お宅訪問大作戦!(木下鉄丸)

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どうして、と聞かれて簡単に答えられる程軽い感情じゃない。
その、どうしてがわからず、答えが出せなかったり苦しんだりすることだってある。
だが答えなんてきっと、それだけのことなのと驚かれるくらい単純だったりする。
だから結局、人は理論として語れる程の答えを持ち合わせてはいないのかも知れない。
殊に、この感情に至っては。

他の人とは明らかに違ったんだ。
最初は本当にそんな小さなこと。
だけど私にとっては大きいことだった。
気付いた時には先生を目で追っていた。

その感情に気付くのに時間はかからなかった。
ただ、戸惑った。迷った。
相手は倍以上も歳が上だった。
彼にとって自分は他の生徒と然程変わらないのだろう。
だからかも知れない、些細な出来事、それが特別な扱いを受けていないのだとわかったのは。






お宅訪問大作戦!







平和な日常そのもの、ここ忍術学園に天を切り裂き地が割れる程の絶叫が響いた。
その叫びは仰天と興奮、そしてなにより悲鳴が入り混じったものだった。
部屋の外にも聴こえるようなその声を出した二人の口を塞ぐのは容易くなく、椿は口の前に指を立てて静かにするように必死に訴えた。


「二人とも、静かに!」


極力小声でなだめるように言うと、はっと気付くように勘右衛門と兵助は自らの手で口を覆う。
幸いにもここ、表に尾浜久々知と書かれた札のある部屋に訪れる者はいなく、椿はほっと胸を撫で下ろす。
勘右衛門と兵助は一息ついて自らを落ち着けると互いに視線を交わして意を決したような顔で椿を見た。


「…………い、今の話は、本当ですか………?」


冗談であって欲しいと思っていたのかも知れない、或いは聞き間違いであって欲しいと。
それくらい彼女が発した言葉は二人に衝撃を与えたのだ。
だがそんな祈りも虚しく、椿は変わらない真剣な瞳を二人に向ける。


「うん、本当だよ。」

「本当の、本当に?」

「うん、本当の本当。」

「なんで……、」

「私、木下先生が好きなの!」


さすがは忍たま、再び聞こえたその事実に今度は声を発することなく受け止めた。
というよりは、認めたくないが故に二人は心を閉ざしたように固まり彼女の言葉の受け取りを拒否した。

椿さんが……木下先生を……?
木下先生というのは……………あの、木下先生?
他にいたか?木下先生が……
え…………………ええ??

二人の反応を大方予想していた椿は、彼らが冷静さを取り戻すまで少しの時間を待った。
やがて二人に生気が戻ってくると、静かな口調で語りかける。


「驚かせてしまってごめんなさい。だけど本当なの、私、木下先生が好き。好きなの。」

「………」

「だから、だからね……二人なら知ってるかと思って相談したくて。木下先生の、こと……」


ああ、なるほど。
話がだいたい読めた勘右衛門はそっと隣りの兵助を盗み見る。
彼が椿に対して憧れのような感情を持っていたことは見れば明らかだった。
だから兵助の反応がどうであるのか確かめる必要があったのだ。
ところがショックを受けているだろうと思った兵助とばっちり目が合い、彼も勘右衛門の様子を伺っていた。
どうやら、兵助も同じことを思ったらしく互いに椿への気持ちはないものと判断する。
ならば都合が良いとばかりに勘右衛門が目を光らせた。


「……ふ、ふふふ…」

「か、勘右衛門…?」


兵助は嫌な予感がした。
この笑い方には憶えがある。ろくな事にはならない。


「わっかりましたぁ!!この尾浜勘右衛門と久々知兵助、椿さんのお力になりましょう!」


勢いよく立ち上がり胸をドンと叩く。
楽しい遊びを見つけたと言わんばかりのキラキラした笑顔を見せる。


「え、俺も!?」

「ありがとう二人とも!」


勝手に連名にされた兵助は思わず声を漏らしたが間髪入れず椿に礼を言われてしまったので引くに引けなかった。


椿さん、俺は感動しました!利吉さん、土井先生、他六年生の先輩方、名だたる顔がいい男たちを捨てて木下先生に行くとは!ええ、わかります、木下先生は『漢』ですからね、俺だって惚れます。」


その名だたる方々が耳にした日には勘右衛門の命はない…兵助はそう思った。


「そうだろ、兵助君!」


兵助、君、だぁ!?
お前は一体、なんなんだ!
頼むからこっちに話を振らないでくれ。

気色の悪い呼び名に兵助は鳥肌が立った。
勘右衛門と椿はがっしりと固い握手を交わしている。
勝手にしてくれとこの場を去りたい気持ちでいっぱいだったが、勘右衛門に任せておくとどうなるかわかったものではない。
止める役…は、やっぱり自分しかいないよなと、この二人が危ない橋を渡らないように付き合うしかない。
級友を放っておけない性格がここで出てしまう。


「さて、これは盛り上げるためにも名付けておいたほうが良さそうですね。」

「なるほど!そうだね!」


……そうなのか?

勘右衛門は顎に手を当てて考えた後、目を見開いてニヤリと笑う。


「名付けて、『木下先生、こっち向いて♡私を先生のお宅に連れてって〜大さ〜くせん!』だー!!」


ご丁寧にもウインクと体をくねっとさせるポーズ付きだ。
聞いてるこっちが恥ずかしい。
対して椿は目に星を浮かべながら手を叩き喜んでいる。

マジで…?


「素敵!」

「ふふん!そうでしょう!」

「でもお宅に連れてっては大胆すぎない?」

「何を言っているんです!これは最終目標じゃないですか!椿さんは想いを伝えただけで満足ですか!?違うでしょう!?木下先生とアレやコレやしたい欲望……じゃなかった、夢があるでしょう!?」


椿の肩を掴んで力説する勘右衛門。
その鬼気迫る表情に椿は呑まれたように首を縦に降る。


「……そう、そうだよね!目標は高く、だね!勘右衛門先生!」


あーこれは調子に乗るな、と諦めの兵助。
思った通り勘右衛門は椿の返事を聞いて鼻高々に笑った。


「そう!目標は高く!大丈夫!俺たちは椿さんの味方ですから!」


また巻き込まれた…その自信は一体どこからやってくるのか、彼のとんでもない前向きな姿勢はある意味尊敬に値する。


「ここはじっくり攻めて外堀から埋めて行く必要があります。ではまず何をするのか、はい兵助君!」


挙手をしたわけでもないのにいきなり指を刺される。
はっきり言って意味がわからない。


「は!?」

「ほら、何をするかって言ってるの。」

「何って…」


勘右衛門が答えを出せとばかりに手で呼ぶ仕草をする。
椿の視線も絡まって兵助は苦し紛れに答える。


「……あー、最初は先生の好みを調べる、とか?」


これでも頑張って考えたんだ、だいたい今まで恋愛の駆け引きなんてしたことがない。


「……はい、じゃあ好きって言っちゃいましょう。」

「いやいきなりかよ!外堀からじっくり埋めるって言っただろ!てか俺の意見無視!?」

「わかりました!」

「え、わかったの!?それでいいの!?」


止める役どころかツッコミ役になってしまいそうだ、現になってしまっている。
だめだ、この二人を放っておいたら大変なことになる。
兵助の中で警鐘が鳴り響いた。







「タイミング等は椿さんにお任せします。俺たちは椿さんか木下先生のどちらかを見張っていればいいのだし。」


と、勘右衛門は言っていた。
当たり前のように巻き込まれた兵助は勘右衛門と行動を共にすることになった。
どちらかと言ってもほとんど木下の側にいることになるのだが。
流石に学園の外で椿が接触することはないので、ある程度のタイミングは見図られる。
木下が一人になる時に彼女が言ってくれればいい、ただそれだけでこのよくわからない作戦を遂行することができる。
そう思っていたのに…


「好きです!」


椿が木下にそう告げた、それはいい、だが…


「……椿もこれが好きか?ならやろう。」


場所は食堂、厚着が茶を貰いに来ていたところに木下が現れた。
手にしていたのは人助けの礼に貰ったという団子の包み。
その場にいた厚着にお裾分けをしたタイミングで彼女は切り出したのだ。
突然のことにあ然とする厚着と木下、しばしの沈黙の後、木下は椿が団子が好きだと言ったものだと勘違いして彼女にそれを差し出したのだ。


「……いや、今!?」


しかも彼女は差し出された団子を嬉しそうに受け取る。
思わず突っ込んでしまうが隣りにいた勘右衛門が団子に食いついたように木下の元へ駆け出す。
何をやってるんだ。



かと思えば、


「好きです!」


今度は生物委員が所有する小屋の前、木下と八左ヱ門以下生物委員会が勢揃いしている。
彼らは委員会活動中でまたしても逃げ出した毒虫の捜索に駆り出そうとしているところだった。


「……椿、虫好きか?なら手伝って欲しい。」


木下の言葉に彼女は嬉しそうにはいと答える。
今の流れは明らかにおかしい、不自然だ。
あの八左ヱ門でさえ、二度見をしたくらいだ。


「いや下手かよ!?告白下手か!?」


経験のない兵助でさえ、今のタイミングでの告白はないと思った。
椿は生物委員会の面々と逃げ出した虫を探しに行った。


「……なあ、あれワザとなのかな?」


木下が一人の時を狙えばいいのに、椿は今なの!?と兵助が突っ込んでしまう頃合いに告白をしている。
が、それと同じくらい突っ込みたいのが木下のかわし方だ。
時と場合は明らかにおかしいが、椿の言葉は告白と捉えるに事足りる。
隣りの勘右衛門を見ると彼は考える仕草をして唸った。


「うーん、強敵だな…」


いや、そうじゃなくて。
勘右衛門さえもワザとそうしているような気がしてきて、ひょっとして皆で自分をはめようとしているのではないか、あるいはおかしいのは自分の方ではないのだろうかと兵助は混乱に陥る。






「八左ヱ門、この前の委員会の時だけど…」


後日、兵助は八左ヱ門に声をかけた。
椿が言った言葉、それに対する木下の返答、それを客観的にどう思うか聞いた。


「……ああ、あれ。いや〜びっくりしたよ、だってあれ告白だろ?まさか椿さんがあんなこと言うなんて思わなかったけど、むしろ俺に言われたのかと思ったけど。」

「いや、それはない。」


兵助は真顔で即答した。


「え、なに、酷くない?一瞬夢見た俺の純粋な気持ち返して。」

「それで、どう思う?」


泣きそうな八左ヱ門を軽く無視して続きを促す。
兵助の冷たさに少しカチンとしたが、よく見れば兵助は兵助で冷静を保ちつつも落ち着かない様子だ。
八左ヱ門は諦めたように思ったことを話し出す。


「というか、なんであのタイミング?って思ったね。告白って言ったらやっぱり二人だけの時とか…だろ?それに木下先生の答えも変だと思ったな。あれ明らかに、あなたが好き、の好きだろ?」

「八左ヱ門!」


兵助は八左ヱ門の肩をガバッと掴んで非礼を侘びた。


「酷いことを言ってすまなかった!やっぱり、やっぱりそうだよな!?皆おかしいんだよ、椿さんも木下先生も勘右衛門も!俺は正常だった〜!」


兵助の言うことの半分も理解出来ないが、彼が苦労している様子は見て取れた。
なんと言っても、勘右衛門が絡んでいるなら想像は容易い。
八左ヱ門は兵助が少し不憫に思えた。


「何があったか知らないけど、苦労してんだな。うん、わかるよ……噂をすればってやつだけど、あれ。」


指が差された方を見ると勘右衛門と椿の姿。
二人は遠目にも実に楽しそうに会話をしているようだった。
勘右衛門が身振り手振りで何か言っているのを、椿は目を輝かせながら相槌を打っている。


「……なんか、あれって…」


何かしらの感想を持ったであろう八左ヱ門の方を振り向こうとすると、それとは別の方向から声が聞こえた。


「あいつら、仲いいんだな。」


兵助の目線は八左ヱ門を通り越してその声の主を追い、その姿を捉えると驚きで目を見開く。


「……え?」

「木下先生。」


八左ヱ門がその人物の名を呼んだ。
木下は勘右衛門と椿が楽しそうに話す様子を見ている。
どことなくいつもと違う木下の様子に、兵助はある仮説が浮かんだ。


「……そうでしょうか?普通だと思いますよ?」

「仲がいいのはいいことじゃないか。」


木下はそれだけを言って去って行った。
背中を見送ると兵助は再び八左ヱ門に掴みかかる。


「八左ヱ門ー!今、俺、変じゃなかった!?笑えた!?笑えてたかな!?」

「おおお落ち着けって!泣くなよ!……とりあえず、意味は全くわからんが、今のお前は変だ。」

「変だった!?変!?うぁぁぁ!!」

「ま、待て待て!そうじゃない!……だから、笑えてたかって言ったら、まあ……笑えてたんじゃないか?不自然だったけど…」


最後の言葉は極力小さく呟いた。


「本当か?」

「……ああ、俺が変だと言ったのは、兵助が自分を正常だと言ったり椿さんや木下先生をおかしいと言っているところだ。」


敢えて勘右衛門の名前は外した。
一体どうした、と言いかけて口を止める。
兵助は八左ヱ門が聞いてくるものと思って待っていたが、続きを止めてしまった彼を不信な瞳で見つめる。


「……何があったか、聞かないのか?」

「……聞いたら巻き込む気だろ?」


流石、わかっているじゃないか。
こんな苦労は分かち合うものだ、同学年だろ?
耳を塞ぎながらも追い詰められた八左ヱ門は苦し紛れに兵助に投げかける。


「そ、それよりも、木下先生のことはいいのか?」

「木下、先生?」


しめた、兵助の動きが止まる。


「さっき笑えたかって聞いてただろ?あれって木下先生に関する何かじゃないのか?」

「…!」


兵助がそれを思い出したように顔色を変えた。


「そうだった……俺、行かなくちゃ……椿さんのところに…」

「ああ、行った方がいいかもな。話なら、また聞いてやるよ。」

「そうか、すまない八左ヱ門。」

「いいって。気にするな。」


八左ヱ門は助かったと内心ほっとして兵助の背中を押した。
彼はふらふらした足取りで椿の元へ歩いて行く。
だが兵助は突然振り返ると、絶対話聞いてくれよと念を押してきたので脱力せずにはいられなかった。


「勘弁してくれ…」







兵助が勘右衛門と椿の元へたどり着くと、勘右衛門が口を尖らせながら文句を言う。


「もぉ〜兵助君遅い〜」

「そういうのいらないから、それより聞いてくれ。」


勘右衛門をばっさり切った兵助は真剣な顔で二人に話した。


「あのさ、もしかしてなんだけど……もしかして椿さん、木下先生に勘違いされているかも知れない。」

「え?どういうこと?」

「何だって!?それはマズイ!」

「うん、まだ何も言ってない。椿さん、今勘右衛門と楽しそうに話していたでしょ?それを木下先生が見て、二人は仲がいいなと仰ったんです。だから、」

「そう、俺と椿さんは仲がいい。」

「じゃなくて、木下先生は二人が……あー、だから、」

「なぁに?」

「二人が、付き合ってるように見えるのではないかと…」


非常に言いにくそうに兵助は言葉を述べた。
椿と勘右衛門はしばしの沈黙の後、まさか、冗談だろと笑い飛ばす。
なんて主観の強い二人なんだ、こっちは真面目に話をしているのに聞き入れる様子がまるでない。
だが勘右衛門はすぐに顔をしかめて態度を改める。


「やはり敵は強い。口で言う作戦が効かないなら、次は…」

「次は?」

「目で見てもらうしかない。」

「?」

「誤解していらっしゃるならそれを解かなければならない。少し強引だが仕方あるまい。」


兵助と椿は疑問符を浮かべる。
勘右衛門は椿に作戦内容を耳打ちした。
兵助は蚊帳の外だ、嫌な予感しかない。
椿は話を聞いて顔をぱっと明るくさせる。


「わかった!任せて!」

「きっとその時には木下先生の方からおばちゃんに申請が行くはずです。だから、頼みましたよ。それと…」


追加で何かを指示すると彼女はそれも了解した。


「よし!じゃあそういうことで。」


勘右衛門がニヤリと笑って親指を立てる仕草をすると、椿も歯を見せて笑い同じ動作をする。


「……なあ勘右衛門、それ俺も聞いておきたいんだけど…」


じゃないと不安すぎてと言う兵助の肩に勘右衛門は手を乗せる。


「兵助君、これは作戦なんだ。敵を欺くには味方からと言うだろ?」


木下先生を敵と言うのはどうかと思うが…


「兵助君、大丈夫、任せて!私頑張るから!」


妙に張り切る椿にも不安の種はあるのだが、キラキラした顔の彼女には何も言えなくなってしまう。
最初からわかっていたことだ、この二人を止めるのは容易ではないことを。
兵助はため息をつきながら仕方なく折れた。





その日は割とすぐに訪れた。
早朝、学園門前に集合させられた五年い組、木下が本日の実技内容を生徒たちに告げる。
内容自体は難しいものではなかった、兵助とペアを組んだ勘右衛門は自信ありそうな顔をしている。
そこへやって来たのは椿だった。
彼女は生徒に持たせるおにぎりの包みを一人一人に手渡す。
そして最後に木下に包みを渡す。
木下がそれをいつもと変わらない様子で受け取ると彼女は嬉しそうに笑った。
不覚にも兵助はその笑顔に一瞬目を奪われてしまう。
はっとして我に返って周りを見渡すと、どうやら皆同じようだった。

木下の出発の合図とともに門をくぐって外へ飛び出す。
椿は皆にいってらっしゃいと声かけている。
勘右衛門が彼女に向かって例の親指を立てる仕草をすると、椿もそれを返した。
五年生の姿が見えなくなると椿は食堂へと向かって歩き出した。




午前の予定を終えて木下の元に集合がかかった。
各班の報告の後、木下がそれをまとめ上げる。
午後はそれを考慮した上での授業が始まる、その前に。


「昼飯だー!」

「休憩、休憩〜」


今朝椿から渡された包みを広げてかぶりつく五年生。
兵助も同じことをしようとして勘右衛門に止められる。


「兵助、木下先生のところに行こう。」

「なんで?」

「いいもの、見れるかも知れないから。」


悪戯っぽく笑う勘右衛門、その顔に兵助はまさかとの思いが脳を掠める。
二人は少し離れたところにいる木下の背中を見つける。
勘右衛門は人懐っこい声色で木下に声をかけた。


「せ〜んせ、一緒に食べませんか〜?」


木下の肩がわずかに揺れた気がした。
勘右衛門と共に背中から覗いて見ると、木下は包みを広げたまま固まっているように動かない。
不思議に思っていると勘右衛門がわざとらしく言う。


「あれ〜?先生、愛妻弁当ってやつですか〜?」


何を言っているんだと兵助が木下の包みを覗くとそこにあったのはおにぎりと沢庵。
だが、自分たちのものと明らかに違う点がある。
なんとその握り飯にはでかでかと、鮮やかなピンクの桜でんぶがハートの形を作り出している。
さらには添えられた沢庵もご丁寧にハートの形に切られていた。
その完璧な出来栄えに椿の器用さが見える。
なんだか恥ずかしくてこっちが顔を覆ってしまいそうだ。

椿さん、なんてかわいらしいことを…

それが勘右衛門の作戦でなければ純粋にそう思えたのだろうな。
木下の反応がとても怖いが、お構いなしにペラペラ話す勘右衛門の方がよっぽど怖い。


「いや〜先生愛されてますね。俺たちのなんか見てくださいよ、普通でしょ?普通オブ普通でしょ?ピンクのハートなんて新婚さんかよ、な〜んて!完全に先生だけ特別って感じですよね、いや〜妬けるなぁ。」

「……」

「か、勘右衛門…!」

椿さんって皆の憧れじゃないですか、六年の先輩方だって狙っているらしいし、利吉さんとか?土井先生とか?そういう噂いっぱいあるじゃないですか、だけど木下先生を選んでくれて俺はほっとしたって言うか、ああやっぱり心が美人な人はいいなって、もちろん見た目もとってもかわいらしいですけど、こうやって好意を伝えてくれるだなんてなんて純真無垢なんでしょうか。」


その口、止められるものなら止めたかった。
よくもまあ、そこまで喋れるものだ。
黙っている木下が怖くてとても口を挟めないでいると、本人が静かに息を吐いた。


「……勘右衛門。」

「はい、なんですか?」


勘右衛門は期待の眼差しで木下を見るが、兵助は二人の間の温度差を感じずにはいられない。


「これは……お前宛ではないのか?」

「……はい?」


ああ、だから言ったのに。
勘右衛門と椿が仲良さげに話す姿が木下の勘違いを生み出していると、思っていたことが的中した。
だから木下は椿が勘右衛門に渡すつもりで作ったこの弁当を、間違って木下に渡したのではないかと考えているようだ。
勘右衛門もその意味をようやく理解したのか、上がった口角を徐々に下げる。
木下が差し出したハートの握り飯を前にして固まる勘右衛門、しばらくの間変な空気が辺りに立ち込める。
息をするのも苦しくて兵助は生唾を飲み込んだ。

………………

椿がせっかく作ったハートの握り飯、それを食べる者がおらず可哀想に思えて来た頃、勘右衛門は無言で自分の握り飯を取り出すと物凄い早さでそれを平らげる。

「!?」

「……あ、俺、もう食べちゃったので、それは先生が食べてください。」


まだ口の中に残っているものをモシャモシャと食べながら勘右衛門はそう言った。
決して受け取らないという意思表示に両手を上げる。
それを見た木下は呆れたような顔で勘右衛門を見ていたが、それではと今度は兵助に同じことを繰り返す。


「なら兵助、お前はどうだ?」

「え!?」


返答に困って勘右衛門に目をくれると、木下には見えない位置から両手で大きく✕を作っている。
いや、そもそも、兵助の元に椿のハートが届く要素が一つも見当たらないのに木下の行動に混乱を起こす。
多分、木下自身も訳がわからないのだろう、とは思う。
嫌な汗が背中を流れるが、兵助も勘右衛門同様受け取るわけにはいかないので、自分の握り飯を物凄い早さで食べる。
木下の目が、お前もかと言っているようだった。


「あの、それは本当に椿さんが先生に作ったものだと思います。」


急いで飲み込んだので少し涙目になりながら兵助はそう言った。
勘右衛門が兵助の肩に腕を回して続ける。


「そうですよ、それは先生のです。だからちゃんと食べてあげてくださいね。」

「いや、しかしだな…」

「先生、午後もよろしくお願いしますー!」


勘右衛門は兵助を連れて去って行った。
二人の背中を見送ると困り果てたように息を吐き、手の中の握り飯に目をくれる。
勘右衛門と兵助が言うように、これは自分宛に作られたものなんだろう。
勘右衛門に宛てたなんて言っておきながら、心の片隅に椿が木下へ好意を向けていることを知っていた。
気づかない振りをしていた。

椿がどうとかいう問題ではない、ただ、自分と彼女では生き方が違い過ぎる。
歳の問題もある、自分は下手をすると彼女の親の年齢と同じくらいだ。
もし気持ちを受け入れたとして、椿を幸せになんて出来るのか?いや、出来るはずがない。
彼女の境遇を考慮すれば、普通の暮らしをして欲しいし幸せを掴んで欲しいと願う。

なぜ………なぜ自分なのか?

例えば木下が思い違いをしていたように、勘右衛門や兵助なら歳も近いし話も合うだろう。
他の生徒やまだ若い土井や利吉、確かにその辺なら椿が隣りに立つのを想像するのは容易い。
厄介であるのが、そうだと認めながらも抵抗している自分がいること。
無意識に彼女の姿を追ってしまっている自分がいることだ。
特別な感情などない、あるわけがない、そう思っていたのに。

木下は握り飯にかぶりついた。
少し強い塩の味、後から来るのはピンクのハートが作り出した味。


「……甘いな。」


こんなに甘い握り飯など食べたことがない。
好んで食べるような味ではない、だが口に広がるその甘さに胸がくすぐったくて木下は笑った。






午後の実習は午前のものと比べられないくらい厳しいものだった。
いつも以上に青筋を浮かせながら指導をする木下の姿に、先程のことで怒らせてしまったのかと兵助は不安になる。
そんな心配も結局は杞憂だったわけで、学園に戻る頃には木下の厳しい言葉は多少緩やかになった。

門をくぐって小松田に出迎えられると勘右衛門がそわそわと何かを探す。
どうしたのかと声をかける前に探していた人物を見つけて口角を上げた。
その視線を辿ると出迎えに来た椿がいた。
彼女は勘右衛門と目が合うと互いに頷き合う。
木下のすぐ後ろについていた勘右衛門は立ち止まると両手を広げて後ろの級友たちを足止めする。
それに気づいていない様子の木下の元へ椿が駆け寄り、発した言葉に兵助は酷い悪夢を見た気分になった。


「おかえりなさい。」

「ああ、今帰った。」

「お疲れでしょう、お風呂にしますか?それとも食事?それとも……私?」


!!!!!

声にならない声で兵助は勘右衛門に向き直る。
あれは絶対、勘右衛門が仕込んだものだ。
実習で散々汗をかいて水分を出したというのに、今の言葉で更に冷や汗が出るのがわかる。

お前、なんてこと言わせるんだ!

目で訴えるが勘右衛門は口の前で指を立てて声を出すなと言っている。
不安になって彼女を見ると、ほんのり顔を赤らめて笑っている。
木下はこちらに背を向けているので様子を伺うことは出来ないが、桜でんぶであれだけ動揺していたのだ、気絶しそうなくらい固まっているのではないだろうか。
兵助がハラハラしながら見守ると木下が彼女の問いに答えた。


「……じゃあ、風呂で。」


風呂ーーー!!!
兵助は心の中で叫んだ。

え、木下先生スルーした!?スルー能力高ぇ!?
つか椿さんのあの笑顔、かわいらしくはいとか答えちゃってるけどあれ絶対、私?の意味わかってない顔ーー!!
なんだよ、二人して天然か!?
天然対天然なのか!?
レベル高くね!?俺たちに攻略できんの!?
これ仕込みだってバレたら死ぬ!!殺されるぞ勘右衛門!!

と言いたげに口をぱくぱくさせながら勘右衛門に目を向ける。
勘右衛門は木下の答えに口を尖らせて不満な様子だ。


「ちぇ、風呂かぁ。」

「お前なっ…!」


やはり作戦を聞いておくべきだった、そうすれば椿にあんなことを言わせなくて済んだのに。
天然なのか、ただ世間知らずなだけか、どちらにしろ嫁入り前の娘に言わせるものではないと彼女が不憫に思えた。
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