花恋文(中在家長次)
あなたのお名前は?
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
何もない暇な時間はもっぱら図書室で過ごすことが増えた。
静かな空間と書物の匂いがどこか懐かしい。
みんなが読むような忍に関する難しい本は読めないけれど、物語の本とか花の画集だとか、くのたまの子たちが好みそうな本を手に、今日も読みふける。
私の定位置は決まって長次の背中。
いつも図書室に行くと、いつもの位置で長次が難しい本を読んでいる。
通い続けるうちに私は、長次と背中合わせにして本を広げることが多くなった。
とてもお行儀の良い座り方ではないけれど、長次は何も言わずにその背中を貸してくれる。
でも時々、背中が温かくて眠気に襲われそうになることもある。
前に失態を晒しているから気をつけないと。
その光景が図書室での当たり前になろうとする頃のこと。
その日もいつものように長次の背中で本を読んだ後、食堂の仕事のために時間になると図書室を出る。
「椿さん。」
後ろから声をかけられて振り向くと、そこにいたのは先程図書室にいたきり丸君だった。
「きり丸君。どうしたの?」
「最近よく図書室に来ますよね?」
「そうだね、暇な時はここに来ることが多いかな。」
きり丸君は穏やかに笑って見せた。
「椿さんが来てくれるから、図書室の雰囲気が明るくなるなと思って。」
「そうかな?私特になにもしていないけど?」
「いえ、中在家先輩の雰囲気が全然違いますよ。普段図書室に来ない連中も、行きやすくなったって言ってるし。」
そうなのか。
正直長次の雰囲気の違いは全然わからなかった。
私は穏やかな長次しか知らないのかも知れない。
「中在家先輩は表情が変わらないし、体が大きいから一年の中にはびびってる奴らもいて…だから正直椿さんすごいなって思いますよ。あっ、今のは中在家先輩には内緒ですよ。」
きり丸君は少し慌てた様子で口の前に指を立てる。
私は笑いながらわかったと伝えた。
「ありがとうございます。またいつでも図書室に来てくださいね。待ってますから。」
手を振りながら来た道を戻っていくきり丸君に、私も手を振り返す。
言われてみて気づいたけど、長次はあの見た目だから低学年の子にとっては少し怖いんだ。
きり丸君にすごいと言われたけれど、私は初めて会った時から長次のこと、怖いとは感じなかったな。
どうしてだろう。
その日の夕食、小平太が言い出したことに戸惑ってしまった。
「明日から数日、学園には帰ってこないんだ。」
「え…」
六年生は全員、明日から実習のため学園を留守にすると言う。
人数分の食事は用意しなくていいという意味で小平太は言ったのだけど、私は無意識のうちに長次に目をくれる。
長次はいつもと変わらない表情で小さく頷く。
「いつまで…いないの?」
「五日間の予定だ。あくまで予定だから変動することもあるだろうがな。」
五日……そんなに長く誰かが忍術学園に帰ってこなかった経験が、私にはまだない。
「心配しなくても大丈夫だよ。六年になったらよくあることだから。」
「それにしても五日もおばちゃんの食事が食べられないなんてな。」
「お前は食い物の心配かよ。」
伊作、小平太、留三郎の言葉が私の不安を取り払おうとしてくれる。
そう、授業なのだしよくあることらしいし、心配しちゃいけない。
みんなを信じて、私はここで待ってるしかないのだ。
次の日の朝、食堂のおばちゃんが六年生に持たせるおにぎりを作ると言うので、手伝いをさせてもらった。
私にできることはこんなことくらいしかない。
みんなが朝食を食べに来る時間より早く六年生は出発する。
おばちゃんが朝食の支度にかかるので、私が人数分のおにぎりを持って門へ向かった。
丁度そこへ集まっていた六年生に包みを渡す。
「みんな気をつけてね。いってらっしゃい。」
みんないつもの笑顔で出かけて行った。
今日から五日間、六年生のいない日が始まる。
大丈夫だと言い聞かせるように手を胸の前で握りしめながら、彼らの背中が見えなくなるまでそこに立ち尽くしていた。
六年生が不在でも忍術学園に何も変わりはない。
いつものように全員分の食事の準備に後片付け、忙しいことは変わらなかった。
だけど休憩時間になると、心にぽっかりと穴が空いたようになる。
なんか……静かだな。
小平太にバレーに誘われることもないし、文次郎の怒鳴り声も聞こえない。
仙蔵の委員会に呼ばれることもなければ、困り果てた低学年の子が留三郎を探す様子もない。
それに伊作が穴に落ちたと騒ぎになることもない。
どうして空っぽに感じるんだろう?
きっと私の中で六年生のみんなの存在が大きいからだろうな。
そして当たり前だけど、落ち着く場所を求めて行く図書室に長次の姿はない。
いつも図書室の戸を開ければすぐに見つけられる長次。
私の方を必ず見てくれて、いつも目を合わせてくれる。
でも今は、その席には誰もいない。
きり丸君や雷蔵君が迎えてくれる中、私はいつも通りの笑顔で適当な本を手に取りそこへ座る。
いつもと違って背中を預ける相手もいなければ、温もりを感じることもなかった。
なんか変だな。
胸がモヤモヤする。
なんと言い表していいかわからない。
適当に選んだつもりの本だったけど、よく見るといつも好んで見ていた花の本。
絵とその花の特徴が書かれていて興味深い。
以前くのたまの子から、花言葉で文を交わすというのを聞いたこともあったからだろう。
パラパラと頁を捲って本を眺めていると、あるところに何か挟まっているのに気がついた。
半紙が綺麗に畳まれており、中に何かあるのが透けて見えた。
これはもしかして、誰かの文だろうか。
でも見たところ宛名も差出人も書かれていない。
どうしようか迷ったが、中にあるものが気になってそっとその文を開く。
中にもやはり文字は書かれていなくて、入っていたのは弦のようなものから生えた幾つもの紫色の花。
これは確か……絵を確認しようとして本へ視線を戻すと、丁度それが挟まれていた頁にその花が描かれていた。
『藤』
そう、藤の花だ。
紫色の綺麗な花、これが無数に自生している姿はとても美しいものだろう。
いつか実物を見てみたいと思う。
ちなみに花言葉は…
「優しさ、決して離れない、恋に酔う……か。」
ということは、やっぱりこれは誰かへ宛てた文、それも恋文なのではないだろうか。
優しい印象の花だけど、結構情熱的な意味もあるんだな。
花の画集に挟まれていたくらいだ、きっとくのたまの誰かに違いない。
このままにして戻しておくのも、また違う誰かに見つかったらと思うと不憫でならない。
差出人の子にそっと返そう。
幸い私は食堂のカウンターに立っているから、学園の全員と顔を合わせる機会に恵まれている。
うん、そうしよう。
私は藤の花を半紙の中へ戻し、画集を棚に戻したあと、食堂へ引き返した。
夕食の時、次々と現れるくのたまを見かけては、一人一人にそっと耳打ちをする。
「ユキちゃん、最近図書室にある花の画集なんて読んでない?」
「え、んー……ないと思いますけど…?」
多分くのたま全員に同じことを聞いたのだけど、大半がその本を読んでいなかったり、手に取っていても中の文について知っている子は見つからなかった。
誰も知らないなんて…もしかしてくのたまではないのだろうか?
さっき図書室にいた委員会の子たちに聞いておけば良かった。
そんな後悔の念を抱きながら、本日の仕事を終えた。
翌日、早速図書委員の子たちに聞き込みをする。
二年生の久作君、一年生のきり丸君と怪士丸君、三人とも花の画集を手にした人物は私以外に見かけていないと言う。
最後の頼みの綱は雷蔵君だ。
だけど、
「雷蔵なら朝から課外授業でいませんよ。」
「そうそう、三郎と八左ヱ門とね。ろ組が帰ってくるのは夕方くらいじゃないですかね。」
「…そ、そうなんだ…」
姿が見えなかったので兵助君と勘右衛門君に聞くとこのような回答だった。
その言葉にがっくりと肩を落とす。
その情報私聞いていなかったし、おばちゃんも何も言っていなかった。
一刻も早く持ち主を見つけてあげたいのにと、逸る気持ちからタイミングの悪さを呪う。
その日はひたすら雷蔵君の帰りを待ち続けた。
夕食の準備で火を起こしていると外から賑やかな話し声が聞こえた。
勝手口からチラリと見えたのは待ちに待った雷蔵君。
だけど今はゆっくり話していられない。
本当、今日はつくづくタイミングが悪い。
「雷蔵君!」
勝手口から身を乗り出して少し離れたところにいる彼に声をかける。
こちらに気づいた雷蔵君始め、ろ組の三人の視線が私に集まる。
「あとで話があるの!いいかな?」
雷蔵君は少し驚いた顔をしたけど、すぐに笑顔になって手を降ってくれた。
私も手を振り返して急いで食堂の中へ戻る。
とりあえず約束はできた。
今は夕食の準備をしなければ。
食堂の中が色々な声で賑やかになり、忙しさのピークも過ぎた。
あらかた後片付けも終わった頃、私は外で待っていてくれた雷蔵君に駆け寄る。
「ごめんね、遅くなって。」
「いえ、お疲れ様です。話って何ですか?」
「うん、あの…」
言いかけて口を止めた。
そこにいる雷蔵君を見て少し迷う。
「……その前に、本当に雷蔵君…だよね?」
良くないことだと思いつつも、疑わずにはいられない。
これは文の持ち主の秘密を守ることになる。
迂闊に口に出せるものではない。
もし雷蔵君じゃなくて三郎君だったら大変なことだ。
「やだなぁ椿さん、疑ってるんですか?僕は雷蔵ですよ。」
へらっと笑う彼に、私は顔を近づけて様子を見る。
「うん、ごめんね。本当は疑いたくなんてないんだけど、ちょっと問題があってね……試しに顔触らせてもらってもいい?」
私が詰め寄ると、彼は困ったように後ずさる。
「え、いや、ちょっと…それは……」
「三郎!」
違う方向から聞こえてきた声に目をやると、走ってくる同じ顔。
さては…!
私は目の前の彼を睨み付ける。
「三郎君!?」
「なにやってるんだよ!椿さん、すみません。こいつは三郎です。」
後からやってきた本物の雷蔵君に叱られ、三郎君は苦笑いを浮かべる。
「だって椿さんが雷蔵に話があるなんて、黙ってられないだろ……立候補した身としては…」
最後は小さくてほぼ聞き取れなかった。
確認しておいて良かったと、ため息が出る。
「まあいいわ。やっと雷蔵君に会えたことだし。」
「なぁ、それって何の話?俺も聞いちゃダメ?」
「ダメよ。」
「そこをなんとか!絶対に口外しない。約束する。」
三郎君は手を合わせて頼み込んでくる。
なんだかんだで憎めないところがあるから、正直困るのだけど。
「……絶対に?もし喋ったらもう一生三郎君と口効かない。それでもいい?」
我ながら子供染みたことを言ってしまったなと、少し反省する。
それでも三郎君には効果があったようだ。
「それは本当に困るから、約束は守る。」
雷蔵君に意見を求めるように目を向けると、彼は困ったように頬を指でかいた。
「…仕方ないわね。絶対に言わないでよ。……それでね雷蔵君、ちょっと聞きたいことがあって。最近図書室にある花の画集を見てた人知らないかな?」
雷蔵君は宙を見つめ考えるような仕草をする。
だけど出てきた言葉は他の図書委員の子と同じだった。
最後の頼みだったのに、雷蔵君もわからないとなると……長次、知ってるかなぁ?
だけど帰ってくるまでまだ日はある。
困ったな。
「椿さん、画集がどうかしたんですか?」
「うん、実は……」
私は二人に画集の中から見つけた、藤が入っただけの文のことを話した。
「多分だけど、それは恋文だと思うんだよね。できれば持ち主に返してあげたいんだけど…」
「なるほど。でもそういう本は大抵くのたまが好んで見るものだから、彼女たちが誰も知らないのは不思議ですね。」
雷蔵君の言葉に力なく頷く。
「放っといていいんじゃないか?」
「三郎」
「宛名も差出人もない、中は花だけ。恋文だというのも椿さんの憶測でしょ?大事なものなら本人が探し出すだろうし。」
三郎君の言うことも否定はできない。
確かに、これが恋文だというのもただの勘だ。
「…そうだね。少し様子を見てみるよ。二人ともありがとう。でもこれは絶対に口外しないでね。絶対だよ!特に三郎君!」
「ええ!俺ってそんなに信用ない?」
「椿さん、僕も図書室で注意して見ておきますよ。見つかればいいですね、差出人。」
「うん、ありがとう。疲れているのに付き合わせちゃってごめんね。ゆっくり休んでね。お休みなさい。」
私は二人に礼を言って自室へ戻った。
結局情報は得られなかった。
でも実は三郎君の言葉で少し気持ちが楽になった。
話してみて良かったな。
椿の姿を見送ると、三郎が口を開く。
「……雷蔵、本当に心当たりないのか?」
「うん、残念なことに。」
「……ふーん。」
「え、なんでちょっと不機嫌?」
三郎の反応に戸惑う雷蔵。
目を細め口を尖らせる、見るからに不機嫌な顔つきだ。
「五年のお前がわからないなら…もうあの人しかいないだろ。それにあれは恋文だ。」
あの人……その言葉に雷蔵もピンときた。
それと同時に三郎が不機嫌になる理由も見えてくる。
「その根拠は?」
「ない。」
これもただの勘。
隣に立つ友人も、彼の言うあの人も、雷蔵にとってはどちらも大切だった。
だから今はただ、複雑な気持ちを胸に秘める。
そうだったらいいのに。
でもそうじゃなかったらいいのに。
静かな空間と書物の匂いがどこか懐かしい。
みんなが読むような忍に関する難しい本は読めないけれど、物語の本とか花の画集だとか、くのたまの子たちが好みそうな本を手に、今日も読みふける。
私の定位置は決まって長次の背中。
いつも図書室に行くと、いつもの位置で長次が難しい本を読んでいる。
通い続けるうちに私は、長次と背中合わせにして本を広げることが多くなった。
とてもお行儀の良い座り方ではないけれど、長次は何も言わずにその背中を貸してくれる。
でも時々、背中が温かくて眠気に襲われそうになることもある。
前に失態を晒しているから気をつけないと。
その光景が図書室での当たり前になろうとする頃のこと。
その日もいつものように長次の背中で本を読んだ後、食堂の仕事のために時間になると図書室を出る。
「椿さん。」
後ろから声をかけられて振り向くと、そこにいたのは先程図書室にいたきり丸君だった。
「きり丸君。どうしたの?」
「最近よく図書室に来ますよね?」
「そうだね、暇な時はここに来ることが多いかな。」
きり丸君は穏やかに笑って見せた。
「椿さんが来てくれるから、図書室の雰囲気が明るくなるなと思って。」
「そうかな?私特になにもしていないけど?」
「いえ、中在家先輩の雰囲気が全然違いますよ。普段図書室に来ない連中も、行きやすくなったって言ってるし。」
そうなのか。
正直長次の雰囲気の違いは全然わからなかった。
私は穏やかな長次しか知らないのかも知れない。
「中在家先輩は表情が変わらないし、体が大きいから一年の中にはびびってる奴らもいて…だから正直椿さんすごいなって思いますよ。あっ、今のは中在家先輩には内緒ですよ。」
きり丸君は少し慌てた様子で口の前に指を立てる。
私は笑いながらわかったと伝えた。
「ありがとうございます。またいつでも図書室に来てくださいね。待ってますから。」
手を振りながら来た道を戻っていくきり丸君に、私も手を振り返す。
言われてみて気づいたけど、長次はあの見た目だから低学年の子にとっては少し怖いんだ。
きり丸君にすごいと言われたけれど、私は初めて会った時から長次のこと、怖いとは感じなかったな。
どうしてだろう。
その日の夕食、小平太が言い出したことに戸惑ってしまった。
「明日から数日、学園には帰ってこないんだ。」
「え…」
六年生は全員、明日から実習のため学園を留守にすると言う。
人数分の食事は用意しなくていいという意味で小平太は言ったのだけど、私は無意識のうちに長次に目をくれる。
長次はいつもと変わらない表情で小さく頷く。
「いつまで…いないの?」
「五日間の予定だ。あくまで予定だから変動することもあるだろうがな。」
五日……そんなに長く誰かが忍術学園に帰ってこなかった経験が、私にはまだない。
「心配しなくても大丈夫だよ。六年になったらよくあることだから。」
「それにしても五日もおばちゃんの食事が食べられないなんてな。」
「お前は食い物の心配かよ。」
伊作、小平太、留三郎の言葉が私の不安を取り払おうとしてくれる。
そう、授業なのだしよくあることらしいし、心配しちゃいけない。
みんなを信じて、私はここで待ってるしかないのだ。
次の日の朝、食堂のおばちゃんが六年生に持たせるおにぎりを作ると言うので、手伝いをさせてもらった。
私にできることはこんなことくらいしかない。
みんなが朝食を食べに来る時間より早く六年生は出発する。
おばちゃんが朝食の支度にかかるので、私が人数分のおにぎりを持って門へ向かった。
丁度そこへ集まっていた六年生に包みを渡す。
「みんな気をつけてね。いってらっしゃい。」
みんないつもの笑顔で出かけて行った。
今日から五日間、六年生のいない日が始まる。
大丈夫だと言い聞かせるように手を胸の前で握りしめながら、彼らの背中が見えなくなるまでそこに立ち尽くしていた。
六年生が不在でも忍術学園に何も変わりはない。
いつものように全員分の食事の準備に後片付け、忙しいことは変わらなかった。
だけど休憩時間になると、心にぽっかりと穴が空いたようになる。
なんか……静かだな。
小平太にバレーに誘われることもないし、文次郎の怒鳴り声も聞こえない。
仙蔵の委員会に呼ばれることもなければ、困り果てた低学年の子が留三郎を探す様子もない。
それに伊作が穴に落ちたと騒ぎになることもない。
どうして空っぽに感じるんだろう?
きっと私の中で六年生のみんなの存在が大きいからだろうな。
そして当たり前だけど、落ち着く場所を求めて行く図書室に長次の姿はない。
いつも図書室の戸を開ければすぐに見つけられる長次。
私の方を必ず見てくれて、いつも目を合わせてくれる。
でも今は、その席には誰もいない。
きり丸君や雷蔵君が迎えてくれる中、私はいつも通りの笑顔で適当な本を手に取りそこへ座る。
いつもと違って背中を預ける相手もいなければ、温もりを感じることもなかった。
なんか変だな。
胸がモヤモヤする。
なんと言い表していいかわからない。
適当に選んだつもりの本だったけど、よく見るといつも好んで見ていた花の本。
絵とその花の特徴が書かれていて興味深い。
以前くのたまの子から、花言葉で文を交わすというのを聞いたこともあったからだろう。
パラパラと頁を捲って本を眺めていると、あるところに何か挟まっているのに気がついた。
半紙が綺麗に畳まれており、中に何かあるのが透けて見えた。
これはもしかして、誰かの文だろうか。
でも見たところ宛名も差出人も書かれていない。
どうしようか迷ったが、中にあるものが気になってそっとその文を開く。
中にもやはり文字は書かれていなくて、入っていたのは弦のようなものから生えた幾つもの紫色の花。
これは確か……絵を確認しようとして本へ視線を戻すと、丁度それが挟まれていた頁にその花が描かれていた。
『藤』
そう、藤の花だ。
紫色の綺麗な花、これが無数に自生している姿はとても美しいものだろう。
いつか実物を見てみたいと思う。
ちなみに花言葉は…
「優しさ、決して離れない、恋に酔う……か。」
ということは、やっぱりこれは誰かへ宛てた文、それも恋文なのではないだろうか。
優しい印象の花だけど、結構情熱的な意味もあるんだな。
花の画集に挟まれていたくらいだ、きっとくのたまの誰かに違いない。
このままにして戻しておくのも、また違う誰かに見つかったらと思うと不憫でならない。
差出人の子にそっと返そう。
幸い私は食堂のカウンターに立っているから、学園の全員と顔を合わせる機会に恵まれている。
うん、そうしよう。
私は藤の花を半紙の中へ戻し、画集を棚に戻したあと、食堂へ引き返した。
夕食の時、次々と現れるくのたまを見かけては、一人一人にそっと耳打ちをする。
「ユキちゃん、最近図書室にある花の画集なんて読んでない?」
「え、んー……ないと思いますけど…?」
多分くのたま全員に同じことを聞いたのだけど、大半がその本を読んでいなかったり、手に取っていても中の文について知っている子は見つからなかった。
誰も知らないなんて…もしかしてくのたまではないのだろうか?
さっき図書室にいた委員会の子たちに聞いておけば良かった。
そんな後悔の念を抱きながら、本日の仕事を終えた。
翌日、早速図書委員の子たちに聞き込みをする。
二年生の久作君、一年生のきり丸君と怪士丸君、三人とも花の画集を手にした人物は私以外に見かけていないと言う。
最後の頼みの綱は雷蔵君だ。
だけど、
「雷蔵なら朝から課外授業でいませんよ。」
「そうそう、三郎と八左ヱ門とね。ろ組が帰ってくるのは夕方くらいじゃないですかね。」
「…そ、そうなんだ…」
姿が見えなかったので兵助君と勘右衛門君に聞くとこのような回答だった。
その言葉にがっくりと肩を落とす。
その情報私聞いていなかったし、おばちゃんも何も言っていなかった。
一刻も早く持ち主を見つけてあげたいのにと、逸る気持ちからタイミングの悪さを呪う。
その日はひたすら雷蔵君の帰りを待ち続けた。
夕食の準備で火を起こしていると外から賑やかな話し声が聞こえた。
勝手口からチラリと見えたのは待ちに待った雷蔵君。
だけど今はゆっくり話していられない。
本当、今日はつくづくタイミングが悪い。
「雷蔵君!」
勝手口から身を乗り出して少し離れたところにいる彼に声をかける。
こちらに気づいた雷蔵君始め、ろ組の三人の視線が私に集まる。
「あとで話があるの!いいかな?」
雷蔵君は少し驚いた顔をしたけど、すぐに笑顔になって手を降ってくれた。
私も手を振り返して急いで食堂の中へ戻る。
とりあえず約束はできた。
今は夕食の準備をしなければ。
食堂の中が色々な声で賑やかになり、忙しさのピークも過ぎた。
あらかた後片付けも終わった頃、私は外で待っていてくれた雷蔵君に駆け寄る。
「ごめんね、遅くなって。」
「いえ、お疲れ様です。話って何ですか?」
「うん、あの…」
言いかけて口を止めた。
そこにいる雷蔵君を見て少し迷う。
「……その前に、本当に雷蔵君…だよね?」
良くないことだと思いつつも、疑わずにはいられない。
これは文の持ち主の秘密を守ることになる。
迂闊に口に出せるものではない。
もし雷蔵君じゃなくて三郎君だったら大変なことだ。
「やだなぁ椿さん、疑ってるんですか?僕は雷蔵ですよ。」
へらっと笑う彼に、私は顔を近づけて様子を見る。
「うん、ごめんね。本当は疑いたくなんてないんだけど、ちょっと問題があってね……試しに顔触らせてもらってもいい?」
私が詰め寄ると、彼は困ったように後ずさる。
「え、いや、ちょっと…それは……」
「三郎!」
違う方向から聞こえてきた声に目をやると、走ってくる同じ顔。
さては…!
私は目の前の彼を睨み付ける。
「三郎君!?」
「なにやってるんだよ!椿さん、すみません。こいつは三郎です。」
後からやってきた本物の雷蔵君に叱られ、三郎君は苦笑いを浮かべる。
「だって椿さんが雷蔵に話があるなんて、黙ってられないだろ……立候補した身としては…」
最後は小さくてほぼ聞き取れなかった。
確認しておいて良かったと、ため息が出る。
「まあいいわ。やっと雷蔵君に会えたことだし。」
「なぁ、それって何の話?俺も聞いちゃダメ?」
「ダメよ。」
「そこをなんとか!絶対に口外しない。約束する。」
三郎君は手を合わせて頼み込んでくる。
なんだかんだで憎めないところがあるから、正直困るのだけど。
「……絶対に?もし喋ったらもう一生三郎君と口効かない。それでもいい?」
我ながら子供染みたことを言ってしまったなと、少し反省する。
それでも三郎君には効果があったようだ。
「それは本当に困るから、約束は守る。」
雷蔵君に意見を求めるように目を向けると、彼は困ったように頬を指でかいた。
「…仕方ないわね。絶対に言わないでよ。……それでね雷蔵君、ちょっと聞きたいことがあって。最近図書室にある花の画集を見てた人知らないかな?」
雷蔵君は宙を見つめ考えるような仕草をする。
だけど出てきた言葉は他の図書委員の子と同じだった。
最後の頼みだったのに、雷蔵君もわからないとなると……長次、知ってるかなぁ?
だけど帰ってくるまでまだ日はある。
困ったな。
「椿さん、画集がどうかしたんですか?」
「うん、実は……」
私は二人に画集の中から見つけた、藤が入っただけの文のことを話した。
「多分だけど、それは恋文だと思うんだよね。できれば持ち主に返してあげたいんだけど…」
「なるほど。でもそういう本は大抵くのたまが好んで見るものだから、彼女たちが誰も知らないのは不思議ですね。」
雷蔵君の言葉に力なく頷く。
「放っといていいんじゃないか?」
「三郎」
「宛名も差出人もない、中は花だけ。恋文だというのも椿さんの憶測でしょ?大事なものなら本人が探し出すだろうし。」
三郎君の言うことも否定はできない。
確かに、これが恋文だというのもただの勘だ。
「…そうだね。少し様子を見てみるよ。二人ともありがとう。でもこれは絶対に口外しないでね。絶対だよ!特に三郎君!」
「ええ!俺ってそんなに信用ない?」
「椿さん、僕も図書室で注意して見ておきますよ。見つかればいいですね、差出人。」
「うん、ありがとう。疲れているのに付き合わせちゃってごめんね。ゆっくり休んでね。お休みなさい。」
私は二人に礼を言って自室へ戻った。
結局情報は得られなかった。
でも実は三郎君の言葉で少し気持ちが楽になった。
話してみて良かったな。
椿の姿を見送ると、三郎が口を開く。
「……雷蔵、本当に心当たりないのか?」
「うん、残念なことに。」
「……ふーん。」
「え、なんでちょっと不機嫌?」
三郎の反応に戸惑う雷蔵。
目を細め口を尖らせる、見るからに不機嫌な顔つきだ。
「五年のお前がわからないなら…もうあの人しかいないだろ。それにあれは恋文だ。」
あの人……その言葉に雷蔵もピンときた。
それと同時に三郎が不機嫌になる理由も見えてくる。
「その根拠は?」
「ない。」
これもただの勘。
隣に立つ友人も、彼の言うあの人も、雷蔵にとってはどちらも大切だった。
だから今はただ、複雑な気持ちを胸に秘める。
そうだったらいいのに。
でもそうじゃなかったらいいのに。
1/2ページ