四章
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━━竹森城━━
椿が目を覚ます前に遡る。
「━━っ!姉上が……」
隆光は神室より椿の髪を受け取った。
姉は『竹森椿としての死』を選んだ。
そこまでして守りたかったもの、今父がそれを奪おうと目論んでいることは知っている。
幼少より慕っていた姉の死、ならば自分が選ぶものは決まっている。
「桧山!桧山はどこだ!!」
聞こえてきたのは父の怒鳴る声。
隆光は心静かに隆影に歩み寄る。
「父上、桧山はもういません。私の監視下に置いています。」
「隆光!?なにを勝手なことを━!」
「父上、もう姉上に…忍術学園に一切関わらないと御約束ください。」
「お前…誰に物を申しておる!」
隆影は頭に血が登り、隆光へ詰め寄る。
隆光は臆することなく隆影を睨み付ける。
「約束してください!あの地は姉上が命を懸けて守りたかった場所。私はこれ以上、姉上を苦しめたくはありません。父上、あなたがそれでもお考えを改めないおつもりでしたら、私にも考えがあります!」
隆光の迫力に隆影が怯む。
「な、何をすると言うのだ?」
「あなたをそこから引きずり落とします。私ももう、齢十四。子供ではありません!」
隆光はそう吐き捨てると、隆影の元を離れた。
残された隆影は、溺愛してきた息子の言葉にただ力なく座り込むしかできなかった。
「神室」
「はっ」
隆光は遥か遠く、忍術学園の方を見ながら神室に言う。
「これは私の我が儘かも知れない。幼少の頃、姉上を守りきれなかった償いなのかも知れない。だが父上のやろうとしたことは間違っている。お前は…私についてきてくれるか?」
「はい、勿論でございます。」
まだ未熟なその背中に、神室は今一度誓いを立てる。
葵から続く我が主の願いは、この若君へと引き継がれていった。
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学園長室での混乱に巻き込まれた椿は、ほとんどの生徒に感謝と謝罪をしてやっと解放された。
その足で食堂に向かう。
椿の姿を見つけ、食堂のおばちゃんの目が潤った。
「椿ちゃん!」
「おばちゃん!心配かけてごめんなさい!お使いもできなくてごめんなさい!」
久々の再会に二人は抱擁を交わす。
「いいんだよ、無事に帰ってきてくれただけで、もういいんだよ。お帰りなさい。」
「ありがとう、ただいま!」
「椿さん!」
そこへ急いで来たらしい利吉が、珍しく息を切らして食堂に現れた。
椿の姿を見るなり、安心したように表情を緩める。
「利吉さん!」
「良かった!気がつかれたんですね。今父から聞いて飛んで参りました。」
「ありがとうございます。利吉さんにもご心配おかけして、すみませんでした。」
「あなたが無事ならそれで良いんです。…少し外で話しませんか?」
「はい。」
利吉と共に外へ出る。
空は相変わらずの晴天。
雲一つないその青さは、今の椿の心を映す鏡のようだ。
「すみませんでした、あなたが大変な時に側にいることができなくて。」
「いいえ、謝らないでください。山田先生からお聞きしました。利吉さんが竹森の城を見つけてくれたから、私は忍術学園に戻って来れたんです。ありがとうございました。」
椿の言葉に利吉は安心したように笑った。
そして彼女の正面に立ち、両手を広げて待つ。
利吉の行動に、椿はそれをやられる側になり改めて恥ずかしさを感じずにはいられない。
「あ、あのっ…!?」
「これも父から聞きました。あなたが学園中に『挨拶』回りをしていることを。私にはして頂けないのでしょうか?」
「えっ!いや、そういうわけではなく…あの時は皆に会えた喜びのあまり、勢いでしてしまったというか…その、ですから、今となっては…は、恥ずかしくて…」
椿は顔を赤らめて困っている。
利吉は悪戯な笑みを浮かべた。
「つまり、その場のノリでしてしまったと?」
「う…」
「だそうですよ、土井先生。」
「え?土井先生?」
椿は辺りをキョロキョロ見回す。
近くの木陰から気まずそうに現れたのは土井だった。
「利吉君、あのね…」
「つーまーりー、ノリだったと!いや~良かったなぁ!」
利吉はわざと大袈裟に言った。
椿は利吉が何を言わんとしているのかがわからず、オロオロとするばかりだった。
「まあでも、椿さんからの『挨拶』は受け取っておきますね。」
「!?」
「なっ!?」
そう言って利吉は土井に見せつけるように椿に抱きついた。
椿は恥ずかしさと驚きで固まってしまっている。
土井からは彼女の表情は見えない。
「り、利吉君!椿さんが困っているじゃないか!」
そう言うのが精一杯だった。
自分で自分が不甲斐ない。
利吉は椿の体を離すと顔を覗き込んで言った。
「名残惜しいですが、もう行かなくては。またあなたに会いに来ます。」
「は、はい。」
利吉はその場から姿を消した。
土井はボーっとしてしまっている椿の肩を揺すって呼び戻す。
彼女がこうなってしまうなんて、利吉はやはり侮れない。
三郎が宣戦布告をした時も上級生の反応から、椿に初日にした忠告は無駄だったと思い知らされる。
「そうだった椿さん。」
利吉の再来に驚き、慌てて椿から手を離す。
「デートの約束、忘れないでくださいね。」
「デート!?」
聞き捨てならない言葉を聞いた。
椿は笑顔で利吉に手を降る。
それだけを言いにわざわざ戻って来たのか。
今のは絶対にわざとやったんだろう。
先手を打たれ、土井はため息しか出ない。
「土井先生?」
「はい。」
「あの、何かご用でしたでしょうか?」
そうだ、利吉と椿がいるのを見かけ、気になって盗み聞きしてましたなんて言えるはずがない。
「…椿さん」
「はい。」
「あのっ…!」
土井は次の言葉を口にしようとしたが、それを遮るように始業を告げる鐘の音が聞こえた。
言いかけた言葉をぐっと飲み込み、力を無くしたように項垂れる。
「…ごめん、授業が…」
「はい、そのようですね。」
土井は意気消沈でその場を去ろうとする。
その背中に椿は呼び掛けた。
「土井先生!」
「…はい。」
「お話、待ってますね。いってらっしゃい。」
椿が笑顔で手を降る。
その言葉に仕草に表情に、土井の心は晴れていった。
彼女がいるだけで、こんなにも幸せな気持ちになる。
愛しい。
その想いが止まらない。
だが今は授業に向かわなくては。
いつか、この想いを彼女へ届けられたら…
土井が授業へ行くのを見届けた後、椿もまた食堂のおばちゃん見習いとして頑張ろうと気合いを入れる。
背中の痛みはまだ完全になくなってはいない。
それに傷痕も残ってしまった。とても人に見せられるものではない。
これは罰だったのだ。
竹森を捨てたことへの罰だ。
でも後悔はしていない。
もう二度と父に利用されることもない。
私は自由を手に入れた。
大好きな人たちを見つけることができた。
それだけで、十分幸せだ。
ランチの時間、おばちゃんは無理しなくていいって言ってくれたけど、私は食堂のカウンターにつく。
ここで皆を待つ。
少し前まで当たり前にしていたことが懐かしく、それと同時に私の楽しみでもあった。
次々現れる生徒たちは、まさか私が立っているとは思ってなかったらしく、皆驚いていたけれど笑顔で来てくれた。
ユキちゃん、トモミちゃん、おシゲちゃんは、あの日一緒に外出しなかったことを悔いているようだった。
三人には気にしないでと言い、今度は女の子同士で出かける約束を申し出た。
快諾してくれて楽しみが出来た。
「あ。」
「…あ。」
三郎君だ。
さっき派手に言い争ったから、気まずい顔して目を反らされる。
さすがにその態度は、ちょっと堪えるな。
「三郎君、さっきは大人気なくてごめんね。」
「…いや、俺の方こそ…ごめん。」
「よかった~もう口利いてくれないかと思った~」
三郎君がフンと鼻で笑って、そんなことしないと言ってくれた。
その言葉に安心して笑みが溢れる。
三郎君も笑顔を見せてくれた。
俺が彼女と口を利かない訳がない。
だけど正直、彼女が仲直りのきっかけを作ってくれて助かったと思う。
そこはやっぱり、年上の余裕なんだろうか。
たった三つの年の差は、こんなにも俺の余裕を無くす。
ただでさえ弟扱いされているから、他の恋敵たちと同じラインには立てていない。
だけど諦めない。
いつか弟を卒業できるように、俺の手を彼女が握るように。
敵は手強いけど、やってやるさ。
放課後、椿は忘れていた。その存在を。
「あ、えーと、あの~…」
目の前にはこれでもかと言わんばかりの笑顔を見せる小平太始め、六年生たち。
「椿!『ありがとう』を貰いに来た。」
そういえば学園長室で乱太郎の『ありがとう』発言があった時、六年生は天井裏にいた。
今まで姿を現さなかったので、他の学年にはした『ありがとう』をしていない。
戸惑い無意識の内に、文次郎と伊作に目をくれる。
二人は呆れたように小さく首を横に降った。
「文次郎と伊作は『済み』なんだろ?ならば私にもできぬはずがないな。」
仙蔵は椿の戸惑いを突いてきた。
逃げ道を塞がれる。
だがあれは利吉にも言った通り、勢いでしてしまったので、今改めてとなると相当恥ずかしい。
迫ってくる笑顔の小平太と、意外と乗り気な仙蔵。
二人から逃れるために長次の後ろに隠れる。
だけど油断していた。
長次は振り向くと、そのまま椿を抱き締めた。
「!?ちょっ…じっ!?」
軽い裏切りに思考が停止する。
長次が頭をポンポンとしてくれるのが、いつかの記憶と重なる。
ああ、大丈夫って言ってくれてるんだなと気付いた。
見上げると長次が少し笑ってくれたように見える。怒ってる意味ではなく。
「椿!」
長次から引き剥がされると、次は小平太の腕の中。
やっぱり大きいワンコがじゃれているように思えた。
そういえば忍術学園まで背負って連れてきてくれたのは、小平太だった。
薄い意識の中でも、それは覚えていた。
「小平太、忍術学園まで背負ってくれてたよね?ありがとう。」
小平太は、おぅと短く答えて椿の頭をガシガシ撫でた。
「小平太、髪が乱れる。」
そう言った仙蔵に引き寄せられる。仙蔵は丁寧に椿の髪の乱れを直した。
「ありがとう仙蔵。」
「私は美しいものが乱されるのが嫌いなんだ。」
髪を撫でる手を止め、じっと見つめられる。
「…折角の髪を、切ってしまったな。」
「うん。でもそれで皆が助かるなら、いいの。」
仙蔵は少し悲しそうに笑い、椿を抱き締める。
そして耳元に口を寄せると、誰にも聞こえないように囁いた。
「またお前の着飾った姿を見るのを楽しみにしている。」
「う、うん。」
仙蔵が離してくれると、目が合ったのは留三郎。
「お、俺は別にこいつらみたいにがっついてないからな。」
少し顔が赤くなって目を反らされる。
そうか、照れているんだ。
人が照れているとどうも、悪戯な気分になる。
さっきまで恥ずかしがっていたのに、椿は自分が流されやすい性格だったんだなと気付いた。
「留三郎…隙あり!」
「!?」
椿は留三郎に飛び付いた。
留三郎は行き場のない手で宙を掻いていたが、観念したように椿の頭を撫でた。
「…お前、すげーよな。」
「なにが?」
「なんでもねぇよ。」
椿が守りたいものを守るために、自分を犠牲にしても笑っていられることを褒めたのだが、顔を見ると気恥ずかしくなって誤魔化した。
「…いつまでくっついてんだよ。」
文次郎が抗議の声を上げる。
すっかり悪戯心に火が付いた椿は、文次郎を見て笑う。
「なに?文次郎もう一回して欲しいの?」
「なっ!?ばっ、バカタレ!そうじゃない!」
見事なまでに真っ赤に染まる文次郎。
「意外とムッツリだったんだな。」
「…欲張り。」
「そもそも、文次郎から始まったんでしょ?これ。」
「だから、違うと言ってるんだぁ!!」
椿はその様子が可笑しくてたまらなかった。
ここには笑い合える仲間がいる、助け合える仲間がいる。
安らげる場所がある、心弾む日々がある。
逃げてきた人生に終止符を打とう。
これからは私が歩いていく軌跡。
だって世界はこんなにも色鮮やかなのだから。
「みんな、大好き。」
今宵の月は半月。
また一人、月明かりの中を外へ出る。
聴こえてくるのは虫の音だけ。
またこうして月を見上げられるなんて、私は恵まれている。
天上の月、半分はきっと隆光の元にある。
二人で分け合ったの、それぞれの道を歩むように。
でも心配しないで。
月が輝けば、その姿が映り込むから。
もう私は独りじゃないよ。
「椿さん」
背中から聞こえた声。
心地よいその低音を、椿は知っている。
「…土井先生。」
振り返り彼を見上げる。土井は笑顔を見せてくれる。
「また月を見ていたのかい?」
「はい。…またって、まさか前の時見てたんですか?」
「うん、ごめん。」
歌を聴かれていたと、恥ずかしさがこみ上げてくる。
土井は申し訳なさそうに謝ると、椿の
隣りに立ち月を仰ぎ見る。
「…帰ってしまうかと思ったよ。あんまり月を見てるから。」
「いいえ、月を見れば会える気がしたからです。」
椿の気持ちを土井は理解することができる。
彼女がいなくなったあの日、同じように月に祈った。
届きそうで届かないあの月に、彼女が映る気がしたから。
椿が会いたいと願っていた相手は隆光だったんだ。
彼女はいつでも弟のことを気にかけている。それは多分、これからも変わらない。
だけど、
「それに、私の帰る場所はここですから。」
椿はここで生きていく道を決めた。
もう二度と、竹森城の姫君に戻ることはないだろう。
学園長の言葉を借りるなら、忍術学園にとって彼女は必要な存在だ。
そしてそれは、土井にとっても特別な意味を持つ。
「ああ、そう言ってくれると嬉しいよ。…さっき言いかけたことなんだけど、」
「はい。」
「お帰り、椿さん。」
「土井先生…ただいま。」
何の飾りもない言葉を彼女へ贈る。
今はまだ、椿の帰る場所は忍術学園なんだ。
いつか自分の隣が、彼女の帰る場所になるように。
天上の月に、土井は願った。
━完━
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