打ち上げ花火(鉢屋三郎)
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最後に彼の顔を見た時はそう、一瞬驚いたような泣いているようななんとも言えぬ表情。
椿がどうしたのかと考える間もなく、視界は塞がれてしまった。
そして彼女は繋がれた手に戸惑いながらも、広がっていく安心感にただ身を委ねた。
打ち上げ花火
「え?お祭り?」
ランチの時間、いつものように五年生が仲良く食事をしていたと思ったら勘右衛門が椿に話しかけてきた。
「そ、お祭り。俺たち後で行くつもりなんだけど、良かったら椿さんもどうかなと思って。」
お祭り……なんて魅力的な言葉なんだろう。
これまでにも祭囃子や人々の楽しそうな声を耳にしたことはあった。
けれど自分はその楽しそうな雰囲気に混ざってはいけない、そんな権利はないと思っていた。
逃げ隠れて生きてきた身、楽しみ方を知らない。
だから椿は迷ってしまった。
ニコニコ笑う五年生を前に、言葉に詰まる。
「椿さん?もしかして他に用事あった?」
「あ、えと、そうじゃなくて……」
雷蔵の言葉に、それを否定するのが精一杯だった。
不思議そうな顔をする彼らに、自分の事情なんか話してよいのか……わからない。
「……椿さん」
「な、何?三郎君……」
三郎にじっと覗き込まれる。
その目付きはいつも以上に鋭くて見透かされるようだった。
「なーに考えてんの。言っておくが、あんたはもう忍術学園の人間なんだから。」
三郎君は軽い口調でそう言うと、彼女の頭をコツンと叩いた。
彼の言葉にそれまで成り行きを見守っていた他の面子が表情を緩ませる。
「椿さん、もう今までのことは思い出さなくてもいいんですよ。」
「そうそれに、いざとなったら俺らがいますし。」
「あなた自身の人生なんだ、自分がしたいようにすればいいですよ。」
「ああ、外出許可なら心配しないでください。もう取ってあるから。」
「え?」
勘右衛門が発した言葉に、全員の視線が彼に集中する。
当の本人は何も問題がないという顔をして、懐から許可証を取り出した。
「勘右衛門、やることが早いなぁ。」
「しかも全員分ある。」
「お前、そこまでしても祭りに行きたいってか?」
兵助がからかうように勘右衛門に問いかける。
それに勘右衛門は至極真面目な顔をして答えた。
「当たり前だ。いいか、椿さんの分まで取ったのには理由がある。その一、彼女が学園に来て初めての夏だ、祭りに連れて行かねばならない。その二、早々に許可証を取らないと椿さんは六年生に取られてしまう。その三、我々五年生の出番を増やしてもらう。以上。」
「最後のは理由になってないと思うぞ。」
そう言った八左ヱ門を指差し、勘右衛門は声を荒げた。
「ろ組はなんだかんだと出番があるからそう言えるんだ!八左ヱ門、お前だっていつの間にか短編を……!裏切り者!」
「なに訳わかんないこと言ってんだよ。」
言い争う二人を見ているとだんだん可笑しくなってきて、気が付くと椿は笑っていた。
そんな椿の様子に雷蔵は安心したような笑みを浮かべた。
「椿さん、行きませんか?僕らと一緒に。」
彼らは自分を忍術学園の仲間だと言ってくれる。
いや彼らだけではなく、この学園全体が今では椿を特別な扱いをすることなく受け入れてくれている。
椿の気持ちは決まっていた。
素直な気持ちを伝えよう。
今はもう、忍術学園の竹森椿なのだから。
「うん!行きたい!」
「そうこなくっちゃ!」
「楽しみだな!」
「許可証取った甲斐があったよ。」
食堂を出た勘右衛門は隣りで珍しく思案顔をしている三郎に話しかける。
「ん、どうかしたのか?」
「……いや、なんでも……」
「ないわけないな、お前だもんな。」
「どういうことだ?」
まるでお見通しかのようにさらりと答えた勘右衛門に対し、怪訝な顔を露にする。
それさえもお構い無しな彼は、五年生の中でも客観的に三郎を見ることができ尚且つ近い存在だと言える。
同じろ組の八左ヱ門や常に一緒にいる雷蔵とはまた違う位置にいて、他者を気にしない素振りは兵助と同じだが委員会が同じという点から見ていないようで見られていたのだ。
流石、だと言える。
飄々としているようでその実は、周りを良く見ているこの男のことを三郎は認めていた。
「お前の考えてることはわかるよ、三郎。椿さん、だろ?彼女はまだ俺らと線を引いている。だけどそれは仕方ないさ、彼女の過去や立場を考えると理解できる。」
完全に考えを言い当てられる。
ならばここで意地を張っても無意味であることを三郎は知っていた。
「……過去を忘れるなんてできない。それが嫌なものなら尚更だな。」
「ああ、そうだ。俺やお前にだって、そういう過去の一つや二つあるだろ。ただ彼女の場合は多分、俺たちとは比べ物にならないだろうと思う。忍術学園に技術や知識を得るために通わせてもらっている俺たち、とは違ってな……」
「おい勘右衛門…!」
兵助が割って入ってきた。
本人がいないところでそんな話をするものじゃない、そう言いたげな顔をしている。
もちろん勘右衛門にはそれがわかるし、これ以上彼女の話を憶測でするつもりはなかった。
「だから俺はこれを取ってきたんだよ。」
そう言って取り出したのは先程見せた外出許可証。
「ランチも食べたところだし、食後の運動が必要だろ?」
「は?言ってることが………っ!?」
勘右衛門の意図がわからなかったが、その場に現れた妙な気配に思わず立ち止まる。
視線の先にいた人物が口の端を上げて笑っているが、その目は獲物を捉えた狩人のようだ。
「よぉ、お前が持っていたのか。」
「……七松先輩。」
五年生は小平太が現れた理由を瞬時に理解する。
それと同時に勘右衛門へ視線が集中する。
彼は小平太に挑戦的な目を向けたまま、同じように口元で笑った。
「来ると思っていましたよ。狙いは、これですね?」
手にしていた外出許可証を小平太に見せつけるように出す。
ピクリとも表情を変えないまま小平太が答えた。
「わかっているなら話は早い。それを渡してもらおうか。」
勘右衛門は小平太から視線を外すことなく、また返答もせずに隣にいる三郎に言った。
「三郎、椿さんと行きたいか?」
「!?」
「ならば……」
勘右衛門が持っていた許可証を三郎に押し付ける。
そして力一杯叫んだ。
「走れ!!死守しろ!!」
「!!」
「その外出許可証、誰のだかわかるな!?死んでも渡すな!!」
三郎はそれを受け取ると弾かれたように駆け出した。
勘右衛門の真意はまだわからない。
だけど今は椿の外出許可証は小平太に取られるわけにはいかない。
彼女の隣を歩くチャンスが自分にあるならば、小平太にだって負けるわけにはいかない。
「……さぁ、どうします?七松先輩。お望みの品は逃げてしまいましたよ。」
勘右衛門は小平太を挑発して見せた。
小平太は少しだけ考えるような間を置いた後、三郎が去った方向を見て笑った。
「面白い。ならば捕まえるまでだ!!いけいけ、どんどーーん!!」
全てを言い終わるか否かのうちに、小平太は五年生の前から姿を消した。
「お、おい!あれは三郎一人では荷が重いぞ!?」
「そうだな、俺たちも加勢するしかないだろ。」
「勘右衛門、なんだってあんなことを……!」
他の三人が騒ぎ立てる中でそれまで動かなかった勘右衛門は、へたりとその場に座り込む。
「悪い!すぐに追いかけるから先に行っててくれ。」
「ったく!仕方ないな。」
兵助、雷蔵、八左ヱ門は軽く打ち合わせをしてその場を去った。
完全に一人残された勘右衛門は頬杖をつきながら呟く。
「……過去は変えられない。だったら上から塗り替えるしかないだろ?お前がそれを望むならば、な。」
三郎は辺りを注意深く見渡す。
小平太が椿の外出許可証を奪いに来た、ということは他の六年生が出てくる可能性は否定できない。
小平太一人でも苦戦を強いられるのに、戦い好きなあの二人や焙烙火矢が飛んでくるようなことがあれば死守はかなり難しくなる。
「見つけた!」
「!!」
小平太の姿を確認するとまた走り出す。
しばらくこうして追いかけっこをしていたが、他の六年生が出てくる気配はなかった。
ならば、とにかく捕まらないように逃げるだけだ。
しかし、
「体力比べなんか、する方が間違いだ。」
相手はあの七松小平太だ。
逃げ回っていたところでこちらの体力が底を尽きてしまう。
「くそっ!どうすれば…!」
「三郎!」
声のした方を見ると兵助が手を上げている。
そうだ、一人で敵わないなら仲間の力を借りるしかない。
三郎は苦無に許可証を結びつけると兵助の足元に投げつけた。
地面に突き刺さったそれを引き抜くと、兵助は走り出す。
見送った三郎はその場に止まり乱れた息を整える。
「次はあっちか!」
追い付いた小平太は息も上がっていない様子で楽しそうに目を煌めかせる。
マジか…化け物かよ…
三郎には目もくれず走り出す小平太の後ろ姿に、そう思わずにはいられなかった。
ひたすら逃げることを選択した五年生は、兵助から八左ヱ門へと苦無のバトンを繋いでいた。
しかし五年生三人分の体力を持ってしても、小平太のスピードを緩めることができない。
体力の限界が訪れていた八左ヱ門は壁際に追い詰められていた。
「竹谷苦しそうだな。楽にしてやろうか?」
「!?」
「なに、それを私に渡せば終わる。久々知も鉢屋もよく頑張ったな。」
これを…外出許可証を渡せば終わる?楽になる?
いや、そんなことはできない。
なんのために兵助や三郎が走ってきたんだ。
俺が終わらせるわけにはいかない。
俺だって…椿さんと祭りに行きたい!
小平太から目線を外さずに頭を働かせる。
見開いた視界の隅に見慣れた薄茶色の髪、助太刀が来た。
「な、七松先輩…、これは渡すわけにはいかないんです!!」
小平太の左足首を通過点として地面ギリギリの高さで苦無を投げ放った。
小平太がそれに反応して捕らえようとするが、見越した八左ヱ門がしがみついて体の自由を奪う。
一時でもいい、その間に逃げてくれ。
「行けっ!!三郎!!」
「鉢屋!?」
もう戻ってきたのか、伊達に五年生ではないなと小平太は少し嬉しかった。
惜しくも許可証が結わえられた苦無を取ることはできなかったが、まだ五年生と遊べると思った小平太は三郎が再び走り出す姿を見て笑う。
「お前たち、面白いな!」
「うぇっ!?」
しがみついていた八左ヱ門を意図も簡単に引き剥がすと、雑にその辺へ投げ捨てた。
抵抗する力が十分残っていなかったにせよ、軽々と投げられてしまった八左ヱ門は変な悲鳴を上げて地面に落ちた。
最早笑うしかない、八左ヱ門は力なく笑った。
「竹谷、また今度遊ぼうな!」
「……勘弁してください。」
八左ヱ門から受け取った苦無を持って走っていた。
この追いかけっこはいつまで続くんだ?
いい加減先輩の体力が切れてくれればいいのに……
一瞬でもそんなことを思考してしまった。
目の前に突然現れた狩人の目に、体がビクリと反応する。
いつの間に……!?
射抜かれたように体が思うように動かない。
足を止めることもできなければ、避けることもできない。
そうしていると腕を捕まれ放り投げられる。
すぐ側にあった松の木に背中を打ち付け、軽く吐いた。
衝撃が身体中を巡ったが、辛うじて意識だけは手放さない。
ゆっくりと迫り来る彼を睨み付けるように目をくれる。
「……?お前……」
一瞬だが小平太が足を止めた。
力を振り絞って声を上げる。
「雷蔵!!」
「!?」
幸運だった。
声を向けた方向を小平太がチラリと見た。
が、苦無を投げつけたのはそれとは反対側。
自分と同じ顔をした彼が転げ出てきて苦無を掴む。
「後は任せた…」
思いの外、背中が痛む。
まだ蹴りつけられなかっただけ、マシかも知れない。
自分の役目は終えた、彼ならきっと上手くいく。
そんな思いから自然と笑みが溢れた。
「不思議だな。」
小平太は後を追わずに話しかけてきた。
「何がですか?」
「お前たちが皆、そうやって笑うから。」
「それは…きっと先輩と同じ思いだからじゃないでしょうか。」
その答えに小平太は満足そうに笑った。
「ああ、そうだな。じゃあ私はあいつを追うぞ。」
「許可証は渡しませんよ。」
「はは、まあ見ていろ。」
そう言って小平太は去った。
急に静かになったその場所で、ぽつりと呟く。
「……先輩と同じ、か。本当にそうなら、あいつに向ける顔がないじゃないか。」
不運だった。
それ以外に言い訳したくない。
向かった先に伊作の姿を見たとか、喜八郎が鼻歌を歌っていたとか、そうでなければよりによってこんな時に穴に落ちるわけがない。
終わった…
天から見下ろす小平太の顔を見て感情を手放す。
「不破、王手だ。それは貰うぞ。」
「……七松先輩、そんなに椿さんと行きたいんですか?」
「当たり前だ。だからこうしてお前たちを追ったんだぞ。」
やっぱりそうだ。
彼女を狙う輩はたくさんいる。
小平太はこうも露骨に椿への想いを剥き出しにする。
自分は、負けるのか?
負けてしまっていいのか?
なんのために五年生の皆が繋いでくれたんだ。
ここで諦めたら皆の思いを無下にしてしまう。
だから、失いかけた感情を今一度取り戻さなければ。
「そうですね。でも、嫌です。」
「往生際の悪いやつだな。もう逃げ場はないんだから、素直にそれを渡せ。」
「嫌です!」
なにがなんでも、渡すわけにはいかない。
まだ、やれる。
まだ、負けたわけじゃない。
物理的には負けでも感情というややこしい部分では負けたくなかった。
そんなことをしたら、彼女を、椿を諦めことになる。
追い詰められた鼠のように必死に抵抗していると、小平太の背後に手が伸びてくるのが見えた。
それが彼の襟首を掴むと後ろへ引き寄せた。
「おわぁ!?」
小平太がそれを許してしまうなんて、一体誰が?
そう思っていると相手が顔を覗かせて目が合う。
「な、中在家…先輩…?」
新手か?
はっとして目を見開いたと同時に喉に渇きを覚える。
一気に緊張に包まれ嫌な汗が背中を流れた。
だが長次は穴の中を覗き込んでため息を一つだけ溢す。
「??」
「………もそ、もそもそ。」
「え……?」
聞き取ることは出来なかった。
長次が何かを言って姿を消す。
遠ざかる小平太の声が聞こえてきて、どうやら長次が連れていったであろうことがわかった。
「な、なんだ?」
いなくなった、のだろうか?
穴の中にいるせいで、いまいち外の気配が感じ取れない。
握っていた苦無を見る。
結わえられた紙、そっと開くとそこには外出許可証の文字。
守りきれた。
これで椿と共に……
「あー、いたいた。」
「!?」
突如頭上から明るい声が聞こえ、驚きのあまり広げた許可証をくしゃっと握る。
見上げた先には笑顔で手を降る勘右衛門の姿。
「勘右衛門!」
「あー、まぁそう怒るなって。話は上がってきてからだー、よっ」
勘右衛門の態度に納得がいかないが、降りてきた縄ばしごを登りやっと外の空気を吸う。
手を差し出した勘右衛門に引き上げられると、そこには兵助と八左ヱ門、そして、
「三郎、大丈夫だった?」
自分と同じ顔がへらっと笑いながら言った。
「大丈夫か、じゃない。それはこっちの台詞だ。雷蔵こそ大丈夫なのか?」
小平太に投げられ背中を負傷したのは雷蔵の方だった。
今は八左ヱ門に肩を借りながら歩いてきている。
自信なさげに多分…と答える雷蔵に、保健室に連れて行かねばと三郎は思った。
「……で、どういう訳で俺らを走らせて雷蔵と入れ替わる羽目になったんだ?」
三郎の鋭い視線が勘右衛門に刺さる。
「すまなかった、三郎。俺たちはお前を少し試した。」
答えたのは兵助だった。
聞けば兵助と勘右衛門は三郎の椿への気持ちを確かめてみたいと思ったと言う。
都合良いことに祭りという彼女を誘う口実が出来た。
当然ながら彼女を誘いたい連中は他にもいる。
中でも小平太は確実に椿の外出許可証を奪いに来るだろう。
だからそれを利用して三郎がどれだけの想いで許可証を手放さないか、試したと言うのだ。
このことは八左ヱ門や雷蔵は知らない。
三郎が走り出した後、兵助が今回の作戦を二人に指示した。
それを聞いた二人は驚いた顔をしていた。
「途中で僕が三郎を演じるって言うのは何故?」
「それは最後に七松先輩を止める手段としてだ。」
「?」
「二人が入れ替わることで時間稼ぎをしたんだ。お前たちが逃げ回っている時に俺は中在家先輩を呼びに行ったんだよ。大変だったんだぜ?」
勘右衛門が長次を動かすことがいかに大変だったかを大袈裟に言った。
長次なら小平太を止めることができるし、尚且つ雷蔵が絡めば効果は倍増する、勘右衛門はそう読んだ。
実際そうなったのだから長次には心から感謝している。
ふと気付くと三郎が怒りを露にふるふると震えている。
「勘右衛門!!兵助!!下らないこと考えてんじゃない!!」
学園中を走り回りもうそんな体力などないくせに、三郎は特に勘右衛門を追い回した。
八左ヱ門と雷蔵も五年い組の作戦に振り回されたが、そんなことよりも本気で小平太から解放されたことにほっとした表情を見せる。
「三郎」
鬼のように勘右衛門に噛みつく三郎に雷蔵は声をかけた。
「中在家先輩から伝言。『小平太がすまないことをした。』だって。きっと伝わってないだろうからって。」
それは長次が顔を覗かせた時に言ったものだろう。
聞き取ることができなかったが、なんとなくそう言ってくれたような気がする。
長次には穴の中にいるのが三郎だとわかったのだ。
だからそう言った。
そして三郎を演じていたのが本物の雷蔵で、小平太が雷蔵を負傷させたことが長次に火をつける原因になった。
「…な、んで?」
雷蔵にわざわざ伝言を頼むようなことをしたのだろうか。
「うーん、同じ図書委員会の後輩だからじゃない?」
雷蔵は笑って答えた。
雷蔵の言葉を信じるなら、今頃小平太はお灸を据えられているに違いない。
「でも七松先輩には僕が三郎じゃないってバレたみたいだったけどね。」
ああ、それなら…あの人のことだ。
きっと乗った方が面白いと思ったに違いないと、八左ヱ門は苦笑いをした。
「だけど守れて良かったな、それ。」
雷蔵が三郎の手元を指差した。
しっかりと握られた許可証に目が行く。
「ああ、こいつは……」
守るべき相手だから。
守ることかできて良かった。
例え誰が相手でも放したくはない。
三郎が大事そうに許可証を見つめるのを横に、勘右衛門が口を出す。
「いやー本当に!守れて良かったなぁ!」
「おい勘右衛門、やめとけ!」
兵助が制するのも効かず、勘右衛門は言葉を続けた。
この男がこれ以上喋ると、ますます三郎の逆鱗に触れる。
だが本人はそれに気付いていない。
「三郎、これで祭りに行けるな!」
「当たり前だ。椿さんを六年生に取られてたまるかよ。」
「んあ?椿さん?なんで?」
「なんでって……椿さんの許可証だろ?」
「それが?俺、"椿さんの許可証"とは言ってないよ?」
三郎の目が点になる。
しばしの沈黙。
しれっとした顔の勘右衛門。
「…………は?」
「だから、それは彼女の許可証じゃないよ?よく見てみ?」
三郎は手元の許可証を恐る恐る見た。
そして確認する。
確かに、椿の名前はなく、書かれていたのは自分の名前。
「え?なんだ、三郎の許可証だったのか。」
「俺たち三郎のために走らされたのかよ~。」
雷蔵と八左ヱ門が安心したようなガッカリしたようなため息を漏らした。
ちらりと三郎の様子を見ると、再び体がワナワナと震え出している。
三郎の様子に怯える兵助と雷蔵、それに八左ヱ門。
勘右衛門は相変わらず空気が読めていない。
「勘右衛門ーーーーー!!!!」
椿がどうしたのかと考える間もなく、視界は塞がれてしまった。
そして彼女は繋がれた手に戸惑いながらも、広がっていく安心感にただ身を委ねた。
打ち上げ花火
「え?お祭り?」
ランチの時間、いつものように五年生が仲良く食事をしていたと思ったら勘右衛門が椿に話しかけてきた。
「そ、お祭り。俺たち後で行くつもりなんだけど、良かったら椿さんもどうかなと思って。」
お祭り……なんて魅力的な言葉なんだろう。
これまでにも祭囃子や人々の楽しそうな声を耳にしたことはあった。
けれど自分はその楽しそうな雰囲気に混ざってはいけない、そんな権利はないと思っていた。
逃げ隠れて生きてきた身、楽しみ方を知らない。
だから椿は迷ってしまった。
ニコニコ笑う五年生を前に、言葉に詰まる。
「椿さん?もしかして他に用事あった?」
「あ、えと、そうじゃなくて……」
雷蔵の言葉に、それを否定するのが精一杯だった。
不思議そうな顔をする彼らに、自分の事情なんか話してよいのか……わからない。
「……椿さん」
「な、何?三郎君……」
三郎にじっと覗き込まれる。
その目付きはいつも以上に鋭くて見透かされるようだった。
「なーに考えてんの。言っておくが、あんたはもう忍術学園の人間なんだから。」
三郎君は軽い口調でそう言うと、彼女の頭をコツンと叩いた。
彼の言葉にそれまで成り行きを見守っていた他の面子が表情を緩ませる。
「椿さん、もう今までのことは思い出さなくてもいいんですよ。」
「そうそれに、いざとなったら俺らがいますし。」
「あなた自身の人生なんだ、自分がしたいようにすればいいですよ。」
「ああ、外出許可なら心配しないでください。もう取ってあるから。」
「え?」
勘右衛門が発した言葉に、全員の視線が彼に集中する。
当の本人は何も問題がないという顔をして、懐から許可証を取り出した。
「勘右衛門、やることが早いなぁ。」
「しかも全員分ある。」
「お前、そこまでしても祭りに行きたいってか?」
兵助がからかうように勘右衛門に問いかける。
それに勘右衛門は至極真面目な顔をして答えた。
「当たり前だ。いいか、椿さんの分まで取ったのには理由がある。その一、彼女が学園に来て初めての夏だ、祭りに連れて行かねばならない。その二、早々に許可証を取らないと椿さんは六年生に取られてしまう。その三、我々五年生の出番を増やしてもらう。以上。」
「最後のは理由になってないと思うぞ。」
そう言った八左ヱ門を指差し、勘右衛門は声を荒げた。
「ろ組はなんだかんだと出番があるからそう言えるんだ!八左ヱ門、お前だっていつの間にか短編を……!裏切り者!」
「なに訳わかんないこと言ってんだよ。」
言い争う二人を見ているとだんだん可笑しくなってきて、気が付くと椿は笑っていた。
そんな椿の様子に雷蔵は安心したような笑みを浮かべた。
「椿さん、行きませんか?僕らと一緒に。」
彼らは自分を忍術学園の仲間だと言ってくれる。
いや彼らだけではなく、この学園全体が今では椿を特別な扱いをすることなく受け入れてくれている。
椿の気持ちは決まっていた。
素直な気持ちを伝えよう。
今はもう、忍術学園の竹森椿なのだから。
「うん!行きたい!」
「そうこなくっちゃ!」
「楽しみだな!」
「許可証取った甲斐があったよ。」
食堂を出た勘右衛門は隣りで珍しく思案顔をしている三郎に話しかける。
「ん、どうかしたのか?」
「……いや、なんでも……」
「ないわけないな、お前だもんな。」
「どういうことだ?」
まるでお見通しかのようにさらりと答えた勘右衛門に対し、怪訝な顔を露にする。
それさえもお構い無しな彼は、五年生の中でも客観的に三郎を見ることができ尚且つ近い存在だと言える。
同じろ組の八左ヱ門や常に一緒にいる雷蔵とはまた違う位置にいて、他者を気にしない素振りは兵助と同じだが委員会が同じという点から見ていないようで見られていたのだ。
流石、だと言える。
飄々としているようでその実は、周りを良く見ているこの男のことを三郎は認めていた。
「お前の考えてることはわかるよ、三郎。椿さん、だろ?彼女はまだ俺らと線を引いている。だけどそれは仕方ないさ、彼女の過去や立場を考えると理解できる。」
完全に考えを言い当てられる。
ならばここで意地を張っても無意味であることを三郎は知っていた。
「……過去を忘れるなんてできない。それが嫌なものなら尚更だな。」
「ああ、そうだ。俺やお前にだって、そういう過去の一つや二つあるだろ。ただ彼女の場合は多分、俺たちとは比べ物にならないだろうと思う。忍術学園に技術や知識を得るために通わせてもらっている俺たち、とは違ってな……」
「おい勘右衛門…!」
兵助が割って入ってきた。
本人がいないところでそんな話をするものじゃない、そう言いたげな顔をしている。
もちろん勘右衛門にはそれがわかるし、これ以上彼女の話を憶測でするつもりはなかった。
「だから俺はこれを取ってきたんだよ。」
そう言って取り出したのは先程見せた外出許可証。
「ランチも食べたところだし、食後の運動が必要だろ?」
「は?言ってることが………っ!?」
勘右衛門の意図がわからなかったが、その場に現れた妙な気配に思わず立ち止まる。
視線の先にいた人物が口の端を上げて笑っているが、その目は獲物を捉えた狩人のようだ。
「よぉ、お前が持っていたのか。」
「……七松先輩。」
五年生は小平太が現れた理由を瞬時に理解する。
それと同時に勘右衛門へ視線が集中する。
彼は小平太に挑戦的な目を向けたまま、同じように口元で笑った。
「来ると思っていましたよ。狙いは、これですね?」
手にしていた外出許可証を小平太に見せつけるように出す。
ピクリとも表情を変えないまま小平太が答えた。
「わかっているなら話は早い。それを渡してもらおうか。」
勘右衛門は小平太から視線を外すことなく、また返答もせずに隣にいる三郎に言った。
「三郎、椿さんと行きたいか?」
「!?」
「ならば……」
勘右衛門が持っていた許可証を三郎に押し付ける。
そして力一杯叫んだ。
「走れ!!死守しろ!!」
「!!」
「その外出許可証、誰のだかわかるな!?死んでも渡すな!!」
三郎はそれを受け取ると弾かれたように駆け出した。
勘右衛門の真意はまだわからない。
だけど今は椿の外出許可証は小平太に取られるわけにはいかない。
彼女の隣を歩くチャンスが自分にあるならば、小平太にだって負けるわけにはいかない。
「……さぁ、どうします?七松先輩。お望みの品は逃げてしまいましたよ。」
勘右衛門は小平太を挑発して見せた。
小平太は少しだけ考えるような間を置いた後、三郎が去った方向を見て笑った。
「面白い。ならば捕まえるまでだ!!いけいけ、どんどーーん!!」
全てを言い終わるか否かのうちに、小平太は五年生の前から姿を消した。
「お、おい!あれは三郎一人では荷が重いぞ!?」
「そうだな、俺たちも加勢するしかないだろ。」
「勘右衛門、なんだってあんなことを……!」
他の三人が騒ぎ立てる中でそれまで動かなかった勘右衛門は、へたりとその場に座り込む。
「悪い!すぐに追いかけるから先に行っててくれ。」
「ったく!仕方ないな。」
兵助、雷蔵、八左ヱ門は軽く打ち合わせをしてその場を去った。
完全に一人残された勘右衛門は頬杖をつきながら呟く。
「……過去は変えられない。だったら上から塗り替えるしかないだろ?お前がそれを望むならば、な。」
三郎は辺りを注意深く見渡す。
小平太が椿の外出許可証を奪いに来た、ということは他の六年生が出てくる可能性は否定できない。
小平太一人でも苦戦を強いられるのに、戦い好きなあの二人や焙烙火矢が飛んでくるようなことがあれば死守はかなり難しくなる。
「見つけた!」
「!!」
小平太の姿を確認するとまた走り出す。
しばらくこうして追いかけっこをしていたが、他の六年生が出てくる気配はなかった。
ならば、とにかく捕まらないように逃げるだけだ。
しかし、
「体力比べなんか、する方が間違いだ。」
相手はあの七松小平太だ。
逃げ回っていたところでこちらの体力が底を尽きてしまう。
「くそっ!どうすれば…!」
「三郎!」
声のした方を見ると兵助が手を上げている。
そうだ、一人で敵わないなら仲間の力を借りるしかない。
三郎は苦無に許可証を結びつけると兵助の足元に投げつけた。
地面に突き刺さったそれを引き抜くと、兵助は走り出す。
見送った三郎はその場に止まり乱れた息を整える。
「次はあっちか!」
追い付いた小平太は息も上がっていない様子で楽しそうに目を煌めかせる。
マジか…化け物かよ…
三郎には目もくれず走り出す小平太の後ろ姿に、そう思わずにはいられなかった。
ひたすら逃げることを選択した五年生は、兵助から八左ヱ門へと苦無のバトンを繋いでいた。
しかし五年生三人分の体力を持ってしても、小平太のスピードを緩めることができない。
体力の限界が訪れていた八左ヱ門は壁際に追い詰められていた。
「竹谷苦しそうだな。楽にしてやろうか?」
「!?」
「なに、それを私に渡せば終わる。久々知も鉢屋もよく頑張ったな。」
これを…外出許可証を渡せば終わる?楽になる?
いや、そんなことはできない。
なんのために兵助や三郎が走ってきたんだ。
俺が終わらせるわけにはいかない。
俺だって…椿さんと祭りに行きたい!
小平太から目線を外さずに頭を働かせる。
見開いた視界の隅に見慣れた薄茶色の髪、助太刀が来た。
「な、七松先輩…、これは渡すわけにはいかないんです!!」
小平太の左足首を通過点として地面ギリギリの高さで苦無を投げ放った。
小平太がそれに反応して捕らえようとするが、見越した八左ヱ門がしがみついて体の自由を奪う。
一時でもいい、その間に逃げてくれ。
「行けっ!!三郎!!」
「鉢屋!?」
もう戻ってきたのか、伊達に五年生ではないなと小平太は少し嬉しかった。
惜しくも許可証が結わえられた苦無を取ることはできなかったが、まだ五年生と遊べると思った小平太は三郎が再び走り出す姿を見て笑う。
「お前たち、面白いな!」
「うぇっ!?」
しがみついていた八左ヱ門を意図も簡単に引き剥がすと、雑にその辺へ投げ捨てた。
抵抗する力が十分残っていなかったにせよ、軽々と投げられてしまった八左ヱ門は変な悲鳴を上げて地面に落ちた。
最早笑うしかない、八左ヱ門は力なく笑った。
「竹谷、また今度遊ぼうな!」
「……勘弁してください。」
八左ヱ門から受け取った苦無を持って走っていた。
この追いかけっこはいつまで続くんだ?
いい加減先輩の体力が切れてくれればいいのに……
一瞬でもそんなことを思考してしまった。
目の前に突然現れた狩人の目に、体がビクリと反応する。
いつの間に……!?
射抜かれたように体が思うように動かない。
足を止めることもできなければ、避けることもできない。
そうしていると腕を捕まれ放り投げられる。
すぐ側にあった松の木に背中を打ち付け、軽く吐いた。
衝撃が身体中を巡ったが、辛うじて意識だけは手放さない。
ゆっくりと迫り来る彼を睨み付けるように目をくれる。
「……?お前……」
一瞬だが小平太が足を止めた。
力を振り絞って声を上げる。
「雷蔵!!」
「!?」
幸運だった。
声を向けた方向を小平太がチラリと見た。
が、苦無を投げつけたのはそれとは反対側。
自分と同じ顔をした彼が転げ出てきて苦無を掴む。
「後は任せた…」
思いの外、背中が痛む。
まだ蹴りつけられなかっただけ、マシかも知れない。
自分の役目は終えた、彼ならきっと上手くいく。
そんな思いから自然と笑みが溢れた。
「不思議だな。」
小平太は後を追わずに話しかけてきた。
「何がですか?」
「お前たちが皆、そうやって笑うから。」
「それは…きっと先輩と同じ思いだからじゃないでしょうか。」
その答えに小平太は満足そうに笑った。
「ああ、そうだな。じゃあ私はあいつを追うぞ。」
「許可証は渡しませんよ。」
「はは、まあ見ていろ。」
そう言って小平太は去った。
急に静かになったその場所で、ぽつりと呟く。
「……先輩と同じ、か。本当にそうなら、あいつに向ける顔がないじゃないか。」
不運だった。
それ以外に言い訳したくない。
向かった先に伊作の姿を見たとか、喜八郎が鼻歌を歌っていたとか、そうでなければよりによってこんな時に穴に落ちるわけがない。
終わった…
天から見下ろす小平太の顔を見て感情を手放す。
「不破、王手だ。それは貰うぞ。」
「……七松先輩、そんなに椿さんと行きたいんですか?」
「当たり前だ。だからこうしてお前たちを追ったんだぞ。」
やっぱりそうだ。
彼女を狙う輩はたくさんいる。
小平太はこうも露骨に椿への想いを剥き出しにする。
自分は、負けるのか?
負けてしまっていいのか?
なんのために五年生の皆が繋いでくれたんだ。
ここで諦めたら皆の思いを無下にしてしまう。
だから、失いかけた感情を今一度取り戻さなければ。
「そうですね。でも、嫌です。」
「往生際の悪いやつだな。もう逃げ場はないんだから、素直にそれを渡せ。」
「嫌です!」
なにがなんでも、渡すわけにはいかない。
まだ、やれる。
まだ、負けたわけじゃない。
物理的には負けでも感情というややこしい部分では負けたくなかった。
そんなことをしたら、彼女を、椿を諦めことになる。
追い詰められた鼠のように必死に抵抗していると、小平太の背後に手が伸びてくるのが見えた。
それが彼の襟首を掴むと後ろへ引き寄せた。
「おわぁ!?」
小平太がそれを許してしまうなんて、一体誰が?
そう思っていると相手が顔を覗かせて目が合う。
「な、中在家…先輩…?」
新手か?
はっとして目を見開いたと同時に喉に渇きを覚える。
一気に緊張に包まれ嫌な汗が背中を流れた。
だが長次は穴の中を覗き込んでため息を一つだけ溢す。
「??」
「………もそ、もそもそ。」
「え……?」
聞き取ることは出来なかった。
長次が何かを言って姿を消す。
遠ざかる小平太の声が聞こえてきて、どうやら長次が連れていったであろうことがわかった。
「な、なんだ?」
いなくなった、のだろうか?
穴の中にいるせいで、いまいち外の気配が感じ取れない。
握っていた苦無を見る。
結わえられた紙、そっと開くとそこには外出許可証の文字。
守りきれた。
これで椿と共に……
「あー、いたいた。」
「!?」
突如頭上から明るい声が聞こえ、驚きのあまり広げた許可証をくしゃっと握る。
見上げた先には笑顔で手を降る勘右衛門の姿。
「勘右衛門!」
「あー、まぁそう怒るなって。話は上がってきてからだー、よっ」
勘右衛門の態度に納得がいかないが、降りてきた縄ばしごを登りやっと外の空気を吸う。
手を差し出した勘右衛門に引き上げられると、そこには兵助と八左ヱ門、そして、
「三郎、大丈夫だった?」
自分と同じ顔がへらっと笑いながら言った。
「大丈夫か、じゃない。それはこっちの台詞だ。雷蔵こそ大丈夫なのか?」
小平太に投げられ背中を負傷したのは雷蔵の方だった。
今は八左ヱ門に肩を借りながら歩いてきている。
自信なさげに多分…と答える雷蔵に、保健室に連れて行かねばと三郎は思った。
「……で、どういう訳で俺らを走らせて雷蔵と入れ替わる羽目になったんだ?」
三郎の鋭い視線が勘右衛門に刺さる。
「すまなかった、三郎。俺たちはお前を少し試した。」
答えたのは兵助だった。
聞けば兵助と勘右衛門は三郎の椿への気持ちを確かめてみたいと思ったと言う。
都合良いことに祭りという彼女を誘う口実が出来た。
当然ながら彼女を誘いたい連中は他にもいる。
中でも小平太は確実に椿の外出許可証を奪いに来るだろう。
だからそれを利用して三郎がどれだけの想いで許可証を手放さないか、試したと言うのだ。
このことは八左ヱ門や雷蔵は知らない。
三郎が走り出した後、兵助が今回の作戦を二人に指示した。
それを聞いた二人は驚いた顔をしていた。
「途中で僕が三郎を演じるって言うのは何故?」
「それは最後に七松先輩を止める手段としてだ。」
「?」
「二人が入れ替わることで時間稼ぎをしたんだ。お前たちが逃げ回っている時に俺は中在家先輩を呼びに行ったんだよ。大変だったんだぜ?」
勘右衛門が長次を動かすことがいかに大変だったかを大袈裟に言った。
長次なら小平太を止めることができるし、尚且つ雷蔵が絡めば効果は倍増する、勘右衛門はそう読んだ。
実際そうなったのだから長次には心から感謝している。
ふと気付くと三郎が怒りを露にふるふると震えている。
「勘右衛門!!兵助!!下らないこと考えてんじゃない!!」
学園中を走り回りもうそんな体力などないくせに、三郎は特に勘右衛門を追い回した。
八左ヱ門と雷蔵も五年い組の作戦に振り回されたが、そんなことよりも本気で小平太から解放されたことにほっとした表情を見せる。
「三郎」
鬼のように勘右衛門に噛みつく三郎に雷蔵は声をかけた。
「中在家先輩から伝言。『小平太がすまないことをした。』だって。きっと伝わってないだろうからって。」
それは長次が顔を覗かせた時に言ったものだろう。
聞き取ることができなかったが、なんとなくそう言ってくれたような気がする。
長次には穴の中にいるのが三郎だとわかったのだ。
だからそう言った。
そして三郎を演じていたのが本物の雷蔵で、小平太が雷蔵を負傷させたことが長次に火をつける原因になった。
「…な、んで?」
雷蔵にわざわざ伝言を頼むようなことをしたのだろうか。
「うーん、同じ図書委員会の後輩だからじゃない?」
雷蔵は笑って答えた。
雷蔵の言葉を信じるなら、今頃小平太はお灸を据えられているに違いない。
「でも七松先輩には僕が三郎じゃないってバレたみたいだったけどね。」
ああ、それなら…あの人のことだ。
きっと乗った方が面白いと思ったに違いないと、八左ヱ門は苦笑いをした。
「だけど守れて良かったな、それ。」
雷蔵が三郎の手元を指差した。
しっかりと握られた許可証に目が行く。
「ああ、こいつは……」
守るべき相手だから。
守ることかできて良かった。
例え誰が相手でも放したくはない。
三郎が大事そうに許可証を見つめるのを横に、勘右衛門が口を出す。
「いやー本当に!守れて良かったなぁ!」
「おい勘右衛門、やめとけ!」
兵助が制するのも効かず、勘右衛門は言葉を続けた。
この男がこれ以上喋ると、ますます三郎の逆鱗に触れる。
だが本人はそれに気付いていない。
「三郎、これで祭りに行けるな!」
「当たり前だ。椿さんを六年生に取られてたまるかよ。」
「んあ?椿さん?なんで?」
「なんでって……椿さんの許可証だろ?」
「それが?俺、"椿さんの許可証"とは言ってないよ?」
三郎の目が点になる。
しばしの沈黙。
しれっとした顔の勘右衛門。
「…………は?」
「だから、それは彼女の許可証じゃないよ?よく見てみ?」
三郎は手元の許可証を恐る恐る見た。
そして確認する。
確かに、椿の名前はなく、書かれていたのは自分の名前。
「え?なんだ、三郎の許可証だったのか。」
「俺たち三郎のために走らされたのかよ~。」
雷蔵と八左ヱ門が安心したようなガッカリしたようなため息を漏らした。
ちらりと三郎の様子を見ると、再び体がワナワナと震え出している。
三郎の様子に怯える兵助と雷蔵、それに八左ヱ門。
勘右衛門は相変わらず空気が読めていない。
「勘右衛門ーーーーー!!!!」
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