な想いがあったのだろう。
それは土井も望んでいたことだった。
ただ、気になることはある。
椿には言わないが、樒が今回の作戦を気にする素振りをしたことだ。
話を聞いていたから?自分がその役目を担う可能性があったから?椿を心配してのことだったのか?
ただそれだけならば良いのだが、彼女の身元が判明していない以上、そんな些細なことも気にかけなければならない。
椿は詳しいことは話さなかったと言っていたし、それで良いとその判断を土井は褒める。
これは……一応山田と共有しておいた方がいいかも知れない。
作戦決行まで一週間。
馬印堂城の戸津らが忍術学園を訪れた後も、普段通りの日々が流れている。
上級生は授業の内容を変更して、泊りを伴うものは翌週以降に繰り越された。
今回の作戦は六年生も五年生も、とにかく人員が必要となるので生徒たちの体力も考慮する必要があったのだ。
彼らは久々の大きな忍務に興奮していた。ただ一つだけ、椿がその作戦の中に組み込まれていることだけが不安であった。
土井はいつも以上に胃の痛みを感じていた。
椿は普段と変わらぬ笑顔で食堂のカウンターに立っていたが、彼女が囮になるということは一番危険な立場であるということだ。
自分が近くにいるから、守ってあげられるから、そんな簡単に気持ちを切り替えられないでいる。
不安を顔に出して椿を見つめるが、逆に大丈夫だとこちらを慰めるように純粋な瞳を覗かせるものだから胸の高ぶりを隠さなければならなかった。
もちろん土井の緊張は一年は組にも伝わっていて、元気のない彼を生徒たちは心配そうに見つめていた。
「土井先生、いつもより元気ないね。」
「無理ないさ、椿さんが囮になるって言うんだからね。」
「先輩方も少し怖い感じがするよね。」
「会計委員会はいつも以上に空気が重いよ。」
「七松先輩も、いつもより口数少ないんだ。」
「作法は逆、立花先輩はなんだかウキウキしてる感じする。」
「さすが立花先輩!中在家先輩も別にいつもと変わらないぜ。」
「五年生の先輩方もそうなの?」
「うん、緊張してる感じがする。」
「それだけ大変だということだね。」
「怪我がなければいいけど……」
乱太郎は伊作の言葉を思い出した。
今回の作戦は二班に分かれる。
偽物となり差臼城の注意を引き付ける偽物の姫”椿班”、その裏で目立たぬように堀殻城へ向かう本物の姫”千姫班”。
椿班は本物を振る舞うため派手に立ち回る必要があり人手を要する。
千姫班は隠れながら進むため、馬印堂の従者も含めるが少人数で移動する。
ただし今回はどちらも危険が伴うのだ。
椿班は当然ながら差臼に狙われることを前提としている、攻撃を受けることは必至である。
一方の千姫班も、万が一ということがある。
差臼が秘密裏に動いていた戸津の存在を知る由はない。……ないはずだが頭の切れる者がいないとも限らない。
差臼城の実態は不確かすぎるが、彼の城が馬印堂を軽く見ていると依頼人である戸津は言っていた。
だから差臼は何も知らない馬印堂が無防備に堀殻へ向かうと見ていると、彼は予想を立てていた。
忍務の成功は、千姫を堀殻へ無事に送り届けることと全員無事に学園へ帰ること。
そのどちらかが欠けても成功とはならないのだ。
戦闘は避けられない。
伊作は学園長や利吉から聞いたことを保健委員に伝えていた。
こういう時に大事なのは怪我の心配をすることではなく、心を強く持つこと。
どんな事態にも冷静に判断できるようにと、伊作は乱太郎たちに前もって話したのだった。だから、
「私たちも直接参加はしないけど、もしもの時はみんなの力が必要かも知れない。」
「そうだね、今回の作戦もかなり大きなものだと思う。僕たちにできることは少ないかも知れないけれど、みんな心構えをしておこう。」
乱太郎の言いたいことを庄左エ門がまとめる。
その言葉に一年は組は真剣な顔で頷いた。
一際大きな声を発したのは忍術学園六年生の潮江文次郎、それを浴びせられたのは食堂のおばちゃん見習い椿。
「またそうやって首をつっこむから!!ろくなことにはならないんじゃないか!!」
そう言ったのは別の声、同じく六年生の食満留三郎。
椿は文次郎と留三郎に攻められるように囲まれていた。
彼らを取り巻くように他の六年生もそれぞれ思う心の内を顔に出している。
こうなったのはつい先程のこと。
戸津からの依頼を渋々受けることになった学園長が此度の依頼内容を先生方や上級生に話したのだった。
堀殻城へ輿入れする馬印堂城の千姫、その身代わりとして椿が姫の囮となる。
千姫が堀殻へ向かう様子を派手に演出して敵である差臼城の注目を集め、その隙に本物の千姫はこっそりと堀殻城へ向かうというもの。
集められた先生方や上級生はそのどちらかに振り分けられ、差臼を足止めしたり護衛をしたりと言った内容の忍務に就くことになる。
勿論その場にいた面々には椿が作戦に参加することを反対した者もいた。
だが彼女が学園長を説得したように、学園の忍たまやくのいちでは差臼に偽物とばれるのは容易く、危機に晒される可能性は高い。
千姫に容姿がそっくりで尚且つ、”本物”であった椿ならば万が一の事態にも対処することが可能であり、すぐに差臼が手を下すことも考えにくい。
もし何か起こっても、忍術学園の優秀な先生や生徒たちが自分を守ってくれると信じている。
学園長が彼女の言葉をそのまま皆に伝えると、反対していた者たちも拳を強く握り奥歯を噛みしめるのだった。
忍術学園にはこの依頼を断れない理由がある。
馬印堂城と堀殻城、そのちょうど中間に位置する忍術学園。
もし千姫の輿入れが失敗したとして、怒った堀殻が何を仕出かすかは明白だ。
椿がどうだとかの前に、学園全体が戦にでも巻き込まれるのを防ぐ必要があるのだ。
……ということがあったのだが、それでも文次郎と留三郎は本人に直接言わないと気が済まなかった。
「お前がやらなきゃならんことでもないだろうが!なんで危険に首を突っ込むんだ!今すぐ降りろ!俺が代わりにやる!!」
「嫌よ。もう決めたことだもん。それに文次郎に千姫の代わりなんか勤まるはずがないじゃない。顔見られた瞬間に終わりだよ。」
「なら俺がやる!こいつには無理だろうが俺なら問題ないだろ!?」
「何だと!?」
「何だよ!?」
「ちょっと二人とも、言ったでしょ?差臼は千姫の容姿を知っているんだよ、私以外には適任がいないの!」
言うことを聞こうとしない彼女に彼らの苛立ちは募る。
他の六年はどうなのかと周りを見渡すが、仙蔵は椿に賛同するような姿勢を見せる。
「文次郎、今更何を言っても事態は変わらない。わかっているだろう?椿は言い出したら聞かないことを。」
「仙蔵、だからと言ってなっ…!」
「それにいざという時のために我々が傍にいるだろう?その、万が一を起こさないよう努めることも我々の仕事だ。」
「なぁ、文次郎、留三郎」
小平太が口を挟んだ。
「何が問題なんだ?私たちが椿を守ればいいことではないのか?」
「万が一があると言っている…!」
「万が一を起こさなければいい話だろう?」
「小平太、そんな簡単に事が進むと思っているのか?囮になるんだぞ?敵の狙いを一身に受けるのはこいつなんだぞ!?」
「それはわかっている。だからこそ、私たちがいるのではないのか?」
そうなる前に自分たちが防げば良い。
小平太の言葉に、文次郎と留三郎に迷いが見える。
本当はわかっているのだ、らしくないと。
二人が臆病になってしまっているのは、椿が大怪我を負ったあの時のことを思い出してしまうから。
何もできなかった自分たちが不甲斐なくて情けなくて、またしても彼女が一人で何かを背負ってしまうのではないかと慎重になってしまう。
「伊作、お前だって椿が危険に晒されるのを黙っているわけじゃないだろう?」
「留三郎、それは……そうだけど……」
伊作はちらりと椿を見た。
彼女の揺るがない瞳、有無をも言わせない気迫と言い返せない自分がいて留三郎の言葉にも笑って誤魔化した。
流石に同室の彼にそうされてしまうと、留三郎も呆れて物も言えなくなった。
「ねえ文次郎、留三郎。私、皆を信じてるよ?」
「信じるって……」
「学園長先生ご自慢の忍たまたちが、忍務を遂行できることを信じてる。」
「っ……!」
忍務の遂行、それは千姫を無事に送り届け、椿も学園に帰ることを意味する。
すなわち、完璧な作戦の成功だ。
彼女は誰一人欠けることなく忍術学園が危機に晒されることもない、そんな希望を抱いているのだ。
浅はかな考えだと思われるかも知れない、ただそれを椿は自分たちに重ねて見ている。
一番危険であるはずの彼女がこんな自分たちを信じているなど……そんな期待を簡単に切り捨てることなど、男としてできるだろうか。
それにしても、まさか仙蔵に小平太まで椿側につくとは思わなかった。
残りの面子が成り行きを見守っていると感じると、二人が何を言っても覆らないと感じざるを得ない。
何より彼女の、信じているという言葉が二人の心を揺さぶる。
「…………あーーー!!わかったよ!!俺たちがどうにかすればいい話なんだな!!椿、お前は大人しくしてろよ!?自分一人でどうにかしようなんて考えるんじゃねぇぞ!?」
「文次郎……うん!わかった!よろしくね。……留三郎」
「……お前の頑固さには呆れて物も言えねえ……わかったよ、その代わり、危ないことするなよな。」
「ありがとう。二人とも大好き。」
彼女からの不意打ちを食らった二人は、互いに顔を合わせてすぐに背けた。
ようやく決着がついた話し合いを見ていた伊作は素直な感想を口にする。
「でも珍しいね、い組で意見が分かれるなんて。」
「いや、あれはそういうことではないだろう……」
「え?どういうこと?」
長次はその理由がなんとなくわかっていた。
今回の作戦内容をよく考えてみれば、自ずと答えは導き出せる。
「……仙蔵はただ、あれがしたいだけのようだ。」
伊作の視線を誘導するように仙蔵に目を向ける。
あれと言うのはそう……
「椿、千姫の輿入れは一週間後だったな。では今から打ち合わせしようではないか。」
「打ち合わせって、なんの?」
「決まっているだろう、姫君のお輿入れだぞ?いつもより煌びやかにお前を着飾る必要があるだろう?楽しみだな。」
「!!ちょっ、仙蔵、あああの、それは、」
「さあ行くぞ、作法委員会に集合をかけているからな。」
キラキラした顔の仙蔵に椿は成す術もなく連れ去られてしまった。
「あ、おい!仙蔵!…………なんだ、あいつ、それがしたかっただけかよ……」
文次郎が力が抜けたように呟いたが、仙蔵が言った”着飾られた椿”の姿が頭に浮かんでいることに気付いて、すぐにそれを払拭する。
伊作も文次郎と同じことを思ったのだろう、乾いた笑いを浮かべた。
「……一つ、気になることがある。」
「長次、どうした?」
「馬印堂が堀殻に千姫を輿入れさせる理由がわからない。」
「ん?さっき学園長が言っていただろう?差臼に行かせるわけにはいかないし、力が弱いから堀殻と手を組みたいって。」
学園長が説明していたことをそのまま繰り返した。
まさか話を聞いていなかったわけでもあるまいに、長次にしては珍しいと思った。
だが留三郎の言葉に長次は首を横に振った。
「そうではない。もしそれが成されなければ堀殻の怒りを買い、忍術学園をも巻き込む戦になるという話だった。簡単に戦をちらつかせる城に嫁がせるというのは、差臼と条件が似ている。」
「差臼よりはマシ……ってこととか?」
「いや、正確にはそうではない。」
否定を口にしたのは六年生ではない。
五人は横から入って来た声の方に目を向けると、こちらへ近づいてくるのは利吉だった。
「利吉さん」
「堀殻城は確かに力のあるところだ。だが好戦的かと言うとそうではない。実際あの城が戦を起こして他の領地を手に入れたという事実はない。世を渡るのが上手いと言った方がいいか、交渉術に長けていて自国を守りつつ豊かさも手に入れている。城主は民からの信頼も厚い。」
「え?何故そのことを……?」
「私は仕事で堀殻に潜入調査していたんだ。だから向こうの情勢は知っている。堀殻からの申し入れがあった馬印堂は、是が非でもこれを締結させたいのだ。どちらの城にとっても差臼は脅威でしかないから。」
城同士が結ばれることで力も強まる。
馬印堂としては願ったり叶ったりであるし、堀殻もそうすることで差臼を挟み撃ちにできると言うのだ。
戦う意思がなかったとしても、城の連携は差臼を抑制することに繋がる。
「なるほど、わかりました。しかしそうすると新たな疑問が出ます。」
「そう、戸津さんが言っていた”失敗すれば怒った堀殻によって忍術学園も危機に晒される”ということです。利吉さんの言うように、堀殻が温厚なところであるなら、何故怒りを買うことになると言うのか……」
「学園の協力を仰ぐために誇張して言ったんじゃないのか?」
「だとしたら嘘の情報を入れられたということになるんだぞ?こっちは命を懸けてるんだ、依頼人との信頼関係が崩れることは許されない。」
六年生が話し合う様子を利吉は見ていた。
疑問を持ちそれを追求するとはさすが六年生、ただ言われたことを成し遂げるだけではなく納得のいくもの、自分の信じられるものを見つけようとしているのだ。
頃合いを見て利吉は口を挟む。
「正解としては、あの人は慎重で大変疑り深い。そう言ったのは学園長先生が一度は受けると言った依頼を、椿さんや樒さんが絡んだ途端に渋ったためだろう。馬印堂としては学園の協力はなくては困るからね。何を隠そう、私に堀殻を調査させたのも戸津さんなのさ。」
「え!?」
「あの人は千姫が嫁ぐ場所として堀殻が相応しいのかも疑っていた。城主同士が約束したことでも果たしてそれが最善なのか、独断で私に依頼してきたのだ。」
「自分んとこの城主も信じていないということですか?」
「そうではないよ。もしそうなら城を捨てるか、他の城と手を組んで馬印堂を陥れるだろう。私は彼が、馬印堂を心から大切に思っているのだと思う。でなければわざわざ堀殻の調査をして、千姫が幸せになれるかなんて気にもしないだろうからね。」
「……そう、か……」
忍術学園の協力を得るために、彼も必死なのだ。
戸津と直接会いそれを肌で感じた利吉の言葉に、皆納得の表情を浮かべる。
「まあ、細かいことは気にしないで要は千姫を堀殻へ無事に連れて行けばいいわけだな。」
「同時に差臼が狙ってくるであろう、椿の方も守らないといけないな。」
「本当に、あいつは首を突っ込みすぎだ。」
「確かに心配ではあるけどね。」
各々が少し整理できたのだろう、小平太の言葉を皮切りに表情が和らぐ。
「作戦は一週間後だったな、皆よろしく頼むよ。」
そう言い残して利吉はその場を離れた。
父、山田と学園長に自分も作戦に参加する旨を伝えなければならない。
何よりも椿を……彼女を守るためにも自分が動かなくてはならない。
そう、約束したのだ。
椿が樒を見つけた時、彼女はいつも通りの様子を見せた。
悪いように見えた顔色も、その心配は必要なかったとばかりに戻っている。
声をかけると素っ気ない返事が戻ってくるがこれはいつものことなので寧ろ椿を安心させた。
「椿の方こそ、疲れているように見えるが……?」
樒がそう言うと椿は一瞬驚いたような顔を見せたがすぐに照れたような笑顔になった。
「そうかな……?」
あの後仙蔵を始めとする作法委員会の打ち合わせに付き合わされ少し疲れていたのだが、樒が名前を呼んだことが嬉しくてはにかんでしまう。
それに自分を気遣う樒が、少し歩み寄って来てくれていることも椿を喜ばせた。
友達になりたい、その想いが伝わった気がしたのだ。
樒は機嫌がいいのか、今回の作戦も気になっていると言う。
あの場に同席してしまったことが原因であろう。
椿は正直迷った。
樒と親密にはなりたい、折角彼女が自分と忍術学園にも興味を持ってくれている、だがそうは言っても身元が判明すればここを去る人物だ。
簡単に作戦内容を話してもいいものか……
渋っているとそれがわかったのか、樒は諦めたように椿に詫びる。
自分が部外者であることも忍者の世界に守秘義務が生じることも理解を示した。
「……ごめんね……」
椿がそう言うと樒は気にするなと言って、初めて笑った。
樒が笑ってくれたのだと少し興奮した様子で椿は土井にそのことを話しに来た。
椿が嬉しそうに話す様子を土井も優しい表情で聞いていた。
樒が少し心を寄せてきたことが彼女はとても嬉しかったのだ。
同性の、同じくらいの歳の友人がいなかった椿にとって、樒がそのような態度を示したことは特別な想いがあったのだろう。
それは土井も望んでいたことだった。
ただ、気になることはある。
椿には言わないが、樒が今回の作戦を気にする素振りをしたことだ。
話を聞いていたから?自分がその役目を担う可能性があったから?椿を心配してのことだったのか?
ただそれだけならば良いのだが、彼女の身元が判明していない以上、そんな些細なことも気にかけなければならない。
椿は詳しいことは話さなかったと言っていたし、それで良いとその判断を土井は褒める。
これは……一応山田と共有しておいた方がいいかも知れない。
作戦決行まで一週間。
馬印堂城の戸津らが忍術学園を訪れた後も、普段通りの日々が流れている。
上級生は授業の内容を変更して、泊りを伴うものは翌週以降に繰り越された。
今回の作戦は六年生も五年生も、とにかく人員が必要となるので生徒たちの体力も考慮する必要があったのだ。
彼らは久々の大きな忍務に興奮していた。ただ一つだけ、椿がその作戦の中に組み込まれていることだけが不安であった。
土井はいつも以上に胃の痛みを感じていた。
椿は普段と変わらぬ笑顔で食堂のカウンターに立っていたが、彼女が囮になるということは一番危険な立場であるということだ。
自分が近くにいるから、守ってあげられるから、そんな簡単に気持ちを切り替えられないでいる。
不安を顔に出して椿を見つめるが、逆に大丈夫だとこちらを慰めるように純粋な瞳を覗かせるものだから胸の高ぶりを隠さなければならなかった。
もちろん土井の緊張は一年は組にも伝わっていて、元気のない彼を生徒たちは心配そうに見つめていた。
「土井先生、いつもより元気ないね。」
「無理ないさ、椿さんが囮になるって言うんだからね。」
「先輩方も少し怖い感じがするよね。」
「会計委員会はいつも以上に空気が重いよ。」
「七松先輩も、いつもより口数少ないんだ。」
「作法は逆、立花先輩はなんだかウキウキしてる感じする。」
「さすが立花先輩!中在家先輩も別にいつもと変わらないぜ。」
「五年生の先輩方もそうなの?」
「うん、緊張してる感じがする。」
「それだけ大変だということだね。」
「怪我がなければいいけど……」
乱太郎は伊作の言葉を思い出した。
今回の作戦は二班に分かれる。
偽物となり差臼城の注意を引き付ける偽物の姫”椿班”、その裏で目立たぬように堀殻城へ向かう本物の姫”千姫班”。
椿班は本物を振る舞うため派手に立ち回る必要があり人手を要する。
千姫班は隠れながら進むため、馬印堂の従者も含めるが少人数で移動する。
ただし今回はどちらも危険が伴うのだ。
椿班は当然ながら差臼に狙われることを前提としている、攻撃を受けることは必至である。
一方の千姫班も、万が一ということがある。
差臼が秘密裏に動いていた戸津の存在を知る由はない。……ないはずだが頭の切れる者がいないとも限らない。
差臼城の実態は不確かすぎるが、彼の城が馬印堂を軽く見ていると依頼人である戸津は言っていた。
だから差臼は何も知らない馬印堂が無防備に堀殻へ向かうと見ていると、彼は予想を立てていた。
忍務の成功は、千姫を堀殻へ無事に送り届けることと全員無事に学園へ帰ること。
そのどちらかが欠けても成功とはならないのだ。
戦闘は避けられない。
伊作は学園長や利吉から聞いたことを保健委員に伝えていた。
こういう時に大事なのは怪我の心配をすることではなく、心を強く持つこと。
どんな事態にも冷静に判断できるようにと、伊作は乱太郎たちに前もって話したのだった。だから、
「私たちも直接参加はしないけど、もしもの時はみんなの力が必要かも知れない。」
「そうだね、今回の作戦もかなり大きなものだと思う。僕たちにできることは少ないかも知れないけれど、みんな心構えをしておこう。」
乱太郎の言いたいことを庄左エ門がまとめる。
その言葉に一年は組は真剣な顔で頷いた。