一章

あなたのお名前は?

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穏やかに晴れ渡る空。
風もなく過ごしやすいこんな日は、草むらに寝転がって過ごすのが一番いいのに。

今は午前の授業中。忍者のたまごたちは座学の最中のようで、誰の声も聞こえない。

今日のランチは何だろう、そんなことを考えながら先程ミスをしてしまった書類の訂正に手をつける。


ふと、誰かが戸を叩く音が聞こえた。
どうやら僕の出番のようだ。


「はぁい、どちら様ですかぁ?」


戸を開けてみるとそこにいたのは、お世辞にも綺麗とは言えない格好をした小柄な男。

着ているものはボロボロで、全体的に薄汚れている。特に足元は泥まみれになっていて、所々に切り傷のような古い傷も見受けられる。
長い髪を無造作に上で結び、幼さの残る顔つき。

セールスならもう少しましな格好をして下さい、でもお断りですからねと思いつつ、その人物を凝視する。
急いで来たのだろうか、男は目を見開いて肩で息をしていた。


「が、学園長先生にお目通り願います!」








「では僕はこれで。失礼しまぁす。」


胸に『事務』と書かれた彼に案内され、学園長の元までたどり着いた。
泥だらけだった足は、先に洗うことを許されたので助かった。流石にそのままでは失礼極まりない。

学園長室という小さな空間に、それとおぼしき人物、それに何故か犬。
私はまだ緊張の渦の中に囚われている。


「突然の訪問、大変失礼致しました。私は竹森椿と申します。本日は忍術学園学園長殿にお願いがあり、馳せ参じました。」


学園長は黙って私の話を聞いてくれる。
同席している犬は、慣れた手つきでお茶を出してくれた。
礼を言うと笑ってくれたような気がする。


「どうか私を、この学園で働かせて貰えませんか?」









静寂








張り詰めた空気に、逃げ出したくなる衝動を押さえ込む。
ここで断られてしまったら、私は━━━━

そんな私の気持ちとは裏腹に、学園長の鼻から出てきたのは風船。
何とも言えぬ顔で見つめると、隣にいた犬が慌てて爪楊枝でそれを割った。


「ふむ、何故あなたのような若い娘さんがここで働きたいなどと言うのかね?」


特別驚きはしなかった。
この方は忍術学園の学園長先生なのだ。
私が女だというのも、すぐにわかったのだろう。


「はい、実は家族を亡くし家を無くし、宛もなくさまよった上に路銀も底を尽きました。そんな時、この学園の噂を聞き藁にすがる思いでお訪ねした次第です。どうか、私をここに置いては下さいませんでしょうか!雑用でも何でも致します!どうか!」


額を勢いよく畳に擦り付ける。
体が震えるのを止めることはできなかった。
学園長はしばらく思案した後でこう言った。


「…その出で立ちからして訳有りのご様子。良かろう!ここで働くことを許可する!」


はっとして顔を上げる。


「!!ありがとうございます!本当に…ありがとうございます!」


最後は言葉になっただろうか。
涙が滲んで学園長の顔を見ることができなかった。
私は助けて頂いたこのご恩、決して忘れはしない。








呼びつけた小松田が彼女を連れて去るのを見送ると、少し冷めた茶を一口飲んで一人言のように学園長は呟いた。


「山田先生、土井先生」


天井裏から突如現れる二つの影。


「先生方、よろしくお願いしますよ。」

「学園長、こんなに簡単に学園に入れてしまってよろしいのですか?」


中年の男、山田が困惑の表情で問う。


「何かあったらそれはその時。そうならないように先生方にご協力頂きたいのですぞ。」

「何を呑気な…」


ただでさえ生徒に手がかかるのに、もう一人増えるなんて…と若い方の男、土井が呆れたような声を出す。
学園長は笑いながら茶をすすっている。


「まぁまぁ、気楽に。監視ではなく見守りで良いのです。では、頼みましたよ。」









「それで?ここで働くことになったんですかぁ?」


ぴんと張っていた緊張の糸が切れるような間の抜けた声に、思わずふふっと笑ってしまう。
小松田の柔らかい雰囲気は椿を安心させた。


「はい、学園長先生より食堂のおばちゃん見習いとして、ここで働く許可を頂きました。」

「それは良かったですねぇ。僕は小松田秀作です。学園の事務をしてます。よろしくね。」

「私は竹森椿です。よろしくお願いします。」

「ん?君って女の子みたいな名前なんだねぇ。」


変わってるねと口にする小松田が、何だか可愛らしく思えた。


「あ、ふふふ、ごめんなさい。私こんな格好してるけど女です。」

「…え、えええええぇ~~!!」


学園中に小松田の叫びが響き渡った。

聞けば私より1つ年下の小松田君、そう呼ばせてもらうことにした。
本当は秀作君と呼びたかったが、とても呼ばれなれてないとのことで本人から却下された。

今まで大人の中で生きてきたので、年の近い彼と話をするのはとても嬉しかった。
小松田君に案内され、食堂のおばちゃんに事情を説明する。
おばちゃんは大変助かるわと喜んでくれた。


「でもその格好じゃねぇ…お風呂に入ってきたらどう?」


と言われ、体も綺麗にした。
着物はボロボロだったため、小松田君とお揃いの忍装束を貸してもらえた。
ちなみに胸に『事務』の文字はない。


食堂に戻ると生徒の姿はもうなかった。
まもなく昼時も終わり、午後の授業が始まるためだという。

そんな中、黒い装束の男性二人が目に入り、挨拶を交わす。
食堂のおばちゃんが食べなさいと出してくれた昼食を、小松田君も交え頂くことにした。

正直、小松田君がいてくれて助かった。聞きもしないことをペラペラと喋ってくれたので、初対面の男性二人と気まずい空気にならずにすんだ。
話によると、二人は一年生の担任の先生で山田先生と土井先生。
受け持ちの一年は組に手を焼いていると言っていたが、その表情は優しい。


「私もは組の皆に会ってみたいな。」


そうこぼすと二人は、嫌でも会えますよと笑ってくれた。
なんだか、楽しみだな。弟みたいな感じかな。


「それでは私は授業があるので失礼。」


と言って、山田先生は去って行った。





「では我々も行きましょう。」


小松田君と別れ、土井先生が案内してくれることになった。
別れ際、小松田君にお仕事頑張ってと声をかけると、えへへと笑ってくれた。
十六才の男の子に失礼だろうか、だけどやっぱり可愛いらしい。


「しかし、その格好で本当に良かったのかい?」


折角の美人なのに…と土井その言葉は飲み込んだ。
汚れを落とした彼女は本当に綺麗だった。
陽に当たるとキラキラと輝く長い茶色の髪。
化粧をしているわけではないのに、目鼻立ちははっきりとし肌は透き通ったように白い。
話し方や仕草は品があり、人を惹き付ける魅力がある。

現に少なからず、自分も彼女に惹かれているのは否定できない。


「はい、長い間男物を着ていたので、こっちの方が慣れているんです。」

「え?」

「あ、その、実は諸国を旅するのに男物の方が動きやすくて…」


恥ずかしそうに彼女が微笑むのに、思わず見とれてしまった。
確かに女の一人旅なんて危なっかしくて仕方ない。
この歳で身寄りもないようだし、彼女も大変な苦労をしたことだろう。


「土井先生?」

「!あ、いや、それなら別にいいんだが…」


一つの仮説が脳裏を過る。
彼女は危険だ、ある意味。






「…で、こっちに各学年の教室があります。まあ、ほとんど立ち入ることはないと思うけど。」


他にも倉庫やらがあるが、火薬や危険な武器、生物がいるため近づかないように念を聞かせる。

土井の説明を椿は熱心に聞いていた。
「わかりました。」と素直に受け入れる彼女に、少し違和感を覚えたが、次の言葉に土井の脳内はフル回転することになる。


「あの、最上級生って六年生ですよね?六年生は歳はいくつになるんですか?」


何故、何故六年生が気になるのだろうか?
先程浮かんだ仮説が一歩前進してしまう。
食堂で働くのだから、学園の全員と顔を合わせることになる。それは仕方がない。
ただ、生徒達が彼女を放っておくわけがない!
特に五、六年に気に入れられると厄介だ。
同じ男として、土井にはそれがわかってしまう。


「え、と、六年生は十五才になるけど…どうして?」

「…そうですか!ちょっと聞いてみただけです。」


土井はその心の内を、決して顔には出さずに聞いた。
椿は少し考えてから嬉しそうに答えた。
土井の心に早くも黄色信号が灯る。






教員が寝泊まりしている長屋の空いていた一室を、自室として借りることになった。
困ったことがあったら自分を頼るように、それと上級生にはくれぐれも気を付けるようにと、土井は自分の部屋を教えて去って行った。

部屋に一人残されると急に体の力を失ったかのように、へなへなとその場に座り込む。
ここまで来るのに相当気を張っていたのだ。
震える自身を抱きしめうわごとのように大丈夫を繰り返す。

よし!と気持ちを切り替えて、自分の荷物、と言っても着替えくらいしかないがそれを片付け、再び食堂へ向かう。

今日の夕食からここで見習いとして働くのだ。

実は忍術学園に来るまで、資金稼ぎのためにアルバイトをしてきた経験があった。
だから大抵のことはそつなくこなせるし、またそうしてこなければ生きてはこれなかった。
一人で生きてきた中で椿は、見て盗むというスキルも自然と身に付けていた。

食堂のおばちゃんと相談して役割を決める。
基本的に食事はおばちゃんが作るので、椿は材料の下処理や調理補助、生徒への食事の受け渡し、最後に後片付けをすることになった。

それでも忍術学園全員の食事を二人で準備するのは、結構大変である。


「そうそう、今日は六年生が校外実習に行ってるから少し遅くなるみたいよ。」


もちろん、このようなイレギュラーも多々あるため、対応しなければならない。






「そうだった!学園長先生に呼ばれていたんだ。椿ちゃん、ちょっとここお願いね。」

「はい、いってらっしゃい。」


おばちゃんを見送り、さてどうしたものか夕食に使う芋の皮でも剥いていようかと思っていた時、台所勝手口より声がした。


「食堂のおばちゃん、いますかー?」


誰か来たようだが、おばちゃんは不在。
仕方がないので返事をして出ていくと、群青色の装束の男の子がいて椿を見て困惑の表情を浮かべる。


「え?あ、あの食堂のおばちゃんは…?」

「ごめんなさい、今用事があって不在なんです。」

「そうですか…あなたは?」

「あ、私今日からここで食堂のおばちゃん見習いとして働くことになった竹森椿です。」


よろしくねと微笑むと彼は照れながら、五年生の久々知兵助と名乗った。

椿は五年生と聞いて兵助をまじまじと見上げる。
自分より拳一つ分背の低い椿に上目遣いで見つめられ、兵助の心中は穏やかではなかった。
困り果てているとようやく椿が気付いてくれた。


「あ、ごめんね!食堂のおばちゃんに用事だったんだよね!すぐ戻ると思うから、中で待ってる?」

「じゃあ、お邪魔します。…実は豆腐を作る手伝いをお願いされていたので、ちょっとここ使わせてもらってもいいですか?」

「えぇ!お豆腐作れるの?すごい!」


椿は目を輝かせながら、兵助の手伝いを買って出た。




十四才…隆光と同じ歳だ。


椿は兵助に、昔生き別れた腹違いの弟の姿を重ねる。
あれから四年が経つだろうか。
まだ椿の背より小さかった弟は、もう自分を越してしまっていることだろう。
元気にしているだろうか、それだけが気がかりだった。


兵助と入れ替わりで戻ってきたおばちゃんに椿は、生徒と話せたこと、豆腐作りを手伝えたことを嬉しそうに話した。
椿の様子におばちゃんも、良かったねと言ってくれた。

間もなく夕食時、食事の準備をしていると遠くから走ってくる足音が複数聞こえる。
それらは食堂に入るなり、全員が声を揃えた。


「初めまして!僕ら一年は組の良い子たちでーす!」


一人一人名前を名乗り、飛んでくるのは質問の嵐。
全てに答えてあげたいが、今は混む夕食の時間。後から来た青い装束の子がぷんすか怒っている。


「みんな、今は夕食の時間だからまた今度ね。」


そう促すと、は組の良い子たちは返事をして席についた。








「…でさぁ、俺のことすっごい見つめてくるんだよ。」


豆腐作りを終えた兵助は、他の五年生と合流していた。
勘右衛門、雷蔵、三郎は新しく来た食堂のおばちゃん見習いに大層興味を持ったようだ。


「へー、何、モテ期ってやつ?」

「兵助が?まさか!豆腐が好きなだけなのに。」

「おい、なんだよ!その言い方!」

「でも気になるよね、美人なんだろ?」

「なんだ、雷蔵も隅に置けないな。」

「二人だって気になるくせに。」

「じゃあ行こうぜ、その彼女拝みに。」

「ところで八左ヱ門は?」

「毒虫の捜索。」







……………ほーら、こうなることは予想済みだったんだ。

食堂のカウンターを挟んで会話をする椿と生徒達を横目に、土井は味噌汁をすすった。

何度も椿さん椿さんと呼ぶ者、可愛いねと口にする者、手まで握る者…雷蔵、ではないな三郎か。
ついでのように全員が手を握らんでもよいではないか、私だってまだ…


「土井先生。」

「なんですか?山田先生。」


少し不機嫌な声色で、隣に座っていた山田に返事をする。
会ったばかりなのに、彼女が絡むと自分の言動がこんなに変化するものかと、少し後悔した。


「あんた、それ、味噌汁全部食べたのかい?」

「食べましたけど…なにか?」

「いや、ちくわが入っていたんだが…」


山田の言葉に恐る恐るお椀の中を確認するも、すっからかんになっていた。

食べた!食べた!食べてしまった!山田先生、言わなくてもいいじゃないですか!

青い顔をして口を押さえる。
山田は笑いながらお茶を差し出した。





六年生は皆よりも遅くに食堂にやってきた。
本当はもっと話をしたかったが、時間も遅いのと自分も片付けがあるので叶わなかった。
そういえば一人元気なのがいたなと思い出し笑いをしてしまう。





だけど。






きっと私のことを、疑っている人もいるんだろうな。
無理もない、素性のわからない新参者。
そう簡単に心を許せないものだろう。
皆を騙したいわけじゃない、けど私からは言い出せない。

そう布団の中で思想に更ける。
見知らぬ部屋、見知らぬ布団、今日からここが私の居場所。

とても暖かいな。そういえば布団で寝るのは久しぶりだな。

柔らかいその感触を確かめるように胸に抱く。
その夜はそのまま眠りについた。

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