あなたのせいで、あなたのために(大木雅之助)
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あなたのせいで、あなたのために
忍術学園の食堂、それが彼女の仕事場だ。
学園に忍術を学びに来る者、またそれを教授する者、学園をサポートする者、はたまた他所から来園する者など、様々な人間が訪れるこの食堂。
学園内外問わずその存在が知られる食堂のおばちゃんと、今ではその顔を見ないと一日が始まらないと言われる娘が二人で切り盛りしている。
学園内部の人数分の食事を朝昼晩。それをたった二人で用意するのだから、その大変さは想像に難しくない。
ということは、食材の量も半端ではないことが伺える。
だが心配は無用だ。なぜなら農家らと直接契約を結んでおり、その日採れた野菜などを直接学園に運んで貰っているからだ。
おばちゃんはその届いたものを見てその日の献立を決める。
もう一人の娘、名を椿と言ったが、彼女は調理はしない。いやできない。料理の基礎さえ身についていないのだ。
椿の仕事は献立で使う食材の下処理や生徒たちへの受け渡しだ。
それに多少の力仕事もある。
例えば今まさに行っていたが、届いた食材の荷卸もそうだ。
「わ、今日はいっぱいありますね!」
目の前に大量に積まれた野菜や米、それを見て嬉しそうに顔を綻ばせ、荷車を引いてきた農家の男たちを食堂内に通して茶を出す。
彼らと少し世間話をして表に出ると早速積まれた野菜に手を伸ばす。
夏が終わり、涼しい風が吹くようになった今日この頃は秋の味覚が顔をのぞかせ始める。
いつもはおばちゃんと一緒にやるのだが、今日は席を外していて椿一人で作業をする。
手伝おうかと食堂内から声がかかるが、彼女はそれを静止した。
とは言え、この量に加え重さがあるので汗ばむ額を押さえながら次々と運んでいく。
そして米俵を抱えようとした時、足が力を失うように崩れる感覚に襲われた。
と同時に世界が歪むように視界が回る。
何が起こったか考える暇も声を出す隙もなく、ただ危険を察した脳が瞼を閉じる防御反応を命令する。
ダメだ………と思った。
米俵が破けてしまったかも知れない、そうなったら大変だ。
もしくは自分がケガをしてしまったのかも、保健委員の子たちに心配かけてしまう。
そんなことが脳裏に浮かんだ。
だが椿の想像に反して、体に痛みは感じないし、米が溢れ出る音も聞こえてこない。
不思議に思って目を開けようとした時、誰かの声が近くで聞こえた。
「やれやれ、危ないところだった。大丈夫か?」
椿は目を開けてその人物を確認する。
大きな男だった。顔は知らない。
「……あ、あの……?」
男は椿の持っていた米俵をひょいと持ち上げ、保管場所を確認するとそこへ置いた。
その背中を見て初めて椿は何が起こったのか把握した。
「あの、助けてくださりありがとうございます!」
男は椿の言葉に口角を上げると残りの米俵も軽々と運び出す。
「え!?あの、私やりますから!」
「娘さん、体は大丈夫か?」
実は重いものを運び続けたので足腰がガタガタしていたのだが、見ず知らずの男に手伝わせるのは気が引けたので少しばかり強がりが口に出る。
「私は、大丈夫です。」
「そうか。いやでも、やめておけ。通りかかっただけとは言え、娘さんに怪我でもされたらここの連中に何されるかわからんからな。これくらいならど根性でどうにでもできる。」
そう言って笑いながら男は手を止めない。
椿はそれをオロオロしながら見るしかなかった。
最後の一つを運び終えた後、思い出したように男が言う。
「で、見ない顔だが?」
「はい、竹森椿と言います。忍術学園の食堂で食堂のおばちゃん見習いをさせて頂いています。」
椿がそう答えると男は目を見開いて嬉しそうに声を上げた。
「おお!あんたがそうか!噂には聞いていたが本当にいるとはな!」
「はぁ…」
自分は珍獣かなにかだと思われていたのだろうか、豪快に笑う男に気の抜けたような返事を返す。
ところでこの男は何者なのであろうか。椿はそれを聞こうとして男を見つめると、それに気付いた男が自ら名乗り出る。
「ああ、わしは大木雅之助だ。忍術学園の元教師だが今は農家をやっている。今日はここに用があって来たんだが、お前さんが潰れそうになってるのを見かけてな。」
「まあ、先生でしたか。助けてくださりありがとうございました。良ければ中で休んで行ってください。」
椿が勧めると大木はそれはありがたいと言って食堂の中に足を踏み入れる。
二人が中に入ると、それまで休んでいた農家の男たちはご馳走さんと言って食堂を後にする。
「大してお構いもしませんで……。またお願いします。ありがとうございました。」
椿が声をかけると男たちは手を降ってその場を後にする。
その様子を静かに見ていた大木は椿の気遣いに感心していた。
大木が食堂のカウンターに近い席に腰をかけると、椿は小走りに厨房へ入り茶を入れた湯呑みを一つ持ってきた。
立ち上がる湯気がその熱さを語り、茶葉の匂いが鼻をくすぐる。
どうぞと差し出されたそれに礼を言い、場をつなぐための質問を彼女に投げかける。
「…忍術学園に来た理由ですか?」
少し間があって彼女は困ったような照れるような顔をした後答える。
「……家出です。」
「家出?」
「追い出されたんですよね。でも元々あそこには居たくなかったので。だからここに置いてくれる学園長先生にはとても感謝してるんです。」
深い事情があるようだったが、今はこれ以上詮索すべきではない。
なにはともあれ、忍術学園の厨房を任されているのだから学園内の信頼は得ているのに間違いはないだろう。これがもし間者だとしたら全員が口に含む可能性のある食事、学園の中枢とも言える食堂という仕事場に置いたりはしない。
それにしても、彼女の柔らかく微笑む様や物腰を見て大木は思っていたことを口にした。
「若い娘さんが学園にいるだなんて、ここのやつらにほっとかれないんじゃないか?」
やれやれ、自分もこんなからかいをするなんて中年の域に入ったものだと自嘲する。
椿はそんなことないと否定していたが、彼女はきっとよくわかっていないと大木の目には映る。
生徒たちのいい刺激になっているだろうな、少し羨ましいと思ったところで思考を止める。
何を考えているんだか……
「さて、そろそろ行くか。」
大木が馳走になったと空の湯呑みを机に置く。
椿が見送ろうと大木の後に続く気配も、なんだか少しくすぐったい。
「本当に今日は助かりました。」
「ああ。無理なことは無理せず、わしならまたいつでも呼んでもらっていいぞ。」
「はい。ありがとうございます。」
こんな風に誰かに笑いかけてもらったことなど、最近はあっただろうか。
村の娘や茶屋の娘らとは違う、だが心に灯るその正体もわからないまま、なんとなくという感覚だが心地良さを感じる。
名残惜しい、というのが近い表現だろうか。
「あ、椿さーん!」
彼女を呼ぶ声に二人同時に振り返るとそこに駆けてくるのは一年生の笹山兵太夫。
大木の存在にも気付いた兵太夫は丁寧に挨拶をする。
「大木先生、こんにちは!」
「おう。元気にやってるか?」
「はい!すみません、お話中でしたか?」
「いや、もう行こうと思ってたところだ。」
「そうですか。じゃあ椿さん、立花先輩が呼んでいるんですが、今いいですか?」
「え、今日だったっけ?」
「はい、そのように聞いてます。」
椿は忘れていたのか明らかに困惑の表情を浮かべたが、すぐにわかったと答え大木に向き直る。
「すみません、呼ばれてしまったので。あの、また是非いらしてくださいね。」
「ああ、そうする。」
そう言うと平太夫と共に学舎の方へ歩き出した。
立花……仙蔵か……
一年生が呼びに来たということは委員会絡みだろう。
仙蔵と言えば作法委員会だっただろうか……
かつての教え子の名前に懐かしい気持ちになる。
話の内容から察するに、元気にやっているようだ。
だいぶ道草を食った。そろそろ今日の目的を果たしに行こう。
と言っても大した用事ではない。少し遊んでやろうと思っていたところだ。
大きな男の人だった。
それは今まで出会った誰とも重ならない印象の人だった。
ニカッと口を大きく開けて笑う人だった。
太陽のように包んでくれるような暖かさがあった。
通りかかったなんて言いながら全部手伝ってくれた。
自分よりずっと大人だった。
「椿………椿、」
自分を呼ぶ声に引き戻されると怪訝な顔をした仙蔵と目が合う。
「どうした?ぼーっとしているぞ?」
見渡せば作法委員会の面々が不思議そうに椿を覗いていた。
「へ?……あ、な、なんでもない……」
「………?」
「椿さん出来ましたよ。今回も完璧です!」
椿の大丈夫そうな様子に兵太夫が声をかけて手鏡を渡す。
覗き見てみれば、華やかに着飾り化粧を施された自分の姿が映る。
作法委員会は時々椿を招いてこのように彼女を変身させている。
椿にはよくわからないが、これも委員会活動の一つなのだと言うからなるべく協力をしているのだ。
ただ普段綺麗な着物を着たり化粧をしたりという習慣がない彼女にとっては、美しくなるというのは少し気恥ずかしいことだった。
「何回見ても慣れない……恥ずかしいよ。」
「何言ってるんです、とても綺麗ですよ!」
「完璧ですね!立花先輩!」
「当たり前だ。椿はもっと自信を持て。私が仕上げるのだからそこらへんの女には敵わない美しさだぞ。」
仙蔵のその言葉も椿の恥ずかしさを加速させるが、彼はそれに気が付かない。
第一、美しいなどと言われ慣れてない上に自分には不釣り合いな言葉だと椿は思っていた。
「じゃあ今回も行きましょうか。」
喜八郎がマイペースに外へ促す。
やっぱり行くの?と椿の言葉に作法委員会一同は有無を言わさぬ顔で肯定する。
恒例となっているのだが、彼らは椿を変身させた後外に連れ出し他の委員会連中に披露して周るのだ。
反応が面白い者を見るためだったり、綺麗になった椿の隣を歩くことを自慢するためだったりである。
あまり乗り気はしないのだが兵太夫と伝七のキラキラな瞳に嫌とは言えなかった。
学園内を一周してお披露目をしてきた一行は教職員の長屋あたりを彷徨いていた。
少し疲れた様子の椿だったが、皆からたくさんの褒め言葉を浴びて出発前より気分が良さそうである。
そうやって自然に笑えばいいものを…
仙蔵は彼女を顧みて思った。
「……何か聞こえませんか?」
喜八郎の言葉に耳を澄ませると誰かが言い争うような声が聞こえる。
「……ケンカ?」
「みたいですね。」
「止めなくちゃ!」
椿がいち早く反応し、声の聞こえる方へ駆け出す。
その格好で走るんじゃない、ほっておけばいいものをと仙蔵が口にする間もなかった。
彼女に続いて仙蔵以外の作法委員は走り去る。
椿以外は野次馬なだけだろうに。
呆れたため息とともに仙蔵も後を追った。
椿が目にしたのは野村と、先程出会った大木が争う姿だった。
それを見て兵太夫が呆れた声を出す。
「ああ〜またやってる。」
「え?また?」
椿が驚いて兵太夫に聞くと、野村と大木が会うたびにこうしてケンカをしているということを告げられる。
追いついた仙蔵もいつものことだからほっておけばいいと言う。
初めて目の当たりにした椿としては、大人が本気でケンカをしたらどちらもただではいられないのではないかと気が気ではない。
だが先程から飛び交う手裏剣にも忍たま諸君はまるで動じない。
「お前は余程暇人なのか大木!いいご身分だな!さっさと帰って野垂れてしまえばいいものを!」
「ぬかせ!お前こそ下らぬ格好つけなどに精を出すくらいなら、わしがこうして遊んでやると言ってるんだよ野村!」
まるで子供のケンカなのだが冷静でいられない椿には今の言葉は入ってこない。
兵太夫と伝七はどっちが勝つかと話をしている。
「もう、そんなこと言ってるバヤイなの!?」
「大丈夫ですよ椿さん。あ、出ました!」
伝七の言葉に振り向いた椿は目を疑った。
なんと野村は納豆を、大木は壺漬けされたらっきょうを取り出したのだ。
意味がわからなかった。
そしてあろう事かそれらを手裏剣宜しく投げ出したではないか。
思考停止状態の椿に兵太夫は野村はらっきょうが、大木は納豆が嫌いなのでそれをお互いに投げて嫌がらせしているのだと説明する。
「……なん、ですっ………て……」
嫌な予感がした仙蔵が椿を止めようとした時にはすでに遅かった。
彼女は綺麗に着付けられた着物を崩すと野村に向かって走り出していた。
遅かった。こうなってしまっては誰も彼女を止められない。
「野村先生!!」
らっきょうと納豆が飛び交う中割って入ってきた彼女は至近距離まで詰めて怒りの色を宿した瞳で野村を凝視する。
見慣れないその姿に一瞬彼女が誰であるのかわからなくなり野村はたじろぐ。
「何をしているんですか!?どういうことですか!?食べ物を投げるなど言語道断です!!これは食堂からくすねたものですか!?どうなんですか野村先生!!」
「いや、あの〜………これには訳が……」
「一体どんな訳です!?納豆を投げつけることに訳があるとおっしゃるのですか!?皆さんの食事を任されている身として、こんなことは見過ごせません!!納得のいく説明をして頂けるんでしょうね!?」
たじたじになる野村を指差し大木が笑う。
「だーっはっはっは!!野村のやつ怒られてやがる!!」
もちろん椿は大木も逃さない。
「何言ってるんですか!?大木先生!!あなたもです!!誰であろうと私の前で食べ物を粗末にする人は許せません!!」
「いっ!?」
「これは完全に椿さんの勝ちだねー。」
喜八郎が兵太夫、伝七に言うと二人はこれは予想外、でも仕方ないなどとぼやいた。
やはり忍術学園で食堂を任される人間はとても強いのだ。
野村と大木は正座をして椿の説教を受けている。
仙蔵は見るものではないと後輩たちに去るように促す。
「ここは椿に任せてお前たちは行くぞ。」
喜八郎は今まさに面白い瞬間なのにと名残り惜しそうに一瞥をくれてから仙蔵の後を追った。
「ケンカをされるのは別にいいです。でもよろしいですか、もう二度とこんなことはなさらないでください。」
「はい、わかりました……」
「すみませんでした……」
うなだれる二人の男たちを前にして椿も冷静さを取り戻してきた。
こんなに体の大きい男の人でも子供みたいなケンカをして叱られて小さくなる姿が、なんだか可愛く見えてくる。
「はぁ……じゃあ私はここを片付けますから。」
「あ、いや、それは我々がしますので。」
野村が片付けを申し上げ出ると椿はケンカしませんかと疑いの眼差しを送る。
大木も反省をしたのだろう、片付けをやらせてくれと言った。
「……わかりました。ではお願いしますね。」
「はい。……椿さん。」
「はい?」
「………………いや、やっぱりやめましょう。」
野村は何かを言いかけて止めた。
思わず声が出てしまったのだが、説教をされた後で言うことでもないかと思ったのだ。
「なんですか?気になります。」
「いえ、大したことではないので……」
「でも気になるので仰ってください。」
椿は簡単に引き下がる性格ではない。
視線を外す野村を見上げるとその視線から逃れられない野村は観念したように言った。
「……えーと…………とても良いです。」
「?」
「その格好もいつもと違う化粧も。素敵ですよ。」
「………へ!?」
「ああ、急に着飾って見違えたぞ。似合っているな!」
「ええ!?」
「真似をするな、この野蛮人。」
「なにをー!わしだって意見が合うなど不本意だ!お前こそ気障ったらしいたらないわ!」
褒め言葉は本人が一番輝いている瞬間がより効果的だと野村は思っていたので、生徒を褒める時と同じようにこの瞬間に言うのが良いと判断した。
そんなことを知る由もない椿は突然出た褒め言葉に今更ながら自分の状態を思い出す。
急激に恥ずかしさが沸点を越え口喧嘩をする二人の会話など耳に入ってこない。
「すみません、今言うのは躊躇われたのですが、言わないと納得してくれなさそうでしたので。」
「無視をするな!だが美人は何をしても様になる。元がいいから際立つんだろうな。」
「知った風な口を。お前が彼女の何を知る?」
「はん!お前こそ!わしは椿の人柄を見てきたんだ。お前は知らんだろうがな。」
「!」
それまで二人の話は耳が受け付けなかったのに、ある一言だけが妙にはっきり聞こえて残る。
顔の温度が急上昇して自分でも赤くなったのがわかり、それも恥ずかしく感じる。
「あ、の、……後はお願いしますー!!」
限界を迎えた椿はこれ以上ここに留まることができず、全力でその場から逃げた。
びっくりした。
野村にそんなことを言われるのは初めてだった。
二人を散々叱った後でのまさかの言葉に椿は無防備な状態で不意をつかれた。
だが野村以上に大木の言葉が椿の中で大きく反復する。
なぜだかわからない。
わからないが、
名前、呼ばれちゃった……
彼女のことを呼び捨てにするのは六年生だけだった。
それを今日初めて出会った年上の男に簡単に呼ばれてしまった。
彼の低音が耳に残り顔が熱くなる。
椿の意思と関係なしに反応する体に戸惑ってしまい訳もなく叫びたくなるのをぐっと押し殺す。
「なんで……あんなこと言うのよ……」
きっと褒めてくれて嬉しかったのだ、恥ずかしかったのだ、突然の言葉に体が勝手に反応しただけなのだと、椿は自分に言い聞かせる。
そうだと思っていたかった。
帰ってきた椿の様子が変だったことに気付いた仙蔵は、その訳を深く追求しなかった。
あの日から数日経ったが椿はどことなくぼーっとすることが増えたように思える。
本人にその自覚はなさそうだし他の生徒がそれに気付いている様子もなかった。
野村先生と、大木先生……
椿は彼らと話をした後から様子がおかしい。
いやだが彼らが関係しているとも限らない、本人に聞いたところで明確な答えが返るわけでもない。
仙蔵は様子を見るようにしばし野村に視線をくれる。
野村はそれに気付いているようだったが、
立花仙蔵が私を観察している。いいでしょう、いくらでも手本になって差しあげます。
と自意識の高さからとんでもない勘違いを起こしていた。
大木は頻繁ではないが近くを通りかかったなどと言いながらたまに忍術学園に顔を出した。
食堂のおばちゃんの飯が美味いと言って食事をしたり、学園長の話し相手をしたり、時に山田が出張で不在時の臨時講師をしたりしていた。
当然ながら椿と顔を合わせることも多く、大木の話を楽しそうに聞く彼女に大木も満足げだった。
大木先生といると楽しくて時間を忘れてしまう。
椿はいつしか大木が訪れるのを心待ちにするようになった。
大木の顔を見れば胸が高鳴り、声を聞けば笑みが溢れる。
子供にするように頭を撫でられるのは慣れなかったが嫌な感じはしない。むしろ触れて貰えるのが嬉しく感じる。
大木が帰る時には必ず見送る。
そして必ず次回の約束をするのだった。
「お気をつけて。またいらしてくださいね。」
「ああ。またおばちゃんの飯とお前の茶を飲みに来るな。」
ニカッと笑う大木に椿も満面の笑みで返すのだった。
それがいつものやり取り。
だが待っでも待っても次が来ることのない日が続いた。
時折椿は大木が現れるのではないかと食堂の外に目をくれたり門の付近をうろついたりしていた。
「椿」
声をかけたのは仙蔵だった。
落ち着かない様子の彼女にどうしたのかと尋ねるが、答えは濁された。
「最近様子がおかしくないか?心配事でも?」
「ううん、なんでもない。そんなふうに見えちゃった?あはは、ごめん。心配してくれてありがとう。」
なんでもない、この言葉ほど信用できない言葉はなかった。
いつまで経っても解決しそうにない彼女の変化に、少しばかりの苛立ちがあったのかも知れない。
「なんでもないようには見えないな。椿、私はお前が作法委員会で化粧をした日から何か様子が変だと思っている。一体どうしたと言うのだ?」
「………」
「お前がこれ以上踏み込むなと言うならば、何も聞かない。だが……だがな、私は………………」
「………仙蔵?」
口をつぐんだ仙蔵の握った拳が震えている。
椿はそっと彼の手を包むように取る。
はっとして彼女を見ると優しい光を宿した瞳が自分を見ていた。
「大丈夫だよ。本当に、なんでもないの。……ありがとう。」
それは優しい釘。これ以上心配することを彼女は許してくれない。
自分は彼女にとって相談をできるような相手ではないのだ。
これを現実と受け止めるには時間が欲しい。
「あ、椿さーん!」
声と共に駆けて来たのは一年は組の乱太郎、きり丸、しんべヱ。
椿は仙蔵から手を離すと乱太郎たちに向き直る。
「なぁに?どうしたの?」
「私たちこれから杭瀬村の大木雅乃助先生のところにお手伝いに行くんですが、もし良かったら椿さんもどうかと思いまして。」
「他の村の様子を見るのもいい機会だからって学園長が。」
「え、大木先生……?」
その名前を聞いて急激に顔が緩む。体がウズウズして高揚感が押さえられない。
「行く!!」
思ったより大きい声に乱太郎、きり丸、しんべヱは一瞬たじろぐが、門のところで待っていると言って去って行った。
「椿?」
急に元気になったように見える彼女の様子に驚きながら声をかける。
椿は勢いよく振り返ると、先程とは打って変わって紅潮させた頬に潤んでキラキラした瞳を仙蔵に向ける。
そして再度仙蔵の手を握ると興奮したように早口で言った。
「仙蔵!ありがとう!ありがとうね!」
「あ、あぁ……」
あまりにも顔が近付いたので返す言葉も浮かばない程に驚いたが、彼女はそれだけを言い切るとさっさと長屋の方へ駆け出していた。
自分は何に感謝されたのか理解に苦しむ。
「………」
一体何が起こったのだろう。
とても説明がつかない彼女の行動に目を丸くするしかなかった。
椿は自室へ戻ると急いで身支度を整える。
鏡の前でくるくると何度も回り自分の姿を確認する。
着崩れはないか、髪ははねていないか、汚れはついていないか、何度も確認をして部屋を飛び出した。
「お待たせ!」
門の前で三人組と合流する。
小松田の出門表にさっさと記入をすると、晴れ晴れとした気持ちで学園の外に出た。
道中は会話が途切れることがなく、乱太郎、きり丸、しんべヱと共に色々な話をした。
三人がよく遊びに行くところ、どんな遊びをしているか、土井先生の家の話、しんべヱの家の話、乱太郎の好きな景色、おいしいうどん屋さんの話、椿にとっては外の世界はどれも聞いていて飽きない。
数刻歩き続けたところで杭瀬村が見えてきたと三人が言う。
ついに来てしまったと、椿は少し緊張する。
大木が忍術学園に来るのは不定期だったし、しばらく来ないこともあったのに、それでも会えない時間が長く更新されるたびに彼女の中に会いたい気持ちが高まっていた。
村の中には整えられた畑が広がっており、青々とした葉がいくつも育っていた。
畑の中で作業をする村人も幾人かいて、乱太郎たちは大木の姿を探すと大声で呼ぶ。
「大木せんせー!」
反応した人影が上体を起こしてこちらを振り返る。
椿は体の震えを抑えるように胸の前で拳を握り息を飲んだ。
乱太郎たちを見つけた大木は顔を明るくさせ、大股でこちらへ近付いてくる。
「よく来たな、椿も一緒か。久しぶりだな。」
「はい、お久しぶりです。」
「大木先生、学園長先生から椿さんも一緒にって言われて来たんです。」
乱太郎たちの言葉に大木も納得したように答えた。
「あの、私も何かお手伝い出来ればと思いまして…」
「それは有り難い。では、そうだな……」
大木はしばらく思案した後閃いたようにニカッと笑って見せる。
「乱太郎、きり丸、しんべヱはわしの手伝いを。そして椿はこいつらに飯でも作ってやってくれ。」
「え」
「やったー!椿さんのご飯ー!」
「わー楽しみです。」
「しょーがない、やるかぁ。」
この場の誰も知らないことがある。
食堂のおばちゃん見習いとして働く椿だが、実は料理をした経験はほとんどない。
おそらく大木も乱太郎たちも、椿がおばちゃんの手伝いをしながら調理もやっていると勘違いをしているのだろう。
実際は調理前の下処理、出来たものの盛り付け、配膳、片付けくらいである。
調理なんて……せいぜい鍋が焦げないように見るくらいだ。
意気揚々と畑に向かう乱太郎たち。
大木は自宅内の調理器具の場所などを大雑把に説明する。
「まあ、適当に使ってくれ。」
「ああああの、大木先生っ」
「ああ、ある物ですまないが何でもいいぞ。よろしくな。」
そう言って椿の頭をポンポンと撫でて三人の後を追う。
今の椿にとってこの大木の行動は許しがたい。ずるい。
そんなことをされたら、台所を任されたら、期待に答えないわけには行かないではないか。
だってそうしたら、大木はきっと喜んでくれるから。
喜んで欲しいと思ってしまうから。
「………よぉーし!」
取り出した紐で襷掛けをして頭にも巾を被る。
勇ましい顔になると椿は鍋を取り出した。
農作業は思った以上に体力を使う。
乱太郎は実家の手伝いをしている経験があるので要領良く働いたが他の二人同様、まだ子供の体力では限界が早い。
それでも三人とも良く働いたと大木は褒めた。
しんべヱが漂ってくる匂いに気付くと、大木は三人に井戸で手足を洗って家に上がるように言った。
元気に戸を開けて帰ってきた三人を椿は迎え入れた。
お腹が空いたと言う乱太郎たちに引きつった笑顔の椿。
昼食は簡単におにぎりと野菜のすまし汁を出した。
大木が遅れて座ると乱太郎たち三人は手を合わせて元気良くいただきますと声を合わせた。
食事に手をつける皆を横目に椿は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
笑顔で一口目を頬張った乱太郎たちは徐々に困惑した表情を浮かべ互いに視線を合わせた。
それもそのはず、おにぎりは塩辛くすまし汁は出汁が十分に取れていない。
明らかに感想に困っている、そう思った椿はそっと声をかける。
「ごめんなさい、実は私…………ご飯を作ったことがないの………食堂で働いているのに、がっかりさせてしまって……ごめんなさい……」
頭を垂れる椿の様子に心が痛む三人は何か言おうとしたが、大木の言葉にそれを遮られる。
「いいんじゃないのか、充分美味い。」
思ってもいなかった言葉に椿は驚いて顔を上げる。
「え?」
「初めは上手く行かないと思うかもしれない、ならば努力すればいいだけのことだ。例えばこの野菜の切り方なんかは良く出来ている。火も通っているしな。本当の素人ならここまでは出来んだろ。これを満足できるようにするには、後はお前のど根性次第だ。おにぎりも疲れた体にはむしろこれくらいの方がいい。美味いぞ。」
それを聞いた乱太郎たちも互いに笑みを見せ合い、おいしいと口にする。
皆が次々と口に運ぶ様子に椿は胸がいっぱいになる。
「ありがとう……ございます。」
杭瀬村からの帰り道、椿が乱太郎たちに再度謝罪をするときり丸が笑って言う。
「全然いいっすよ。大木先生の言うこと聞いて確かになって思いましたし。」
「うん、僕もそう思う。椿さん食堂で働いてるだけあって、野菜の切り方上手だし。塩多めのおにぎりも僕好き!」
「それに苦手なことなのに私たちのために作ってくれたんだから嬉しかったですよ。」
三人とも本当に良い子だなと改めて思う。
それと同時に、今のままではいけないと思った椿は食堂のおばちゃんから教わろうと決意した。
それならまたいつか椿の手料理が食べられることを期待すると三人は言う。
「にしても、大木先生カッコよかったよな。」
「ね!上手く行かないなら努力すればいいって、さすが元教師って感じの褒め方だったよね。」
大木の名前が出た時はドキっとしたが、椿もそれは思っていた。
不味いと言われなかったことにほっとするだけでなく、逆に励まされたから彼女自身も料理が上手くなりたいと強く思えたのだ。
カッコいい、本当にそう思う。
「大木先生っていい人いないのかな?」
「どうなんだろ。ちょっと人の話聞かないところあるし、頑固だし、あの『ど根性ー!』があるからさ〜」
「でも背高いし不器用なとこあるけど男らしいよね。」
「さっきみたいなこと言ってればモテなくはないと思うけどな。椿さんどう思います?」
「んえ!?」
急に話を振られて変な声が出てしまった。
三人は不思議そうな顔でこちらを見ている。
「あ、えと、か、カッコいいと、思う、よ?」
「やっぱりそうですよね。」
「椿さんはいないんですか?いい人。」
「え!だから、その、」
「ここだけの話、土井先生とかどうすか?」
「なにおすすめしてるの、きりちゃん。」
「だって土井先生もいい歳だし、そろそろ嫁さんの一人や二人…」
「いや二人いたらダメだから。」
「じゃあ利吉さんは?」
「利吉さんもバリバリに忍者しててカッコいいよね。」
「くノ一にモテモテだしな。」
「それからさ〜、」
いつの間にか話は椿のいい人探しになっていて盛り上がる三人を止めることが出来ずに冷や汗が背中を流れる。
「どう思います?椿さん……って、あれ?」
突然姿を消した椿を探す三人。
見つけた前方には逃げるように去って行く彼女の後ろ姿。
「あぁ!待ってくださーい!」
「あーん!皆待ってよぉ〜!」
走り出す乱太郎ときり丸に、出遅れたしんべヱが続く。
畑仕事で体力を消耗した三人は椿に追いつけずに忍術学園まで走ることになった。
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