四章
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不安な時、いつもあなたに語りかけた。
静かにそこに佇んで、そっと見守っていてくれるあなた。
暗闇の中でもあなたがいれば怖くなかった。
世界を優しく照らす柔らかな光。
そして私を救ってくれる、温かな光。
でも
今はそれを見ることさえも叶わない。
椿が地下牢から出されて数日が経った。
世話係の女が言っていた二日という時間、その約束は果たされることはなかった。
全ては差臼普墺の気分次第。
変に損ねることは出来ない、だから大人しく待つしかない。
あれから地上の部屋に通された椿は、それなりの食事を与えられ、湯にも浸かり、着物も新しいものを与えられた。
自由に歩けないにしろ座敷牢ではないし、思ったよりも優遇されていると感じる。
違和感。
差臼普墺がなぜ椿を欲しがっていたのか、はっきりとした理由はわからない。
考えられるのは竹森を手に入れるための手段か、もしくは差臼普墺の慰み者か。
「……っ」
椿は奥歯を噛みしめる。
樒からの接触は未だない。
もしかするとこの不自然な優遇も、彼女が絡んでいるのではないだろうか。
己を犠牲に、差臼普墺に交渉しているのではないだろうか。
そう考えるだけで居ても立っても居られない。
焦るな、わかってはいる。
差臼の準備に時間がかかっているなら、それはむしろ好都合だ。
椿にとってはもどかしい程の時間の中で、利吉が千姫を堀殻城へ連れて行ってくれる。
忍術学園側が、差臼の実態を調査、そして椿の周りを固めてくれる。
差臼普墺と対面することが出来れば、あとは椿の仕事。
上手く説得できる、とは思っていない。
好戦的な、力で己の存在を示したい人物に届く言葉はないかも知れない。
だから、わからせる。
今の差臼に攻める力などないこと。
他国との違い、差臼になにが足りないのか、それを普墺の耳に届けるのが椿のやるべきこと。
椿に呼び出しがかかったのは、彼女が地下牢を出て五日目のことだった。
前触れなく迎えに来た侍女の後を追って長い廊下を歩き、一際華やかな部屋の前に来ると静かに戸が引かれ、椿の到着を告げる声が聞こえる。
開け放たれた部屋の広さは今まで見たことがないくらいに広大で、四方を囲む男たちの視線が一気に彼女に集中する。
それはとても歓迎されたものではなく、威圧的なその空気に押しつぶされそうだ。
椿は注意深く左右を見渡す。
物々しい様子の中にも、いくつか毛色の違うものも見える。
あれはきっと、忍術学園の誰か。
変装を施しているため、はっきりとはわからない。だが、この場にいてくれることが何より椿の強みへと変わる。
大丈夫。一人じゃない。
「……来たか。もっと近くへ寄れ。」
部屋の一番奥、上段の間に鎮座するのはあの一瞬で目に焼き付けた忘れられぬ顔。
差臼普墺、この城の主が薄ら笑いを浮かべながら椿を見下す。
その近くに膝をついているのは樒。
何かを言いたそうに身を乗り出しているが、彼女の後ろに控える梨栗によって押さえつけられているのか、後ろ手に回した状態でどうやら動けない様子だ。
樒を見つけた椿は一瞬の緊張に包まれ唾を飲み込む。
が、それも一時のこと、閉じた瞼をゆっくり開けると真っ直ぐに差臼普墺を見つめ、彼女は部屋の中へと足を踏み入れた。
ざわつく室内。
椿を値踏みするような声、竹森に対する批判、耳に入れることも苦しい言葉が飛び交った。
「静まれ。発言は許さん。」
そのたった一言で差臼普墺は静寂を得た。
広間の中央へ進んだ椿はそこで歩みを止める。
「よく来たな、椿姫よ。まずはその度胸を褒めよう。」
「……」
毅然とした態度の椿を差臼普墺は鼻で笑った。
「ここに呼ばれた理由はわかっておるか?」
試すような問いかけに椿は言葉を迷う。
呼ばれた理由など、わかるはずもない。
差臼は今、堀殻へ戦を仕掛けるために国内から兵を募った、とても忙しい時期のはずだ。
それなのに主要な人物たちを招集し、この場に椿を呼び寄せたことが理解出来ない。
この男は戦を起こすことしか頭にないはず、そう考えると竹森侵略のためかとも思われた。
馬印堂、堀殻のみならず竹森までもが差臼普墺の手にかかる。
それは絶対に避けなければならない。
隆光を、守らなければならない。
「……存じません。」
椿の回答に不満を持った周りの差臼兵が沸き立つのを差臼普墺は静止した。
彼女は続ける。
「存じません……が、差臼様は私になにかご要望がおありのこととお見受け致します。」
「ほう?」
「結論から申し上げます。私はそれがどんなものであろうとも受け入れる覚悟がございます。ただ条件として、差臼様が私の要望を聞き入れてくだされば、の話です。いかがでしょうか?」
椿は交渉を試みる。
差臼普墺が何を言うかなど予想はついている。
例えそれを武力を持って行使しようとも、椿は一歩も引かぬ考えであった。
差臼には一度手に入れた椿を失いたくない理由があるはず、ならば交渉の余地はある。
「交換条件か?椿姫よ、それが如何に無意味なものであるか、理解出来ぬわけもなかろう。」
「……」
勿論、素直に聞いてくれるなど思っていない。
今のこの状況下でまともに話し合いなど出来るはずもない。
無知な女だと、大勢の前で笑い者にされるに違いない。
だがもう、椿に捨てるものは残されていなかった。
彼女の命を除いては……
「だが面白い。そなたの言い分、申してみよ。聞き入れるかは別だ。」
「はい。ですが、もしも聞き入れてくださらなければ、私はあなた様の道具としての使命を放棄する所存であることをご承知おきください。」
差臼普墺の眉がピクリと動く。
四面楚歌のこの状態で大きな口を叩いた。
しかしそれも、椿にとっての大事なものを想うが故。
例え何があっても、譲る気などない。
彼女の答えに差臼普墺は声を上げて笑った。
「言うではないか、椿姫よ。それが其方の覚悟か。気に入った。儂も其方を失いたいわけではない。善処する。」
差臼普墺の回答に椿は形だけの礼を返した。
「……では恐れながら、申し上げます。私の望みは二つ、まずはそこに居ります、樒の解放です。」
「!?……椿様……!」
樒が驚いたように体を跳ねさせる。
椿が第一条件に述べたその言葉に耳を疑う。
彼女が望むのは戦を止めることのはずだ。
馬鹿な、何故それを言わないのか。
何よりも自分のことを想ってくれている、その心が樒を揺るがせ胸が熱い。
「その者は竹森の者です。解放されることを望みます。そして二つ目、堀殻、馬印堂への侵攻の取り消しです。」
「なんだと!?」
反応を示したのは差臼普墺の部下たち。
国を大きくするために働いていた彼らにとって、その願いは今までの行いを否定されるのに近しい。
怒りに沸き立つ周囲を宥めつつ、差臼普墺はつまらなさそうに椿に問う。
「何故、それを願う?」
「それは他ならぬ、差臼の民のためです。」
「なに?」
「確かに領土を広げることも、結果として民のためになりましょう。ですがこの国の現状をご存じですか?兵を国内から募れば、その土地は枯れます。その日一日を生きる国民にとって、新たな財力はとても魅力的です。ですが、根本から枯れてしまった土地にそれが物を言うでしょうか?奪えばいい、と仰られるかも知れません。ですが考えを変えない限り、同じことが繰り返されるでしょう。やがて奪うことでしか満たされなくなった国民は、自らの手で生産することなど考えも及ばなくなります。なぜなら、奪う道ほど楽なものはなくなるからです。」
「……」
「私は、この国を良くしたい。領土を広げるにしろ、それからでも遅くはないのではないでしょうか?民の小さな不満は大きな力に変わり、その刃はやがてあなた様に返ってくることになります。どうか、お考えを改めて頂きますよう、お願い申し上げます。」
それは椿の素直な心だった。
馬印堂と堀殻、その間に挟まれた忍術学園、そして竹森。
どれも欠かさず守りたいもの、だが、差臼も例外ではない。
この国に入り見聞きした現状、もしも改善出来るのなら惜しむ手などない。
だが椿の想いに反して、差臼普墺は明らかな苛立ちを見せる。
「楽な道を選ぶことの、何が悪いのか?お前の言うことは全て理想論でしかない。民が何を求めるか?本気でそれを唱えるつもりか?ならばその目で見てみろ、民が求めるものは絶対的な力であると!儂がどうやって奴らを集めたと思う?働く必要がなくなると言ったのよ。奪った領土があればそこにいる者を使えばいい。今よりいい暮らしが出来る。我が差臼の民は己が優位に立つためにこの作戦に同調したに過ぎぬ。例えお前がそれを唱えたところで聞く者など居らぬわ!」
差臼普墺の言葉は完全にその場の空気を塗り替えた。
椿に浴びせられる暴言の数々、中には彼女に粛清を求めるものまである。
樒は焦った。
このままでは椿にとって良くないことが引き起こされる。
どうにか止める術はないものか。
差臼普墺のお気に入りである自分なら、その立場を利用できないだろうか。
椿を救うためなら、なんだってやる。
差臼普墺はこの場の同志たちに静かにするよう告げる。
「まあ待て。儂とてせっかく手に入れたものを易々と手放すのは惜しい。だがな、椿姫よ。お前は同志たちを怒らせた。これには少々灸を据えねば奴らも納得はしないだろう。そこでだ、」
差臼普墺は傍らに佇む小姓に手を差し出した。
迷いなく手渡されたのは一つの小刀。
それを鞘から抜き取ると樒の目の前へ放り投げた。
「!?」
「シキビよ、お前に任せる。我が同志は粛清を要求している。ならば治めるためには血が必要であろう。それはお前が決めろ。」
反射的に差臼普墺を見上げた。
その表情に生気はない。
最早語ることを無くした非情な人形のように樒を見下す。
「さあ、選べ。」
選ぶ……それは隆光か椿かを選択するということなのか……?
差臼普墺は樒が誰よりも隆光を支持していることを知っている。
この場で椿を討てば、まだその希望は保たれるということなのか。
差臼普墺は自分を試そうとしているのか。
隆光を取るのか、目の前の椿を取るのか……
全身から汗が噴き出す。
時間がとても遅く、己に集められた視線に自我を保つことが難しい。
一際強い光、椿が樒を見つめている。
……椿様……っ
彼女から目を逸らすことが出来ない。でも、とても優しく、温かく、自分を包んでくれている。
樒ちゃん、あなたを信じている……
言葉にせずとも、伝わる想い。
今の樒にとって、守りたいのは隆光だけではなかった。
あなたを守ると、そう誓ったんだ。
だから、どちらかを選ぶなんて、決められるはずもない。
「……!」
いや、これはチャンスなのかも知れない。
今この刀を手に取って、差臼普墺を討てば全てが終わる。
”竹森の毒” それもまだ手の内にある。
解毒剤は椿に渡した、万が一間違いが起きても、全てを彼女の選択に委ねる。
でも、そんなことが可能か……?
決断を急ぐな。
仮に差臼普墺を討ったところで椿の安全は確保できない。
この場に自分の味方は居ない。
いや、恐らく城の連中に混ざった忍術学園の者が潜んでいるのだろう。が、それを探している時間はない。確証もない。
宿敵である差臼普墺を討ったところで、周りの取り巻きが椿に害を成すであろうことは明白だ。
それは樒が望むものではないし、彼女だけの力ではどうしようもないものだ。
自分の悲願のために、主君を犠牲になど出来るものか。
床に投げられた小刀をゆっくりと手に取る。
横目に差臼普墺を見るが、樒のことなど全く気にしていないように警戒心をまるで感じさせない。
この余裕に、自分の胸中を計られているのではないかとさえ思える。
後ろにいる梨栗や広間の連中は、嫌と言う程、樒に圧力をかけているというのに。
椿を見た。
彼女はただ、静かに首を横に振る。
そうか、樒の考えなど、既にお見通しという訳だ。
少しだけ心が軽くなる。
樒は深く息を吐いた。そして、
「……私には決めかねます……」
小刀をその場に投げ捨てた。
千載一遇の機会、それを放棄した。
椿がいなければ、何度も思い描いたこの夢を捨てることはなかったかも知れない。
差臼普墺さえ討てたのなら、自分も、竹森も、救われたのかも知れない。
だがそれをしなかったのは、最早樒にとって椿が竹森を救うのと同じだけの価値がある人物であったから。
どちらに手を出そうとも失うものは変わらない。
ならば椿だけは、この手にかけることだけは、絶対に出来ないはしない。
「シキビよ、儂は”選べ”と言ったのだ。それはやるかやらぬかではない。”この場に必要な血を選べ”と言ったのだ。即ち、椿姫か、お前か、それとも他の誰かか……」
差臼普墺はニヤリと笑う。
それは樒が自分に歯向かうことも計算されていたということ。
この場で差臼普墺に刃を向ければ、控える梨栗がそれを阻止するだろう。
そして反逆とみなされ樒は消される。
また、間違いなく椿も……
「出来ぬのなら手を貸してやらんでもない。儂はお前のことを気に入っておるからな。手放すには惜しい。」
差臼普墺が合図をすると男が二人、椿に近付く。
堪らず樒は声を上げた。
「!!何を……!?」
「簡単なことだ。椿姫を討てば全てお前の望み通りになる。竹森にも慈悲をくれてやる。愛する男を助けたいのであろう?ならばお前の忠誠心を見せてみろ。その刀で椿姫を貫け。それで全てが終わる。」
「!!!」
私に、椿様を討て、と……!?
この感情はなんだ。
絶望とも怒りとも違う。
竹森を救うことと同等の価値を持つ椿を、この場で討てと言うのか!?
それならばいっそのこと、お前を殺せば全てが終わる。
終わる、のに……っ
自身を制御することが難しく、樒は逃げ場のない現状に対する混乱から、震える手を再び小刀に伸ばした。
「……馬鹿に、するな……」
「!!樒ちゃん……!」
男たちは椿の両手を掴み、彼女の動きを制限する。
樒は彼らを鬼気迫る表情で睨んだ。
「その手を離せ下郎!!貴様たちが触れていい御方ではない!!」
「っ」
その気迫に、堪らず男たちは尻込みをする。
「樒っ、」
「私を、見くびるなよ。己の主人が誰であるかなど、私自身が決めること。その方を守るためなら、この身など惜しくはない!!」
その言葉の意味を理解した椿は樒を止めようとする。
興奮した様子の樒は勢い良く差臼普墺に向き直った。
「血が必要だと、そう仰るなら……流すのはあの方ではない。私一人が犠牲になれば、それで満足いただけるか?」
「お前自身を差し出すと言うか。ふむ……惜しい気もするが、それで我が同志が納得するならば良かろう。」
「その代わり、椿様には手を出さないと誓え。私には、お前を道連れにすることなど赤子の手をひねるようなものだ。」
一瞬の隙をついて竹森の毒を差臼普墺に浴びせれば樒の勝ち。
彼もそれを知っているらしく、大人しく要望には従うと言った。
樒は椿を見る。
あなただけは何がなんでも守り切る。
自分の帰る場所を、隆光のところだと言ってくれた。
失いかけた希望を持たせてくれた。
その気持ちが、どんなに嬉しかったことか。
もうそれだけで十分だった。
「椿様……申し訳ありませんでした。こんな形でしか御恩を返せないことをお許しください。私は……あなた様に出会えて、幸せでした。」
「樒!?」
樒は見たこともないような晴れやかな表情を見せる。
彼女の考えを悟った椿は強い口調で制止した。
「待ちなさい!そんな勝手は許しません!」
「椿様……」
困惑した様子の樒をおいて、椿は差臼普墺に向き直る。
「差臼様、こんな始末でよろしいのでしょうか?樒が私を主人と認めるのなら、その主が始末をつけるのが道理ではないでしょうか?」
「ほう?お前が手を下すと言うのか?」
「……配下の過ちは、主人の裁きがあってこそ正当なものとなります。」
「……と、いうことだが、お前はどうだ?シキビよ。」
椿の発言に驚きはしたが、樒にはその言葉を否定する意思はない。
椿が望むのなら、椿の手にかけられるのなら、その方が樒自身も救われるような気がする。
「異存はありません。」
力なく垂れた手から小刀を抜き取られる。
梨栗は意外にも丁寧に、それを椿の元へ届けた。
彼女が小刀を手にしたその時、室内が騒めき立った。
「なにごとだ!」
部屋の隅にいた井頭が進言する。
「申し訳ありません、ですが須黙殿が、鼠を捕まえたとのことで……」
そう言うと彼の前に二人の人物が引っ張りだされる。
身動きが取れないように後ろ手に縛られた様子で床に座らされたその姿、椿を驚かすには十分だった。
「……!! 三郎君、雷蔵君……!?」
彼女の反応に差臼普墺は笑った。
やはり忍術学園の者が紛れていたか……!
樒の潜伏先が忍術学園であることも、椿がそこにいることも、井頭と梨栗からの報告で知っていることだった。
椿と樒だけで差臼に乗り込んでくるはずがない、奴らは堀殻と馬印堂の戦を阻止しようとしてくるはず。
須黙とか言う男のことなど、この件が片付けば捨てる予定であったが、その働きぶりは本物だ。
忍術学園の者を捕らえられたなら、学園そのものを手に入れる材料にもなる。
これが笑わずにいられるか。
鼠を捕まえたという須黙自身はこの場に姿を見せない。
井頭が先程までここにいたのにと、周りをキョロキョロと見回している。
まあ今は奴のことはどうでもいい。
始めから得体の知れない男であった、どうせ後から褒美を請求してくるのだろう。
「知り合いか?」
白々しい質問を投げると、椿は怒りと恐怖が入り混じった表情を見せた。
それが差臼普墺を悦ばせるとは、彼女は知らない。
「……この者たちを、どうされるのですか?」
「そうだな……それは、お前の行動次第であるだろうな。」
「っ!」
捕らえられた三郎と雷蔵、彼らをどうするかなど……聞かなくてもわかっていただろうに。
差臼普墺に慈悲はない。
殴られたのだろうか、痣や傷の目立つ二人に椿の心は騒めいた。
刀を持つ手が震える。
「はっ……あんた、差臼城の殿様か。」
「三郎っ」
捕らえられた三郎が差臼普墺に言葉を投げた。
嘲笑うかのような三郎の余裕ある顔に、彼の目は冷たくなる。
その変化に気付いているだろうに、雷蔵の制止も聞かず三郎は話を続ける。
「今まで他人の物を奪いながら生きてきたらしいな。この城も領地も、もとはあんたの物じゃない。」
招集された兵たちから集めた情報だった。
この国を築いたのは別の人物だった。
それを差臼普墺が乗っ取る形で奪ったものだと言う。
農民の暮らしは変わり、他の土地を奪うことで自分たちの生活を潤していったのだ。
ただそれを望む者は多くなく、皆、殿様を恐れて従っているだけに過ぎなかった。
「そうやって何もかも略奪すればいいと思っているだろうがな、あんたには奪えないものがあるってことを教えてやるよ。」
「こいつ!黙れ!」
「っ!」
井頭が三郎を黙らせようと殴った。
堪らず椿は叫ぶ。
「やめて!その者たちに手を出さないで!」
差臼普墺が片手を上げて井頭を止める。
三郎の言葉に少し興味を持ったようだった。
「小僧、儂に奪えぬものなどない。」
「あるさ!あんたには奪えないもの、それはそこにいる姫さんだ。彼女は誰にも捕らわれない、誰も彼女の自由を奪うことは出来ない。あんたが得意の武力を行使したところで、彼女の心はあんたのものにはならない!」
「三郎君……」
「俺たちはそこの姫さんのことは知らない。俺たちがしていることに、彼女は全く関係ない。捕まったのはこちらの問題だ、姫さん、あんたが何かを負う必要なんてない。」
三郎は椿との関係を否定した。
捕らえられた自分たちの面倒を彼女がみる必要はないと言ったのだ。
止めようとしていた雷蔵も、三郎に同調するように黙っている。
二人は椿の負担にならないようにと、そのような行動をとったのだろう。椿にもそれはわかる。
わかりはする、が……
「興が冷めた。」
差臼普墺がそう言い放つと、井頭は二人の頭を床に押し付け黙らせようとする。
苦しそうに漏れる吐息に椿はハッとして思わず口走った。
「乱暴はやめて!二人には手を出さないでください、お願い……」
「不思議な話だ。こやつらはお前と関係がないと宣言した。それなのに、何故庇う?無関係の者を気に掛ける余裕などないのではないか?」
「関係は、あります。私が、ここに来るために、彼らには手助けをしてもらいましたから。」
声が震える、それを差臼普墺は逃さなかった。
椿の見せた小さな弱さ、それを狙っていた。
三郎が小さく「なんでだよ……」と零すのを雷蔵は聞いた。
彼の気持ちはわかる、しかし彼女の気持ちも知っている。
三郎と雷蔵だけではない、椿には忍術学園の誰であっても、捨て置くことは出来なかった。
忍術学園で共に生きた今だから、椿の心は痛い程に三郎と雷蔵を刺すのだった。
「そうか、ならば丁度いいではないか。お前が今やろうとしていたことを、この鼠どもにも見せてやるといい。この差臼城に来て、何をしようとしていたのか。」
「!?」
何を、しようとしていたか……
差臼に来た目的は、堀殻と馬印堂への侵攻を取りやめてもらうこと。
それは忍術学園と共有する目的。
だが椿にはもう一つ、やることがある。
樒の解放。
彼女は元々竹森の人間。
誰よりも隆光のことを考えてくれた樒を、椿は竹森へ帰したいのだ。
三郎たちの登場に動揺してしまったが、差臼普墺はこの場を治めるために血が必要だと言っていた。
そのために樒がしようとしたことを見抜いた椿は、自分が直接手を下すと言ったのだった。
そして今、彼女の手には一つの小刀が握られている。
「どうしても、彼らの前でなければなりませんか?」
「儂はそうしろと言っている。」
「……」
顔を上げて樒を見る。
椿がその手で自分を裁いてくれる、差臼に囚われたこの苦しみから解放してくれる。
そう思っているのだろうか、樒は妙に落ち着いた表情でこちらを見ていた。
本当に穏やかな、本物の彼女にやっと出会えたようなその表情に椿の心も包まれていくようだ。
そんな二人を打ち破るように男たちの騒ぐ声が鼓膜を刺激する。
「殺せ!!殺せ!!殺せ!!殺せ!!殺せ!!」
部屋中に広がる異様な光景。
恐怖を掻き立てられる大勢の声に、三郎と雷蔵は動けない。
声が向けられるその中心に椿は立っている。
こんな最悪の雰囲気の中、気丈にも立ち続ける彼女の表情は窺い知ることが出来ない。
「椿さん……っ」
雷蔵の心配する声もかき消され、椿には届かない。
何故彼女がこんな目に遭わなければならないのか。
誰かを傷付けること、ましてや誰かの死など、彼女が望むはずもない。
何も出来ない悔しさが滲む。
椿はゆっくりと振り向いた。
罵声を放つ男たちを無言で見回す。
その瞳の光は強く、迫力負けをした男らは徐々にその声を萎めていった。
「……お静かに。」
そう低く言い放った椿の声が部屋中に届くように、最早声を発する者もいない。
まるでこの場の全員と目を合わせるかのように彼女が部屋全体を隅々まで見渡した。
再び差臼普墺に向き直る。
彼は椿のこの場を治めた行動に関心していたようだった。
「改めてお伺いいたします。私の意思をここに示せば、先程申し上げたように樒の解放をお約束していただけますか?」
樒に対して手を下す、その後の話を椿はしている。
骸となった後の樒は差臼普墺の興味の対象ではない。
彼女の体を竹森に返す、という意味なのであろう。
「勿論だ。お前にそれが出来るのであれば、相応の対価を支払おう。」
「……」
彼女は言葉を返さなかった。
まさか本当にやるつもりか……?
無言の椿に三郎と雷蔵は胸が騒めく。
「堀殻と馬印堂はどうなりますか?」
「椿姫よ、支払う対価は一つに対して一つであろう。」
「……そうですか、体は一つしかありませんからね……残念です……」
思えばこの時の”残念”とは、どのような意味だったのか。
今はまだ、誰も彼女の本心を知らない。
「一つに対して一つ、そのお言葉を努々お忘れなきように。」
約束を守れとの意味が込められていたのだろうが、その言葉の強さに違和感を感じた差臼普墺は眉をしかめた。
「樒」
「!……はいっ」
椿の声かけに樒の声色に嬉しさが混じる。
「あなたの体も心も、竹森へ帰します。今までよく頑張りましたね。」
「椿様……身に余る、お言葉です……」
「私と、お友達になってくれてありがとう。これからもずっと、あなたのことを想っています。」
「!!……あ……」
樒にはそれ以上の言葉が出せなかった。
友達になる、それをずっと想い続けていてくれた。
自分を必要としてくれていた。
その居場所を、私はずっと探していたんだ……
溢れる涙を抑えられない。
「ありがとう……ございます……!私も……同じ想いです……」
自分の人生はここで幕を閉じるだろう。
でもこれで解放される。
何者にも支配されない、苦痛のない世界へ行ける。
隆光への想いと、椿への想い。
それは樒の中で永遠に生きるのだ。
それだけで喜びに満たされて逝ける。
椿は後方の三郎、雷蔵に振り返る。
彼女がこれからするであろう行為に二人は焦りの色を隠せない。
特に三郎は、椿が手を血に染めることを良しとしない様子だ。
「椿さんっ……!」
最早彼女との関係を隠すことは意味をなさない。
三郎は苦しそうに椿の名を呼んだ。
止めようとしていたのかも知れない、だがそうしたところで彼女が聞くはずもない。
今は”食堂のおばちゃん見習い”ではなく、”竹森城の椿姫”その人なのだから。
「事が済んだら、後のことはよろしくお願いします。あなたたちも、縛られるものはありません。どうか、皆が豊かに暮らせる未来を、手に入れてください。」
椿は二人にそれを投げたのではない。
この場にいるであろう、忍術学園の関係者全てにそれを託した。
だから不思議だった。
その未来に、椿自身はいないような、妙な感覚を覚える。
「椿さんやめろ!!差臼が約束なんか守るはずがない!!」
「それでも、あなたたちを救うには、こうするしかないの。」
「椿さん!!」
「一つだけ、お願い。皆に”ごめんなさい”と伝えて……。学園長先生と……」
直接言いたかった、言えなかった。
あなたに伝えたいのに、私にはもう、それが出来ない。
それが、唯一の心残り。
どうか、今まで通り、幸せに……
いつまでも、あなたを想っております……
「土井先生に……ごめんなさいと、ありがとうを……」
「!?」
「椿さん!?」
「やめろ!!」
「椿様!?」
全員がそれに気付いた時、彼女の名を呼ぶ人間は後悔に襲われる。
どうして気付かなかった、何故そうなってしまった。
椿は笑った。
それはまるで、恐れるものなどないように。
彼女は持っていた小刀を自分の喉元にあてがう。
どよめきが起こる中、差臼普墺だけは冷静に事を見続けていた。
彼にとっては誰が血を流そうとも、関係がない。
これはただの余興だ。
それが椿であっただけ、ただそれだけだ。
椿は初めから自分を犠牲にするつもりだったのだ。
樒を手にかけるという選択は、始めから彼女の中にはない。
自分が消えれば、樒も、忍術学園も、縛られることなく差臼を討てる。
自分がこのまま生きていれば彼らの弱みになる、きっと彼女はそう判断したんだ。
しかし、だからと言って……
「椿さんっ!!!やめろぉぉぉ!!!!!」
「椿様っ!!!!!!」
忍術学園の誰も、樒も、椿が犠牲になることを望む者はいない。
三郎は身を乗り出して叫んだ。
彼女を止めたくて必死だった。
井頭が彼の体を押さえつける。
畜生、畜生……!!
俺には、彼女を救うことが出来ないのか……!?
持てる力を使って抜け出そうと必死に藻掻く。
椿はそんな三郎に微笑みかけた。
「!!」
あまりにも綺麗なその笑顔に言葉を失う。
椿はそのまま、声もなく唇を動かした。
はっきりとわかる、それは明らかに、そう言ったのだ。
”ありがとう”、と……
静かにそこに佇んで、そっと見守っていてくれるあなた。
暗闇の中でもあなたがいれば怖くなかった。
世界を優しく照らす柔らかな光。
そして私を救ってくれる、温かな光。
でも
今はそれを見ることさえも叶わない。
椿が地下牢から出されて数日が経った。
世話係の女が言っていた二日という時間、その約束は果たされることはなかった。
全ては差臼普墺の気分次第。
変に損ねることは出来ない、だから大人しく待つしかない。
あれから地上の部屋に通された椿は、それなりの食事を与えられ、湯にも浸かり、着物も新しいものを与えられた。
自由に歩けないにしろ座敷牢ではないし、思ったよりも優遇されていると感じる。
違和感。
差臼普墺がなぜ椿を欲しがっていたのか、はっきりとした理由はわからない。
考えられるのは竹森を手に入れるための手段か、もしくは差臼普墺の慰み者か。
「……っ」
椿は奥歯を噛みしめる。
樒からの接触は未だない。
もしかするとこの不自然な優遇も、彼女が絡んでいるのではないだろうか。
己を犠牲に、差臼普墺に交渉しているのではないだろうか。
そう考えるだけで居ても立っても居られない。
焦るな、わかってはいる。
差臼の準備に時間がかかっているなら、それはむしろ好都合だ。
椿にとってはもどかしい程の時間の中で、利吉が千姫を堀殻城へ連れて行ってくれる。
忍術学園側が、差臼の実態を調査、そして椿の周りを固めてくれる。
差臼普墺と対面することが出来れば、あとは椿の仕事。
上手く説得できる、とは思っていない。
好戦的な、力で己の存在を示したい人物に届く言葉はないかも知れない。
だから、わからせる。
今の差臼に攻める力などないこと。
他国との違い、差臼になにが足りないのか、それを普墺の耳に届けるのが椿のやるべきこと。
椿に呼び出しがかかったのは、彼女が地下牢を出て五日目のことだった。
前触れなく迎えに来た侍女の後を追って長い廊下を歩き、一際華やかな部屋の前に来ると静かに戸が引かれ、椿の到着を告げる声が聞こえる。
開け放たれた部屋の広さは今まで見たことがないくらいに広大で、四方を囲む男たちの視線が一気に彼女に集中する。
それはとても歓迎されたものではなく、威圧的なその空気に押しつぶされそうだ。
椿は注意深く左右を見渡す。
物々しい様子の中にも、いくつか毛色の違うものも見える。
あれはきっと、忍術学園の誰か。
変装を施しているため、はっきりとはわからない。だが、この場にいてくれることが何より椿の強みへと変わる。
大丈夫。一人じゃない。
「……来たか。もっと近くへ寄れ。」
部屋の一番奥、上段の間に鎮座するのはあの一瞬で目に焼き付けた忘れられぬ顔。
差臼普墺、この城の主が薄ら笑いを浮かべながら椿を見下す。
その近くに膝をついているのは樒。
何かを言いたそうに身を乗り出しているが、彼女の後ろに控える梨栗によって押さえつけられているのか、後ろ手に回した状態でどうやら動けない様子だ。
樒を見つけた椿は一瞬の緊張に包まれ唾を飲み込む。
が、それも一時のこと、閉じた瞼をゆっくり開けると真っ直ぐに差臼普墺を見つめ、彼女は部屋の中へと足を踏み入れた。
ざわつく室内。
椿を値踏みするような声、竹森に対する批判、耳に入れることも苦しい言葉が飛び交った。
「静まれ。発言は許さん。」
そのたった一言で差臼普墺は静寂を得た。
広間の中央へ進んだ椿はそこで歩みを止める。
「よく来たな、椿姫よ。まずはその度胸を褒めよう。」
「……」
毅然とした態度の椿を差臼普墺は鼻で笑った。
「ここに呼ばれた理由はわかっておるか?」
試すような問いかけに椿は言葉を迷う。
呼ばれた理由など、わかるはずもない。
差臼は今、堀殻へ戦を仕掛けるために国内から兵を募った、とても忙しい時期のはずだ。
それなのに主要な人物たちを招集し、この場に椿を呼び寄せたことが理解出来ない。
この男は戦を起こすことしか頭にないはず、そう考えると竹森侵略のためかとも思われた。
馬印堂、堀殻のみならず竹森までもが差臼普墺の手にかかる。
それは絶対に避けなければならない。
隆光を、守らなければならない。
「……存じません。」
椿の回答に不満を持った周りの差臼兵が沸き立つのを差臼普墺は静止した。
彼女は続ける。
「存じません……が、差臼様は私になにかご要望がおありのこととお見受け致します。」
「ほう?」
「結論から申し上げます。私はそれがどんなものであろうとも受け入れる覚悟がございます。ただ条件として、差臼様が私の要望を聞き入れてくだされば、の話です。いかがでしょうか?」
椿は交渉を試みる。
差臼普墺が何を言うかなど予想はついている。
例えそれを武力を持って行使しようとも、椿は一歩も引かぬ考えであった。
差臼には一度手に入れた椿を失いたくない理由があるはず、ならば交渉の余地はある。
「交換条件か?椿姫よ、それが如何に無意味なものであるか、理解出来ぬわけもなかろう。」
「……」
勿論、素直に聞いてくれるなど思っていない。
今のこの状況下でまともに話し合いなど出来るはずもない。
無知な女だと、大勢の前で笑い者にされるに違いない。
だがもう、椿に捨てるものは残されていなかった。
彼女の命を除いては……
「だが面白い。そなたの言い分、申してみよ。聞き入れるかは別だ。」
「はい。ですが、もしも聞き入れてくださらなければ、私はあなた様の道具としての使命を放棄する所存であることをご承知おきください。」
差臼普墺の眉がピクリと動く。
四面楚歌のこの状態で大きな口を叩いた。
しかしそれも、椿にとっての大事なものを想うが故。
例え何があっても、譲る気などない。
彼女の答えに差臼普墺は声を上げて笑った。
「言うではないか、椿姫よ。それが其方の覚悟か。気に入った。儂も其方を失いたいわけではない。善処する。」
差臼普墺の回答に椿は形だけの礼を返した。
「……では恐れながら、申し上げます。私の望みは二つ、まずはそこに居ります、樒の解放です。」
「!?……椿様……!」
樒が驚いたように体を跳ねさせる。
椿が第一条件に述べたその言葉に耳を疑う。
彼女が望むのは戦を止めることのはずだ。
馬鹿な、何故それを言わないのか。
何よりも自分のことを想ってくれている、その心が樒を揺るがせ胸が熱い。
「その者は竹森の者です。解放されることを望みます。そして二つ目、堀殻、馬印堂への侵攻の取り消しです。」
「なんだと!?」
反応を示したのは差臼普墺の部下たち。
国を大きくするために働いていた彼らにとって、その願いは今までの行いを否定されるのに近しい。
怒りに沸き立つ周囲を宥めつつ、差臼普墺はつまらなさそうに椿に問う。
「何故、それを願う?」
「それは他ならぬ、差臼の民のためです。」
「なに?」
「確かに領土を広げることも、結果として民のためになりましょう。ですがこの国の現状をご存じですか?兵を国内から募れば、その土地は枯れます。その日一日を生きる国民にとって、新たな財力はとても魅力的です。ですが、根本から枯れてしまった土地にそれが物を言うでしょうか?奪えばいい、と仰られるかも知れません。ですが考えを変えない限り、同じことが繰り返されるでしょう。やがて奪うことでしか満たされなくなった国民は、自らの手で生産することなど考えも及ばなくなります。なぜなら、奪う道ほど楽なものはなくなるからです。」
「……」
「私は、この国を良くしたい。領土を広げるにしろ、それからでも遅くはないのではないでしょうか?民の小さな不満は大きな力に変わり、その刃はやがてあなた様に返ってくることになります。どうか、お考えを改めて頂きますよう、お願い申し上げます。」
それは椿の素直な心だった。
馬印堂と堀殻、その間に挟まれた忍術学園、そして竹森。
どれも欠かさず守りたいもの、だが、差臼も例外ではない。
この国に入り見聞きした現状、もしも改善出来るのなら惜しむ手などない。
だが椿の想いに反して、差臼普墺は明らかな苛立ちを見せる。
「楽な道を選ぶことの、何が悪いのか?お前の言うことは全て理想論でしかない。民が何を求めるか?本気でそれを唱えるつもりか?ならばその目で見てみろ、民が求めるものは絶対的な力であると!儂がどうやって奴らを集めたと思う?働く必要がなくなると言ったのよ。奪った領土があればそこにいる者を使えばいい。今よりいい暮らしが出来る。我が差臼の民は己が優位に立つためにこの作戦に同調したに過ぎぬ。例えお前がそれを唱えたところで聞く者など居らぬわ!」
差臼普墺の言葉は完全にその場の空気を塗り替えた。
椿に浴びせられる暴言の数々、中には彼女に粛清を求めるものまである。
樒は焦った。
このままでは椿にとって良くないことが引き起こされる。
どうにか止める術はないものか。
差臼普墺のお気に入りである自分なら、その立場を利用できないだろうか。
椿を救うためなら、なんだってやる。
差臼普墺はこの場の同志たちに静かにするよう告げる。
「まあ待て。儂とてせっかく手に入れたものを易々と手放すのは惜しい。だがな、椿姫よ。お前は同志たちを怒らせた。これには少々灸を据えねば奴らも納得はしないだろう。そこでだ、」
差臼普墺は傍らに佇む小姓に手を差し出した。
迷いなく手渡されたのは一つの小刀。
それを鞘から抜き取ると樒の目の前へ放り投げた。
「!?」
「シキビよ、お前に任せる。我が同志は粛清を要求している。ならば治めるためには血が必要であろう。それはお前が決めろ。」
反射的に差臼普墺を見上げた。
その表情に生気はない。
最早語ることを無くした非情な人形のように樒を見下す。
「さあ、選べ。」
選ぶ……それは隆光か椿かを選択するということなのか……?
差臼普墺は樒が誰よりも隆光を支持していることを知っている。
この場で椿を討てば、まだその希望は保たれるということなのか。
差臼普墺は自分を試そうとしているのか。
隆光を取るのか、目の前の椿を取るのか……
全身から汗が噴き出す。
時間がとても遅く、己に集められた視線に自我を保つことが難しい。
一際強い光、椿が樒を見つめている。
……椿様……っ
彼女から目を逸らすことが出来ない。でも、とても優しく、温かく、自分を包んでくれている。
樒ちゃん、あなたを信じている……
言葉にせずとも、伝わる想い。
今の樒にとって、守りたいのは隆光だけではなかった。
あなたを守ると、そう誓ったんだ。
だから、どちらかを選ぶなんて、決められるはずもない。
「……!」
いや、これはチャンスなのかも知れない。
今この刀を手に取って、差臼普墺を討てば全てが終わる。
”竹森の毒” それもまだ手の内にある。
解毒剤は椿に渡した、万が一間違いが起きても、全てを彼女の選択に委ねる。
でも、そんなことが可能か……?
決断を急ぐな。
仮に差臼普墺を討ったところで椿の安全は確保できない。
この場に自分の味方は居ない。
いや、恐らく城の連中に混ざった忍術学園の者が潜んでいるのだろう。が、それを探している時間はない。確証もない。
宿敵である差臼普墺を討ったところで、周りの取り巻きが椿に害を成すであろうことは明白だ。
それは樒が望むものではないし、彼女だけの力ではどうしようもないものだ。
自分の悲願のために、主君を犠牲になど出来るものか。
床に投げられた小刀をゆっくりと手に取る。
横目に差臼普墺を見るが、樒のことなど全く気にしていないように警戒心をまるで感じさせない。
この余裕に、自分の胸中を計られているのではないかとさえ思える。
後ろにいる梨栗や広間の連中は、嫌と言う程、樒に圧力をかけているというのに。
椿を見た。
彼女はただ、静かに首を横に振る。
そうか、樒の考えなど、既にお見通しという訳だ。
少しだけ心が軽くなる。
樒は深く息を吐いた。そして、
「……私には決めかねます……」
小刀をその場に投げ捨てた。
千載一遇の機会、それを放棄した。
椿がいなければ、何度も思い描いたこの夢を捨てることはなかったかも知れない。
差臼普墺さえ討てたのなら、自分も、竹森も、救われたのかも知れない。
だがそれをしなかったのは、最早樒にとって椿が竹森を救うのと同じだけの価値がある人物であったから。
どちらに手を出そうとも失うものは変わらない。
ならば椿だけは、この手にかけることだけは、絶対に出来ないはしない。
「シキビよ、儂は”選べ”と言ったのだ。それはやるかやらぬかではない。”この場に必要な血を選べ”と言ったのだ。即ち、椿姫か、お前か、それとも他の誰かか……」
差臼普墺はニヤリと笑う。
それは樒が自分に歯向かうことも計算されていたということ。
この場で差臼普墺に刃を向ければ、控える梨栗がそれを阻止するだろう。
そして反逆とみなされ樒は消される。
また、間違いなく椿も……
「出来ぬのなら手を貸してやらんでもない。儂はお前のことを気に入っておるからな。手放すには惜しい。」
差臼普墺が合図をすると男が二人、椿に近付く。
堪らず樒は声を上げた。
「!!何を……!?」
「簡単なことだ。椿姫を討てば全てお前の望み通りになる。竹森にも慈悲をくれてやる。愛する男を助けたいのであろう?ならばお前の忠誠心を見せてみろ。その刀で椿姫を貫け。それで全てが終わる。」
「!!!」
私に、椿様を討て、と……!?
この感情はなんだ。
絶望とも怒りとも違う。
竹森を救うことと同等の価値を持つ椿を、この場で討てと言うのか!?
それならばいっそのこと、お前を殺せば全てが終わる。
終わる、のに……っ
自身を制御することが難しく、樒は逃げ場のない現状に対する混乱から、震える手を再び小刀に伸ばした。
「……馬鹿に、するな……」
「!!樒ちゃん……!」
男たちは椿の両手を掴み、彼女の動きを制限する。
樒は彼らを鬼気迫る表情で睨んだ。
「その手を離せ下郎!!貴様たちが触れていい御方ではない!!」
「っ」
その気迫に、堪らず男たちは尻込みをする。
「樒っ、」
「私を、見くびるなよ。己の主人が誰であるかなど、私自身が決めること。その方を守るためなら、この身など惜しくはない!!」
その言葉の意味を理解した椿は樒を止めようとする。
興奮した様子の樒は勢い良く差臼普墺に向き直った。
「血が必要だと、そう仰るなら……流すのはあの方ではない。私一人が犠牲になれば、それで満足いただけるか?」
「お前自身を差し出すと言うか。ふむ……惜しい気もするが、それで我が同志が納得するならば良かろう。」
「その代わり、椿様には手を出さないと誓え。私には、お前を道連れにすることなど赤子の手をひねるようなものだ。」
一瞬の隙をついて竹森の毒を差臼普墺に浴びせれば樒の勝ち。
彼もそれを知っているらしく、大人しく要望には従うと言った。
樒は椿を見る。
あなただけは何がなんでも守り切る。
自分の帰る場所を、隆光のところだと言ってくれた。
失いかけた希望を持たせてくれた。
その気持ちが、どんなに嬉しかったことか。
もうそれだけで十分だった。
「椿様……申し訳ありませんでした。こんな形でしか御恩を返せないことをお許しください。私は……あなた様に出会えて、幸せでした。」
「樒!?」
樒は見たこともないような晴れやかな表情を見せる。
彼女の考えを悟った椿は強い口調で制止した。
「待ちなさい!そんな勝手は許しません!」
「椿様……」
困惑した様子の樒をおいて、椿は差臼普墺に向き直る。
「差臼様、こんな始末でよろしいのでしょうか?樒が私を主人と認めるのなら、その主が始末をつけるのが道理ではないでしょうか?」
「ほう?お前が手を下すと言うのか?」
「……配下の過ちは、主人の裁きがあってこそ正当なものとなります。」
「……と、いうことだが、お前はどうだ?シキビよ。」
椿の発言に驚きはしたが、樒にはその言葉を否定する意思はない。
椿が望むのなら、椿の手にかけられるのなら、その方が樒自身も救われるような気がする。
「異存はありません。」
力なく垂れた手から小刀を抜き取られる。
梨栗は意外にも丁寧に、それを椿の元へ届けた。
彼女が小刀を手にしたその時、室内が騒めき立った。
「なにごとだ!」
部屋の隅にいた井頭が進言する。
「申し訳ありません、ですが須黙殿が、鼠を捕まえたとのことで……」
そう言うと彼の前に二人の人物が引っ張りだされる。
身動きが取れないように後ろ手に縛られた様子で床に座らされたその姿、椿を驚かすには十分だった。
「……!! 三郎君、雷蔵君……!?」
彼女の反応に差臼普墺は笑った。
やはり忍術学園の者が紛れていたか……!
樒の潜伏先が忍術学園であることも、椿がそこにいることも、井頭と梨栗からの報告で知っていることだった。
椿と樒だけで差臼に乗り込んでくるはずがない、奴らは堀殻と馬印堂の戦を阻止しようとしてくるはず。
須黙とか言う男のことなど、この件が片付けば捨てる予定であったが、その働きぶりは本物だ。
忍術学園の者を捕らえられたなら、学園そのものを手に入れる材料にもなる。
これが笑わずにいられるか。
鼠を捕まえたという須黙自身はこの場に姿を見せない。
井頭が先程までここにいたのにと、周りをキョロキョロと見回している。
まあ今は奴のことはどうでもいい。
始めから得体の知れない男であった、どうせ後から褒美を請求してくるのだろう。
「知り合いか?」
白々しい質問を投げると、椿は怒りと恐怖が入り混じった表情を見せた。
それが差臼普墺を悦ばせるとは、彼女は知らない。
「……この者たちを、どうされるのですか?」
「そうだな……それは、お前の行動次第であるだろうな。」
「っ!」
捕らえられた三郎と雷蔵、彼らをどうするかなど……聞かなくてもわかっていただろうに。
差臼普墺に慈悲はない。
殴られたのだろうか、痣や傷の目立つ二人に椿の心は騒めいた。
刀を持つ手が震える。
「はっ……あんた、差臼城の殿様か。」
「三郎っ」
捕らえられた三郎が差臼普墺に言葉を投げた。
嘲笑うかのような三郎の余裕ある顔に、彼の目は冷たくなる。
その変化に気付いているだろうに、雷蔵の制止も聞かず三郎は話を続ける。
「今まで他人の物を奪いながら生きてきたらしいな。この城も領地も、もとはあんたの物じゃない。」
招集された兵たちから集めた情報だった。
この国を築いたのは別の人物だった。
それを差臼普墺が乗っ取る形で奪ったものだと言う。
農民の暮らしは変わり、他の土地を奪うことで自分たちの生活を潤していったのだ。
ただそれを望む者は多くなく、皆、殿様を恐れて従っているだけに過ぎなかった。
「そうやって何もかも略奪すればいいと思っているだろうがな、あんたには奪えないものがあるってことを教えてやるよ。」
「こいつ!黙れ!」
「っ!」
井頭が三郎を黙らせようと殴った。
堪らず椿は叫ぶ。
「やめて!その者たちに手を出さないで!」
差臼普墺が片手を上げて井頭を止める。
三郎の言葉に少し興味を持ったようだった。
「小僧、儂に奪えぬものなどない。」
「あるさ!あんたには奪えないもの、それはそこにいる姫さんだ。彼女は誰にも捕らわれない、誰も彼女の自由を奪うことは出来ない。あんたが得意の武力を行使したところで、彼女の心はあんたのものにはならない!」
「三郎君……」
「俺たちはそこの姫さんのことは知らない。俺たちがしていることに、彼女は全く関係ない。捕まったのはこちらの問題だ、姫さん、あんたが何かを負う必要なんてない。」
三郎は椿との関係を否定した。
捕らえられた自分たちの面倒を彼女がみる必要はないと言ったのだ。
止めようとしていた雷蔵も、三郎に同調するように黙っている。
二人は椿の負担にならないようにと、そのような行動をとったのだろう。椿にもそれはわかる。
わかりはする、が……
「興が冷めた。」
差臼普墺がそう言い放つと、井頭は二人の頭を床に押し付け黙らせようとする。
苦しそうに漏れる吐息に椿はハッとして思わず口走った。
「乱暴はやめて!二人には手を出さないでください、お願い……」
「不思議な話だ。こやつらはお前と関係がないと宣言した。それなのに、何故庇う?無関係の者を気に掛ける余裕などないのではないか?」
「関係は、あります。私が、ここに来るために、彼らには手助けをしてもらいましたから。」
声が震える、それを差臼普墺は逃さなかった。
椿の見せた小さな弱さ、それを狙っていた。
三郎が小さく「なんでだよ……」と零すのを雷蔵は聞いた。
彼の気持ちはわかる、しかし彼女の気持ちも知っている。
三郎と雷蔵だけではない、椿には忍術学園の誰であっても、捨て置くことは出来なかった。
忍術学園で共に生きた今だから、椿の心は痛い程に三郎と雷蔵を刺すのだった。
「そうか、ならば丁度いいではないか。お前が今やろうとしていたことを、この鼠どもにも見せてやるといい。この差臼城に来て、何をしようとしていたのか。」
「!?」
何を、しようとしていたか……
差臼に来た目的は、堀殻と馬印堂への侵攻を取りやめてもらうこと。
それは忍術学園と共有する目的。
だが椿にはもう一つ、やることがある。
樒の解放。
彼女は元々竹森の人間。
誰よりも隆光のことを考えてくれた樒を、椿は竹森へ帰したいのだ。
三郎たちの登場に動揺してしまったが、差臼普墺はこの場を治めるために血が必要だと言っていた。
そのために樒がしようとしたことを見抜いた椿は、自分が直接手を下すと言ったのだった。
そして今、彼女の手には一つの小刀が握られている。
「どうしても、彼らの前でなければなりませんか?」
「儂はそうしろと言っている。」
「……」
顔を上げて樒を見る。
椿がその手で自分を裁いてくれる、差臼に囚われたこの苦しみから解放してくれる。
そう思っているのだろうか、樒は妙に落ち着いた表情でこちらを見ていた。
本当に穏やかな、本物の彼女にやっと出会えたようなその表情に椿の心も包まれていくようだ。
そんな二人を打ち破るように男たちの騒ぐ声が鼓膜を刺激する。
「殺せ!!殺せ!!殺せ!!殺せ!!殺せ!!」
部屋中に広がる異様な光景。
恐怖を掻き立てられる大勢の声に、三郎と雷蔵は動けない。
声が向けられるその中心に椿は立っている。
こんな最悪の雰囲気の中、気丈にも立ち続ける彼女の表情は窺い知ることが出来ない。
「椿さん……っ」
雷蔵の心配する声もかき消され、椿には届かない。
何故彼女がこんな目に遭わなければならないのか。
誰かを傷付けること、ましてや誰かの死など、彼女が望むはずもない。
何も出来ない悔しさが滲む。
椿はゆっくりと振り向いた。
罵声を放つ男たちを無言で見回す。
その瞳の光は強く、迫力負けをした男らは徐々にその声を萎めていった。
「……お静かに。」
そう低く言い放った椿の声が部屋中に届くように、最早声を発する者もいない。
まるでこの場の全員と目を合わせるかのように彼女が部屋全体を隅々まで見渡した。
再び差臼普墺に向き直る。
彼は椿のこの場を治めた行動に関心していたようだった。
「改めてお伺いいたします。私の意思をここに示せば、先程申し上げたように樒の解放をお約束していただけますか?」
樒に対して手を下す、その後の話を椿はしている。
骸となった後の樒は差臼普墺の興味の対象ではない。
彼女の体を竹森に返す、という意味なのであろう。
「勿論だ。お前にそれが出来るのであれば、相応の対価を支払おう。」
「……」
彼女は言葉を返さなかった。
まさか本当にやるつもりか……?
無言の椿に三郎と雷蔵は胸が騒めく。
「堀殻と馬印堂はどうなりますか?」
「椿姫よ、支払う対価は一つに対して一つであろう。」
「……そうですか、体は一つしかありませんからね……残念です……」
思えばこの時の”残念”とは、どのような意味だったのか。
今はまだ、誰も彼女の本心を知らない。
「一つに対して一つ、そのお言葉を努々お忘れなきように。」
約束を守れとの意味が込められていたのだろうが、その言葉の強さに違和感を感じた差臼普墺は眉をしかめた。
「樒」
「!……はいっ」
椿の声かけに樒の声色に嬉しさが混じる。
「あなたの体も心も、竹森へ帰します。今までよく頑張りましたね。」
「椿様……身に余る、お言葉です……」
「私と、お友達になってくれてありがとう。これからもずっと、あなたのことを想っています。」
「!!……あ……」
樒にはそれ以上の言葉が出せなかった。
友達になる、それをずっと想い続けていてくれた。
自分を必要としてくれていた。
その居場所を、私はずっと探していたんだ……
溢れる涙を抑えられない。
「ありがとう……ございます……!私も……同じ想いです……」
自分の人生はここで幕を閉じるだろう。
でもこれで解放される。
何者にも支配されない、苦痛のない世界へ行ける。
隆光への想いと、椿への想い。
それは樒の中で永遠に生きるのだ。
それだけで喜びに満たされて逝ける。
椿は後方の三郎、雷蔵に振り返る。
彼女がこれからするであろう行為に二人は焦りの色を隠せない。
特に三郎は、椿が手を血に染めることを良しとしない様子だ。
「椿さんっ……!」
最早彼女との関係を隠すことは意味をなさない。
三郎は苦しそうに椿の名を呼んだ。
止めようとしていたのかも知れない、だがそうしたところで彼女が聞くはずもない。
今は”食堂のおばちゃん見習い”ではなく、”竹森城の椿姫”その人なのだから。
「事が済んだら、後のことはよろしくお願いします。あなたたちも、縛られるものはありません。どうか、皆が豊かに暮らせる未来を、手に入れてください。」
椿は二人にそれを投げたのではない。
この場にいるであろう、忍術学園の関係者全てにそれを託した。
だから不思議だった。
その未来に、椿自身はいないような、妙な感覚を覚える。
「椿さんやめろ!!差臼が約束なんか守るはずがない!!」
「それでも、あなたたちを救うには、こうするしかないの。」
「椿さん!!」
「一つだけ、お願い。皆に”ごめんなさい”と伝えて……。学園長先生と……」
直接言いたかった、言えなかった。
あなたに伝えたいのに、私にはもう、それが出来ない。
それが、唯一の心残り。
どうか、今まで通り、幸せに……
いつまでも、あなたを想っております……
「土井先生に……ごめんなさいと、ありがとうを……」
「!?」
「椿さん!?」
「やめろ!!」
「椿様!?」
全員がそれに気付いた時、彼女の名を呼ぶ人間は後悔に襲われる。
どうして気付かなかった、何故そうなってしまった。
椿は笑った。
それはまるで、恐れるものなどないように。
彼女は持っていた小刀を自分の喉元にあてがう。
どよめきが起こる中、差臼普墺だけは冷静に事を見続けていた。
彼にとっては誰が血を流そうとも、関係がない。
これはただの余興だ。
それが椿であっただけ、ただそれだけだ。
椿は初めから自分を犠牲にするつもりだったのだ。
樒を手にかけるという選択は、始めから彼女の中にはない。
自分が消えれば、樒も、忍術学園も、縛られることなく差臼を討てる。
自分がこのまま生きていれば彼らの弱みになる、きっと彼女はそう判断したんだ。
しかし、だからと言って……
「椿さんっ!!!やめろぉぉぉ!!!!!」
「椿様っ!!!!!!」
忍術学園の誰も、樒も、椿が犠牲になることを望む者はいない。
三郎は身を乗り出して叫んだ。
彼女を止めたくて必死だった。
井頭が彼の体を押さえつける。
畜生、畜生……!!
俺には、彼女を救うことが出来ないのか……!?
持てる力を使って抜け出そうと必死に藻掻く。
椿はそんな三郎に微笑みかけた。
「!!」
あまりにも綺麗なその笑顔に言葉を失う。
椿はそのまま、声もなく唇を動かした。
はっきりとわかる、それは明らかに、そう言ったのだ。
”ありがとう”、と……