三章

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留三郎に背負われてきた椿ちゃんの姿を見たとき、心臓が止まるかと思った。
君のそんな姿は見たくなかった。

必死に訴える留三郎、尋常ではない様子のきり丸しんべぇ、そして青い顔をした椿ちゃん。

留三郎が羽織らせた上衣を解き、その背中を確認する。



誰か嘘だと言ってくれ。



彼女の背中は襦袢を着ているのにそこだけ破れ、鞭打ちにあったように無数の打たれた痕があった。
傷の上から傷を付けられ、見るに耐えない。
肉が裂け血が噴き出したように、真っ赤に染まっている。

目の当たりにした乱太郎は、ひどく狼狽している。


僕が…しっかりしなくては。


傷に当て布をし、襦袢の上から包帯で巻き付ける。
今ここでは応急処置しかできない。
こんなの、想定外だ。
早く、忍術学園へ戻らなくては!!


何かに気付いた椿ちゃんが起き上がろうとする。


「ダメだ!その傷で動いたら!」


僕は彼女を支えながら動かないように説得する。
だけど椿ちゃんは僕を見て、決意を込めた真剣な顔で言ったんだ。


「伊作、お願い。」









神室は椿の姿を探した。
早くこの目で無事を確認したかった。
椿が自分の前から姿を消したあの日、それでもずっと心は側に置いてあった。


「!」


見つけた。その姿、母親と見紛うほどだ。
体は辛いはずなのに、気丈にも立ち上がり神室を見ている。

神室はすぐ側まで寄ると、その場に崩れ落ちた。


椿様!申し訳ありませんでした!全て私の責任でございます!」

「神室、あの城は…?」

「はっ!隆影様が桧山に造らせたものでございます。隆影様は忍術学園を手に入れようとのお考えでした。あの城に学園の者を誘い出し、そして兵士もろとも水に沈める計画だったのです。学園の戦力を削れば、手に入れるのは容易いと。」


恐ろしい計画に、聞いていた生徒と兵士がざわつく。
信じがたい話だが、確かにあの場にとどまればまず助からないであろう。
椿は無表情のまま、神室を見つめている。


「隆光様は、隆影様のお考えには反対されておられます。私は隆光様から、椿様を連れ帰るよう仰せつかっていました。椿様が巻き込まれる前に、安全なお手元に置きたかったとの思いからです。」


神室は椿の姿を見上げる。
包帯で巻かれたその姿に、胸が締め付けられる。


「しかし結果的に私がしたことで椿様のお命を危険に晒すことになってしまいました。どうか、この神室にその償いをさせてください!」

「!?」

「神室さん!?」


神室は小刀を抜くと自身の腹にあてがう。
周りからは悲鳴が上がった。
愁は止めに入ろうとしたが、そこへ割り込んだ声に思わず足が止まる。
いや、動くことはできなかった。


「控えなさい!!神室!!」


聞いたことのない力強い声、それが目の前の少女のものだと理解するのに時が必要だった。
彼女は凛とした態度で神室を見据えている。


「隆光の…母上の願いを無下にするつもりか!お前はここで死んではならない。」


椿は神室の手から小刀を奪う。


「何を!?」

「死ぬのは…私だ!」


そう言い放つと、自身の髪を無造作にまとめ上げ、首の付け根から迷うことなく髪を断った。

その一連の流れはまるでスローモーションのようだった。刃が彼女の髪の一本一本を、流れるように裂いていく。

息を飲む光景。


「…椿様…」


竹森椿は死んだ。これがあれば隆光も信じるでしょう。忍術学園には手を出すなと伝えなさい。隆光ならば、きっと父上を止めてくれる。神室、お前はこれからは隆光を守りなさい。私の最後の願いだ。」



『神室、椿をお願いします。それが私の願いです。』

『…様!!』



椿は切断した髪を神室に渡した。
神室は震える手で大事そうにそれを胸に抱く。
椿の姿に、母の姿が重なる。神室は涙を流して泣いた。


「…御意。どうか、椿様はお幸せに。神室の願いでございます。」


厳しい表情だった椿は、ようやく笑って見せた。
だが神室にありがとうと言った彼女は、そのままそこで倒れこんだ。


椿様!?」

椿ちゃん!!」


神室が抱き止め、伊作がいち早く駆けつける。
椿の意識は朦朧としていた。


「背中の傷が酷いんだ!早く忍術学園へ!!」


伊作の様子に山田が指示を出す。


「わかった。伊作、乱太郎は彼女を連れて学園へ戻れ。必要な人材がいれば連れて行って構わん。」

「はい!…小平太、手伝ってくれ!」


伊作は小平太を指名した。
学園まで彼女を背負っていける体力を見込んでのことだった。


「伊作!」


留三郎、仙蔵、長次が駆け寄る。


椿を頼んだ。」

「小平太と乱太郎も。無事にたどり着けることを祈っている。」

「…こちらは任せておけ。」


「はい!伊作先輩!」

「うん、行こう。」

「どうか、よろしくお願い致します。」


神室が伊作に言う。
伊作は無言で頷いた。

三人は椿を連れて忍術学園を目指した。
山田と土井はそれを見送ると、神室に向き直る。


「神室殿、訳をお聞かせ頂けますかな?」

「…はい。」











乱太郎、小平太と共に森を駆け抜ける。

椿の容態を見て絶望感に襲われたのは、彼女が女の子で自分が少なからず好意を抱いていた証だろう。
戦場で幾度となく傷ついた兵士の手当てをしてきたが、こんなにも苦しい思いをしたことがない。
その小さな体で、どれ程の痛みに耐えたのだろうか。

想像を絶する。

この傷は痛みが消えるのに時間がかかるものだ。
立っていることさえ、ままならないはず。
なのに、君がそこまで頑張るのには理由があったんだ。


「…さっきはびっくりしました。でも、椿さんって何者なんでしょうね?」


走りながら乱太郎が口にする。
小平太がそれに答えた。


「乱太郎、さっきの話を聞いていてわからなかったか?椿は……いや、この方は……」









「えぇー!!本物のお姫様ー!?」


きり丸、しんべぇの反応に山田土井を始め、上級生はやれやれという顔をする。


「はい、椿様は竹森城城主、竹森隆影様のご息女にあられます。」

神室は語り出す、竹森城の姫君がなぜ身分を隠し、忍術学園へやってきたのかを。



今から四年前、椿の母であるが突然自害した。

は元々別の城に嫁いでいたが、そこへ隆影が攻め入り城主を殺害、を自分の側室として無理矢理連れてきた。
は己の運命を恨んでおり、娘にも同じ運命を強いることを嘆いていた。

隆影は椿には見向きもしなかった。
後に産まれた正室の子、隆光を大変可愛がり椿の居場所はなかった。
自分がいなくなれば、後ろ楯のない椿はますます辛い思いをする。

だから椿を城の外へ逃がし、自由な生き方を送れるよう神室に命じた。
自ら死を選んだのは、その混乱に乗じて神室が椿を連れ出せるように、それと自身も隆影から解放されるためにだ。
神室は椿が外で生きていけるように、衣食住の全てに手を回した。

身分を偽らなければ、彼女は生きていけなかったのだ。
もしそれがばれたなら、城に連れ戻される。
が命懸けで逃がしたことが無駄になる。

ところが半年前、隆影は齢十七になった椿を政治に使おうと考える。
政略結婚である。

国の内外問わず椿を探し始めた。
桧山の追っ手から逃れるため、神室が考えたのが忍術学園だった。
目には目を、歯には歯を、忍には忍を、である。

だが不幸なことに、隆影もまた忍術学園に目をつけていた。
領土と戦力の拡大のためである。
行方の分からない椿を探すより、忍術学園を手に入れるほうが手っ取り早いと考えた。
最早、椿は必要なくなっていた。
椿は、実の父親に二度も捨てられたのだ。


「…私は椿様を隆光様の元へお連れするべく接触しました。それが桧山にばれてしまったのです。私は拘束され椿様はあんな仕打ちを…」

「………」


神室の言葉に愁は顔を伏せる。


「こう言ってはなんですが、若君は信頼できるお方で?」

「はい、隆光様が椿様に危害を加えることは決してありません。お二人は幼少の頃より大変仲が良く、今でも隆光様は椿様を気にかけておいでです。私は、城主こそ隆影様ですが隆光様にこそ仕えたいと考えています。」


山田と土井は顔を見合せ納得する。


「しかしどちらにしても、今は彼女をあなたには渡せません。」


口を挟んだのは仙蔵だ。
神室は仙蔵に目を向ける。
仙蔵は神室を敵視しているようだった。


「彼女はこのまま忍術学園で預からせて頂く。傷付けたのがあなたのせいだと言うなら、私はあなたを許すことが出来ません。」

「仙蔵…」


周りを見回すと、生徒の誰もが神室に厳しい目を向けていた。
だがそれも全て椿を思ってのこと。
神室は生徒たちが頼もしく思えた。


「今回は手を引きます。この御髪を隆光様に届けなくてはなりません。椿様は忍術学園に手を出すなと仰られました。隆光様ならきっとわかってくださいます。」

「…それが叶わぬ時は?」

「命を掛けて椿様をお守り致します。」


仙蔵はその返答に口をつぐんだ。
心の隅では神室を信じようとしたのだ。


「おじさん!」


それまで話を聞いていたきり丸が神室の元へ駆け寄る。


「頼むから!これ以上椿さんを一人にしないでくれよ!俺知ってるから、一人で生きていく辛さを!頼むから椿さんを助けてよ!…お願いだから…!」


きり丸はぼろぼろと涙を流して泣いた。
神室はきり丸の身長に合わせるようにしゃがみこむと、あやすように頭を撫でる。


「約束する。私も椿様には、もう逃げることなく幸せに生きて欲しい。それにもう一人じゃない。こんなに想ってくれる君がいる。ありがとう、椿様のために涙を流してくれて。」


きり丸は頷く。
土井はその小さな体を抱き締める。
自分も同じ思いをした。
きり丸の言葉は、土井の思いそのままだった。


「最後によろしいか。あの出城、見るからに準備不足が伺えた。どういうことだろうか?」


山田が問う。


「いえ、あの城はあれが全てです。元々忍術学園の皆さんを誘き出すだけの城でした。捕らえるのは学園の中の誰でも良かった。ただ、私が椿様に接触したことが桧山にとっては誤算だったのです。……桧山はあの時、私を自分の手で始末した後、溜め池のカラクリを作動させるつもりだったと思います。土井殿のお陰で被害を出さずにすみました。感謝申し上げます。」


神室は土井に頭を下げる。


「いえ、神室さんのご協力で我々も難を逃れました。ありがとうございました。」






「…あなたはそれを知っていたから、私に逃げるよう言ったのですか?」


利吉が愁に問いかける。
愁は気まずそうに利吉から視線を反らす。


「俺は……過ちを犯したから……あんたたちが犬死にするのは見たくなかった…」

「さっきも言ってましたが、あなたの言う過ちとは何です?」

「それは……」


神室が愁を庇うように間に入る。


「申し訳ない。それはこちらの問題です。ご勘弁を。」

「………」


利吉は腑に落ちないようだったが、それ以上口は出さなかった。






出城を破壊しつくした大蛇の勢いはもうなくなっていた。
水量は少しずつ落ち着いてきている。
ここも本来の姿に戻るのだろう。


「土井殿、山田殿、これで竹森が忍術学園に攻め入ることは当分ありません。あとは隆光様とともに隆影様の説得にかかります。」

「若様の計らいに期待しますよ。」


神室は少し笑ってみせた。


「では、我々は帰ります。どうか椿様のこと、宜しくお願い致します。」

「我々も忍術学園へ戻り、学園長へ報告させて頂きます。」


神室は深々と一礼すると背を向け、仲間たちの元へ向かった。
愁は神室に駆け寄る。


「神室さん…」

「愁、椿様は私に死ぬなと仰られた。私たちの罪をお許しくださったんだ。」

「しかし……」

「それにお前は桧山の命令をきいただけだ。全ての元凶は奴にある。椿様に対して自責の念が残るならば、あの方が望まれたことをお前が叶えるんだ。」


神室は愁に向き直り、肩を叩く。


「これからは隆光様をお守りするぞ、私と一緒にな。」

「!!…はい。」


神室は桧山を連れ、竹森城へ足を向けた。







救出組が学園を出発してから丸一日が経った。
忍術学園自体が驚異に晒されることはなかったが、生徒たちは交代で見回りを続けていた。

もうすでに辺りは闇に包まれている。
深い黒の世界は、生きるものをその孤独の中へ手招きしているようだ。
不安に押し潰される、だが今は信じて待つしかない。


異常なし……と、滝夜叉丸はこちらへ向かう見知った姿を見つける。


「七松先輩!!」


小平太へ近づく。
その背には意識のない様子の椿
帰ってきたことに安堵しつつも、その様子に滝夜叉丸は困惑する。


椿さん!?どうしたんです!?」


はっとして後方を確認すると、ふらつきながらついてくる乱太郎と伊作の姿もあった。


「滝夜叉丸!門を開けろ!それから新野先生を呼んでくれ!」

「は、はい!」


滝夜叉丸は学園へ戻ると、救出組の帰還を知らせる。
生徒たちが集まり、滝夜叉丸に呼ばれた新野が顔を出す。


「新野先生!椿ちゃんを保健室へ!」


追い付いた伊作が新野に椿を託す。
椿の状態を瞬時に把握した新野は、小平太とともに彼女を保健室まで運んだ。


「伊作!何があった!?」

「文次郎……ごめん!説明は後だ!」


伊作は他の保健室委員を集め、新野の後を追う。
意識のない椿を背負った小平太、伊作、乱太郎だけが帰ってきた。
何かが起きたのは間違いない。
言い様のない不安が広がっていた。







数刻経った後、残りの救出組も全員無事に戻った。
誰もが疲労困憊の様子だったが、口を開けば出てくるのは椿を心配する声ばかり。
当の本人は新野、伊作と共に保健室に入ったまま。
乱太郎と左近が湯を沸かしに出入りするだけで、とても状況を聞けそうにない。

山田、土井は他の教師を集め、学園長へ報告に向かった。

六年生は自然と留三郎の部屋に集合し、伊作が戻るのを待つ。
文次郎は他の六年生から話を聞いて、信じられない思いでいっぱいだった。


「……あいつが、竹森城の姫君……」

「そして本当の狙いは忍術学園だった、と。」


小平太も神室の話は今、仙蔵たちから聞いた。


「なあバレーをやった時、椿が泣いたの覚えてるか?」

「ああ。」


留三郎の言葉に一同は頷く。


「俺はあの時、泣くなんて大袈裟な奴だとしか思ってなかった。だがあいつが城の中で孤独に過ごし、外に出てからも正体を偽りながら生きてきたってことを考えると、多分椿にとって俺たちが初めて心を許せる存在だったんじゃないかって思うんだ。」


留三郎は続ける。
皆それを静かに聞いていた。


「出城で椿を見つけた時、あいつは城を燃やせ、学園を守ってって言ったんだ。忍術学園のこと、あいつは守りたかったんだな。」

「大切に思ってくれてたってことだろうな。」

「俺たちは…あいつのこと守ってやれたか?無性に悔しくて、堪らないんだ。」


留三郎は顔を伏せる。
心苦しい。皆それを感じていた。
だから仙蔵はやりきれない苦しみを、神室にぶつけた。
長次が口を開く。


「…きり丸が椿をもう一人にしないでと神室さんに言っていた。私たちは椿の側にいてやることが最善だと思う。」

「…そうだな。」


皆の顔が少し緩んだようだった。









夜も更けた頃、伊作が部屋へ戻った。
その様子は憔悴しきっていた。


「伊作、…どうなんだ?様子は…」

「今熱が出ていて、新野先生と僕が交代で看病することになった。」


文次郎の問いに答える。
留三郎が、お前は大丈夫かと心配していたが、力なくうんと言うしかできなかった。


「背中の傷だが、あれはなんだ?」


そうか、あれを見たのは僕と留三郎だけか。
仙蔵が聞いてくるってことは、留三郎は話さなかったんだな。


「その答えが……もしかすると椿ちゃんを傷付けることになるかも知れない……それでも聞きたい?」


仙蔵は目をそらし黙る。
皆も考えているようだった。
そして、口火を切ったのは文次郎だった。


「受け入れる。…例えそれがどんな答えでも。あいつに何が起きているか、教えてくれ。…頼む。」


文次郎と目が合う。
皆を見回すと、文次郎の言葉に同意するように一人一人が頷いた。


「……わかった。背中の傷、あれは……鞭で打たれたものだと思う。恐らく、彼女は拷問されたんだ……そしてそれは………………一生傷痕が残る。」


口にするのも耐え難い。
苦しくて奥歯を噛み締める。
消せない傷が残る、そう口にすることによって罪悪感に襲われる。

皆の表情を見ることが出来ない。
だけど、皆も苦しんでいる。それはわかる。


椿ちゃん、何て言ったと思う?傷物になっちゃったから、私は無理矢理結婚させられなくてすむって、笑いながら僕に言ったんだ。こんな傷じゃ貰う側もお断りだよねって。」


これ以上ないくらい握る手に力が入る。
笑っていた椿の顔が脳裏に焼き付いて離れない。


椿ちゃんは、女の子なんだ。罪を犯したわけじゃない、ただの…女の子なんだ。体に傷が残るっていうのは、僕たちが考える程軽いものじゃないはずだ。」


涙を押さえられなかった。
彼女のことを思うと、怒り、悲しみ、悔しさ、様々な感情が入り乱れる。


「伊作もういい休め。皆も、今日はもういいだろ?」


留三郎が伊作を気遣う。
仙蔵、小平太、長次が伊作の肩に頭に手を当てて部屋を後にする。
最後に文次郎が、話してくれてありがとうと言い残し去っていった。

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