四章
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遥か彼方、朝を告げる鳥の声を聴いたのは、もうどのくらい前のことであったのか。
鬱蒼と生い茂る藪の中。
明け方から休み休み歩き続けた体は悲鳴を上げて来ている。
それでも心折れずにここまで来れたのは、千姫や忍術学園を救いたいと言う強い気持ちがあったから。
先導する樒と、彼女を見張るように山田が常に側にいた。
離れたところから睨みを利かせるのは他の教師や上級生たち。
学園の皆が彼女のことを信用したわけではないことを椿は理解している。
これが罠である可能性を誰もが捨てきれずにいる。
それでも今は、差臼の城内へ潜入するために彼女の協力が必要だ。
竹森を、隆光を救いたいと言った樒の言葉を、椿は信じたかった。
千姫は無事だろうか……
土井先生は……目を覚ましただろうか……
そんな心配をしている間に彼らは差臼領地内、農村部へと入り込んでいた。
目につくのは、人の気配がない田畑の様子。
農作業をしているのは女子供ばかり。
広大な土地は彼女らには手に余る様子で、ごく一部しか手を加えられていない。
痩せた大地は作物を作り出すことも難しい有様。
すれ違う女たちからは不平不満が漏れ出ている。
「城主は……兵を買ったようだな。」
山田が呟くのを椿は聞いた。
兵を買う、つまり若い農民に給料を与えて数で兵力を強くした。
だがそうすることで農村は枯れる。
そうしてでも手に入れたいと願ったに違いない、馬印堂、そして竹森を。
作物を育てることよりも戦を起こすことが財力になると、農民をそそのかしたのだ。
食べるものなら、奪った土地にたんまりある。
給金も良く、飯にもありつける話とあれば、若い層は乗るだろう。
ひとつ出稼ぎのつもりで彼らは家族を置いて出たのだ。
山田の話に樒が続ける。
「彼らの多くは農民。争うことの経験は浅いです。警戒すべきは井頭、梨栗、そのあたりになるかと……」
「奴らは差臼普墺の側にいると見ていいのだな?」
「はい。恐らくは……」
本来ならば自分がその位置にいるはずだった。
しかしその可能性がなくなった今、差臼普墺は成功を収めた井頭と梨栗を高く評価しているはず。
その席に微塵も惜しいことなどないが、樒の空席を埋めたことを井頭らは高笑っているに違いない。
差臼城が近付く。
樒が案内を示すのは城を少し外れたところ。
山田は後方に視線を一瞬投げる。
続く木下と忍たまが進路を変えて城下に向かうのが確認できた。
城攻めなど、とても久しい。
武者震いのような感覚が、山田を襲った。
「それで、侵入経路は?」
「こちらです。」
樒に案内されて背の高い草が生い茂る中を掻き分けて進む。
周りの木々は陽の光を遮り、昼間だというのに薄暗い。
草が鳴らすザアザアという音を聞きながら、椿は山田から差し出された手を取る。
疲弊した体に慣れない道、彼の助けをありがたく思い礼を言った。
そのまま進むと少し明るい場所に出るが、樒はその手前で二人の足を止めた。
「近くに井頭らが居るかも知れません。少し様子を見ます。」
気配を探るように目を光らせる。
キジコを使って奴らに連絡を取った。ならば樒が記憶を取り戻し、差臼に戻る可能性があることを井頭らは掴んでいることになる。
椿を連れていようがいまいが、樒が持つ願いのために彼女はここに帰るだろう。
だから付近で待ち伏せされていることは考えられる。
……それが井頭らにとって、歓迎すべきでないものであろうことは承知済みだ。
千姫を攫うという忍務を成し遂げた井頭と梨栗にとって、差臼普墺のお気に入りである樒の存在は邪魔でしかない。
椿を連れ帰ったならそれを奪い、単独で戻ったとしても城に入る前に樒を始末するだろう。
樒と山田が辺りを探る中、椿はあるものを目にする。
それは不自然に積み上げられた石の山。
中央には木枠で補強された、何かの入り口のようなものが見受けられる。
樒にそれを問う前に、頭上で木の葉がガサリと音を立てた。
気付いた樒が反射的に椿を庇うように手を出す。
「父上」
「……利吉か?」
現れたのは利吉であった。
差臼の手の者でないと知り、樒はほっと胸を撫で下ろす。
山田が周辺について尋ねると、利吉は人気のないことを告げる。
「差臼は戦の準備を始めたようです。そのため井頭や梨栗も駆り出されているのかと。」
ついに差臼が動き出した様子に山田はため息を吐く。
しかし多くの兵は農民、彼らを使えるように指導するために井頭らが動いているのだとしたら、しばらくこちらには近づかないであろう。
戦をするには多くの人材、資金、物資が必要だ。
それらは痩せた田畑から搾り取れるだけ搾取する。
買われた兵たちは、彼らの家族がどうなっているか、知る由はあるのであろうか。
椿はギュッと拳を握り、その行く末を案じる。
利吉はそんな彼女の姿に目をくれると顔をしかめた。
「椿さん……、何故あなたがここに……」
「利吉さん……」
「利吉、今はそれを言い争っている暇はない。かくかくしかじか、だ。」
「……っ、……………………承知、しました。」
山田の言葉を渋々飲み込む。
納得はしていない。だが、私情を出せるほど甘い世界ではない。
ましてや、父の前。
彼がこれを仕事だと割り切るのならば、自分もそれに従うしかない。
子供では、ないのだから。
椿に厳しい目を向けるが、それでも彼女は凛として瞳に強い光を宿す。
誰にも止められなかった、だから彼女はここまで来た。
今更自分が何を言っても、聞き入れてくれることなんてないのだろう。
いや、だからこそ誓ったはずだ。
椿が己の信念を貫くのなら、自分も同じことをするだけ。
問題なのは、
「……」
利吉は樒に視線を移す。
山田からの話で読み取れた彼女の正体。
それを知って尚、椿は樒を信じることにした。
詳しい経緯はわからない、正直信じていいものかもわからない。
「利吉さん」
彼の視線に気付いた椿が信じて欲しいと訴えるように、樒の前に割り込む。
それ以上のことは、言ってはくれないのですね……
懇願されたかったのだろうか、それとも切り捨てるようにはっきり言葉に出して欲しかったのだろうか。
利吉は諦めにも似た息を短く吐いた。
「……わかりましたよ、椿さん」
場の空気に一呼吸置いて、山田は樒に目をくれた。
それを合図に彼女は説明を始める。
「……ここは差臼城へと続く抜け道です。本来は差臼普墺が緊急で使用するためのものであり、私と井頭、梨栗しか存在を知りません。」
「ここから城へ潜入できるわけか。」
「はい」
「千姫が監禁されている場所はわかりますか?」
利吉の言葉に樒は少し考えるようにして声を出した。
「恐らく、地下牢かと思われます。差臼城内に座敷牢のようなものはありません。そして見張りの人員を割くためにもそこに入れておくことが考えられるかと。」
「よし、では樒さんに案内願おう。それで、その面子だが」
「父上、私に行かせてください。」
山田を遮るようにして利吉が前に出る。
強い想いを秘めた瞳に、山田は頷いた。
「そうだな。私は城下に潜んでいる他の先生方と連絡を取って来る。」
「はい」
「利吉、樒さん、椿さんを頼んだ。」
順に彼らと目を合わせる。
二人が力強く頷く様子に山田は安心する。
そして、
「……椿さん、」
「はいっ」
どこかで彼女のことを娘のように感じていたのかも知れない。
その娘を一番危険なところへ送り出さなければならない心境を、口に出すことは避けた。
覚悟を決めた彼女に余計な心配をかけるわけにはいかない。
今はいない土井の分まで、山田にとっての大切なものを守るため、少しの間だけ耐えていて欲しい。
必ず迎えに行く。
目を合わせた椿が緊張したように体を強張らせているのを見て、山田は軽く息を吐いた。
「どうか学園長先生の言葉を忘れないように。あなたも忍術学園の大切な一員。何よりも自分を大事にしなさい。必ず学園に戻り、そしてあなたの笑顔を皆に見せてやって欲しい。」
「山田先生……お気遣いありがとうございます。先生もお気をつけて。」
「うむ。」
「行きましょう。」
利吉が促し、樒を先頭に三人は穴の中へ入って行った。
山田はその背中を見送ると、静かになった辺りに気を巡らせる。
「……」
風によって騒めく木々の揺らぎ。
小さな動物の気配や鳥が飛ぶ様子。
もし敵意ある者がこの場にいたなら、一人になった山田を襲いに来るだろう。
それがないことは、奴らにとっての敵を泳がす程の余裕が今の差臼にはないことを証明する。
考えられるのは何も差臼だけではない。
或いは、山田は最初から彼だけに椿を託すつもりだったのかも知れない。
「我々の敵ではないと、信じているぞ……」
山田は誰に言うでもなくただの独り言のようにそう呟くと、一瞬で姿を消した。
彼のいた場所には飛ばされてきた木の葉が一枚、静かに舞い降りていた。
鬱蒼と生い茂る藪の中。
明け方から休み休み歩き続けた体は悲鳴を上げて来ている。
それでも心折れずにここまで来れたのは、千姫や忍術学園を救いたいと言う強い気持ちがあったから。
先導する樒と、彼女を見張るように山田が常に側にいた。
離れたところから睨みを利かせるのは他の教師や上級生たち。
学園の皆が彼女のことを信用したわけではないことを椿は理解している。
これが罠である可能性を誰もが捨てきれずにいる。
それでも今は、差臼の城内へ潜入するために彼女の協力が必要だ。
竹森を、隆光を救いたいと言った樒の言葉を、椿は信じたかった。
千姫は無事だろうか……
土井先生は……目を覚ましただろうか……
そんな心配をしている間に彼らは差臼領地内、農村部へと入り込んでいた。
目につくのは、人の気配がない田畑の様子。
農作業をしているのは女子供ばかり。
広大な土地は彼女らには手に余る様子で、ごく一部しか手を加えられていない。
痩せた大地は作物を作り出すことも難しい有様。
すれ違う女たちからは不平不満が漏れ出ている。
「城主は……兵を買ったようだな。」
山田が呟くのを椿は聞いた。
兵を買う、つまり若い農民に給料を与えて数で兵力を強くした。
だがそうすることで農村は枯れる。
そうしてでも手に入れたいと願ったに違いない、馬印堂、そして竹森を。
作物を育てることよりも戦を起こすことが財力になると、農民をそそのかしたのだ。
食べるものなら、奪った土地にたんまりある。
給金も良く、飯にもありつける話とあれば、若い層は乗るだろう。
ひとつ出稼ぎのつもりで彼らは家族を置いて出たのだ。
山田の話に樒が続ける。
「彼らの多くは農民。争うことの経験は浅いです。警戒すべきは井頭、梨栗、そのあたりになるかと……」
「奴らは差臼普墺の側にいると見ていいのだな?」
「はい。恐らくは……」
本来ならば自分がその位置にいるはずだった。
しかしその可能性がなくなった今、差臼普墺は成功を収めた井頭と梨栗を高く評価しているはず。
その席に微塵も惜しいことなどないが、樒の空席を埋めたことを井頭らは高笑っているに違いない。
差臼城が近付く。
樒が案内を示すのは城を少し外れたところ。
山田は後方に視線を一瞬投げる。
続く木下と忍たまが進路を変えて城下に向かうのが確認できた。
城攻めなど、とても久しい。
武者震いのような感覚が、山田を襲った。
「それで、侵入経路は?」
「こちらです。」
樒に案内されて背の高い草が生い茂る中を掻き分けて進む。
周りの木々は陽の光を遮り、昼間だというのに薄暗い。
草が鳴らすザアザアという音を聞きながら、椿は山田から差し出された手を取る。
疲弊した体に慣れない道、彼の助けをありがたく思い礼を言った。
そのまま進むと少し明るい場所に出るが、樒はその手前で二人の足を止めた。
「近くに井頭らが居るかも知れません。少し様子を見ます。」
気配を探るように目を光らせる。
キジコを使って奴らに連絡を取った。ならば樒が記憶を取り戻し、差臼に戻る可能性があることを井頭らは掴んでいることになる。
椿を連れていようがいまいが、樒が持つ願いのために彼女はここに帰るだろう。
だから付近で待ち伏せされていることは考えられる。
……それが井頭らにとって、歓迎すべきでないものであろうことは承知済みだ。
千姫を攫うという忍務を成し遂げた井頭と梨栗にとって、差臼普墺のお気に入りである樒の存在は邪魔でしかない。
椿を連れ帰ったならそれを奪い、単独で戻ったとしても城に入る前に樒を始末するだろう。
樒と山田が辺りを探る中、椿はあるものを目にする。
それは不自然に積み上げられた石の山。
中央には木枠で補強された、何かの入り口のようなものが見受けられる。
樒にそれを問う前に、頭上で木の葉がガサリと音を立てた。
気付いた樒が反射的に椿を庇うように手を出す。
「父上」
「……利吉か?」
現れたのは利吉であった。
差臼の手の者でないと知り、樒はほっと胸を撫で下ろす。
山田が周辺について尋ねると、利吉は人気のないことを告げる。
「差臼は戦の準備を始めたようです。そのため井頭や梨栗も駆り出されているのかと。」
ついに差臼が動き出した様子に山田はため息を吐く。
しかし多くの兵は農民、彼らを使えるように指導するために井頭らが動いているのだとしたら、しばらくこちらには近づかないであろう。
戦をするには多くの人材、資金、物資が必要だ。
それらは痩せた田畑から搾り取れるだけ搾取する。
買われた兵たちは、彼らの家族がどうなっているか、知る由はあるのであろうか。
椿はギュッと拳を握り、その行く末を案じる。
利吉はそんな彼女の姿に目をくれると顔をしかめた。
「椿さん……、何故あなたがここに……」
「利吉さん……」
「利吉、今はそれを言い争っている暇はない。かくかくしかじか、だ。」
「……っ、……………………承知、しました。」
山田の言葉を渋々飲み込む。
納得はしていない。だが、私情を出せるほど甘い世界ではない。
ましてや、父の前。
彼がこれを仕事だと割り切るのならば、自分もそれに従うしかない。
子供では、ないのだから。
椿に厳しい目を向けるが、それでも彼女は凛として瞳に強い光を宿す。
誰にも止められなかった、だから彼女はここまで来た。
今更自分が何を言っても、聞き入れてくれることなんてないのだろう。
いや、だからこそ誓ったはずだ。
椿が己の信念を貫くのなら、自分も同じことをするだけ。
問題なのは、
「……」
利吉は樒に視線を移す。
山田からの話で読み取れた彼女の正体。
それを知って尚、椿は樒を信じることにした。
詳しい経緯はわからない、正直信じていいものかもわからない。
「利吉さん」
彼の視線に気付いた椿が信じて欲しいと訴えるように、樒の前に割り込む。
それ以上のことは、言ってはくれないのですね……
懇願されたかったのだろうか、それとも切り捨てるようにはっきり言葉に出して欲しかったのだろうか。
利吉は諦めにも似た息を短く吐いた。
「……わかりましたよ、椿さん」
場の空気に一呼吸置いて、山田は樒に目をくれた。
それを合図に彼女は説明を始める。
「……ここは差臼城へと続く抜け道です。本来は差臼普墺が緊急で使用するためのものであり、私と井頭、梨栗しか存在を知りません。」
「ここから城へ潜入できるわけか。」
「はい」
「千姫が監禁されている場所はわかりますか?」
利吉の言葉に樒は少し考えるようにして声を出した。
「恐らく、地下牢かと思われます。差臼城内に座敷牢のようなものはありません。そして見張りの人員を割くためにもそこに入れておくことが考えられるかと。」
「よし、では樒さんに案内願おう。それで、その面子だが」
「父上、私に行かせてください。」
山田を遮るようにして利吉が前に出る。
強い想いを秘めた瞳に、山田は頷いた。
「そうだな。私は城下に潜んでいる他の先生方と連絡を取って来る。」
「はい」
「利吉、樒さん、椿さんを頼んだ。」
順に彼らと目を合わせる。
二人が力強く頷く様子に山田は安心する。
そして、
「……椿さん、」
「はいっ」
どこかで彼女のことを娘のように感じていたのかも知れない。
その娘を一番危険なところへ送り出さなければならない心境を、口に出すことは避けた。
覚悟を決めた彼女に余計な心配をかけるわけにはいかない。
今はいない土井の分まで、山田にとっての大切なものを守るため、少しの間だけ耐えていて欲しい。
必ず迎えに行く。
目を合わせた椿が緊張したように体を強張らせているのを見て、山田は軽く息を吐いた。
「どうか学園長先生の言葉を忘れないように。あなたも忍術学園の大切な一員。何よりも自分を大事にしなさい。必ず学園に戻り、そしてあなたの笑顔を皆に見せてやって欲しい。」
「山田先生……お気遣いありがとうございます。先生もお気をつけて。」
「うむ。」
「行きましょう。」
利吉が促し、樒を先頭に三人は穴の中へ入って行った。
山田はその背中を見送ると、静かになった辺りに気を巡らせる。
「……」
風によって騒めく木々の揺らぎ。
小さな動物の気配や鳥が飛ぶ様子。
もし敵意ある者がこの場にいたなら、一人になった山田を襲いに来るだろう。
それがないことは、奴らにとっての敵を泳がす程の余裕が今の差臼にはないことを証明する。
考えられるのは何も差臼だけではない。
或いは、山田は最初から彼だけに椿を託すつもりだったのかも知れない。
「我々の敵ではないと、信じているぞ……」
山田は誰に言うでもなくただの独り言のようにそう呟くと、一瞬で姿を消した。
彼のいた場所には飛ばされてきた木の葉が一枚、静かに舞い降りていた。