二章
あなたのお名前は?
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放課後、委員会へ向かう足を止め、目の前の状況を目視する。
四年生の綾部喜八郎が屈む背中、誰か穴に落ちたらしい。また伊作だろうか。
喜八郎の背中越しに覗いて見ると、意外な人物がそこにいて、私を見つけると助けを求めてきた。
「仙蔵!助けて~!」
涙目になりながらこちらに手を伸ばす椿の姿に、己の中の支配欲が掻き立てられる。
自身に流れてくるこの感情は、実にやっかいだと思いながらも嫌な気はしなかった。
「助けて欲しいか?ならば私と取り引きしろ。」
椿は文句を言いながら喜八郎に助けを求めるが、奴は乗り気ではない。
ただ助けるよりも、私が持ち出した取り引きの方に興味を惹かれたんだろう。
椿は何をさせられるのかと、怯えているようだった。
「安心しろ。女に恥をかかせるようなことはしない。」
椿が渋々承諾するのを確認すると、彼女の手を引き上げた。
「はぁ、やっと出られた~。…で、何をすればいいの?」
「我々はこれから委員会がある。それを手伝ってくれればいい。」
喜八郎が、あーと納得した声を出し、椿はほっとした表情を見せた。
「ま、待って!やっぱり無理ー!」
何が無理だと言うのだ。
女ならば、恥ずかしがりはしても拒絶はしないだろう。
なのにこの女ときたら天性の素質を持ちながら、私に化粧されることを拒否している。
一年生の伝七、兵太夫の説得からも逃げ回る。
しばらくそうしていた彼女の手を引き寄せ、その理由を問う。
困ったような怯えたようなその瞳に、自分の姿が写りこむ。
「……に……から」
至近距離で揺れる睫毛。
頼りないくらい小さな声で椿は呟いた。
「…母上に…似てしまうから…」
兵太夫が何かを言いかけるのを片手で制する。
椿は身寄りがいないと聞いている。
ならばこれは、彼女の心の深い部分に踏み込むことになる。
悪いことをした。
椿を悲しませたいわけじゃない。
「母上のことが嫌いか?」
なだめるように優しく問いかける。
椿は首を横に降った。
「母上のことは大好きだった。でも父上のために母上になるのは嫌なの。…父上のことは好きじゃないから。」
椿には椿の事情があり、彼女は父親を拒絶している。
だが、着飾ったことで椿が彼女の母親になることは決してない。
椿は自分で扉を閉ざしているんだろう。
ならば、私は私のやり方で彼女の心を解放させよう。
「椿、私はお前の父上か?」
「?…仙蔵は…仙蔵だよ?」
呆けた顔で私を見る。
「そうだ、私はお前の父ではない。ならば、今は私のために美しくなれ。」
「え?…えぇ!?」
先程までの泣きそうな顔から一転し、頬が赤く染まる。
委員会のメンバーも紫陽花色の着物を手に笑顔を見せる。
「椿さん、ここにはお父さんはいませんよ。」
「そうですよ!安心して僕たちに任せてください。」
「いつものエプロン姿もいいけど、着物も絶対似合いますよ。」
「椿さんのかわいー姿見たいなー。」
皆からの説得を受けて椿は観念したようだった。
「…わかった。…って、それ着なきゃダメなの?」
「当然だ。」
明るい青みがかった紫、紫陽花色の着物は彼女の白い肌に映え、その魅力をより一層引き出していた。
私は最後に紅を引こうとするが、椿が震えているのに気がついた。
やはり簡単に父親を払拭することはできない。
「椿怖いか?」
正面から彼女を見据える。
椿は目を伏せると一度だけ小さく頷いた。
「私はお前の母は知らない。だが今私の前にはとても美しい女がいる。さぁ、お前には何に見える?」
鏡を手渡す。
椿は恐る恐るその中を覗きこんだ。
見開かれる両目には驚きと困惑が映る。
「…………これは………私?」
「何を呆けたことを言っている。私には椿という女以外には見えないが?」
成り行きを見守っていた後輩達からも、賞賛の声が上がった。
彼女は信じられないというように、何度も鏡の中の自分を確認していた。
「椿さん、折角だからみんなにも御披露目しましょうよ!」
「えぇ!?恥ずかしいよ~」
「大丈夫、大丈夫!」
兵太夫が誘うと椿は私に助けを求めてくる。
正直、他の連中に見せるなど勿体ないところだが、彼女が自分に自信をつけるきっかけにもなる。
「いいんじゃないか。自信を持っていいぞ。」
「うー、……じゃあ少しだけね。」
兵太夫と伝七が椿の手を引きながら歩く様子を後ろから眺める。
生徒たちに会う度に、彼女が徐々に笑顔になっていく様子が見てとれた。
椿は椿だ。母親ではない。
過去の呪縛は関係ない。
少なくとも、この忍術学園の中では彼女は自由になれるんだ。
いや、今は学園の中でしか生きられない、のか…
いつか全ての霧が晴れて、彼女が外へ飛び立てることを願わずにはいられない。
椿が振り返り、私を見て笑う。
私の名を呼ぶ。
今はただそれだけでいい。
「仙蔵。あのね、何だか心が軽くなったみたい。こんな気持ちになったの、初めてかもしんない。」
「ああ。」
「母上に見えてしまう自分が嫌で、ずっとこうすることを避けてた。でもさっき鏡を見たら、母上だとは思わなかった。私、自分に母上を重ねて見てたんだね。仙蔵のお陰で気づけたんだと思う。」
「そうか、それは良かったな。」
「うん、ありがとう。」
彼女が自分で縛り付けていたものを解いた。
私はきっかけを作っただけだ。
だがその結果、こんなにも清々しい表情を見せるのだから私のしたことは間違ってなかったんだろう。
ただ、皆に愛想を振り撒く彼女に、ちょっとした嫉妬心からか少しからかってみたくなった。
不意に椿の手を引き寄せ、顎を捕らえて上を向かせる。
「…だが今日は、私のために美しくなったということを忘れるな。今のお前は他の誰にもくれてやらんからな。」
案の定、顔を赤くしながら抗議の声を上げる椿。
からかいがいのあるやつだ。
それに今日は面白いものも見ることができた。
彼女の姿を見て真っ赤な顔をして口をパクつかせる文次郎と、直視できずまともな会話にならない留三郎。
実に愉快だ。
四年生の綾部喜八郎が屈む背中、誰か穴に落ちたらしい。また伊作だろうか。
喜八郎の背中越しに覗いて見ると、意外な人物がそこにいて、私を見つけると助けを求めてきた。
「仙蔵!助けて~!」
涙目になりながらこちらに手を伸ばす椿の姿に、己の中の支配欲が掻き立てられる。
自身に流れてくるこの感情は、実にやっかいだと思いながらも嫌な気はしなかった。
「助けて欲しいか?ならば私と取り引きしろ。」
椿は文句を言いながら喜八郎に助けを求めるが、奴は乗り気ではない。
ただ助けるよりも、私が持ち出した取り引きの方に興味を惹かれたんだろう。
椿は何をさせられるのかと、怯えているようだった。
「安心しろ。女に恥をかかせるようなことはしない。」
椿が渋々承諾するのを確認すると、彼女の手を引き上げた。
「はぁ、やっと出られた~。…で、何をすればいいの?」
「我々はこれから委員会がある。それを手伝ってくれればいい。」
喜八郎が、あーと納得した声を出し、椿はほっとした表情を見せた。
「ま、待って!やっぱり無理ー!」
何が無理だと言うのだ。
女ならば、恥ずかしがりはしても拒絶はしないだろう。
なのにこの女ときたら天性の素質を持ちながら、私に化粧されることを拒否している。
一年生の伝七、兵太夫の説得からも逃げ回る。
しばらくそうしていた彼女の手を引き寄せ、その理由を問う。
困ったような怯えたようなその瞳に、自分の姿が写りこむ。
「……に……から」
至近距離で揺れる睫毛。
頼りないくらい小さな声で椿は呟いた。
「…母上に…似てしまうから…」
兵太夫が何かを言いかけるのを片手で制する。
椿は身寄りがいないと聞いている。
ならばこれは、彼女の心の深い部分に踏み込むことになる。
悪いことをした。
椿を悲しませたいわけじゃない。
「母上のことが嫌いか?」
なだめるように優しく問いかける。
椿は首を横に降った。
「母上のことは大好きだった。でも父上のために母上になるのは嫌なの。…父上のことは好きじゃないから。」
椿には椿の事情があり、彼女は父親を拒絶している。
だが、着飾ったことで椿が彼女の母親になることは決してない。
椿は自分で扉を閉ざしているんだろう。
ならば、私は私のやり方で彼女の心を解放させよう。
「椿、私はお前の父上か?」
「?…仙蔵は…仙蔵だよ?」
呆けた顔で私を見る。
「そうだ、私はお前の父ではない。ならば、今は私のために美しくなれ。」
「え?…えぇ!?」
先程までの泣きそうな顔から一転し、頬が赤く染まる。
委員会のメンバーも紫陽花色の着物を手に笑顔を見せる。
「椿さん、ここにはお父さんはいませんよ。」
「そうですよ!安心して僕たちに任せてください。」
「いつものエプロン姿もいいけど、着物も絶対似合いますよ。」
「椿さんのかわいー姿見たいなー。」
皆からの説得を受けて椿は観念したようだった。
「…わかった。…って、それ着なきゃダメなの?」
「当然だ。」
明るい青みがかった紫、紫陽花色の着物は彼女の白い肌に映え、その魅力をより一層引き出していた。
私は最後に紅を引こうとするが、椿が震えているのに気がついた。
やはり簡単に父親を払拭することはできない。
「椿怖いか?」
正面から彼女を見据える。
椿は目を伏せると一度だけ小さく頷いた。
「私はお前の母は知らない。だが今私の前にはとても美しい女がいる。さぁ、お前には何に見える?」
鏡を手渡す。
椿は恐る恐るその中を覗きこんだ。
見開かれる両目には驚きと困惑が映る。
「…………これは………私?」
「何を呆けたことを言っている。私には椿という女以外には見えないが?」
成り行きを見守っていた後輩達からも、賞賛の声が上がった。
彼女は信じられないというように、何度も鏡の中の自分を確認していた。
「椿さん、折角だからみんなにも御披露目しましょうよ!」
「えぇ!?恥ずかしいよ~」
「大丈夫、大丈夫!」
兵太夫が誘うと椿は私に助けを求めてくる。
正直、他の連中に見せるなど勿体ないところだが、彼女が自分に自信をつけるきっかけにもなる。
「いいんじゃないか。自信を持っていいぞ。」
「うー、……じゃあ少しだけね。」
兵太夫と伝七が椿の手を引きながら歩く様子を後ろから眺める。
生徒たちに会う度に、彼女が徐々に笑顔になっていく様子が見てとれた。
椿は椿だ。母親ではない。
過去の呪縛は関係ない。
少なくとも、この忍術学園の中では彼女は自由になれるんだ。
いや、今は学園の中でしか生きられない、のか…
いつか全ての霧が晴れて、彼女が外へ飛び立てることを願わずにはいられない。
椿が振り返り、私を見て笑う。
私の名を呼ぶ。
今はただそれだけでいい。
「仙蔵。あのね、何だか心が軽くなったみたい。こんな気持ちになったの、初めてかもしんない。」
「ああ。」
「母上に見えてしまう自分が嫌で、ずっとこうすることを避けてた。でもさっき鏡を見たら、母上だとは思わなかった。私、自分に母上を重ねて見てたんだね。仙蔵のお陰で気づけたんだと思う。」
「そうか、それは良かったな。」
「うん、ありがとう。」
彼女が自分で縛り付けていたものを解いた。
私はきっかけを作っただけだ。
だがその結果、こんなにも清々しい表情を見せるのだから私のしたことは間違ってなかったんだろう。
ただ、皆に愛想を振り撒く彼女に、ちょっとした嫉妬心からか少しからかってみたくなった。
不意に椿の手を引き寄せ、顎を捕らえて上を向かせる。
「…だが今日は、私のために美しくなったということを忘れるな。今のお前は他の誰にもくれてやらんからな。」
案の定、顔を赤くしながら抗議の声を上げる椿。
からかいがいのあるやつだ。
それに今日は面白いものも見ることができた。
彼女の姿を見て真っ赤な顔をして口をパクつかせる文次郎と、直視できずまともな会話にならない留三郎。
実に愉快だ。