1年生
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02.17℃の倦怠
煩わしい音が室内に響き渡り、私の睡眠は唐突に終わりを告げた。
「……はい、もしもし…」
覚醒しきれない脳はあからさまに不快感を露わにする。自分でも驚く程に低い声が出たが、生憎それを謝罪できるような思考には至らなかった。自分で言うのもなんだが、寝起きの悪さには定評がある。こんな時間に私に掛けてくる相手が悪いのだ。
「……………」
しばしの無言が続く。相手は喋らない。
「……………」
暫くして、唐突に聞こえてきた耳障りなブツッっという回線の切れる音。
…これは、もしかしなくてもあれか。あれなのか。間違い電話か。
「…クソが……」
地を這うような声が出た。私の貴重な休日の睡眠をよくも…。
「…せめて一言謝れや…」
食べ物と睡眠の恨みは怖い。私は毛布に包まりながら、ひたすらに名前も知らない相手への怨みつらみを吐き出す。部屋にひとり、低い声でぼそぼそと喋っている姿はさぞかし根暗で不気味なことだろう。しかし性分なのだから仕方がない、誰も見ていないのだから別にいい。
そうこうしているうちに段々と目が冴えてきてしまった。畜生、折角の休日なのに。二度寝三度寝こそ休日の醍醐味で、至福だというのに。
「……………」
私はゆっくりと起き上がった。目の前には見慣れない景色。その六畳一間の狭い部屋を、ぼんやりと眺める。ここは長年住んでいた横浜の実家ではない。数日前から住み始めた、箱根学園の女子寮の一室。そこまで考えて、ふと、たった今自分がしていた行動を振り返る。
「…………個室で良かった…」
半分寝ぼけていたとはいえ、同室の人が居たりしたら大問題だった。私の今後の高校生活的な意味で。一人部屋で良かった、本当に、良かった。
「…起きよ」
こうして私の、箱根学園に入学して初めての休日は始まったのだった。
×××××
「あ、樒原ちゃん」
「おはようございます…」
洗面所に行くとクラスメイトがいた。一応寝巻きのジャージから私服へと着替えてはいるが、寝起きの顔を見られるというのはなかなかに恥ずかしい。
「おはようって。もう昼だよ」
「これでも早く起きた方なんですけどねえ」
「え、まじ?」
「間違い電話で起こされました」
「うーわ、災難」
私は顔を洗いながら、彼女は歯を磨きながら、そんなことを話す。人見知りの私にしては珍しく、彼女とは話が続いた。彼女とは教室での席が近かったこともあり、初日から何かと話す機会が多かった。まあつまり、慣れである。
「どこかへお出かけです?」
「うん、部屋があまりに殺風景だからなんかインテリアでも買ってこようかと思って」
「あー、確かに」
「樒原ちゃんは?」
「わたしはインテリア云々の前にまず段ボールを片付けないとなので、今日は今のところ外出の予定はないですかねえ」
「そっかー」
そんな話を一頻りして、彼女は自室へと戻っていった。洗顔と歯を磨き終わった私は、朝食を摂るべく食堂へと向かう。時間が時間なだけに、生徒はいない。奥にいる寮母さんに挨拶をしたところ、険しい顔をされた。
「樒原さん。休日とはいえ学生なんですから、きちんと規則正しい生活を送らなければ駄目ですよ」
「あー、すみません。つい」
寮母さんのそんな言葉を軽く流す。私としては、休日くらいは自分の好きに寝させてくれ…という気持ちが強く、でもってこのスタンスを崩す気には到底なれないため、端からその言葉をきちんと聞く気は毛頭なかった。まあかといって積極的に喧嘩を売りたいわけではないので、寮母さんには善処します、とだけ言っておいた。
用意されていた朝食を温める。今日は和食のようだ。パンよりご飯派の私としては嬉しいところである。
「いただきます」
そんな大声を出したつもりはなかったのだが、無人なだけあって声が響く。なんとなく落ち着かなくて、私は側にあったリモコンに手を伸ばした。
箱根学園の女子寮は、私のようにただ単に自宅が遠いからという理由で入寮する生徒も勿論いるが、大抵はスポーツ推薦で入学した生徒であることが多い。そのため土日も朝早くから部活漬け…ということが殆どらしく、実際今も、寮内にいるのはごく僅かなようだ。
「休みの日によくまあ、ほんと」
運動嫌いな私としては信じられない苦行である。ちなみに私は一般受験の一般生徒なのでまだ部活には入っていない。というよりまだ仮入部期間だから、余程やる気があるとか、期待のホープとして入学したとかでない限り、ないのが当たり前なのである。
「演劇部…は朝早くないといいなあ」
私は今の所、何もなければ演劇部に入るつもりである。まあ中学も弱小とはいえ演劇部だったし、一から何かを始めたいという気持ちもないから妥当かな、といったなあなあな決め方ではあるが。
「……………」
白米を口に含みながら、ふと、考える。
あの男ーーー荒北靖友は、今どうしているのだろう。
「……………」
出身中学が同じなのだから、ほぼ間違いなく荒北靖友もこの春から寮暮らしな筈だ。男子寮で、今彼は何をしているのだろう。
部活。数年前のままなら、彼は間違いなく野球部に入っていたのだろう。そうして、平日も休日も朝早くから夜遅くまで部活に勤しんでいたのだろう。けれど、今の彼は違う。彼は、もう野球を辞めたのだ。右腕の怪我によって、辞めざるを得なかった。
さらに言えば、ここ箱根学園に野球部は無かった筈だ。あの通りすっかり不良になってしまった彼が一から何か部活を始めるとは思えないし、私と同じように、寮で一人ぼんやりと過ごしているのだろうか。彼は私以上に、友達というものとは無縁そうだから。
嘗てのヒーロー。
過去の栄光。
「……………」
味噌汁を啜る。慣れ親しんでいた実家のものより随分と薄く感じた。バラエティ番組の再放送が流れているようで、芸人の笑い声が食堂いっぱいに響き渡っている。
…少しだけ、寂しい。
それが単なるホームシックなのか、はたまた彼の境遇に思いを馳せた故の感情なのか、私には区別がつかない。ただ、窓から差し込む柔らかい日光に似合わず、私の心は確かに渇きのようなものを訴えていた。
「…部屋の片付け、面倒だなあ」
ぽつりと呟いたその声は、テレビからの下品な笑い声に掻き消されて消えた。
煩わしい音が室内に響き渡り、私の睡眠は唐突に終わりを告げた。
「……はい、もしもし…」
覚醒しきれない脳はあからさまに不快感を露わにする。自分でも驚く程に低い声が出たが、生憎それを謝罪できるような思考には至らなかった。自分で言うのもなんだが、寝起きの悪さには定評がある。こんな時間に私に掛けてくる相手が悪いのだ。
「……………」
しばしの無言が続く。相手は喋らない。
「……………」
暫くして、唐突に聞こえてきた耳障りなブツッっという回線の切れる音。
…これは、もしかしなくてもあれか。あれなのか。間違い電話か。
「…クソが……」
地を這うような声が出た。私の貴重な休日の睡眠をよくも…。
「…せめて一言謝れや…」
食べ物と睡眠の恨みは怖い。私は毛布に包まりながら、ひたすらに名前も知らない相手への怨みつらみを吐き出す。部屋にひとり、低い声でぼそぼそと喋っている姿はさぞかし根暗で不気味なことだろう。しかし性分なのだから仕方がない、誰も見ていないのだから別にいい。
そうこうしているうちに段々と目が冴えてきてしまった。畜生、折角の休日なのに。二度寝三度寝こそ休日の醍醐味で、至福だというのに。
「……………」
私はゆっくりと起き上がった。目の前には見慣れない景色。その六畳一間の狭い部屋を、ぼんやりと眺める。ここは長年住んでいた横浜の実家ではない。数日前から住み始めた、箱根学園の女子寮の一室。そこまで考えて、ふと、たった今自分がしていた行動を振り返る。
「…………個室で良かった…」
半分寝ぼけていたとはいえ、同室の人が居たりしたら大問題だった。私の今後の高校生活的な意味で。一人部屋で良かった、本当に、良かった。
「…起きよ」
こうして私の、箱根学園に入学して初めての休日は始まったのだった。
×××××
「あ、樒原ちゃん」
「おはようございます…」
洗面所に行くとクラスメイトがいた。一応寝巻きのジャージから私服へと着替えてはいるが、寝起きの顔を見られるというのはなかなかに恥ずかしい。
「おはようって。もう昼だよ」
「これでも早く起きた方なんですけどねえ」
「え、まじ?」
「間違い電話で起こされました」
「うーわ、災難」
私は顔を洗いながら、彼女は歯を磨きながら、そんなことを話す。人見知りの私にしては珍しく、彼女とは話が続いた。彼女とは教室での席が近かったこともあり、初日から何かと話す機会が多かった。まあつまり、慣れである。
「どこかへお出かけです?」
「うん、部屋があまりに殺風景だからなんかインテリアでも買ってこようかと思って」
「あー、確かに」
「樒原ちゃんは?」
「わたしはインテリア云々の前にまず段ボールを片付けないとなので、今日は今のところ外出の予定はないですかねえ」
「そっかー」
そんな話を一頻りして、彼女は自室へと戻っていった。洗顔と歯を磨き終わった私は、朝食を摂るべく食堂へと向かう。時間が時間なだけに、生徒はいない。奥にいる寮母さんに挨拶をしたところ、険しい顔をされた。
「樒原さん。休日とはいえ学生なんですから、きちんと規則正しい生活を送らなければ駄目ですよ」
「あー、すみません。つい」
寮母さんのそんな言葉を軽く流す。私としては、休日くらいは自分の好きに寝させてくれ…という気持ちが強く、でもってこのスタンスを崩す気には到底なれないため、端からその言葉をきちんと聞く気は毛頭なかった。まあかといって積極的に喧嘩を売りたいわけではないので、寮母さんには善処します、とだけ言っておいた。
用意されていた朝食を温める。今日は和食のようだ。パンよりご飯派の私としては嬉しいところである。
「いただきます」
そんな大声を出したつもりはなかったのだが、無人なだけあって声が響く。なんとなく落ち着かなくて、私は側にあったリモコンに手を伸ばした。
箱根学園の女子寮は、私のようにただ単に自宅が遠いからという理由で入寮する生徒も勿論いるが、大抵はスポーツ推薦で入学した生徒であることが多い。そのため土日も朝早くから部活漬け…ということが殆どらしく、実際今も、寮内にいるのはごく僅かなようだ。
「休みの日によくまあ、ほんと」
運動嫌いな私としては信じられない苦行である。ちなみに私は一般受験の一般生徒なのでまだ部活には入っていない。というよりまだ仮入部期間だから、余程やる気があるとか、期待のホープとして入学したとかでない限り、ないのが当たり前なのである。
「演劇部…は朝早くないといいなあ」
私は今の所、何もなければ演劇部に入るつもりである。まあ中学も弱小とはいえ演劇部だったし、一から何かを始めたいという気持ちもないから妥当かな、といったなあなあな決め方ではあるが。
「……………」
白米を口に含みながら、ふと、考える。
あの男ーーー荒北靖友は、今どうしているのだろう。
「……………」
出身中学が同じなのだから、ほぼ間違いなく荒北靖友もこの春から寮暮らしな筈だ。男子寮で、今彼は何をしているのだろう。
部活。数年前のままなら、彼は間違いなく野球部に入っていたのだろう。そうして、平日も休日も朝早くから夜遅くまで部活に勤しんでいたのだろう。けれど、今の彼は違う。彼は、もう野球を辞めたのだ。右腕の怪我によって、辞めざるを得なかった。
さらに言えば、ここ箱根学園に野球部は無かった筈だ。あの通りすっかり不良になってしまった彼が一から何か部活を始めるとは思えないし、私と同じように、寮で一人ぼんやりと過ごしているのだろうか。彼は私以上に、友達というものとは無縁そうだから。
嘗てのヒーロー。
過去の栄光。
「……………」
味噌汁を啜る。慣れ親しんでいた実家のものより随分と薄く感じた。バラエティ番組の再放送が流れているようで、芸人の笑い声が食堂いっぱいに響き渡っている。
…少しだけ、寂しい。
それが単なるホームシックなのか、はたまた彼の境遇に思いを馳せた故の感情なのか、私には区別がつかない。ただ、窓から差し込む柔らかい日光に似合わず、私の心は確かに渇きのようなものを訴えていた。
「…部屋の片付け、面倒だなあ」
ぽつりと呟いたその声は、テレビからの下品な笑い声に掻き消されて消えた。