1年生
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03.オブシディアン・ブルーの微笑み
※モブ視点
「1年D組の樒原美子です。中学でも一応演劇部に在籍していたので、発声練習くらいならやったことがあります。とは言っても所詮素人に毛が生えたような程度ですので、何卒お手柔らかにお願いします」
そう言ってお手本のようなお辞儀をして見せた彼女は、長い黒髪と黒々とした瞳がとても印象的な少女だった。
樒原美子。
彼女は、今年この演劇部に入部した新入生の中でも、一際目立つ存在であった。
×××××
「部長、何してるの」
「ん、日誌と新入生の入部届まとめてた。明日顧問に提出だから」
本日の部活が終わり、日誌を書きながら部室でひとり残って作業をしていたところ部員が戻ってきた。どうやら忘れ物をしたらしい。
「今年の一年生は5人かあ」
「うち2人は裏方志望らしいから、今のところ役者は3人だね。まあ去年と同じくらいじゃない」
我が校の演劇部は、弱小だ。箱根学園は私立というだけあって強豪と名を馳せる部もそれなりに多いが、残念ながらウチはそれに当て嵌まらない。コンクールはいつも地区大会まで、頑張っても県大会出場が関の山だ。そのため入ってくる部員もそう多くなく、残念ながら例年5名いれば多い方というのが現状だ。
「でも今年は珍しく経験者がいたね。えっと、何だっけ…樒原さん?」
「うん」
新入生のうちの一人、樒原美子。聞けば横浜出身らしく、今年度からは寮生らしい。入部届に書かれた丁寧で読みやすい字は、彼女の真面目で几帳面な性格を表しているように思えた。
「なんか大人しくて真面目そうな子だったよね。なんかお嬢様っぽい。深窓の令嬢的な」
「ああ、確かに」
切り揃えられた長い黒髪を思い出して納得する。確かに、何処と無く浮世離れした雰囲気を持っていたように思える。
「経験者ってことはやっぱり上手いのかな。あんまり人前に立ってる姿とか想像できないけど」
「そればっかりは見てみないと何とも言えないでしょ。でも強豪に行かず箱学を選んだってことは、そんなにバリバリ頑張りたいってわけではないんじゃないかなあ、本人も素人に毛が生えた程度とか言ってたし」
「そっか、だよね」
「まあ、明日からの部活に期待だね。今年は県大会出たいし、頑張ろ」
去年は結局地区3位で、県大会出場は叶わなかった。今年こそは何としても、優勝は無理でも出場くらいはしたい。
「じゃ、また明日」
「うん」
部員の背中を見送って、自分も帰り支度をする。書き終えた日誌を元の場所に戻し、5枚の入部届を自分のクリアファイルに仕舞う。話題に上ったからか、彼女の黒々とした瞳が頭に浮かんで中々消えない。
「樒原美子ちゃん、ね…」
新入生、経験者。この言葉に、少しだけ心がざわついた。
×××××
「“たちつてと ちつてとた つてとたち てとたちつ とたちつて”…」
「……………」
結果的に言うと、樒原美子は他の一年生とは比べものにならないくらいに上手かった。それは単に経験者、という言葉では済まされないレベルで、言ってしまえば彼女は先輩後輩なんて一切関係なく、この箱根学園演劇部に在籍する誰よりも上手かった。
発声練習の経験はある、と明言していた通り、彼女は五十音のような基本的なものは勿論のこと、“あめんぼ”や“外郎売り”といったものは全て暗記済みであったし、表現の練習や寸劇をやらせてみても、彼女は涼しい顔で難なくこなして見せた。
「“らりるれろ りるれろら るれろらり れろらりる ろらりるれ”…」
しかし彼女ーーー樒原美子のその才能は、経験者特有の慣れや努力というよりかは天性のものであるように思えた。初めて会った時も思ったが、彼女のどこか浮世離れした雰囲気は、舞台の上でとても映えた。絶世の美女というわけでは決してないが、どうしてか華があって、思わず目で追ってしまうような求心力が彼女の演技にはあった。そして、最も特筆すべきはその声だ。滑舌も良く、聞き取りやすい澄んだ声。表現力も申し分なく、音読を聞いたときはまるでアナウンサーか声優のようだと思った。
彼女は中学から演劇を始め、今年で4年目になると言っていた。私は高校から演劇を初めて、今年で2年目になる。彼女は演劇歴で言えば立派な先輩だ。そして、私があと2年頑張ったところで、彼女のようになれるとも到底思えなかった。
「…あのお、部長?」
「…あ、はい。樒原さんは終わりね、うん。問題ない、どの行も聞きやすいよ」
「ありがとうございます」
しっかりとお辞儀をする彼女は、今のところとても模範的な後輩だった。礼節もきちんと弁えている。演劇部は運動部のように上下関係に厳しい部では決してないが、それでも礼節はあるに越したことはない。
「樒原さんは経験者だからやっぱりスムーズだね、他のペアはまだ終わってないから少し待ってよ」
「はい。あのお、水飲んでもいいですか」
「あ、うん。いいよ」
私の目の前にいる樒原美子は、何とも涼しい顔をして脇に置いていたミネラルウォーターを飲んでいる。今は、上級生と新入生でペアになって基礎練習をする時間だ。私はたまたま目の前にいる彼女とペアになって基礎練習をしていたが、当然ながら彼女に教えられることなど何もなかった。他の新入生はまだ暗唱も出来ていないレベルだから、どのペアもゆっくり時間をかけてやっている。こんなことを言うのは先輩、というか部長として最低だと思うが、正直他のペアが少し羨ましい。
樒原美子は優等生だ。礼節もしっかりしているし、演劇に関しても期待のホープ。けれど上の立場からしてみると、可愛気はあまりない。決して愛想がないというわけではないのだが、どこかクールというか、うわべだけの様な気がしてしまうのだ。
「…樒原さん、本当に上手いよね。素人に毛が生えたとか嘘ばっか」
「ええ、どうしたんですかいきなり」
「いや、しみじみ思ってさ」
私と彼女の間に流れる無言が嫌で、私はない話題を必死に振り絞って話しかけた。飲みかけのペットボトルを手持ち無沙汰に弄っていた彼女は、私が急に話しかけて驚いたのか、目を僅かに見開いてこちらを見つめてきた。
黒々とした黒曜石のような瞳に見つめられ、私は少し、言葉をかけたことを後悔した。
「そんなことないですよお。本当に素人に毛が生えた程度です」
「素人は“外郎売り”を暗記なんてしてないでしょ」
「あれは毎日練習さえすれば素人でも出来るようになるじゃないですかあ。そういうのじゃなくてえ…私出来ないことたくさんありますし」
「例えば?」
「そうですねえ…私、コメディとかコントとか苦手です。あと運動出来なくて筋力もないからパントとか機敏な動きとか苦手ですし、あと頭の回転も悪いので即興劇とかも出来ません」
つらつらと自分の苦手なものを挙げていく彼女。それは決してその場しのぎで言っているようには見えず、きっと本当に彼女が苦手としていることなのだろう。しかしそれでも、そんなのは私たちレベルから見れば彼女は今でも十分過ぎるくらいに出来ていたと思うし、それを彼女が言うのは傲慢だとも思えた。
「(…結局、私たちとは望んでる次元が違うってことか)」
心の奥にじわりと巣食った、タールのような黒い何かに気づいて、私は自己嫌悪に陥る。部長として、先輩として恥ずかしい。
「…部長、どうかしましたか?」
「……ああ、いや何でもない」
…つまるところ、私は彼女に嫉妬しているのだ。この、優秀な後輩に。
そしてそれは、恐らく部員の誰しもが。
「樒原さんは、自分に厳しいんだなって思って」
「ええ、いや私自分で言うのもなんですけど甘々ですよお」
「…ねえ、なんでそんな実力ある人がわざわざうちなんかに来たの?うちに来なくても、市内ならいくらでもあったでしょ」
横浜には演劇の強豪校だって少なからずあるだろうに、どうしてわざわざ、この学校を選んだのだろうか。それは、私がかねてより思っていた純粋な疑問だった。
…けれど、今ここでこの質問を彼女にするのは、悪意以外の何物でもないと、言ってから気づいた。
「…何だか、今日の部長は意地悪ですねえ」
「あ、いや、そんなつもりじゃなかったんだけど…」
樒原美子にも、そう指摘されてしまった。慌てて取り繕うが、彼女の顔は涼しげなままだった。
「……演劇とか、強豪とか、そんなのよりも大事にしたいものがあったからじゃないですかねえ」
「え」
堂々と“そんなもの”と言い放った樒原美子に驚いて、私は彼女を凝視する。もしかして私の先程の発言に気を悪くして、こんな皮肉めいたことを言っているのだろうか…とそう思ったが、伏し目がちにそう言った彼女の横顔が何だかとても寂しそうで、私は思わず口を噤んだ。
「…あ、これだと演劇がどうでもいいみたいですねえ。そんなことないですよ、演劇は好きですからね、本当ですよお」
「あ、うん」
「すみません、なんだか失礼なこと言ってしまって。全部忘れてください」
そう言って申し訳なさそうに笑う樒原美子の腹の中は見えない。どうしてか、私はこの後輩が怖いと思った。
「部長ー、こっち終わったよ」
「私のとこも終わったー」
周りの同級生から声が掛かる。どうやら私たちが雑談に興じている間に、基礎練習のメニューが終わったらしい。
「部長、皆さん終わったみたいですよお」
「あーうん。じゃあみんな集まって。今日のミーティング始めるから」
私の掛け声に、部員がぞろぞろと集まってくる。樒原美子も何食わぬ顔で周りに溶け込む。その人畜無害な顔に、私は言い様のない悍ましさを感じた。
…ああ、私。この子のこと苦手だ。
※モブ視点
「1年D組の樒原美子です。中学でも一応演劇部に在籍していたので、発声練習くらいならやったことがあります。とは言っても所詮素人に毛が生えたような程度ですので、何卒お手柔らかにお願いします」
そう言ってお手本のようなお辞儀をして見せた彼女は、長い黒髪と黒々とした瞳がとても印象的な少女だった。
樒原美子。
彼女は、今年この演劇部に入部した新入生の中でも、一際目立つ存在であった。
×××××
「部長、何してるの」
「ん、日誌と新入生の入部届まとめてた。明日顧問に提出だから」
本日の部活が終わり、日誌を書きながら部室でひとり残って作業をしていたところ部員が戻ってきた。どうやら忘れ物をしたらしい。
「今年の一年生は5人かあ」
「うち2人は裏方志望らしいから、今のところ役者は3人だね。まあ去年と同じくらいじゃない」
我が校の演劇部は、弱小だ。箱根学園は私立というだけあって強豪と名を馳せる部もそれなりに多いが、残念ながらウチはそれに当て嵌まらない。コンクールはいつも地区大会まで、頑張っても県大会出場が関の山だ。そのため入ってくる部員もそう多くなく、残念ながら例年5名いれば多い方というのが現状だ。
「でも今年は珍しく経験者がいたね。えっと、何だっけ…樒原さん?」
「うん」
新入生のうちの一人、樒原美子。聞けば横浜出身らしく、今年度からは寮生らしい。入部届に書かれた丁寧で読みやすい字は、彼女の真面目で几帳面な性格を表しているように思えた。
「なんか大人しくて真面目そうな子だったよね。なんかお嬢様っぽい。深窓の令嬢的な」
「ああ、確かに」
切り揃えられた長い黒髪を思い出して納得する。確かに、何処と無く浮世離れした雰囲気を持っていたように思える。
「経験者ってことはやっぱり上手いのかな。あんまり人前に立ってる姿とか想像できないけど」
「そればっかりは見てみないと何とも言えないでしょ。でも強豪に行かず箱学を選んだってことは、そんなにバリバリ頑張りたいってわけではないんじゃないかなあ、本人も素人に毛が生えた程度とか言ってたし」
「そっか、だよね」
「まあ、明日からの部活に期待だね。今年は県大会出たいし、頑張ろ」
去年は結局地区3位で、県大会出場は叶わなかった。今年こそは何としても、優勝は無理でも出場くらいはしたい。
「じゃ、また明日」
「うん」
部員の背中を見送って、自分も帰り支度をする。書き終えた日誌を元の場所に戻し、5枚の入部届を自分のクリアファイルに仕舞う。話題に上ったからか、彼女の黒々とした瞳が頭に浮かんで中々消えない。
「樒原美子ちゃん、ね…」
新入生、経験者。この言葉に、少しだけ心がざわついた。
×××××
「“たちつてと ちつてとた つてとたち てとたちつ とたちつて”…」
「……………」
結果的に言うと、樒原美子は他の一年生とは比べものにならないくらいに上手かった。それは単に経験者、という言葉では済まされないレベルで、言ってしまえば彼女は先輩後輩なんて一切関係なく、この箱根学園演劇部に在籍する誰よりも上手かった。
発声練習の経験はある、と明言していた通り、彼女は五十音のような基本的なものは勿論のこと、“あめんぼ”や“外郎売り”といったものは全て暗記済みであったし、表現の練習や寸劇をやらせてみても、彼女は涼しい顔で難なくこなして見せた。
「“らりるれろ りるれろら るれろらり れろらりる ろらりるれ”…」
しかし彼女ーーー樒原美子のその才能は、経験者特有の慣れや努力というよりかは天性のものであるように思えた。初めて会った時も思ったが、彼女のどこか浮世離れした雰囲気は、舞台の上でとても映えた。絶世の美女というわけでは決してないが、どうしてか華があって、思わず目で追ってしまうような求心力が彼女の演技にはあった。そして、最も特筆すべきはその声だ。滑舌も良く、聞き取りやすい澄んだ声。表現力も申し分なく、音読を聞いたときはまるでアナウンサーか声優のようだと思った。
彼女は中学から演劇を始め、今年で4年目になると言っていた。私は高校から演劇を初めて、今年で2年目になる。彼女は演劇歴で言えば立派な先輩だ。そして、私があと2年頑張ったところで、彼女のようになれるとも到底思えなかった。
「…あのお、部長?」
「…あ、はい。樒原さんは終わりね、うん。問題ない、どの行も聞きやすいよ」
「ありがとうございます」
しっかりとお辞儀をする彼女は、今のところとても模範的な後輩だった。礼節もきちんと弁えている。演劇部は運動部のように上下関係に厳しい部では決してないが、それでも礼節はあるに越したことはない。
「樒原さんは経験者だからやっぱりスムーズだね、他のペアはまだ終わってないから少し待ってよ」
「はい。あのお、水飲んでもいいですか」
「あ、うん。いいよ」
私の目の前にいる樒原美子は、何とも涼しい顔をして脇に置いていたミネラルウォーターを飲んでいる。今は、上級生と新入生でペアになって基礎練習をする時間だ。私はたまたま目の前にいる彼女とペアになって基礎練習をしていたが、当然ながら彼女に教えられることなど何もなかった。他の新入生はまだ暗唱も出来ていないレベルだから、どのペアもゆっくり時間をかけてやっている。こんなことを言うのは先輩、というか部長として最低だと思うが、正直他のペアが少し羨ましい。
樒原美子は優等生だ。礼節もしっかりしているし、演劇に関しても期待のホープ。けれど上の立場からしてみると、可愛気はあまりない。決して愛想がないというわけではないのだが、どこかクールというか、うわべだけの様な気がしてしまうのだ。
「…樒原さん、本当に上手いよね。素人に毛が生えたとか嘘ばっか」
「ええ、どうしたんですかいきなり」
「いや、しみじみ思ってさ」
私と彼女の間に流れる無言が嫌で、私はない話題を必死に振り絞って話しかけた。飲みかけのペットボトルを手持ち無沙汰に弄っていた彼女は、私が急に話しかけて驚いたのか、目を僅かに見開いてこちらを見つめてきた。
黒々とした黒曜石のような瞳に見つめられ、私は少し、言葉をかけたことを後悔した。
「そんなことないですよお。本当に素人に毛が生えた程度です」
「素人は“外郎売り”を暗記なんてしてないでしょ」
「あれは毎日練習さえすれば素人でも出来るようになるじゃないですかあ。そういうのじゃなくてえ…私出来ないことたくさんありますし」
「例えば?」
「そうですねえ…私、コメディとかコントとか苦手です。あと運動出来なくて筋力もないからパントとか機敏な動きとか苦手ですし、あと頭の回転も悪いので即興劇とかも出来ません」
つらつらと自分の苦手なものを挙げていく彼女。それは決してその場しのぎで言っているようには見えず、きっと本当に彼女が苦手としていることなのだろう。しかしそれでも、そんなのは私たちレベルから見れば彼女は今でも十分過ぎるくらいに出来ていたと思うし、それを彼女が言うのは傲慢だとも思えた。
「(…結局、私たちとは望んでる次元が違うってことか)」
心の奥にじわりと巣食った、タールのような黒い何かに気づいて、私は自己嫌悪に陥る。部長として、先輩として恥ずかしい。
「…部長、どうかしましたか?」
「……ああ、いや何でもない」
…つまるところ、私は彼女に嫉妬しているのだ。この、優秀な後輩に。
そしてそれは、恐らく部員の誰しもが。
「樒原さんは、自分に厳しいんだなって思って」
「ええ、いや私自分で言うのもなんですけど甘々ですよお」
「…ねえ、なんでそんな実力ある人がわざわざうちなんかに来たの?うちに来なくても、市内ならいくらでもあったでしょ」
横浜には演劇の強豪校だって少なからずあるだろうに、どうしてわざわざ、この学校を選んだのだろうか。それは、私がかねてより思っていた純粋な疑問だった。
…けれど、今ここでこの質問を彼女にするのは、悪意以外の何物でもないと、言ってから気づいた。
「…何だか、今日の部長は意地悪ですねえ」
「あ、いや、そんなつもりじゃなかったんだけど…」
樒原美子にも、そう指摘されてしまった。慌てて取り繕うが、彼女の顔は涼しげなままだった。
「……演劇とか、強豪とか、そんなのよりも大事にしたいものがあったからじゃないですかねえ」
「え」
堂々と“そんなもの”と言い放った樒原美子に驚いて、私は彼女を凝視する。もしかして私の先程の発言に気を悪くして、こんな皮肉めいたことを言っているのだろうか…とそう思ったが、伏し目がちにそう言った彼女の横顔が何だかとても寂しそうで、私は思わず口を噤んだ。
「…あ、これだと演劇がどうでもいいみたいですねえ。そんなことないですよ、演劇は好きですからね、本当ですよお」
「あ、うん」
「すみません、なんだか失礼なこと言ってしまって。全部忘れてください」
そう言って申し訳なさそうに笑う樒原美子の腹の中は見えない。どうしてか、私はこの後輩が怖いと思った。
「部長ー、こっち終わったよ」
「私のとこも終わったー」
周りの同級生から声が掛かる。どうやら私たちが雑談に興じている間に、基礎練習のメニューが終わったらしい。
「部長、皆さん終わったみたいですよお」
「あーうん。じゃあみんな集まって。今日のミーティング始めるから」
私の掛け声に、部員がぞろぞろと集まってくる。樒原美子も何食わぬ顔で周りに溶け込む。その人畜無害な顔に、私は言い様のない悍ましさを感じた。
…ああ、私。この子のこと苦手だ。