二章
あなたのお名前は?
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「え、私がくの一教室の?」
「ええ、そう。良かったら体験してみない?」
山本シナ先生からの突然の提案だった。
くの一教室でお花の授業があるので、椿も参加しないかということだった。
「でも私、授業料払ってませんし…」
「大丈夫。学園長先生からのご提案だし。くの一の皆も喜ぶわ。」
それならば、と受けてみることにした。授業というのがどんなものか興味もある。
山本先生に連れられてくの一教室に入ると、女の子特有の黄色い声に包まれる。
「はい、静かに。今日は特別に椿さんにも授業に参加してもらいます。」
「よろしくお願いします。」
くのたまの中に混ざって授業を受ける。
緊張感を持っていると、山本先生は気楽に楽しんでと言ってくれた。
用意された様々な草木や花を生けていく。
まだ母上が生きていた頃に習っていたものと大差ない。
ただあの頃は習い事が嫌で仕方なかったのに、今はとても楽しく感じる。
違うのはやはり、環境そして自分の立場だ。
自由に花を表現していると、山本先生はとても誉めてくださった。
「椿さん、すごーい!」
「素敵ねー!」
「どこかで習っていたの?」
「ええと、小さい時に少し…」
「ねぇ椿さん、私のどうかな?」
賛美に気恥ずかしくなっていると、ユキちゃんが声をかけてきた。
「そうだね、ユキちゃんのは…」
出来る限りのアドバイスをすると、私も私もと皆から声が上がった。
山本先生はその様子を喜んでくれたらしく、明日の授業にも誘われてしまった。
午前中はとてもいい気分で過ごせた。
なので、放課後あんなことになるとは夢にも思っていなかった。
「おぉ~い!椿~!」
「ん?小平太?」
休憩中の私のもとに走ってきたのは小平太。
大きなワンコみたいで可愛いなと思っていたけれど、次の言葉に耳を疑うことになる。
「マラソン行くぞー!裏々々山までだー!」
「………はい?」
「マラソンだよ!一緒に行くぞ!なっ!」
「いやいやいや、行かないよ!そんなに走れないし!」
「大丈夫だ!私が連れていく!」
「外に出たい気分じゃないの!」
「走れば気分も変わるだろ!」
ダメだ!何を言っても聞かなそうだ!
そう判断して小平太から逃げる。
逃げ切れる自信はないけど…
「無理なものは無理なのー!」
小平太が追っかけてくる気配を感じながら、全力で逃げる。
後ろの小平太は、準備運動だな!とか余裕のある声だ。
捕まったら…外へ連れていかれる……それはダメ!
「……あ!七松先輩!」
運が良かった。
前方に見えたのは滝夜叉丸君始め、体育委員会の面々。
「滝夜叉丸君!助けて!」
「な!?椿さん!?」
「マラソンに連れて行かれそうなの!お願い!助けて!」
「なんですって!」
滝夜叉丸君はそれを聞いて青い顔を見せた。
そして後輩達を鼓舞する。
頼もしい体育委員会の皆。
「椿さん、ここはこの平滝夜叉丸にお任せを!あなたをマラソンには巻き込ませません!どうかお逃げください!」
「ありがとう!皆もありがとう!」
滝夜叉丸君に小平太を任せ、私はその場を後にした。
背後から聞こえる小平太の離せー!と、必死に止めてくれる皆の声。
どうか皆無事で!そう願いながら身を隠せそうなところを探した。
「長次ー!椿来てないか!?」
図書室には似つかわしくない声が響く。
普段なら静かにしろと無言の圧力をかけるところだが、今は長次以外に人影はない。
さっさと追い払いたかったため手短にいないと伝えると、小平太は騒々しく去って行った。
小平太が完全にいなくなるのを確認すると、部屋の隅で布を被り丸くなっている人物をポンポンと叩く。
「……行った?はぁ~ありがとう、長次。」
恐る恐る顔を出した椿は、心底安心したようだった。
何故小平太から逃げているのかを問うと、マラソンに付き合わされそうになったと、少し困ったように答えた。
「誘ってくれることは嬉しいんだよ?だけど、学園の外には出たくなくて…」
そう、不思議に思っていたことがある。
椿はこの学園に来てからまだ外出をした気配がない。
食堂の手伝いに来ているのだから、必要はないのかもしれないが。
ちなみに食材は全て外から運ばれて来るため、必ずしも誰かが調達しに行く必要はない。
それにしても町に買い物に行くとか、甘味を食べに行くとか、あるいは散歩でもするとか、そのような外に出たという話を聞かない。
そこまで気にするようなことではないが、長次は少しの引っ掛かりを感じた。
だが何故そうなのか、椿が自分から話さない以上、詮索は賢い選択ではない。
話さないのは、話したくないということなんだろう。
長次は定位置に座り読みかけの本を広げる。
椿は長次と背中合わせに座る。
伝わる体温が少し高くて心地よい。
「どうしてかは聞かないの?」
「……話したくないなら聞かない。」
「そっか。ありがとう長次。……ごめんね。」
図書室に静寂が訪れる。
椿の規則正しい呼吸、どうやら眠ってしまったらしい。
長次はそのままの状態で本をめくった。
髪を撫でられるのが好き。
昔、母上がよく触ってくれた。
懐かしい香りがして、ふわふわしてとても気持ちがいい。
母上…隆光…もう会えない…
誰かが名前を呼んでいる気がした。
もう少し…このままで…
目を開けると知っている男の子の顔。
あれ?きり丸君だ。
私、何してたんだっけ?
横たわった体をゆっくりと起こす。
ぼやっとしたまま自分の状況を整理すると、顔から火が出そうになる。
どういうわけか、長次の膝枕で爆睡してしまったらしい。
ばっちり寝顔も見られてしまったに違いない。
必死になって長次に謝罪すると、頭をポンポンと触られた。
大丈夫みたいですよと、きり丸君が言ってくれる。
今度お詫びすると申し出ると、長次は待っていると言ってくれた。
その後、図書委員の皆が集まってきたところで退散させてもらうことにした。
椿が寝始めて間もなく、ずり落ちてきた体を支え自分の膝の上に寝かせた。
泣いていた。
知らない名前を呼んでいた。
その人物が椿を泣かせたのか?
椿の涙をすくった指先を見つめる。
目に見える形ではもうないが、肌の感触、髪の柔らかさをこの手が覚えている。
待っている。
椿がいつか話してくれることを。
きっと彼女はその意味を履き違えただろう。
それでもいい。
自分は止まり木になろう。
彼女が疲れた時、傷付いた時、自分を必要とする時、その羽を休められるように。
一先ず、小平太にはしっかりと言い聞かせなければならない。
「なーんか、中在家先輩ご機嫌ななめ?」
雷蔵がきり丸に耳打ちする。
先程の状況を考えるに、椿はそれの原因ではないんだろうな、先輩も穏やかだったし。ときり丸は思った。
「不破先輩が遅刻してきたからじゃないすか?」
その言葉に、雷蔵は一人震え上がるのだった。
「ええ、そう。良かったら体験してみない?」
山本シナ先生からの突然の提案だった。
くの一教室でお花の授業があるので、椿も参加しないかということだった。
「でも私、授業料払ってませんし…」
「大丈夫。学園長先生からのご提案だし。くの一の皆も喜ぶわ。」
それならば、と受けてみることにした。授業というのがどんなものか興味もある。
山本先生に連れられてくの一教室に入ると、女の子特有の黄色い声に包まれる。
「はい、静かに。今日は特別に椿さんにも授業に参加してもらいます。」
「よろしくお願いします。」
くのたまの中に混ざって授業を受ける。
緊張感を持っていると、山本先生は気楽に楽しんでと言ってくれた。
用意された様々な草木や花を生けていく。
まだ母上が生きていた頃に習っていたものと大差ない。
ただあの頃は習い事が嫌で仕方なかったのに、今はとても楽しく感じる。
違うのはやはり、環境そして自分の立場だ。
自由に花を表現していると、山本先生はとても誉めてくださった。
「椿さん、すごーい!」
「素敵ねー!」
「どこかで習っていたの?」
「ええと、小さい時に少し…」
「ねぇ椿さん、私のどうかな?」
賛美に気恥ずかしくなっていると、ユキちゃんが声をかけてきた。
「そうだね、ユキちゃんのは…」
出来る限りのアドバイスをすると、私も私もと皆から声が上がった。
山本先生はその様子を喜んでくれたらしく、明日の授業にも誘われてしまった。
午前中はとてもいい気分で過ごせた。
なので、放課後あんなことになるとは夢にも思っていなかった。
「おぉ~い!椿~!」
「ん?小平太?」
休憩中の私のもとに走ってきたのは小平太。
大きなワンコみたいで可愛いなと思っていたけれど、次の言葉に耳を疑うことになる。
「マラソン行くぞー!裏々々山までだー!」
「………はい?」
「マラソンだよ!一緒に行くぞ!なっ!」
「いやいやいや、行かないよ!そんなに走れないし!」
「大丈夫だ!私が連れていく!」
「外に出たい気分じゃないの!」
「走れば気分も変わるだろ!」
ダメだ!何を言っても聞かなそうだ!
そう判断して小平太から逃げる。
逃げ切れる自信はないけど…
「無理なものは無理なのー!」
小平太が追っかけてくる気配を感じながら、全力で逃げる。
後ろの小平太は、準備運動だな!とか余裕のある声だ。
捕まったら…外へ連れていかれる……それはダメ!
「……あ!七松先輩!」
運が良かった。
前方に見えたのは滝夜叉丸君始め、体育委員会の面々。
「滝夜叉丸君!助けて!」
「な!?椿さん!?」
「マラソンに連れて行かれそうなの!お願い!助けて!」
「なんですって!」
滝夜叉丸君はそれを聞いて青い顔を見せた。
そして後輩達を鼓舞する。
頼もしい体育委員会の皆。
「椿さん、ここはこの平滝夜叉丸にお任せを!あなたをマラソンには巻き込ませません!どうかお逃げください!」
「ありがとう!皆もありがとう!」
滝夜叉丸君に小平太を任せ、私はその場を後にした。
背後から聞こえる小平太の離せー!と、必死に止めてくれる皆の声。
どうか皆無事で!そう願いながら身を隠せそうなところを探した。
「長次ー!椿来てないか!?」
図書室には似つかわしくない声が響く。
普段なら静かにしろと無言の圧力をかけるところだが、今は長次以外に人影はない。
さっさと追い払いたかったため手短にいないと伝えると、小平太は騒々しく去って行った。
小平太が完全にいなくなるのを確認すると、部屋の隅で布を被り丸くなっている人物をポンポンと叩く。
「……行った?はぁ~ありがとう、長次。」
恐る恐る顔を出した椿は、心底安心したようだった。
何故小平太から逃げているのかを問うと、マラソンに付き合わされそうになったと、少し困ったように答えた。
「誘ってくれることは嬉しいんだよ?だけど、学園の外には出たくなくて…」
そう、不思議に思っていたことがある。
椿はこの学園に来てからまだ外出をした気配がない。
食堂の手伝いに来ているのだから、必要はないのかもしれないが。
ちなみに食材は全て外から運ばれて来るため、必ずしも誰かが調達しに行く必要はない。
それにしても町に買い物に行くとか、甘味を食べに行くとか、あるいは散歩でもするとか、そのような外に出たという話を聞かない。
そこまで気にするようなことではないが、長次は少しの引っ掛かりを感じた。
だが何故そうなのか、椿が自分から話さない以上、詮索は賢い選択ではない。
話さないのは、話したくないということなんだろう。
長次は定位置に座り読みかけの本を広げる。
椿は長次と背中合わせに座る。
伝わる体温が少し高くて心地よい。
「どうしてかは聞かないの?」
「……話したくないなら聞かない。」
「そっか。ありがとう長次。……ごめんね。」
図書室に静寂が訪れる。
椿の規則正しい呼吸、どうやら眠ってしまったらしい。
長次はそのままの状態で本をめくった。
髪を撫でられるのが好き。
昔、母上がよく触ってくれた。
懐かしい香りがして、ふわふわしてとても気持ちがいい。
母上…隆光…もう会えない…
誰かが名前を呼んでいる気がした。
もう少し…このままで…
目を開けると知っている男の子の顔。
あれ?きり丸君だ。
私、何してたんだっけ?
横たわった体をゆっくりと起こす。
ぼやっとしたまま自分の状況を整理すると、顔から火が出そうになる。
どういうわけか、長次の膝枕で爆睡してしまったらしい。
ばっちり寝顔も見られてしまったに違いない。
必死になって長次に謝罪すると、頭をポンポンと触られた。
大丈夫みたいですよと、きり丸君が言ってくれる。
今度お詫びすると申し出ると、長次は待っていると言ってくれた。
その後、図書委員の皆が集まってきたところで退散させてもらうことにした。
椿が寝始めて間もなく、ずり落ちてきた体を支え自分の膝の上に寝かせた。
泣いていた。
知らない名前を呼んでいた。
その人物が椿を泣かせたのか?
椿の涙をすくった指先を見つめる。
目に見える形ではもうないが、肌の感触、髪の柔らかさをこの手が覚えている。
待っている。
椿がいつか話してくれることを。
きっと彼女はその意味を履き違えただろう。
それでもいい。
自分は止まり木になろう。
彼女が疲れた時、傷付いた時、自分を必要とする時、その羽を休められるように。
一先ず、小平太にはしっかりと言い聞かせなければならない。
「なーんか、中在家先輩ご機嫌ななめ?」
雷蔵がきり丸に耳打ちする。
先程の状況を考えるに、椿はそれの原因ではないんだろうな、先輩も穏やかだったし。ときり丸は思った。
「不破先輩が遅刻してきたからじゃないすか?」
その言葉に、雷蔵は一人震え上がるのだった。