二章
あなたのお名前は?
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
樒が学園に来て一週間程の時間が過ぎた。
特別変わったこともなく、彼女が何かを思い出すこともなく、また山賊も何故か出てくることがなかった。
山賊については学園の誰かが討伐したとか、追い出したとか、そんな話があったわけではない。
奴らの噂はぱたりと止んでしまったのである。
どこか他所に流れたのかも知れない、役人に捕まったのかも知れない、ただそうだとしたらまた噂話が流れてくると思ったのだがそんなこともない。
良くも悪くも、樒が現れたことで何かが変わった。
忍たま連中と打ち解け始めた彼女を顧みて土井がそう思った頃、彼にとって見過ごせない事件は起こる。
「はぁ〜〜〜!?デート〜〜!?」
白昼の食堂、椿の姿が見えなかったことをきり丸に聞くと、放たれた言葉に土井は度肝を抜かれた。
「土井先生、大声出さないでくださいよ。」
「いや、しかしだな!」
「だから、椿さんなら利吉さんとデートに出かけましたよって。」
聞き捨てならない言葉が二度も土井の脳を揺さぶる。
椿は利吉とデート、つまり二人で外に出かけたと言うのだ。
一週間前に学園へ顔を出した利吉はその後遠くへ仕事に行っていたようだったが、それを終えて帰ってきて早々、椿を誘いデートに連れ出したということだった。
何も聞いていなかった自分が、一人残されてしまったようで急激に青ざめる。
きり丸と同じように乱太郎、しんべヱも不思議そうな顔で土井を見つめた。
「ど、どこへ……?」
「さあ?聞いてません。」
「ただ、前からそういう話をしていたようでしたよ。」
そう、それは知っていた。が、まさか本当に二人で出かけてしまうなんて…
先日自分も椿と出かけたという事実があるのに、いやあれはたまたまであって…というように言い訳をする。
利吉の誘いを彼女が受けたというのがどうしても引っかかってしまっていた。
椿の代わりに手伝いをしているのであろうか、カウンターに立つ樒に目をくれる。
椿が彼女から離れることがなかったので、樒一人が残されていることに、一緒に行かなかったのかとの意味を込めて視線を送ったが、彼女は冷めた目で行くわけないでしょと言いたげだった。
せめて樒が一緒だったのなら、こんなに悩むこともなかったのだが、残念なことに椿は利吉と二人きりだ。
「僕も行きたいな、利吉さんのオススメのお店!絶対美味しいものある!」
しんべヱの食いしん坊な発言、土井はそれを捉えた。
「……しんべヱ」
「はい、何ですか?」
内心の焦りを出さないように咳払いをして土井は続ける。
「外出許可を出すから、利吉君を追いかけてきてくれないか?」
「え?」
「乱太郎と、きり丸も。」
「なんで私達もなんですか?」
「それって俺達が得することあるンすか?」
乱太郎の質問に答えるとするならば、利吉と椿のいい雰囲気を壊して欲しいからなのだが口にすることは出来ない。
「それは……そう、利吉君がきっとご馳走してくれる。」
「ご馳走!?行きます!行きます!」
「えー、さっき食べたばかりで腹なんか減ってませんよ。」
「きり丸」
「…はい」
「利吉君を追いかけさせて、あ・げ・る。」
「行きます!!」
態度をころっと変えたきり丸に乱太郎はズッコケた。
そうして結局三人は、利吉と椿が向かったであろう町のある方へ出かけることになったのだった。
樒ちゃん、大丈夫かなぁ。
やっぱり一緒に来れば良かったかなぁ。
椿の心は忍術学園に向けられていた。
一週間経って慣れてきたとは言え、樒が自分の代わりに食堂の手伝いをしていることを申し訳なく思う。
それにせっかく外に出るならば一緒に楽しみたいとの思いもあった。
椿はそう考えていたが、樒の方はそうでもない。
土井や山田には学園の外へ出ることは控えるように言われているし、何より目の前で起こった寸劇に呆れていたところだった。
初対面の利吉は愛想良く笑いかけたが、この男がその瞳に椿を写していることは見ていればすぐにわかった。
だから利吉が学園に来て早々椿を誘ったのもそういうことだと思った。しかし椿の方は彼の気持ちに気付いていない様子が少々哀れに感じる。
一緒に行かないかと誘われたが、まさかそんな野暮なことはしない、したくない。
外へ行けることは魅力的だがこの二人のすれ違いを見せられるのは苦痛だと思った。
あっさりと断ると椿は食い下がったが、樒にその気がないと知ると利吉は目の色を変えて椿を説得していた。
二人に背中を押される形となって後ろ髪を引かれる想いになりながらも、彼女は学園の外へ出たのだ。
そういう訳で椿は利吉と共にデートに来ていたのだが…
「……お口に合いませんでしたか?」
甘味を見つめたまま表情を失くしていた彼女は、利吉の声掛けに慌てたように答える。
「あ!いえ、美味しいです!その……ぼーっとしてごめんなさい。」
「謝らないでください。椿さんが気に入ってくれたなら良かった。是非ともあなたをお連れしたかったものですから。」
「利吉さん…」
利吉の気持ちに嬉しさと恥ずかしさが混じり視線を下げる。
なんだか今日は妙に緊張する。
利吉と二人で出かけるのが初めてだったからか、忍装束を脱いだからか、それとも彼の視線をやたらと感じるからなのか。
こうやって見れば、普通の町娘だな…
利吉は椿の着物姿をまじまじと見つめた。
見慣れた装束姿から着替えた彼女は周りにとても馴染んで見える。
決して派手なものではないのに、より一層の品の良さが出てしまうのは彼女が持つ天性のものなのだろう。
こういう場合相応しい言葉は一つなのだが、それを言うときっと恥ずかしがられてしまうだろうな。
だけど、
「椿さん」
「はい」
言いたい、伝えたい、場所とか人の目とか気にせずに彼女にそれを伝えたい。
高揚する気持ちが抑えられなくなりそうだ。
だが、そうは問屋が卸さないのはこの世界のお決まりでもある。
「あ!ここにいらっしゃった!」
「利吉さんと椿さん発見ー!」
「もう疲れちゃった〜」
利吉の決意を折る程の気楽な声、その正体を確かめて顔を引きつらせた。
「乱太郎、きり丸、しんべヱ……!」
「あれ、みんなどうしたの?」
「俺たち、土井先生に頼まれてお二人を探していました。」
「きりちゃん、それは言わない方がいいんじゃないの?」
「そうだっけ?」
「すいませーん!お団子くださーい!」
しんべヱが団子を注文し、三人は当たり前のように同じ席に座った。
土井の名を聞いて利吉が明らかに苛ついた態度を見せるが、椿は状況が良くわかっていないようだった。
「土井先生の差し金か……」
「土井先生に頼まれたの?なんで?」
「えっと……なんでだっけ?」
「知らない。とりあえず利吉さんを追えとしか聞いてないよな。」
「美味しいものが食べられるならなんだっていい〜」
乱太郎たちの様子から、これ以上のことは言われていないようだった。
土井がこのような手を使うなら、こちらもそれを利用するまでだ。
「お前たち、私たちを追うように言われただけなんだな?」
「はい、そうです。」
「そうか、ならここの支払いはしておくから、土井先生にはここで見たことを正確に伝えるように。」
「利吉さんの奢りですか!?やったー!」
「そうだ。だからこれ以上は追ってくれるなよ?」
「はーい!」
利吉は代金をその場に置くと椿に手を差し出した。
「では行きましょう、椿さん。」
「え、あの……」
「乱太郎たちなら大丈夫です。」
そう言って少々強引に彼女の手を取り繋いだまま彼女をその場から連れ出した。
戸惑いながら三人を振り返る椿の肩を抱き寄せる。
その様子を乱太郎たちはしっかりと見ていて、後に利吉と椿がまるで恋人同士のようだったと土井に報告するのは、また別の話。
町を外れた場所にある野原、白や黄色など様々な花が咲く天然の花畑があった。
利吉に手を引かれてやってきたこの場所の風景に、椿は歓声を上げて喜んだ。
「ここも、あなたに見せたいと思っていたのです。」
「素敵な場所ですね、ありがとうございます利吉さん。」
振り返って目を合わせた彼が、どこか寂しそうに笑ったのは気の所為か。
椿が迷いを顔に出すと利吉は彼女の名を呼んだ。
「椿さん」
「……はい」
続く言葉がなかなか出てこない。
それでも真っ直ぐに自分を捉える利吉の視線を、椿は外すことができない。
胸が音を立て鳴った。
「………やはりあなたは、自然な姿がよくお似合いです。」
「利吉さん…」
「普通の恰好をして、普通の生活をして、誰も何もあなたを侵すことは出来ない。」
「あの…」
恐らく忍装束を脱いだことを言っているのだろう、だがそれが意味するところを理解することができない。
突然彼の手が伸びて椿の両手を包み込む。
「椿さん、私と一緒に……行きませんか?」
「え……?」
「あなたをこのまま……連れ去りたい。そう、思っています…」
「り、きちさん…」
思ってもみなかった利吉の言葉、それをどう受け止めていいのかわからない。
ただ彼は真剣だった、それが椿を悩ませる。
冗談ではないからこそ、こちらも相応の答えをしなければならない。
利吉の熱を帯びた瞳が椿を捉え、危うくその熱に浮かされそうになる。
「わ、私…」
連れ去りたい、その言葉に利吉の想いが詰まっている。
彼のその想い、こんな自分のことを考えてくれているその想いにどう感謝を伝えたら良いのか。
どんな言葉を並べても上辺にしかならない気がする。
今は、とても、自信がない。
「利吉さんのお気持ちは嬉しいです…」
「じゃあ…!」
「でも…!………ごめんなさい、今はまだお答え出来ません。急なことで、どうお答えしていいのか、わかりません。」
「……椿さん…」
少しの沈黙。すぐに利吉がふっと笑う気配がした。
「……変なことを言ってしまってすみませんでした。」
「いえ…」
「滑稽、ですよね。一人で焦ってこんなこと…あなたが困ることはわかっていたのに。」
「そんなこと!……そんなこと、ないです……」
そう口には出たが、他にどんな言葉をかけて良いのかわからない。
胸が締め付けられるような、全身が脈打つような、変な緊張。
射貫くようだった利吉の視線も今は、哀愁が滲んでいるように見える。
突然のことと彼女は思うかもしれない、だけどずっと秘めていたことだった。
実際、焦っていた。
忍術学園を離れなければ、あの仕事を受けなければ、こんなに時期尚早な行動には出なかっただろうに。
「……白状すると、この先忍術学園はあることに巻き込まれます。私はあなたがそれに関わるのを避けたかった。だから一時的にでも学園を離れてもらいたい。そう、思ったのです。」
「え……」
椿は驚いたように目を見開いた。
「そんなことが……?」
「先日私が行っていた場所、そこであるものを目撃しました。学園に直接は関係ありません、ですが恐らく、巻き込まれることになるでしょう。」
「危険なことですか?」
椿の問いに利吉は小さくうなづいた。
それを確認した彼女は胸の前で拳を握る。だが心配をする様子もなく、冷静に落ち着いた口調で言った。
「だったらなおのこと、私は忍術学園を離れられません。」
「椿さん、」
「自分だけ安全な場所にいるわけにいかないとか、学園に恩があるとか、もちろんそれもあります。ですがそれ以上に、あの場所は、忍術学園は、私の唯一の居場所なんです。例えどんなことが起ころうとも、学園を見捨てることはできないのです。」
「……」
「私にできることはないかも知れない、足手まといになるかも知れない、だけどあそこに居たいのです。だって、忍術学園が好きだから。」
ああ、そうだ、この笑顔。
そこには彼女の本心が含まれていて、その想いこそが彼女の強さでもある。
自分が惹かれた部分でもある。
引き留めることは、この笑顔を奪いかねない。
それに椿なら、利吉の提案を受けることはないと、わかっていたのに。
「……あなたが、好きです。」
自然とそう言っていた。
彼女が驚きを顔に現すのも気にしない。
引き留めようとか、無理に連れ出そうとか、そんなものはない。
ただ、
「あなたの、忍術学園を想う気持ちが、あなたの強さだと思います。私はそんな椿さんが好きです。」
「っ…」
椿の強い瞳が好きだ、強い心が好きだ、自分の手の内に収まらなくても、利吉はそんな彼女に惹かれたのだ。
「初めからわかっていました、椿さんなら私の言うことを受け入れてくれないと。」
「あ、私……」
「いえ、いいのです。そうでなくてはあなたではない。私が好きなのは今のように、真っ直ぐな椿さんですから。」
「利吉さん…」
「……あなたが私の気持ちを受け止めてくれるまで、待つことにします。きっと今は色んなことでいっぱいでしょう。椿さんが私を見てくれるその時を、ゆっくり待ちます。」
微笑んで見せると椿は少し頬を染めたように見えた。
それさえも自惚れでなければいいなんて、都合がいいだろうか。
ゆっくりだなんて言って虚勢を張った。本当はそんな余裕はない。
彼女を取り巻くのは土井だけでないことは承知済みだからだ。
「だけど、どうか約束してください。学園のために自身を犠牲にすることがないと。私も含めて皆がそう願うはずです。それから……もしもあなたが窮地に陥る時には私にも、椿さんを守らせてください。」
真剣な眼差しで心配を滲ませる利吉に椿は安心させるように笑った。
「……わかりました。ありがとうございます。でも、利吉さんのご心配が杞憂に終わりますように祈っております。」
「ええ……そうですね。」
そうなればどんなにいいか。
これから起こるであろう争いに胸がざわつく。
自分にできることがこんなにも少ないことに愕然とした。
ただ、この笑顔を壊さぬように、失うことのないように、できる限りの精一杯を彼女に誓おう。
事が去って平穏な日が訪れたなら、その時はまた……
特別変わったこともなく、彼女が何かを思い出すこともなく、また山賊も何故か出てくることがなかった。
山賊については学園の誰かが討伐したとか、追い出したとか、そんな話があったわけではない。
奴らの噂はぱたりと止んでしまったのである。
どこか他所に流れたのかも知れない、役人に捕まったのかも知れない、ただそうだとしたらまた噂話が流れてくると思ったのだがそんなこともない。
良くも悪くも、樒が現れたことで何かが変わった。
忍たま連中と打ち解け始めた彼女を顧みて土井がそう思った頃、彼にとって見過ごせない事件は起こる。
「はぁ〜〜〜!?デート〜〜!?」
白昼の食堂、椿の姿が見えなかったことをきり丸に聞くと、放たれた言葉に土井は度肝を抜かれた。
「土井先生、大声出さないでくださいよ。」
「いや、しかしだな!」
「だから、椿さんなら利吉さんとデートに出かけましたよって。」
聞き捨てならない言葉が二度も土井の脳を揺さぶる。
椿は利吉とデート、つまり二人で外に出かけたと言うのだ。
一週間前に学園へ顔を出した利吉はその後遠くへ仕事に行っていたようだったが、それを終えて帰ってきて早々、椿を誘いデートに連れ出したということだった。
何も聞いていなかった自分が、一人残されてしまったようで急激に青ざめる。
きり丸と同じように乱太郎、しんべヱも不思議そうな顔で土井を見つめた。
「ど、どこへ……?」
「さあ?聞いてません。」
「ただ、前からそういう話をしていたようでしたよ。」
そう、それは知っていた。が、まさか本当に二人で出かけてしまうなんて…
先日自分も椿と出かけたという事実があるのに、いやあれはたまたまであって…というように言い訳をする。
利吉の誘いを彼女が受けたというのがどうしても引っかかってしまっていた。
椿の代わりに手伝いをしているのであろうか、カウンターに立つ樒に目をくれる。
椿が彼女から離れることがなかったので、樒一人が残されていることに、一緒に行かなかったのかとの意味を込めて視線を送ったが、彼女は冷めた目で行くわけないでしょと言いたげだった。
せめて樒が一緒だったのなら、こんなに悩むこともなかったのだが、残念なことに椿は利吉と二人きりだ。
「僕も行きたいな、利吉さんのオススメのお店!絶対美味しいものある!」
しんべヱの食いしん坊な発言、土井はそれを捉えた。
「……しんべヱ」
「はい、何ですか?」
内心の焦りを出さないように咳払いをして土井は続ける。
「外出許可を出すから、利吉君を追いかけてきてくれないか?」
「え?」
「乱太郎と、きり丸も。」
「なんで私達もなんですか?」
「それって俺達が得することあるンすか?」
乱太郎の質問に答えるとするならば、利吉と椿のいい雰囲気を壊して欲しいからなのだが口にすることは出来ない。
「それは……そう、利吉君がきっとご馳走してくれる。」
「ご馳走!?行きます!行きます!」
「えー、さっき食べたばかりで腹なんか減ってませんよ。」
「きり丸」
「…はい」
「利吉君を追いかけさせて、あ・げ・る。」
「行きます!!」
態度をころっと変えたきり丸に乱太郎はズッコケた。
そうして結局三人は、利吉と椿が向かったであろう町のある方へ出かけることになったのだった。
樒ちゃん、大丈夫かなぁ。
やっぱり一緒に来れば良かったかなぁ。
椿の心は忍術学園に向けられていた。
一週間経って慣れてきたとは言え、樒が自分の代わりに食堂の手伝いをしていることを申し訳なく思う。
それにせっかく外に出るならば一緒に楽しみたいとの思いもあった。
椿はそう考えていたが、樒の方はそうでもない。
土井や山田には学園の外へ出ることは控えるように言われているし、何より目の前で起こった寸劇に呆れていたところだった。
初対面の利吉は愛想良く笑いかけたが、この男がその瞳に椿を写していることは見ていればすぐにわかった。
だから利吉が学園に来て早々椿を誘ったのもそういうことだと思った。しかし椿の方は彼の気持ちに気付いていない様子が少々哀れに感じる。
一緒に行かないかと誘われたが、まさかそんな野暮なことはしない、したくない。
外へ行けることは魅力的だがこの二人のすれ違いを見せられるのは苦痛だと思った。
あっさりと断ると椿は食い下がったが、樒にその気がないと知ると利吉は目の色を変えて椿を説得していた。
二人に背中を押される形となって後ろ髪を引かれる想いになりながらも、彼女は学園の外へ出たのだ。
そういう訳で椿は利吉と共にデートに来ていたのだが…
「……お口に合いませんでしたか?」
甘味を見つめたまま表情を失くしていた彼女は、利吉の声掛けに慌てたように答える。
「あ!いえ、美味しいです!その……ぼーっとしてごめんなさい。」
「謝らないでください。椿さんが気に入ってくれたなら良かった。是非ともあなたをお連れしたかったものですから。」
「利吉さん…」
利吉の気持ちに嬉しさと恥ずかしさが混じり視線を下げる。
なんだか今日は妙に緊張する。
利吉と二人で出かけるのが初めてだったからか、忍装束を脱いだからか、それとも彼の視線をやたらと感じるからなのか。
こうやって見れば、普通の町娘だな…
利吉は椿の着物姿をまじまじと見つめた。
見慣れた装束姿から着替えた彼女は周りにとても馴染んで見える。
決して派手なものではないのに、より一層の品の良さが出てしまうのは彼女が持つ天性のものなのだろう。
こういう場合相応しい言葉は一つなのだが、それを言うときっと恥ずかしがられてしまうだろうな。
だけど、
「椿さん」
「はい」
言いたい、伝えたい、場所とか人の目とか気にせずに彼女にそれを伝えたい。
高揚する気持ちが抑えられなくなりそうだ。
だが、そうは問屋が卸さないのはこの世界のお決まりでもある。
「あ!ここにいらっしゃった!」
「利吉さんと椿さん発見ー!」
「もう疲れちゃった〜」
利吉の決意を折る程の気楽な声、その正体を確かめて顔を引きつらせた。
「乱太郎、きり丸、しんべヱ……!」
「あれ、みんなどうしたの?」
「俺たち、土井先生に頼まれてお二人を探していました。」
「きりちゃん、それは言わない方がいいんじゃないの?」
「そうだっけ?」
「すいませーん!お団子くださーい!」
しんべヱが団子を注文し、三人は当たり前のように同じ席に座った。
土井の名を聞いて利吉が明らかに苛ついた態度を見せるが、椿は状況が良くわかっていないようだった。
「土井先生の差し金か……」
「土井先生に頼まれたの?なんで?」
「えっと……なんでだっけ?」
「知らない。とりあえず利吉さんを追えとしか聞いてないよな。」
「美味しいものが食べられるならなんだっていい〜」
乱太郎たちの様子から、これ以上のことは言われていないようだった。
土井がこのような手を使うなら、こちらもそれを利用するまでだ。
「お前たち、私たちを追うように言われただけなんだな?」
「はい、そうです。」
「そうか、ならここの支払いはしておくから、土井先生にはここで見たことを正確に伝えるように。」
「利吉さんの奢りですか!?やったー!」
「そうだ。だからこれ以上は追ってくれるなよ?」
「はーい!」
利吉は代金をその場に置くと椿に手を差し出した。
「では行きましょう、椿さん。」
「え、あの……」
「乱太郎たちなら大丈夫です。」
そう言って少々強引に彼女の手を取り繋いだまま彼女をその場から連れ出した。
戸惑いながら三人を振り返る椿の肩を抱き寄せる。
その様子を乱太郎たちはしっかりと見ていて、後に利吉と椿がまるで恋人同士のようだったと土井に報告するのは、また別の話。
町を外れた場所にある野原、白や黄色など様々な花が咲く天然の花畑があった。
利吉に手を引かれてやってきたこの場所の風景に、椿は歓声を上げて喜んだ。
「ここも、あなたに見せたいと思っていたのです。」
「素敵な場所ですね、ありがとうございます利吉さん。」
振り返って目を合わせた彼が、どこか寂しそうに笑ったのは気の所為か。
椿が迷いを顔に出すと利吉は彼女の名を呼んだ。
「椿さん」
「……はい」
続く言葉がなかなか出てこない。
それでも真っ直ぐに自分を捉える利吉の視線を、椿は外すことができない。
胸が音を立て鳴った。
「………やはりあなたは、自然な姿がよくお似合いです。」
「利吉さん…」
「普通の恰好をして、普通の生活をして、誰も何もあなたを侵すことは出来ない。」
「あの…」
恐らく忍装束を脱いだことを言っているのだろう、だがそれが意味するところを理解することができない。
突然彼の手が伸びて椿の両手を包み込む。
「椿さん、私と一緒に……行きませんか?」
「え……?」
「あなたをこのまま……連れ去りたい。そう、思っています…」
「り、きちさん…」
思ってもみなかった利吉の言葉、それをどう受け止めていいのかわからない。
ただ彼は真剣だった、それが椿を悩ませる。
冗談ではないからこそ、こちらも相応の答えをしなければならない。
利吉の熱を帯びた瞳が椿を捉え、危うくその熱に浮かされそうになる。
「わ、私…」
連れ去りたい、その言葉に利吉の想いが詰まっている。
彼のその想い、こんな自分のことを考えてくれているその想いにどう感謝を伝えたら良いのか。
どんな言葉を並べても上辺にしかならない気がする。
今は、とても、自信がない。
「利吉さんのお気持ちは嬉しいです…」
「じゃあ…!」
「でも…!………ごめんなさい、今はまだお答え出来ません。急なことで、どうお答えしていいのか、わかりません。」
「……椿さん…」
少しの沈黙。すぐに利吉がふっと笑う気配がした。
「……変なことを言ってしまってすみませんでした。」
「いえ…」
「滑稽、ですよね。一人で焦ってこんなこと…あなたが困ることはわかっていたのに。」
「そんなこと!……そんなこと、ないです……」
そう口には出たが、他にどんな言葉をかけて良いのかわからない。
胸が締め付けられるような、全身が脈打つような、変な緊張。
射貫くようだった利吉の視線も今は、哀愁が滲んでいるように見える。
突然のことと彼女は思うかもしれない、だけどずっと秘めていたことだった。
実際、焦っていた。
忍術学園を離れなければ、あの仕事を受けなければ、こんなに時期尚早な行動には出なかっただろうに。
「……白状すると、この先忍術学園はあることに巻き込まれます。私はあなたがそれに関わるのを避けたかった。だから一時的にでも学園を離れてもらいたい。そう、思ったのです。」
「え……」
椿は驚いたように目を見開いた。
「そんなことが……?」
「先日私が行っていた場所、そこであるものを目撃しました。学園に直接は関係ありません、ですが恐らく、巻き込まれることになるでしょう。」
「危険なことですか?」
椿の問いに利吉は小さくうなづいた。
それを確認した彼女は胸の前で拳を握る。だが心配をする様子もなく、冷静に落ち着いた口調で言った。
「だったらなおのこと、私は忍術学園を離れられません。」
「椿さん、」
「自分だけ安全な場所にいるわけにいかないとか、学園に恩があるとか、もちろんそれもあります。ですがそれ以上に、あの場所は、忍術学園は、私の唯一の居場所なんです。例えどんなことが起ころうとも、学園を見捨てることはできないのです。」
「……」
「私にできることはないかも知れない、足手まといになるかも知れない、だけどあそこに居たいのです。だって、忍術学園が好きだから。」
ああ、そうだ、この笑顔。
そこには彼女の本心が含まれていて、その想いこそが彼女の強さでもある。
自分が惹かれた部分でもある。
引き留めることは、この笑顔を奪いかねない。
それに椿なら、利吉の提案を受けることはないと、わかっていたのに。
「……あなたが、好きです。」
自然とそう言っていた。
彼女が驚きを顔に現すのも気にしない。
引き留めようとか、無理に連れ出そうとか、そんなものはない。
ただ、
「あなたの、忍術学園を想う気持ちが、あなたの強さだと思います。私はそんな椿さんが好きです。」
「っ…」
椿の強い瞳が好きだ、強い心が好きだ、自分の手の内に収まらなくても、利吉はそんな彼女に惹かれたのだ。
「初めからわかっていました、椿さんなら私の言うことを受け入れてくれないと。」
「あ、私……」
「いえ、いいのです。そうでなくてはあなたではない。私が好きなのは今のように、真っ直ぐな椿さんですから。」
「利吉さん…」
「……あなたが私の気持ちを受け止めてくれるまで、待つことにします。きっと今は色んなことでいっぱいでしょう。椿さんが私を見てくれるその時を、ゆっくり待ちます。」
微笑んで見せると椿は少し頬を染めたように見えた。
それさえも自惚れでなければいいなんて、都合がいいだろうか。
ゆっくりだなんて言って虚勢を張った。本当はそんな余裕はない。
彼女を取り巻くのは土井だけでないことは承知済みだからだ。
「だけど、どうか約束してください。学園のために自身を犠牲にすることがないと。私も含めて皆がそう願うはずです。それから……もしもあなたが窮地に陥る時には私にも、椿さんを守らせてください。」
真剣な眼差しで心配を滲ませる利吉に椿は安心させるように笑った。
「……わかりました。ありがとうございます。でも、利吉さんのご心配が杞憂に終わりますように祈っております。」
「ええ……そうですね。」
そうなればどんなにいいか。
これから起こるであろう争いに胸がざわつく。
自分にできることがこんなにも少ないことに愕然とした。
ただ、この笑顔を壊さぬように、失うことのないように、できる限りの精一杯を彼女に誓おう。
事が去って平穏な日が訪れたなら、その時はまた……