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生物委員会の仕事を後輩たちと済ませたいつもの午後。
孫兵がまた新しいペットを連れてきて、生物委員会の仲間入りを果たす。
俺は孫兵にいつもの決まり文句を言い、それに対して清々しい程の笑顔で孫兵は答えた。
「はい!生き物を飼うなら最後まで。フナちゃんを大切に育てます!」
早速フナちゃんと名付けたらしい。
孫兵はその新入りを嬉しそうに虫籠に入れ、うっとりと見つめていた。
「じゃあ後は頼んだぞ。」
俺は委員会日誌を書く番だったので、一足先にその場を後にする。
実は先程から俺たちを遠巻きに見ていた椿さんが気になっていたせいもある。
俺は彼女に近づいて声をかけた。
「椿さん」
「!…八左ヱ門君、な、何?」
こっちが驚くくらいの動揺。
まさか俺が彼女に気づいていないとでも思ったのだろうか。
「いや、さっきから見ていましたよね?」
「あ、やっぱりわかっちゃってたか。」
舌をペロッと出して彼女は笑う。
その仕草は彼女が俺より三つも年上だという事実を見失わさせる。
悪い意味じゃない、親近感が沸くという意味だ。
「八左ヱ門君は、生き物を大切にするんだね。」
「ええ、生物委員会ですから。」
椿さんの言葉に俺は何の気なしに返答する。
彼女はそっか、と言って笑った。
とても悲しそうに笑った。
それを見逃すはずがなかった。
「椿さん、何かありました?」
今度は困ったように笑う。
どうして彼女が気になるのか、正直俺はこの時はわかっていなかった。
「ん………うん。……私、八左ヱ門君に軽蔑されちゃうだろうな。」
軽蔑する?俺が彼女を?
「軽蔑だなんて……しませんよ。何があったか、聞いてもいいですか?」
相当言いにくいことなんだろう。
椿さんは今まで見せたことのないような顔をしている。
少し青白いと言うか……
静か過ぎるくらい、何も聞こえない。
俺たち以外誰もいないが、そういう意味ではない。
沈黙の後、彼女は静かに口を開いた。
「……前にね、命を……奪ってしまったことがあるの。」
「え……」
想定外だった。
椿さんはとてもそんなことをするような人には見えない。
いや、何かの間違いなんじゃないだろうか。
そうであって欲しい。
「……なにを?」
「……………うさぎ。」
それも意外な答えだった。
彼女が苦手だと言う虫だとか、そういう類いの話かとも思ったが、まさか害のない兎という答えに愕然とする。
それでも訳を聞かなければならなかった。
何の理由もなくそんなことをする彼女を想像できない。
認めたくない。
妙な緊張から、喉が渇く。
「どうして、ですか?」
「忍術学園に来る前に……私、食べるものに困ってしまって…。偶然見つけたうさぎを……殺めてしまった……。」
……ああ、そうか。
彼女はここに辿り着くまで、想像もできないような苦労をしてきたのだろう。
孤独の中で生きてきた人間にとって、飢えは死を簡単に思い起こさせる。
椿さんは虫を怖がり、ましてやそれを殺すことを泣いて嫌がる。
それでも彼女がそういう手段を取ってしまった、余程の精神状態だったことだろう。
「……そう、ですか。……だけど椿さん、」
俺は気づいた。
彼女が出しているサイン。
椿さんの手をそっと握る。
「怖かったでしょう?辛かったでしょう?」
「え……?」
「……震えています。」
彼女は優しい。
学園に来る前の話だから、もう幾分時間が経っているのに、こうして涙も流している。
平気そうな顔をして過ごしながら、過去の罪に苦しんでいる。
命を奪う時、その時もこんな風に震えて涙を流したことだろう。
これは懺悔なんだと思う。
そうじゃなきゃ、この話が一番相応しくない俺にわざわざ話したりしないだろ。
「八左ヱ門君、私、自分の空腹を満たすためにうさぎを手にかけたの。」
「……はい。」
「自分勝手な理由で、命を奪ってしまった……」
「……はい。」
「あの時見つけていなければ、生き続けられたかも知れない命を、私は…!」
「椿さん!」
震える彼女の手を強引に引き、顔を上げさせる。
至近距離で彼女の瞳が揺れている。
「確かにあなたは兎を殺めたんでしょう。それは変えられない事実だし、あなたがこの手を血に染めたと言うことが俺は悲しい。だけどそうじゃない。何のために兎の命を奪ったんですか。椿さん、あなたが生きるためでしょう?」
「……生きる、ため?」
「そうです。食べる物に困って偶然見つけた兎を頂いた。食べなければあなたが生きられない。そうでしょう?」
椿さんは俺の話を聞いて小さく頷いた。
「なら、生きるために奪った命に泣いてはいけない。可哀想と思ってはいけない。兎のためにあなたがすることは、感謝です。」
「感謝…?」
「そうです。命を頂いたからあなたは生きることができた。それは自分勝手な理由じゃありません。野生の動物も殺生をします。けど食べるためにしか殺さない。無意味な殺しはしないのです。」
椿さんの瞳が不安を映し出す。
「…私を、嫌わないの?」
「何言ってるんです。」
嫌うだなんて、そんなこと。
「するわけないじゃないですか。寧ろ話してくれて良かった。あなたの心に引っ掛かっているものを俺が取り除くことができたなら、それでいいです。」
俺だから、俺じゃなきゃ、彼女を救えなかったんじゃないだろうか。
少しだけ、そう自惚れていたい。
流れ落ちるその涙を止めるために、椿さんをそっと抱き締める。
あ、いや、孫次郎とか一平がこうしてやると落ち着くものだから。
他意は……ないわけで。
「八左ヱ門君、ありがとう。」
椿さんは俺の装束を掴んで顔を埋めて泣いた。
きっと誰にも言えずに苦しんでいたんだろう。
一人で逃げて生きてきた彼女だから、そういう経験があってもおかしくはない。
椿さんがした、生きるために命を奪う行為は俺がいつも言っていることとは本質が違う。
生き物を飼うなら最後まで。
俺は生物委員であり、生き物が好きだ。
だから生き物を大切にすることをいつも口煩く言っている。
命を大切にすること、それが座右の銘でもある。
だがそれはあくまで、命を拾い育て面倒を見る場合だ。
椿さんのように、時には命を奪いそれを頂くこともあるだろう。
それは決して命を大事にしていないとか、軽んじているだとか、そんなことではない。
生きるために他を犠牲にしたのなら、その分自分が生きなければならない。
そして犠牲となった命に感謝をしなければならない。
それが命を大切にするということ、だと思う。
しばらくすると彼女は落ち着きを取り戻したようだった。
「椿さん、大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう。……私は兎の命を奪った。だからその分生きなきゃいけないんだね。」
「はい。」
彼女は小さくありがとうと言った。
俺に対して言ったことではないのに、心が温かくなるのを感じる。
「あのね……もう少し、このままでいいかな?」
「!……はい。」
急に現実に引き戻されたかのようだった。
椿さんの一言で胸が締め付けられたように苦しくなる。
それと同時に、腕の中の彼女がこんなに小さい存在だったのだと自覚させる。
何故だか、顔が熱い。
「ごめんね。本当は……八左ヱ門君に嫌われることが怖かったんじゃないの。生き物を大切にするあなたに向ける私の笑顔が嘘になりそうで、あなたに偽りの自分を見せることが怖くて……。八左ヱ門君に嫌われてしまっても、あなたに嘘はつきたくなかったから。」
「それでいいじゃないですか。」
俺の言葉に椿さんが顔を上げる。
「どんな理由であれ、話をしてくれたから俺は椿さんが言う『嘘』を払うことができた。あなたは自分本意なことだと言うかも知れないけれど、それでもあなたが自分を見失わずにいられるなら俺はいくらでも利用されますよ。……それに、どんな理由があろうとも、あなたを嫌いになったりしません。」
人は脆いから。
命を一度でも奪うと、自分を見失う程の後悔に襲われる。
或いは、その行為が己の支配欲を掻き立て自らをまるで神か何かのように錯覚する。
彼女は前者であった。
それが俺に取っては救いであって、だから差し伸べられた手を引き上げてやりたくなる。
椿さんは笑った。
今度はとても、嬉しそうに。
「ありがとう……。八左ヱ門君、ありがとう。……ありがとう。やっぱり、八左ヱ門君に話せて良かった。本当に、良かった。」
彼女は何度も感謝の言葉を述べた。
それは今度は、俺に向けられているのだと思う。
彼女を自分の腕の中に抱いているという事実も相まって、余計に気恥ずかしさが込み上げてくる。
きっと、三郎なんかに見られた日には恨まれてつけ回されるのでないだろうかと、想像は容易である。
勘弁して欲しい。
「八左ヱ門君、本当にありがとう。委員会の途中だったよね、付き合ってもらってごめんね。なんか恥ずかしいところも見せてしまったし……。」
椿さんは体を離すと照れ笑いを浮かべた。
「いえ、大丈夫ですよ。いつでも話聞きますから。」
あなたが心からの笑顔を俺に向けてくれるのならば、この身を惜しみ無く差し出そう。
あなたの罪を全て受け止めよう。
それが、人を大切にするということなんだろう。
……本当はもう少し違う言い方の方が合うと思うのだが、今はこれ以上の言葉は言えない。
「うん!……八左ヱ門君、」
「はい。」
「大好き。」
「はい。……………………………………え?」
椿さんは笑いながら去って行った。
一人残された俺は、彼女が最後に放った言葉が上手く消化できていない。
まばたきをするのも忘れてしまったかのようにただ、彼女の晴れやかな後ろ姿を見送ることしかできない。
椿さんは本当はくノ一なのではないだろうか。
いや、そんなことあるはずもないのに彼女の言葉に踊らされる自分を恥じて、ありもしない言い訳をしてみる。
だけど、
俺の解釈が正しいのならば、先程三郎に向けた言葉は撤回しなければならないだろう。
三郎、すまないが俺はお前に背を向けることができないみたいだ。
先程までは気付きもしなかった感情が、自分の中にもあるのだと知ってしまった。
「……まいったな。」
精一杯の強がりを吐いた。
空高く鳶の鳴く声が響いた午後のことだった。
━大切にするということ 完━
孫兵がまた新しいペットを連れてきて、生物委員会の仲間入りを果たす。
俺は孫兵にいつもの決まり文句を言い、それに対して清々しい程の笑顔で孫兵は答えた。
「はい!生き物を飼うなら最後まで。フナちゃんを大切に育てます!」
早速フナちゃんと名付けたらしい。
孫兵はその新入りを嬉しそうに虫籠に入れ、うっとりと見つめていた。
「じゃあ後は頼んだぞ。」
俺は委員会日誌を書く番だったので、一足先にその場を後にする。
実は先程から俺たちを遠巻きに見ていた椿さんが気になっていたせいもある。
俺は彼女に近づいて声をかけた。
「椿さん」
「!…八左ヱ門君、な、何?」
こっちが驚くくらいの動揺。
まさか俺が彼女に気づいていないとでも思ったのだろうか。
「いや、さっきから見ていましたよね?」
「あ、やっぱりわかっちゃってたか。」
舌をペロッと出して彼女は笑う。
その仕草は彼女が俺より三つも年上だという事実を見失わさせる。
悪い意味じゃない、親近感が沸くという意味だ。
「八左ヱ門君は、生き物を大切にするんだね。」
「ええ、生物委員会ですから。」
椿さんの言葉に俺は何の気なしに返答する。
彼女はそっか、と言って笑った。
とても悲しそうに笑った。
それを見逃すはずがなかった。
「椿さん、何かありました?」
今度は困ったように笑う。
どうして彼女が気になるのか、正直俺はこの時はわかっていなかった。
「ん………うん。……私、八左ヱ門君に軽蔑されちゃうだろうな。」
軽蔑する?俺が彼女を?
「軽蔑だなんて……しませんよ。何があったか、聞いてもいいですか?」
相当言いにくいことなんだろう。
椿さんは今まで見せたことのないような顔をしている。
少し青白いと言うか……
静か過ぎるくらい、何も聞こえない。
俺たち以外誰もいないが、そういう意味ではない。
沈黙の後、彼女は静かに口を開いた。
「……前にね、命を……奪ってしまったことがあるの。」
「え……」
想定外だった。
椿さんはとてもそんなことをするような人には見えない。
いや、何かの間違いなんじゃないだろうか。
そうであって欲しい。
「……なにを?」
「……………うさぎ。」
それも意外な答えだった。
彼女が苦手だと言う虫だとか、そういう類いの話かとも思ったが、まさか害のない兎という答えに愕然とする。
それでも訳を聞かなければならなかった。
何の理由もなくそんなことをする彼女を想像できない。
認めたくない。
妙な緊張から、喉が渇く。
「どうして、ですか?」
「忍術学園に来る前に……私、食べるものに困ってしまって…。偶然見つけたうさぎを……殺めてしまった……。」
……ああ、そうか。
彼女はここに辿り着くまで、想像もできないような苦労をしてきたのだろう。
孤独の中で生きてきた人間にとって、飢えは死を簡単に思い起こさせる。
椿さんは虫を怖がり、ましてやそれを殺すことを泣いて嫌がる。
それでも彼女がそういう手段を取ってしまった、余程の精神状態だったことだろう。
「……そう、ですか。……だけど椿さん、」
俺は気づいた。
彼女が出しているサイン。
椿さんの手をそっと握る。
「怖かったでしょう?辛かったでしょう?」
「え……?」
「……震えています。」
彼女は優しい。
学園に来る前の話だから、もう幾分時間が経っているのに、こうして涙も流している。
平気そうな顔をして過ごしながら、過去の罪に苦しんでいる。
命を奪う時、その時もこんな風に震えて涙を流したことだろう。
これは懺悔なんだと思う。
そうじゃなきゃ、この話が一番相応しくない俺にわざわざ話したりしないだろ。
「八左ヱ門君、私、自分の空腹を満たすためにうさぎを手にかけたの。」
「……はい。」
「自分勝手な理由で、命を奪ってしまった……」
「……はい。」
「あの時見つけていなければ、生き続けられたかも知れない命を、私は…!」
「椿さん!」
震える彼女の手を強引に引き、顔を上げさせる。
至近距離で彼女の瞳が揺れている。
「確かにあなたは兎を殺めたんでしょう。それは変えられない事実だし、あなたがこの手を血に染めたと言うことが俺は悲しい。だけどそうじゃない。何のために兎の命を奪ったんですか。椿さん、あなたが生きるためでしょう?」
「……生きる、ため?」
「そうです。食べる物に困って偶然見つけた兎を頂いた。食べなければあなたが生きられない。そうでしょう?」
椿さんは俺の話を聞いて小さく頷いた。
「なら、生きるために奪った命に泣いてはいけない。可哀想と思ってはいけない。兎のためにあなたがすることは、感謝です。」
「感謝…?」
「そうです。命を頂いたからあなたは生きることができた。それは自分勝手な理由じゃありません。野生の動物も殺生をします。けど食べるためにしか殺さない。無意味な殺しはしないのです。」
椿さんの瞳が不安を映し出す。
「…私を、嫌わないの?」
「何言ってるんです。」
嫌うだなんて、そんなこと。
「するわけないじゃないですか。寧ろ話してくれて良かった。あなたの心に引っ掛かっているものを俺が取り除くことができたなら、それでいいです。」
俺だから、俺じゃなきゃ、彼女を救えなかったんじゃないだろうか。
少しだけ、そう自惚れていたい。
流れ落ちるその涙を止めるために、椿さんをそっと抱き締める。
あ、いや、孫次郎とか一平がこうしてやると落ち着くものだから。
他意は……ないわけで。
「八左ヱ門君、ありがとう。」
椿さんは俺の装束を掴んで顔を埋めて泣いた。
きっと誰にも言えずに苦しんでいたんだろう。
一人で逃げて生きてきた彼女だから、そういう経験があってもおかしくはない。
椿さんがした、生きるために命を奪う行為は俺がいつも言っていることとは本質が違う。
生き物を飼うなら最後まで。
俺は生物委員であり、生き物が好きだ。
だから生き物を大切にすることをいつも口煩く言っている。
命を大切にすること、それが座右の銘でもある。
だがそれはあくまで、命を拾い育て面倒を見る場合だ。
椿さんのように、時には命を奪いそれを頂くこともあるだろう。
それは決して命を大事にしていないとか、軽んじているだとか、そんなことではない。
生きるために他を犠牲にしたのなら、その分自分が生きなければならない。
そして犠牲となった命に感謝をしなければならない。
それが命を大切にするということ、だと思う。
しばらくすると彼女は落ち着きを取り戻したようだった。
「椿さん、大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう。……私は兎の命を奪った。だからその分生きなきゃいけないんだね。」
「はい。」
彼女は小さくありがとうと言った。
俺に対して言ったことではないのに、心が温かくなるのを感じる。
「あのね……もう少し、このままでいいかな?」
「!……はい。」
急に現実に引き戻されたかのようだった。
椿さんの一言で胸が締め付けられたように苦しくなる。
それと同時に、腕の中の彼女がこんなに小さい存在だったのだと自覚させる。
何故だか、顔が熱い。
「ごめんね。本当は……八左ヱ門君に嫌われることが怖かったんじゃないの。生き物を大切にするあなたに向ける私の笑顔が嘘になりそうで、あなたに偽りの自分を見せることが怖くて……。八左ヱ門君に嫌われてしまっても、あなたに嘘はつきたくなかったから。」
「それでいいじゃないですか。」
俺の言葉に椿さんが顔を上げる。
「どんな理由であれ、話をしてくれたから俺は椿さんが言う『嘘』を払うことができた。あなたは自分本意なことだと言うかも知れないけれど、それでもあなたが自分を見失わずにいられるなら俺はいくらでも利用されますよ。……それに、どんな理由があろうとも、あなたを嫌いになったりしません。」
人は脆いから。
命を一度でも奪うと、自分を見失う程の後悔に襲われる。
或いは、その行為が己の支配欲を掻き立て自らをまるで神か何かのように錯覚する。
彼女は前者であった。
それが俺に取っては救いであって、だから差し伸べられた手を引き上げてやりたくなる。
椿さんは笑った。
今度はとても、嬉しそうに。
「ありがとう……。八左ヱ門君、ありがとう。……ありがとう。やっぱり、八左ヱ門君に話せて良かった。本当に、良かった。」
彼女は何度も感謝の言葉を述べた。
それは今度は、俺に向けられているのだと思う。
彼女を自分の腕の中に抱いているという事実も相まって、余計に気恥ずかしさが込み上げてくる。
きっと、三郎なんかに見られた日には恨まれてつけ回されるのでないだろうかと、想像は容易である。
勘弁して欲しい。
「八左ヱ門君、本当にありがとう。委員会の途中だったよね、付き合ってもらってごめんね。なんか恥ずかしいところも見せてしまったし……。」
椿さんは体を離すと照れ笑いを浮かべた。
「いえ、大丈夫ですよ。いつでも話聞きますから。」
あなたが心からの笑顔を俺に向けてくれるのならば、この身を惜しみ無く差し出そう。
あなたの罪を全て受け止めよう。
それが、人を大切にするということなんだろう。
……本当はもう少し違う言い方の方が合うと思うのだが、今はこれ以上の言葉は言えない。
「うん!……八左ヱ門君、」
「はい。」
「大好き。」
「はい。……………………………………え?」
椿さんは笑いながら去って行った。
一人残された俺は、彼女が最後に放った言葉が上手く消化できていない。
まばたきをするのも忘れてしまったかのようにただ、彼女の晴れやかな後ろ姿を見送ることしかできない。
椿さんは本当はくノ一なのではないだろうか。
いや、そんなことあるはずもないのに彼女の言葉に踊らされる自分を恥じて、ありもしない言い訳をしてみる。
だけど、
俺の解釈が正しいのならば、先程三郎に向けた言葉は撤回しなければならないだろう。
三郎、すまないが俺はお前に背を向けることができないみたいだ。
先程までは気付きもしなかった感情が、自分の中にもあるのだと知ってしまった。
「……まいったな。」
精一杯の強がりを吐いた。
空高く鳶の鳴く声が響いた午後のことだった。
━大切にするということ 完━
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