三章
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翌朝、朝食を取った教師たちは皆早々に学園長室へと向かい、次にとるべき作戦の会議を始めた。
中の様子が気になるが、椿がそこに加わることは出来なかった。
唯一残されてしまった客人、戸津は憔悴しきった様子で自室で食事を取っていた。
進まぬ箸を見かねて椿は、なんとか気力を取り戻してもらおうと声をかける。
「まだ、大丈夫です。姫様は取り戻せます。私はこの学園の皆を信じています。戸津さんもどうか、希望を失わないでください。」
差臼が千姫を手に入れたところで、彼女に危害を加える可能性は低い。
何故なら、堀殻、馬印堂両城と取引出来る最高の素材なのだ。
傷を付けるはずがない。
戸津に直接的な言葉はかけられなかったが、彼もまた、それを承知しているように見えた。
「……不思議ですね、あなたを見ていると何故か勇気付けられる。」
椿は笑って見せた。
依頼人である戸津には信じてもらわなければならない。
依頼をする者、それを受ける者、両者の間に信頼関係は欠かせない。
きっとそれは、今後の作戦を遂行する彼らの支えにもなるはずだから。
「それに戸津さんが信じていないと、千姫様も救われません。」
「……そうですね……」
戸津が千姫を案じるように、千姫もまた戸津に信頼を寄せている。
椿にはそう思えた。
自分にも、そういう相手がいたから。言葉にしなくても心が繋がっている相手がいたから。
「私は、姫様に幸せになって頂きたい。その一心でした。殿が決められたこと、姫様が心から首を縦に振っていないことはわかっていました。だから少しでも安心して頂けるように相手の城を調査したり、こうしてあなた方にご依頼申し上げたりしたのです。ですが……」
その拳が強く握られる。
静かに語りだした戸津の言葉を椿は聞いていた。
「ですが、それ自体が間違っていたのではないかと、別の道があったのではないかと、今となってはそう考えてしまうのです。」
別の道があった、間違っていた。
悔やむ言葉が胸に突き刺さる。
それはかつて自分も思っていたこと。
もしかすると神室も、そう悔やんだのかも知れない。だけど、
「それは、千姫様しか知り得ません。ですから、戸津さんがそう悔やむのなら、ちゃんと姫様と向き合わなくてはなりません。大丈夫、姫様は強いお方。それは戸津さんの方がご存じでしょう?そのためにも必ず取り戻しましょう!」
「椿さん……」
「まずはしっかり食べて、元気を出してください!じゃないと動けませんよ!」
椿の明るい笑顔に戸津の瞳に光が宿る。
「はは……まるで姫様に叱られているようですな。」
彼の緩めた表情に、少しだけ希望の兆しが見えた気がした。
戸津の部屋を出て食堂へ戻る途中、見かけたその背に椿は足を止めた。
「伊作、留三郎。」
私服姿の彼らは椿の声に反応して振り返る。
「椿ちゃん」
「二人とも、どこかへ行くの?」
今の状況を考えれば、彼らが私用で外に行くとは考えにくい。
無意識に顔に緊張を映し出した彼女に、伊作は柔らかく微笑んだ。
「大丈夫、手紙を届けてくるだけだから。」
「手紙って……まさか……」
それ以上のことは口に出来ない。
伊作が申し訳なさそうに眉を寄せたから。
昨日学園長が言っていた遣いの件だろう。
夜遅くにも関わらず、戸津が学園長室へ案内されたことを考えると恐らく……
「……気を付けてね。」
「うん。」
「お前の方こそ、大丈夫なのかよ?」
「私は、大丈夫。」
彼らの方が大変なのだ、これ以上心配をかけられない。
覗き込む留三郎に返事を返すが、彼は椿の眉間に人差し指を当ててグリグリと押す。
「痛いよ、留三郎。」
「もう無理してるって顔してんぞ?」
隠したつもりで隠せていなかったようだ。
そうでなくても彼らは下の学年の面倒をよく見ている。
だから些細な変化にも気づきやすいのかも知れない。
「椿」
「?」
「らしくないぞ。お前はここにいて笑っていてくれないとな。」
留三郎が笑って見せる。
張っていた気が緩まるように、彼の笑顔に引き寄せられた。
「……うん!そうだね。」
忍術学園を離れるのは伊作と留三郎だけではなかった。
「ん?お前たち、まだいたのか?」
その声に振り返るとそこにいたのは、文次郎と仙蔵だ。
私服姿の二人に椿はまさか…と顔に出す。
彼女の言いたいことを汲み取った仙蔵は、伊作が先程言ったことを繰り返した。
「仙蔵たちも手紙を…?」
「ああ。伊作たちとは別だがな。」
「遅かったじゃないか、日が暮れるかと思ったぞ?」
「そういうお前こそ、いつまでもこんなところで油売ってるじゃないか。」
留三郎が文次郎に喧嘩を吹っ掛ける。
売られた喧嘩は買うのがこの二人。
伊作が言い争いをやめさせようと間に入っている。
「うるせえな、ちょっと椿と話してただけじゃないか!遅いお前にとやかく言われる筋合いないわ!」
「おうおう、良く吠えるこった。俺たちは色々準備があんだよ!お前たちみたいに簡単な忍務じゃねぇからな!」
「言わせておけば!こっちのが遠くまで行くんだ、大変さは変わらんだろが!お前こそ、下手こかないように精々頑張れよ。」
「遠いなら尚更、さっさと行けよ!言っとくがな、先に忍務完了するのは俺たちだ。学園の足を引っ張らないようにしっかりやれよ。」
「何だと~!?」
「何だよ!?」
「二人とも、やめ…」
「いい加減にしなさーい!!」
伊作の台詞に被せて椿が文次郎と留三郎を叱る。
二人は驚いて彼女を見た。
「そんなこと言ってるバヤイじゃないでしょ!文次郎も留三郎も、それぞれ大事なお仕事なんだから!どっちが大変とか大変じゃないとかないんです!どっちも任された仕事なんだから、つべこべ言わない!」
椿の迫力にしばしの沈黙が流れる。
と、文次郎と留三郎はニカッと笑った。
「いつもの椿だな。」
「やっぱり、お前はこうでなくちゃな。」
「え?」
笑顔の二人に拍子抜けする。
仙蔵が優しく椿に告げた。
「一芝居打った、ということだな。」
「椿ちゃん、元気なさそうだったから。ごめんね。」
「仙蔵、伊作…」
騙されたと恥じる気持ちもあるが、皆が自分のために一肌脱いだということがじわりと胸に広がる。
「……もう、」
助けられてばかりだな。皆、歳下のはずなのに。
不甲斐ないけど、時にそれは救われるものだとわかった。
だから、椿も笑顔を返す。
「ありがとう。」
「おーい!お前たち、まだいたのか!」
遠くから聞こえた声を確認すると、こちらに向かってくるのは小平太と長次。
「なにやってたんだ?もうとっくに出発したと思っていたぞ。」
「ああ、今行くところだ。」
小平太と長次はいつもの忍装束だった。
椿は長次に問いかける。
「二人は行かないの?」
「……私たちはまた別にやることがある。」
どうやら六年生は、組毎に請け負う忍務が違うらしい。
文次郎と仙蔵を西へ、留三郎と伊作を東へ見送る。
残された小平太と長次は五年生数名と合流して学園の外へと行ってしまった。
皆、やるべきことがあって、それを頑張っている。
私は?……私は、何をすればいいんだろう?
先日の作戦には多少強引に参加する形になったが、もう学園長に直談判したところで叶わないかも知れない。
戸津の後ろ盾もない。
伊作が忍務の内容を話さなかったのはきっと、学園長に口止めされているからなのだろう。
千姫を一刻も早く救い出さなければならないのに、その方法が思いつかずに途方に暮れる。
「……はぁ…」
千姫は今頃どうなっているのだろう?
差臼の城に囚われてしまったのだろうか?
危害を加えられていなければいいが……
折角皆が元気づけてくれたのに、一人になると悪いことばかり考えてしまう。
「椿姫」
不意に聞こえた声に辺りを見回した。
落ち着いた低音、自分のことを”椿姫”と呼ぶのは一人しかいない。
少しの緊張が走る。
「こっちだよ。」
そう言われて見上げた塀の上。
木の陰に隠れるようにしてその人物が平然と佇む。
「……雑渡さん?……あっ」
何故雑渡が現れたのかはわからない。
だが今の状況で誰かに見つかると不味いのでは?
そう思った椿は小声で雑渡に訴えたが、まるで自分のことなど気にしていないように彼は普通に答える。
「私のことを気にしてくれてありがとう。だが無用だ。今日は君に頼みがあって来たんだが。」
雑渡には恩がある。
牛車の中から助けてもらったこと、千姫の危機を教えて貰ったこと。
学園の大半は今回の件に関して、タソガレドキを快く思っていないだろう。
だけど椿は違う。
だから雑渡の助けになるのなら、その願いを聞き届けたい。
「なんでしょうか?」
「うん。これに雑炊を詰めてくれないかな?」
そう言って放り投げた竹筒を危うく落としかけながらもギリギリで受け取った。
あまりにも簡単で、平常時と変わらない頼み事に呆気を取られる。
「はい、すぐに!」
急いで厨房内に入るとおばちゃんに雑炊があるかの確認をした。
おばちゃんは驚いた顔をしたが、椿が持っている竹筒を見るとすぐに準備に取り掛かる。
今朝炊いた白飯が少しばかり残っていたので小さな土鍋に出汁を煮て調味をし、卵も入れた。
椿が雑炊を要求したこと、おばちゃんは詳しくは聞かなかったがなんとなく事情を察してくれているようだった。
恐らく、こうして椿が雑炊を求める以前にも同じことがあったのだろう。
敵か味方か、その判断はできない。
でも食事を必要としている人がいるなら、食堂のおばちゃんとして行動するのみだと、何も言わない背中に椿は嬉しくなる。
「できたわよ、椿ちゃん。」
湯気が立ち上る土鍋の中、美味しそうな匂いのするそれを椿は竹筒に流し込む。
「ありがとう、おばちゃん!」
蓋を閉めると大事そうに抱えて雑渡の元へ急いだ。
周囲に気をつけながら雑渡の名を呼ぶ。
木の陰から現れた彼は、椿の持っている竹筒を投げ渡すように指示をする。
少し自信がなかったが、思い切って高く放り投げると彼は上手く受け取ってくれた。
ありがとうと言ってそのまま口を付けようとするので、熱いですよと忠告するが間に合わなかったようだ。
一口含んだ雑渡は口を動かして平然と食べている様子で、旨いが熱い…と一言零した。
「だから熱いと言いましたのに。」
「……ん?」
「どうかしましたか?」
「いや、卵が入っているなと思っただけだ。旨い。ありがとう。」
その言葉に安心したように笑う椿に、雑渡は目を細める。
「あの、雑渡さん」
椿は思い切って雑渡に問う。
あの時、何故千姫の状況を伝えてくれたのか。
どうしてそれを知っていたのか。
もし雑渡が敵であるならばそんな情報をもたらすのは不自然だと思った。
だが同時に少しの恐怖で体が強張った。
牛車を率いた忍たまの列を襲撃したのもまた、タソガレドキであったからだ。
意図はわからない。でも何か事情があったのだろうと椿は雑渡を責めたりはしなかった。
「……椿姫」
沈黙の後、雑渡は口を開く。
「何を言っているのか、わからないな。私が君に情報を与えたと?それは違う。私は君に忠告しただけだ。相手を見間違えるなと。」
「っ……」
突き放すような雑渡の口調に焦り過ぎてしまったと思った。
振り返れば、雑渡は”千姫”とは一言も言っていなかった。
ただ彼の言葉から導き出したことが千姫に繋がっただけで、全て椿が勝手に思ったことだった。
千姫を救いたい気持ちが先走り、学園にとって知られては不味いことを言ったかも知れない。
血の気が引き、顔が青ざめる。
「……だが、そうだな。一つ、君に言うとすれば、”我々の敵もまた、君たちではない”と言うことかな。君が今言ったことも、私はよく聞こえなかった。それだけだ。」
「雑渡さん…」
また来ると言いながら雑渡は竹筒を見せ、そのまま学園の塀の向こうに姿を消した。
タソガレドキの敵は、忍術学園ではない。
それだけで少し緊張が解ける。
椿には雑渡の言葉を信用出来る根拠があった。
「雑炊、食べてくれた……」
まだ知り合って間もない雑渡と椿。
だが彼は椿が差し出したものを口にした。
中に入っているものも言い当てた。
それはつまり、自分を信じてくれているということ。
良かった、安心した、雑渡に信じて貰えたと椿の胸は温かくなる。
だから自分も信じたい。
雑渡のあの言葉は間違いなく千姫を差していたのだと。
訳あって本当のことは言えないのだろう。
「あれ?待って、それなら……」
タソガレドキが介入した今回の件、彼らが忍術学園を敵ではないというのなら、その相手と言うのはもしかして……
……いや、また憶測で動くのはよそう。
少なくとも雑渡らがこちらに害をなす存在ではないと知れたのだ。
今は、それだけで十分だ。
「竹谷せんぱーい!」
八左ヱ門を呼ぶ下級生の声。
ふとそちらを確認すると、一年は組の虎若と三次郎だ。
気になった椿は二人にどうしたのかと声をかけた。
どうやら困ったことが起きて生物委員会委員長である八左ヱ門を探しているらしい。
先程小平太たちと飛び出して行った五年生の中に、八左ヱ門の姿はなかったはずだ。
椿は二人と一緒に八左ヱ門を探すことにした。
彼はすぐに見つかった。
駆け寄る虎若たちに倣って椿も何があったのかを確認する。
「竹谷先輩、キジコが逃げました!」
「なんだって!?こんな時に!?」
どうやら生物委員会で飼育している何かが逃げたらしい。
「でも大変なのはそれではなくて、キジコの入っていた金網が破られているということなんです!」
これを聞いた八左ヱ門は顔色を変えた。
金網が破られている…生物を管理しているそれは、中にいる対象物には壊すことなど出来ないはずだ。
生態を理解している八左ヱ門たちなら、それぞれの個体にあった小屋を用意するはずだろう。
詳しい状況を確認するために一行は生物委員会所有の小屋へ向かった。
現場に着くと、そこに立ち尽くしていた孫兵がこちらに気付く。
「孫兵、どういうことだ?」
「竹谷先輩、まずはこれを見てください。」
孫兵が指さす先には、虎若たちが言ったように破られた金網。
中は空で何もいない。
「……これは……」
「キジコの入っていた部屋です。ですが、金網の状態を見るに、キジコが破ったとは考えられません。」
「そうだな…」
椿はそっと三次郎に耳打ちする。
「ねえ、キジコって?」
「鳩のキジコです。ここに一羽だけ入れていたのですが…」
「鳩なのに、”キジ”なの?」
キジコと言うから雉を想像していたが、あんな大型の鳥類を学園内で飼育するのは難しいだろうと思っていた。
それが鳩だと言うから少々拍子抜けである。
「椿さん、キジコはキジバトです。ちなみにそこらへんで豆をつついているのとは種類が違います。あれは土鳩です。一か月前に怪我をしていたところを保護したのですが、伊賀崎先輩に懐いてしまって。なかなか外に出ない子だったんですけどね。」
キジバトならだいたい一尺程の大きさだ。
だったら尚更、金網を破ることなど出来はしない。
改めてそれを確かめる。
金網は鉄製、細い金具が格子状に張り巡らされている。
だが決して頑丈なものでもなく、強い力が加わると人の手でも破ることは可能だろう。
中からも外からも見通しが良く、かといってその隙間から出入りすることは出来ない。
八左ヱ門と孫平が状況を分析していた。
キジコが逃げたと思われる穴、金網が切断されて押し広げられている。
「注目すべきはここです。」
孫兵が指したのは破られた部分。
金網が小屋の内側に向かって圧力がかかり曲げられている。
「つまり、破ったのは外側からの力によるものと判断出来るな。」
八左ヱ門はこれを発見した時の状況を詳しく聞いた。
始めにこれを見つけたのは一平だった。
今朝の餌当番だった一平が破られた金網と、キジコの失踪を確認したのだ。
では前日はどうだったのか?
「昨日は孫次郎が当番でした。ですが、キジコが中にいたことは確認しております。」
孫兵が孫次郎に目をやると、確かにいましたと頷いた。
だとすると、人の目がない昨夜から今朝にかけてキジコは姿を消したということになる。
外部の侵入者に小松田が反応した様子はなく、だとすると内部の誰かということになるが…
上級生は昨日千姫の作戦に参加していたため、例えば小平太あたりが誤って金網を破ってしまったなどということも考えにくい。
こんな忙しい時に……
八左ヱ門は正直なため息を吐いた。
「竹谷先輩…」
「……一先ず、俺たちは優先すべきことがある。みんなは手が空いていたら、キジコの捜索にあたってくれ。このことは木下先生と共有しておく。」
「わかりました。」
「私も、探しておくね。」
「椿さん…ありがとうございます。」
できることは多くはない。でも、できることがあるならそれをしたいと思った。
やがて生物委員たちも散りになり、この場に足を止める者はいなくなった。
椿も近場の草むらなどを覗き込み、キジコの捜索にあたった。
探すと言っても学園の外に出ることは出来ないうえに、キジコは鳥類だ。
飛び立ってしまったならどうにも探しようがない。
それを知っているから生物委員たちは懸命の捜索とまではいかないようだった。
「キジコ~」
「椿」
一人で探していた椿は自分を呼ぶ声に反応する。
「……樒ちゃん」
振り返った先にいたのは樒だった。
心配そうに椿を見つめている。
「皆、行ったようだな。」
樒は上級生がいなくなったのを察したのだろう。
姿が見えない下級生も、上の指示を待っているのだろうか。
誰の姿も見えなかった。
「うん……私、残されちゃった。もう参加するのは無理みたい。」
椿は少し無理をして明るく振る舞った。
何も知らない樒にまで心配をかけるわけにはいかない。
「でもわかってるの、皆は忍者の卵、私とは違って出来ることがたくさんある。気になるし心配もするけど、きっと皆は上手くやってくれる。だから、私は待つしかないの。」
「……今は何を?」
「飼育されていた鳩が逃げてしまったみたいで。探していたんだ。」
と、口にしたところで気が付いた。
残された客人は戸津だけではない。
樒も、本来は学園外の人間。
記憶を失っているが、帰る場所を探すと約束していたのだ。
「あ、ごめんね!樒ちゃんの記憶も戻さなきゃならないのにバタバタしてて……」
「椿、そのことだが…」
「?」
「少し、思い出したことがある。いや、思い出したというか知ってしまったというか…」
「え!?本当!?なに、どんなこと!?」
樒の言葉に胸が高鳴った。
もしかしたら彼女は自分の帰る場所に帰れるのかも知れない。
椿にとってそれは喜ばしいことであった。
が、同時に少しだけ寂しい気持ちになる。
せっかく、お友達になれたのに……
樒がここに来てから話し相手ができたようで嬉しかった。
帰らなければならないのに、樒と過ごす日々が心地良くてずっとこうならばいいのにと思ってしまった自分がいる。
だけどそれは椿の我儘であって、樒が望んでいることではない。
「……私は……」
「うん。」
「……………………」
樒は続く言葉がなかなか出てこない。
思い出したばかりで混乱しているのだろうか、椿は彼女が話してくれるのを待った。
樒の唇がゆっくりと動く。
だが発せられたその言葉の意味を椿が理解するのには、しばしの時間が必要だった。
「私は………………差臼の人間だ。」
中の様子が気になるが、椿がそこに加わることは出来なかった。
唯一残されてしまった客人、戸津は憔悴しきった様子で自室で食事を取っていた。
進まぬ箸を見かねて椿は、なんとか気力を取り戻してもらおうと声をかける。
「まだ、大丈夫です。姫様は取り戻せます。私はこの学園の皆を信じています。戸津さんもどうか、希望を失わないでください。」
差臼が千姫を手に入れたところで、彼女に危害を加える可能性は低い。
何故なら、堀殻、馬印堂両城と取引出来る最高の素材なのだ。
傷を付けるはずがない。
戸津に直接的な言葉はかけられなかったが、彼もまた、それを承知しているように見えた。
「……不思議ですね、あなたを見ていると何故か勇気付けられる。」
椿は笑って見せた。
依頼人である戸津には信じてもらわなければならない。
依頼をする者、それを受ける者、両者の間に信頼関係は欠かせない。
きっとそれは、今後の作戦を遂行する彼らの支えにもなるはずだから。
「それに戸津さんが信じていないと、千姫様も救われません。」
「……そうですね……」
戸津が千姫を案じるように、千姫もまた戸津に信頼を寄せている。
椿にはそう思えた。
自分にも、そういう相手がいたから。言葉にしなくても心が繋がっている相手がいたから。
「私は、姫様に幸せになって頂きたい。その一心でした。殿が決められたこと、姫様が心から首を縦に振っていないことはわかっていました。だから少しでも安心して頂けるように相手の城を調査したり、こうしてあなた方にご依頼申し上げたりしたのです。ですが……」
その拳が強く握られる。
静かに語りだした戸津の言葉を椿は聞いていた。
「ですが、それ自体が間違っていたのではないかと、別の道があったのではないかと、今となってはそう考えてしまうのです。」
別の道があった、間違っていた。
悔やむ言葉が胸に突き刺さる。
それはかつて自分も思っていたこと。
もしかすると神室も、そう悔やんだのかも知れない。だけど、
「それは、千姫様しか知り得ません。ですから、戸津さんがそう悔やむのなら、ちゃんと姫様と向き合わなくてはなりません。大丈夫、姫様は強いお方。それは戸津さんの方がご存じでしょう?そのためにも必ず取り戻しましょう!」
「椿さん……」
「まずはしっかり食べて、元気を出してください!じゃないと動けませんよ!」
椿の明るい笑顔に戸津の瞳に光が宿る。
「はは……まるで姫様に叱られているようですな。」
彼の緩めた表情に、少しだけ希望の兆しが見えた気がした。
戸津の部屋を出て食堂へ戻る途中、見かけたその背に椿は足を止めた。
「伊作、留三郎。」
私服姿の彼らは椿の声に反応して振り返る。
「椿ちゃん」
「二人とも、どこかへ行くの?」
今の状況を考えれば、彼らが私用で外に行くとは考えにくい。
無意識に顔に緊張を映し出した彼女に、伊作は柔らかく微笑んだ。
「大丈夫、手紙を届けてくるだけだから。」
「手紙って……まさか……」
それ以上のことは口に出来ない。
伊作が申し訳なさそうに眉を寄せたから。
昨日学園長が言っていた遣いの件だろう。
夜遅くにも関わらず、戸津が学園長室へ案内されたことを考えると恐らく……
「……気を付けてね。」
「うん。」
「お前の方こそ、大丈夫なのかよ?」
「私は、大丈夫。」
彼らの方が大変なのだ、これ以上心配をかけられない。
覗き込む留三郎に返事を返すが、彼は椿の眉間に人差し指を当ててグリグリと押す。
「痛いよ、留三郎。」
「もう無理してるって顔してんぞ?」
隠したつもりで隠せていなかったようだ。
そうでなくても彼らは下の学年の面倒をよく見ている。
だから些細な変化にも気づきやすいのかも知れない。
「椿」
「?」
「らしくないぞ。お前はここにいて笑っていてくれないとな。」
留三郎が笑って見せる。
張っていた気が緩まるように、彼の笑顔に引き寄せられた。
「……うん!そうだね。」
忍術学園を離れるのは伊作と留三郎だけではなかった。
「ん?お前たち、まだいたのか?」
その声に振り返るとそこにいたのは、文次郎と仙蔵だ。
私服姿の二人に椿はまさか…と顔に出す。
彼女の言いたいことを汲み取った仙蔵は、伊作が先程言ったことを繰り返した。
「仙蔵たちも手紙を…?」
「ああ。伊作たちとは別だがな。」
「遅かったじゃないか、日が暮れるかと思ったぞ?」
「そういうお前こそ、いつまでもこんなところで油売ってるじゃないか。」
留三郎が文次郎に喧嘩を吹っ掛ける。
売られた喧嘩は買うのがこの二人。
伊作が言い争いをやめさせようと間に入っている。
「うるせえな、ちょっと椿と話してただけじゃないか!遅いお前にとやかく言われる筋合いないわ!」
「おうおう、良く吠えるこった。俺たちは色々準備があんだよ!お前たちみたいに簡単な忍務じゃねぇからな!」
「言わせておけば!こっちのが遠くまで行くんだ、大変さは変わらんだろが!お前こそ、下手こかないように精々頑張れよ。」
「遠いなら尚更、さっさと行けよ!言っとくがな、先に忍務完了するのは俺たちだ。学園の足を引っ張らないようにしっかりやれよ。」
「何だと~!?」
「何だよ!?」
「二人とも、やめ…」
「いい加減にしなさーい!!」
伊作の台詞に被せて椿が文次郎と留三郎を叱る。
二人は驚いて彼女を見た。
「そんなこと言ってるバヤイじゃないでしょ!文次郎も留三郎も、それぞれ大事なお仕事なんだから!どっちが大変とか大変じゃないとかないんです!どっちも任された仕事なんだから、つべこべ言わない!」
椿の迫力にしばしの沈黙が流れる。
と、文次郎と留三郎はニカッと笑った。
「いつもの椿だな。」
「やっぱり、お前はこうでなくちゃな。」
「え?」
笑顔の二人に拍子抜けする。
仙蔵が優しく椿に告げた。
「一芝居打った、ということだな。」
「椿ちゃん、元気なさそうだったから。ごめんね。」
「仙蔵、伊作…」
騙されたと恥じる気持ちもあるが、皆が自分のために一肌脱いだということがじわりと胸に広がる。
「……もう、」
助けられてばかりだな。皆、歳下のはずなのに。
不甲斐ないけど、時にそれは救われるものだとわかった。
だから、椿も笑顔を返す。
「ありがとう。」
「おーい!お前たち、まだいたのか!」
遠くから聞こえた声を確認すると、こちらに向かってくるのは小平太と長次。
「なにやってたんだ?もうとっくに出発したと思っていたぞ。」
「ああ、今行くところだ。」
小平太と長次はいつもの忍装束だった。
椿は長次に問いかける。
「二人は行かないの?」
「……私たちはまた別にやることがある。」
どうやら六年生は、組毎に請け負う忍務が違うらしい。
文次郎と仙蔵を西へ、留三郎と伊作を東へ見送る。
残された小平太と長次は五年生数名と合流して学園の外へと行ってしまった。
皆、やるべきことがあって、それを頑張っている。
私は?……私は、何をすればいいんだろう?
先日の作戦には多少強引に参加する形になったが、もう学園長に直談判したところで叶わないかも知れない。
戸津の後ろ盾もない。
伊作が忍務の内容を話さなかったのはきっと、学園長に口止めされているからなのだろう。
千姫を一刻も早く救い出さなければならないのに、その方法が思いつかずに途方に暮れる。
「……はぁ…」
千姫は今頃どうなっているのだろう?
差臼の城に囚われてしまったのだろうか?
危害を加えられていなければいいが……
折角皆が元気づけてくれたのに、一人になると悪いことばかり考えてしまう。
「椿姫」
不意に聞こえた声に辺りを見回した。
落ち着いた低音、自分のことを”椿姫”と呼ぶのは一人しかいない。
少しの緊張が走る。
「こっちだよ。」
そう言われて見上げた塀の上。
木の陰に隠れるようにしてその人物が平然と佇む。
「……雑渡さん?……あっ」
何故雑渡が現れたのかはわからない。
だが今の状況で誰かに見つかると不味いのでは?
そう思った椿は小声で雑渡に訴えたが、まるで自分のことなど気にしていないように彼は普通に答える。
「私のことを気にしてくれてありがとう。だが無用だ。今日は君に頼みがあって来たんだが。」
雑渡には恩がある。
牛車の中から助けてもらったこと、千姫の危機を教えて貰ったこと。
学園の大半は今回の件に関して、タソガレドキを快く思っていないだろう。
だけど椿は違う。
だから雑渡の助けになるのなら、その願いを聞き届けたい。
「なんでしょうか?」
「うん。これに雑炊を詰めてくれないかな?」
そう言って放り投げた竹筒を危うく落としかけながらもギリギリで受け取った。
あまりにも簡単で、平常時と変わらない頼み事に呆気を取られる。
「はい、すぐに!」
急いで厨房内に入るとおばちゃんに雑炊があるかの確認をした。
おばちゃんは驚いた顔をしたが、椿が持っている竹筒を見るとすぐに準備に取り掛かる。
今朝炊いた白飯が少しばかり残っていたので小さな土鍋に出汁を煮て調味をし、卵も入れた。
椿が雑炊を要求したこと、おばちゃんは詳しくは聞かなかったがなんとなく事情を察してくれているようだった。
恐らく、こうして椿が雑炊を求める以前にも同じことがあったのだろう。
敵か味方か、その判断はできない。
でも食事を必要としている人がいるなら、食堂のおばちゃんとして行動するのみだと、何も言わない背中に椿は嬉しくなる。
「できたわよ、椿ちゃん。」
湯気が立ち上る土鍋の中、美味しそうな匂いのするそれを椿は竹筒に流し込む。
「ありがとう、おばちゃん!」
蓋を閉めると大事そうに抱えて雑渡の元へ急いだ。
周囲に気をつけながら雑渡の名を呼ぶ。
木の陰から現れた彼は、椿の持っている竹筒を投げ渡すように指示をする。
少し自信がなかったが、思い切って高く放り投げると彼は上手く受け取ってくれた。
ありがとうと言ってそのまま口を付けようとするので、熱いですよと忠告するが間に合わなかったようだ。
一口含んだ雑渡は口を動かして平然と食べている様子で、旨いが熱い…と一言零した。
「だから熱いと言いましたのに。」
「……ん?」
「どうかしましたか?」
「いや、卵が入っているなと思っただけだ。旨い。ありがとう。」
その言葉に安心したように笑う椿に、雑渡は目を細める。
「あの、雑渡さん」
椿は思い切って雑渡に問う。
あの時、何故千姫の状況を伝えてくれたのか。
どうしてそれを知っていたのか。
もし雑渡が敵であるならばそんな情報をもたらすのは不自然だと思った。
だが同時に少しの恐怖で体が強張った。
牛車を率いた忍たまの列を襲撃したのもまた、タソガレドキであったからだ。
意図はわからない。でも何か事情があったのだろうと椿は雑渡を責めたりはしなかった。
「……椿姫」
沈黙の後、雑渡は口を開く。
「何を言っているのか、わからないな。私が君に情報を与えたと?それは違う。私は君に忠告しただけだ。相手を見間違えるなと。」
「っ……」
突き放すような雑渡の口調に焦り過ぎてしまったと思った。
振り返れば、雑渡は”千姫”とは一言も言っていなかった。
ただ彼の言葉から導き出したことが千姫に繋がっただけで、全て椿が勝手に思ったことだった。
千姫を救いたい気持ちが先走り、学園にとって知られては不味いことを言ったかも知れない。
血の気が引き、顔が青ざめる。
「……だが、そうだな。一つ、君に言うとすれば、”我々の敵もまた、君たちではない”と言うことかな。君が今言ったことも、私はよく聞こえなかった。それだけだ。」
「雑渡さん…」
また来ると言いながら雑渡は竹筒を見せ、そのまま学園の塀の向こうに姿を消した。
タソガレドキの敵は、忍術学園ではない。
それだけで少し緊張が解ける。
椿には雑渡の言葉を信用出来る根拠があった。
「雑炊、食べてくれた……」
まだ知り合って間もない雑渡と椿。
だが彼は椿が差し出したものを口にした。
中に入っているものも言い当てた。
それはつまり、自分を信じてくれているということ。
良かった、安心した、雑渡に信じて貰えたと椿の胸は温かくなる。
だから自分も信じたい。
雑渡のあの言葉は間違いなく千姫を差していたのだと。
訳あって本当のことは言えないのだろう。
「あれ?待って、それなら……」
タソガレドキが介入した今回の件、彼らが忍術学園を敵ではないというのなら、その相手と言うのはもしかして……
……いや、また憶測で動くのはよそう。
少なくとも雑渡らがこちらに害をなす存在ではないと知れたのだ。
今は、それだけで十分だ。
「竹谷せんぱーい!」
八左ヱ門を呼ぶ下級生の声。
ふとそちらを確認すると、一年は組の虎若と三次郎だ。
気になった椿は二人にどうしたのかと声をかけた。
どうやら困ったことが起きて生物委員会委員長である八左ヱ門を探しているらしい。
先程小平太たちと飛び出して行った五年生の中に、八左ヱ門の姿はなかったはずだ。
椿は二人と一緒に八左ヱ門を探すことにした。
彼はすぐに見つかった。
駆け寄る虎若たちに倣って椿も何があったのかを確認する。
「竹谷先輩、キジコが逃げました!」
「なんだって!?こんな時に!?」
どうやら生物委員会で飼育している何かが逃げたらしい。
「でも大変なのはそれではなくて、キジコの入っていた金網が破られているということなんです!」
これを聞いた八左ヱ門は顔色を変えた。
金網が破られている…生物を管理しているそれは、中にいる対象物には壊すことなど出来ないはずだ。
生態を理解している八左ヱ門たちなら、それぞれの個体にあった小屋を用意するはずだろう。
詳しい状況を確認するために一行は生物委員会所有の小屋へ向かった。
現場に着くと、そこに立ち尽くしていた孫兵がこちらに気付く。
「孫兵、どういうことだ?」
「竹谷先輩、まずはこれを見てください。」
孫兵が指さす先には、虎若たちが言ったように破られた金網。
中は空で何もいない。
「……これは……」
「キジコの入っていた部屋です。ですが、金網の状態を見るに、キジコが破ったとは考えられません。」
「そうだな…」
椿はそっと三次郎に耳打ちする。
「ねえ、キジコって?」
「鳩のキジコです。ここに一羽だけ入れていたのですが…」
「鳩なのに、”キジ”なの?」
キジコと言うから雉を想像していたが、あんな大型の鳥類を学園内で飼育するのは難しいだろうと思っていた。
それが鳩だと言うから少々拍子抜けである。
「椿さん、キジコはキジバトです。ちなみにそこらへんで豆をつついているのとは種類が違います。あれは土鳩です。一か月前に怪我をしていたところを保護したのですが、伊賀崎先輩に懐いてしまって。なかなか外に出ない子だったんですけどね。」
キジバトならだいたい一尺程の大きさだ。
だったら尚更、金網を破ることなど出来はしない。
改めてそれを確かめる。
金網は鉄製、細い金具が格子状に張り巡らされている。
だが決して頑丈なものでもなく、強い力が加わると人の手でも破ることは可能だろう。
中からも外からも見通しが良く、かといってその隙間から出入りすることは出来ない。
八左ヱ門と孫平が状況を分析していた。
キジコが逃げたと思われる穴、金網が切断されて押し広げられている。
「注目すべきはここです。」
孫兵が指したのは破られた部分。
金網が小屋の内側に向かって圧力がかかり曲げられている。
「つまり、破ったのは外側からの力によるものと判断出来るな。」
八左ヱ門はこれを発見した時の状況を詳しく聞いた。
始めにこれを見つけたのは一平だった。
今朝の餌当番だった一平が破られた金網と、キジコの失踪を確認したのだ。
では前日はどうだったのか?
「昨日は孫次郎が当番でした。ですが、キジコが中にいたことは確認しております。」
孫兵が孫次郎に目をやると、確かにいましたと頷いた。
だとすると、人の目がない昨夜から今朝にかけてキジコは姿を消したということになる。
外部の侵入者に小松田が反応した様子はなく、だとすると内部の誰かということになるが…
上級生は昨日千姫の作戦に参加していたため、例えば小平太あたりが誤って金網を破ってしまったなどということも考えにくい。
こんな忙しい時に……
八左ヱ門は正直なため息を吐いた。
「竹谷先輩…」
「……一先ず、俺たちは優先すべきことがある。みんなは手が空いていたら、キジコの捜索にあたってくれ。このことは木下先生と共有しておく。」
「わかりました。」
「私も、探しておくね。」
「椿さん…ありがとうございます。」
できることは多くはない。でも、できることがあるならそれをしたいと思った。
やがて生物委員たちも散りになり、この場に足を止める者はいなくなった。
椿も近場の草むらなどを覗き込み、キジコの捜索にあたった。
探すと言っても学園の外に出ることは出来ないうえに、キジコは鳥類だ。
飛び立ってしまったならどうにも探しようがない。
それを知っているから生物委員たちは懸命の捜索とまではいかないようだった。
「キジコ~」
「椿」
一人で探していた椿は自分を呼ぶ声に反応する。
「……樒ちゃん」
振り返った先にいたのは樒だった。
心配そうに椿を見つめている。
「皆、行ったようだな。」
樒は上級生がいなくなったのを察したのだろう。
姿が見えない下級生も、上の指示を待っているのだろうか。
誰の姿も見えなかった。
「うん……私、残されちゃった。もう参加するのは無理みたい。」
椿は少し無理をして明るく振る舞った。
何も知らない樒にまで心配をかけるわけにはいかない。
「でもわかってるの、皆は忍者の卵、私とは違って出来ることがたくさんある。気になるし心配もするけど、きっと皆は上手くやってくれる。だから、私は待つしかないの。」
「……今は何を?」
「飼育されていた鳩が逃げてしまったみたいで。探していたんだ。」
と、口にしたところで気が付いた。
残された客人は戸津だけではない。
樒も、本来は学園外の人間。
記憶を失っているが、帰る場所を探すと約束していたのだ。
「あ、ごめんね!樒ちゃんの記憶も戻さなきゃならないのにバタバタしてて……」
「椿、そのことだが…」
「?」
「少し、思い出したことがある。いや、思い出したというか知ってしまったというか…」
「え!?本当!?なに、どんなこと!?」
樒の言葉に胸が高鳴った。
もしかしたら彼女は自分の帰る場所に帰れるのかも知れない。
椿にとってそれは喜ばしいことであった。
が、同時に少しだけ寂しい気持ちになる。
せっかく、お友達になれたのに……
樒がここに来てから話し相手ができたようで嬉しかった。
帰らなければならないのに、樒と過ごす日々が心地良くてずっとこうならばいいのにと思ってしまった自分がいる。
だけどそれは椿の我儘であって、樒が望んでいることではない。
「……私は……」
「うん。」
「……………………」
樒は続く言葉がなかなか出てこない。
思い出したばかりで混乱しているのだろうか、椿は彼女が話してくれるのを待った。
樒の唇がゆっくりと動く。
だが発せられたその言葉の意味を椿が理解するのには、しばしの時間が必要だった。
「私は………………差臼の人間だ。」