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月が綺麗ですね
「本っっっ当にいいんですか?」
「もう、きり丸君何回も言ったじゃない。」
「だけど、そうしたら椿さんが……」
食い下がるきり丸に椿は明るく答える。
「大丈夫です。たった三日だよ?すぐ終わっちゃうって〜。」
忍術学園は明日から三日の休みに入る。
忍たま、教職員はそれぞれの実家で休日を過ごすため、ほとんどの者がいなくなるこの学園に椿は残ると言うのだ。
それを聞いたきり丸は彼女を一人で留守番させるのは酷だと、土井に相談することなく椿に一緒に来るように説得していた。
「それに、土井先生に言ってないんでしょ?」
「言ってないですけど……でも土井先生もいいって言うと思いますよ!」
確かに土井ならそう答えるだろう。
だがそれに甘えるわけには行かない理由がある。
恐らくきり丸は気付いていないことかと思うが。
「あのね、やっぱり土井先生のお家に泊まるのは止めておきたいんだ。それは土井先生のためでもあるんだよ。」
そこまで言われてしまってはもうこれ以上何も言えなくなってしまう。
きり丸は悔しさを顔に滲ませながらやっとのことで声を絞り出す。
「………寂しくないですか?」
「うん、大丈夫。」
「泣かないですか?」
「お姉さんだから泣きません。だから、」
椿はきり丸に目線を合わせるように屈む。
「きり丸君はちゃんと帰って、土井先生と一緒にいてあげてね。」
「………はい。」
椿にはきり丸がここまで食い下がる理由がわかっていた。
この子は本当に優しい子。
彼の提案を断るのは申し訳なく思うし心も痛むが、一度でもそれを受け入れると当たり前になってしまうのが怖い。
土井もきり丸も信用していない訳ではない。だが、まだそこは椿の帰る場所ではないのだ。
「よし、じゃあまたここに元気で帰って来てね。待ってるから。」
椿を誘ったのはきり丸だけではない。
食堂のおばちゃんも一緒に来るように提案してくれたが椿は丁重にお断りした。
心配だわ、申し訳ないねと言われ続けたが椿は全てに明るく返事をした。
午後になり荷物をまとめた忍たまたちがぞろぞろと帰路につき、続いて教職員と小松田を送り出した後、最後に学園長とおばちゃんを見送った。
その時現れた山田が自分も帰らないと言うので、おばちゃんは何かあったら山田先生がいてくれるから幾分か安心だわと言った。
静かになった学園に残された椿と山田。
帰らないのかと椿は尋ねたが、やることが沢山あるから帰ってられないのだと予想通りの答えが返ってくる。
食事は気にしなくていいと山田は言ったがどうせ自分の分も作るので手間ではないと申し出ると、思わずかわいいと思ってしまうくらいに山田ははにかんで見せた。
自室にいるからと言って去って行く山田を見送った後、何の声も聞こえない忍術学園に少し寂しさを覚えたが、椿も自室に戻った。
忍術学園が静かになったその日は夕食を山田と食べただけで、あとは静かに過ごした。
翌日、朝から洗濯と布団を干す作業に追われる。
ついでだからと山田と土井の布団も外に干したところで洗濯物はどうするか尋ねると、利吉が持って行ってくれるとの返事があった。
利吉は度々、山田に家に帰るように告げに来るし、山田もそれを当てにして洗濯物を持って帰るように言いつける。
それが日常の会話だったが、椿は山田の妻のことが気がかりだった。
「奥様、山田先生に帰ってきて欲しいんじゃないですか?」
そう聞けば照れ隠しなのかわからないが、新婚じゃあるまいしとうだうだ言われるのだった。
「ああ椿さん、今日はこの後留守にするから。」
「はい、じゃあここのことは任せて下さい。」
「すまないね、女性を一人で留守番させるなんて…」
「あら山田先生、それこそ奥様にお気遣いして差し上げて下さいよ。」
山田が言葉に詰まる様子に椿はふふっと笑った。
夕飯には戻ると言って出掛けた山田を見送った後、忍術学園に一人残された椿はせっかくなのでこの機会を楽しもうと思った。
自室と食堂の掃除をして一人で軽く昼食を取る。
後片付けをした後、普段はあまり入らない忍たまの学舎を見て回る。
図書室に医務室、誰の姿もないので改めてこんなに広かったんだと思い知らされる。
火薬庫や用具庫、生物委員の部屋には普段から近づかないように言われているので行くのはやめておこう。
何より、不用意に校庭を歩き回るのは得策ではない。
今は助けてくれる人がいないので、何か仕掛けられているかわからない地雷原は危険だ。
教室も覗いてみる。
思ったよりも物がなく、どの教室も綺麗にされている。
見慣れないのは正面にある黒板だ。
小さく残っていたチョークを手に取る。
これで黒板に書いて、黒板消しでそれが消える。
確か忍たまたちがそう言ってた気がする。見たことはない。
そっと線を引いてみる。
「わ、書けた。」
すぐに消してみると綺麗に消えた。
それだけなのだが椿は感動した。
再度黒板にチョークを当てた時、ズシンと重い音が聴こえると同時に学舎が揺れる。
「?」
山田が帰って来たのだろうか、随分早い帰りだなと思いながら外へ出てみた。
「山田先生?お帰りですか?」
椿が出迎えに向かうとそこにいたのは山田の姿ではない。
茜色の忍装束に黒いサングラスの男が二人。
どうやら塀の上から足を滑らせて落下したらしく、太った男の方は腰を擦っている。
「!?」
実際に見たのは初めてだったが、乱太郎たちから気を付けるように聞かされていたドクタケ忍者だと椿は認識した。
どうしよう…山田先生いないのに……
椿が恐る恐る後退りすると土の擦れる音にドクタケ忍者が反応する。
「ん?おい、誰かいるぞ。」
「女の子じゃないか。」
見つかってしまった。
ここは冷静になって、小松田を見習うことにしよう。
「……どちら様ですか?」
「俺たちを知らないなんて…」
「待て、もしかすると例の子かも知れん。」
例の子……嫌な予感がした。
すぐに走り出せる心構えをしながらドクタケ忍者を睨みつける。
「俺たちは見ての通りドクタケ忍者だ。今日は学園長に用があったが、どうやら留守のようだな。だがただでは帰れないのでお前に一緒に来てもらおう。」
「何故です?」
「少し前から忍術学園に新しい顔が入ったとの噂だ。しかも食堂で働いていると言う。忍術学園の食堂の飯は美味いと評判だからな。お前を連れて行けば我がドクタケ城も美味い飯が食えるということだ。」
「殿も喜んでくださるに違いない。」
冗談じゃない。
そんな理由で連れて行かれたら溜まったものではない。
それに、椿はおばちゃんのように美味しい料理が作れない。
「私はドクタケ城には行きません。お引き取りください。」
「お前の意見などどうでもいい。」
「今ここには他に人がいないようだし、逃げても無駄だぞ。」
嫌な笑いを浮かべて近寄ってくるドクタケ忍者。
椿は振り返るとそのまま走った。
ドクタケ忍者が追いかけてくる。
どうする?どうすればいい?
戦ったところで向こうは男二人、勝ち目はない。
隠れる場所、と言ってもほとんどの倉庫は鍵がかかっていて入り込めるところがない。
学舎の裏に逃げたところで前方からドクタケ忍者が一人飛び出して来た。
はっとして後ろを振り返るとそこにもドクタケ忍者。
挟み撃ちだ。
「お嬢さん、手こずらせてくれたな。」
「もうおしまいだ。」
「…!」
背中に壁のヒヤリとした感触、前にはドクタケ忍者。
冷や汗が止まらない。
捕まってしまったら、忍術学園には戻れないかも知れない。
襲ってくる恐怖に耐えながらも気丈な視線を絶やさない。
「そんなに睨むなよ。ドクタケはいいとこだぞ?」
ドクタケ忍者が椿の左手首を掴む。
「触らないで!」
振り落とそうと右手を上げるがそれも別のドクタケ忍者に捕らえられてしまった。
「おっと!勝気なのはいいがあまり騒ぐと怪我するよ?」
苦無を見せて椿に脅しをかける。
彼女が押黙るとドクタケ忍者は掴んだ両手を引いて椿を連れ出そうとした。
力では男二人にとても敵わないが最後の望みをかけて椿は叫ぶ。
「山田先生ーー!!助けてーー!!」
「おい!だから騒ぐなと!」
「ん!?」
ドクタケ忍者の前方から飛来物があった。
それは真っ直ぐ飛んで来て二人は苦無で弾き落とす。
キンという金属音、手裏剣だった。
「誰だ!?」
「その手を離してもらおうか。」
現れたのは精悍な顔の若い男。
見慣れたその姿に椿は目を見開く。
「……利吉さん!」
「山田利吉か!」
利吉は苦無を手にドクタケ忍者へ斬りかかる。
ドクタケの二人は堪らず椿の手を振り解いて攻撃を避けた。
突き飛ばされるように弾かれた椿の体を利吉が支える。
「椿さん、大丈夫ですか?」
「は、はい。」
視線をドクタケ忍者から離さない利吉の横顔を見上げて椿は答えた。
いつもの彼と違ってその顔には怒りの色が滲んでいる。
「くそっ、山田利吉とは相手が悪い。」
「だがあいつは一人、こっちは二人だ。」
「見縊られたものだな。ならばその身に刻むといい。」
利吉は椿に少し待っているよう告げると二人に向かって走って行った。
二人を相手に利吉は攻戦だった。
次第にドクタケ忍者が後退し始める。
すごい…
利吉の戦う姿を見たのは初めてだった。
流れるようなその動きに目が離せない。
ドクタケ忍者の苦無がカランと音を立てて落ちた。
「ちっ、やっぱ俺たちには荷が重いみたいだ。」
「退くぞ!」
ドクタケ忍者は背を向けて逃げて行った。
利吉は追わずにその場に立ち尽くす。
自分の苦無をまた元のところに隠すと椿の元へ駆け寄った。
「もう大丈夫です。何があったのですか?お怪我は?」
「大丈夫です。だいじょう……」
掴まれていた手が震えている。
今になってその震えが体に伝わり椿は自分で自分を抱きしめた。
安堵からか、涙が溢れる。
利吉は何も言わず彼女を抱きしめる。
椿の体が驚いたようにビクッと動いたが、利吉に身を任せるように彼の胸で泣いた。
しばらくして椿が落ち着きを取り戻した。
そっと利吉の手を離す。
「……ありがとうございました、利吉さん。」
「……椿さん。」
椿は何があったのかを利吉に話した。
利吉は厳しい表情でそれを聞く。
「またしばらくは気を付けなければいけませんね。ドクタケのことだ、益々あなたのことを欲しがるかも知れません。」
「……はい。」
利吉がぶつぶつと独り言のように思案していると思い出したように椿が声をかける。
「あの、利吉さんはどうしてここに?」
椿の問いに利吉は熱を帯びた瞳で彼女を見た。
「……あなたがピンチの時には、いつだって私は来ますよ。」
「え…?」
彼女が目を丸くして顔を赤らめると利吉は表情を緩めて自嘲気味に笑う。
「……なんて言えたらいいんですけどね。今日から忍術学園が休みということは聞いていたんですが、父が帰らないので連れてくるよう母に言われたんですが……まさか椿さんがいらっしゃるとは……」
「そうでしたか。山田先生は今留守にしてらっしるのですが、やっぱりご帰宅された方がいいですよね。私もう一度説得してみます。」
「いや、やめたほうがいいでしょう。」
「?」
「そうなると、あなた一人をここに残すことになる。またドクタケが来るかもわからないのにそんなことできません。」
「あ…」
利吉の言う通り、山田を家に帰すと椿は一人になる。
ドクタケが再度来たとしたら、今度こそ頼れる人物はいない。
「それとも一緒に来ますか?」
「!?い、いいえ、そんな、せっかくご夫婦揃われるのに邪魔になってしまいます。」
「では、私がここに残る、というのはどうですか?」
「!……利吉さん……」
まるでその瞳に撃ち抜かれたように心臓が跳ねた。
彼の目は真っ直ぐで逸らすことが出来なかった。
返答に困る椿に、それがわかった利吉はすぐに話題を変えた。
「父は留守だと言ってましたね。」
「はい。」
「椿さん、少し外へ行きませんか?」
「でも山田先生がいつお戻りになるか……」
「大丈夫です。だいたいの見当はつきますので、まだしばらく戻らないでしょう。」
利吉が手を差し出すと、椿は迷いながらもその手を取った。
利吉が満足そうに笑い、二人は忍術学園を後にする。
以前話の中で椿を連れて行きたいと言っていた茶屋に足を運んだり、偶然見つけた一面の花畑に彼女を連れて行った。
椿は先程のドクタケなど忘れたかのように嬉しそうに笑い、利吉はそれを見て安心した。
二人が忍術学園に戻るとちょうど山田が戻って来た。
椿はてっきり、山田と利吉がいつもの決まり文句を言い合うのかと思っていたが、彼女に聞こえないように利吉はドクタケの話を山田にした。
「……というわけで今回は父上に帰ってくださいとは言えない状況になりました。」
「そうか、椿さんには悪いことをしたな。利吉、母さんには上手く伝えておいてくれ。」
利吉は山田の言葉に頷く。
山田は椿に向き直って不在にしたことを謝罪した。
「いいんです、利吉さんに助けて頂いて感謝しているくらいですから。あの山田先生、帰られるのですか?」
「そのことなんだが……」
山田はやはり帰らないことを椿に告げる。
利吉もそれに同意だ。
「忍術学園が再開されるまで少なくともあと二日、ドクタケを警戒するために私もここに留まった方がいいでしょう。」
「利吉さんもですか?」
夜間もあることだし人手は多い方がいいと言う。
そう言われてしまっては椿に反対することは出来なくなってしまう。
「利吉、一度家に戻り母さんに手紙を渡しておいてくれんか。ちょっと待っててくれ。」
そう言うと山田は自室に戻って行った。
「椿さん、昼間はまた私も不在になりますが夜はここであなたの側にいます。」
「なんだか申し訳ないです…」
「何を言うのですか。こうでもしないと私が安心出来ません。あなたを私の側に置いておかないと……」
「利吉さん…」
「椿さん…」
利吉が手を伸ばそうとした時、咳払いと共に山田が現れた。
「……あー、利吉、これを母さんに頼む。それと、ついでに酒を調達してきてくれ。」
「はい?飲む気ですか?こんな時に。」
「こんな時だからじゃないか、固いことを言うな。お前がいるんだろ?」
「それって完全に私に任せる気じゃあ…?」
「な、椿さんも飲むだろ?」
山田は酌を傾ける仕草を取る。
「いいんでしょうか…?」
「いいのいいの、大丈夫。」
「椿さん、私のことはお構いなく。」
「じゃあ私、利吉さんも召し上がれるようなもの作ります!」
「!」
山田と椿は楽しそうに酒盛りの話をした。
利吉は飲むつもりはなかったが、椿がつまみを作ると張り切るので少し楽しみになってきた。
なにより、私のことも考慮してくれるなんて。
彼女の気遣いが嬉しかった。
山田は手紙を頼むと言いながら、ちゃっかり洗濯物まで利吉に持たせた。
山田ではなく洗濯物を持ち帰ったなど母に会ったらなんと言われることかと気が重い。
帰宅すると案の定、利吉の手にあるものを見た母が表情を変えず怒りの気を纏わせる。
それに後退りながらも託された手紙を渡すと、渋々それを読んだ母が急に目を丸くして、あらあらまあまあなどと嬉しそうに表情を和らげる。
そして仕方ないわね、利吉も頑張るのよ、しっかりねと、念を押されるものだから利吉は訳がわからなかったがそのまま家を追い出された。
酒屋で酒を買い、偶然見かけた花も買った。
忍術学園へ戻ると椿が食堂で忙しそうにしていたが、利吉に気付くとお帰りなさいと笑顔で迎えた。
お帰りなさい、か……いいものだな。
心にほんのり灯るものを感じながら花を彼女に差し出す。
彼女は驚いたような顔をしたがすぐに頬を赤らめながら礼を言った。
手伝いを申し出るとあとはこれだけなのでと、山田を呼んでくるように言われる。
利吉が山田の部屋を覗くと、書物をしていたらしい山田は顔を上げた。
「母さんの様子はどうだった?」
「何故かわかりませんが、笑顔で追い出されましたよ。」
それを聞いて山田は安堵のため息を漏らす。
手紙に一体何を書いたら母があそこまで機嫌が良くなるのか不思議だった利吉は、山田に真相を尋ねるがはぐらかされて終わった。
山田と共に食堂に入ると椿が頑張って作った夕食が並べてあった。
そこには添えられるように利吉が渡した花が小ぶりの花瓶に入って置かれている。
山田と利吉が向かい合うように座り、椿は利吉の隣りに座った。
彼女は料理が得意ではなく勉強中なので味の心配をしていたがそんなことは杞憂だと利吉は思った。
「美味しいですよ。」
「おばちゃんとは違った良さがあるよな。」
二人の感想に椿は顔を赤らめて喜んだ。
椿は思い出したように厨房の中へ入ると盆に燗酒を乗せて持って来た。
「山田先生、温めておきました。」
「さすがだね、そういうとこだよ、な?」
な、と言われても、はぁ、としか利吉には返答のしようがない。
山田は椿にお酌してもらい上機嫌のようである。
「椿さんもいけるだろ?」
「じゃあ頂きます。」
酒に口を付けた彼女はその味を楽しんでいるように美味しいと言う。
また一つ、椿の初めて見る顔を見つけた。
酒が入っているせいか、なんだか仕草が色っぽい。
「利吉さんもどうですか?」
「いや私は…、何かあった時に困りますので。」
「どうしてもですか?少しだけ。」
「利吉、少しくらい付き合え。」
ここはこちらが折れないとこのほろ酔い二人は引かないだろうと思った。
支障のないところまでならと椿から酒を受け取り口をつけたら、利吉が飲むのを見届けた山田と椿は嬉しそうに笑った。
確かに、こういうのも悪くはない。
山田と仲良く飲み交わす椿の姿に、もしかしたらあるかも知れない将来を垣間見た気がした。
それにしても…
「あの、少しペースが早くないですか?」
目の前には空になった徳利が三、四本。
山田はすでに出来上がっていて椿の方も顔が赤い。
椿の食事もあり酒の進みが早かったのだ。
意外だったのは、椿が酒に強かったことだ。
「やだもう、山田先生ったら〜」
「はっはっは!」
山田は顔に出るし声が大きくなり良く笑うようになる。
椿はそこまで真っ赤じゃないが、あの山田の話について行っている。
酔っていない訳ではなさそうだが、もしかすると山田より飲める人なのかも知れない。
「ねぇ、そうですよね、利吉さん。」
どうやら今日は発見の多い日だったようだ。
椿は酔うと体への接触が増える。
これは、酒の場では彼女の隣りは死守しなければならないだろう。
それから何だかんだと話をしながら徳利は六本くらい空いた。
ちなみに利吉はさほど飲んではいない。
「父上、こんなとろで寝ないでくださいよ。椿さん、布団を敷いて来ますので少し父をお願いします。」
「はい、お願いします。」
山田が眠そうにしていたので利吉は山田の部屋へ布団を用意しに行った。
椿は食器を簡単に片付けて山田の介抱をする。
「……悪いね、椿さん。」
「いいえ、いいんです。今日は私、本当に楽しくてお二人に感謝したいくらいですもの。」
「……そうか。……椿さんならいつ家に来ても歓迎なんだがな……」
「!……山田先生……」
山田がそのまま寝息を立て始めたので椿は揺すって起こす。
そこへ少し急いだ様子の利吉が戻る。
「お待たせしました。父上、もう少し頑張ってください。」
利吉が山田の肩を組むと椿も反対側から山田を支える。
なんとか部屋まで運ぶと山田は布団の上に寝転がって寝てしまった。
「……すみません、こんな醜態を晒してしまって。」
「山田先生、嬉しかったんだと思うんです。利吉さんとこうしてお酒を飲める機会があって。」
彼女の言葉に利吉は照れたように頭を掻いた。
二人は自然に外へ出る。
彼女はしっかりしているように見えたが、よく見ると足取りがおぼつかなくフラフラ歩いていた。
「椿さん、部屋まで送ります。」
「……ん〜」
彼女にじっと見つめられ心中穏やかではないが、ここは理性を保たなければと振る舞う。
椿はやはり酔っているようで悪戯をする子供のように笑うとこう言った。
「利吉さん、連れて行ってくれませんか?」
「え、ええ。」
椿の部屋の方へ誘導しようとすると彼女は利吉の腕を掴んで止めた。
「違いますよ、私が行きたいのは上です。」
「上?」
「えへへ、屋根の上。連れてってください。」
その笑顔に負けてしまって利吉は椿を抱える形になり、屋根へ飛び乗った。
普段と違う彼女はいつもより大胆でいつもより良く笑ってその…
かわいい
上に上がるとなお椿はこっちこっちと利吉を誘導するので抱きかかえたまま指定されるところまで歩いた。
「ありがとうございます。ここでいいです。」
椿を降ろすとその場に座って利吉に隣りに座るように言う。
言うとおりにするとまた満足そうに笑った。
いっそのこと、今日という日がずっと続けばいいなんて思ってしまう。
それっきり彼女は黙ってしまったが、ただこうして二人だけでいる時間も愛おしかった。
「すきです…」
沈黙を破ったのは彼女だ。
だがそれよりも彼女が発した言葉に一瞬にして動揺させられる。
驚いて椿を見ると彼女は上を見上げている。
その視線の先にあったのは、月だ。
己の聞き間違いであったのか、月と言ったのか?
はたまたそのままの意味で自惚れな受け取り方をして良いのか?
どちらなのかわからず戸惑い喉に渇きを覚える。
利吉はしばらく考えた後、こう返答をした。
「月が、綺麗ですね。」
今度は椿が利吉を振り返る。
酒のせいでいつもより色っぽく写る彼女の微笑みにドキッとさせられる。
「……月はいつでも、利吉さんを見てますよ。」
「なら、手を伸ばせば届くでしょうか?」
利吉は椿に手を差し出す。
彼女は目を細めてゆっくりと利吉の手の上に自分の手を重ねる。
それを少しだけ力を入れて握った。
「椿さん、あなたが好きです。」
「はい。」
彼女の答えにいつもの余裕はなくなってしまいそうだ。
熱を含んだ瞳で見つめれば椿の目に月が写りこみ、吸い寄せられるように離せなくなる。
重ねられた手はいつの間にかお互いの指を絡めるように繋がれている。
高く昇った天井の月の光、それが優しく見守る影は一つになっていた。
「あの子、上手くやってるかしらね。」
山田の妻は独り言を呟いた。
手にした山田からの手紙に目を落とす。
「利吉のお嫁さんになるかも知れない子、だって。私も会いたいわ。」
次の休みの時には家に招待して何を振る舞おうかと、考えながら嬉しそうに笑った。
ー月が綺麗ですね 完ー
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