A
「奥でコーヒーでも飲んでくれば?」
先生の優しい声に促されるようにして、ニノは俺を奥のリビングに案内してくれた。
「座って。」
そう言って、ニノがコーヒーを淹れ始める。
「え、やるよ?俺。」
「いいから。」
コーヒーカップを三つ用意して、ゆっくりと丁寧に豆を挽く。
その動作は淀みなくスムーズで
普段家にいる時は、ニノを台所に立たせたりしないから
何というか不思議な光景だった。
「お。いい匂い。俺のもある?」
茶褐色の液体が落ちていくのを眺めていると
その匂いにつられたように先生がやってきた。
「ん。あるよ。」
「やった。」
「診察は?」
「午前のは終わった。」
短いやり取りの中で、二人の視線が絡み合っては消えていく。
以前、ニノが囲っていた女の人に会ったこともあるけど
ニノがこんな甘い顔をしているのを
こんな熱い視線を交わしているのを
いまだかつて見たことがない。
「・・・もう帰ってこないつもり?」
元々、二代目になりたくてなっている訳じゃない。
その経緯を知っている身としては、聞かずにいられなかった。
ニノは俺の問いに少し驚いたような表情を浮かべ
それから、クスリと笑った。
「馬鹿だな。帰るよ。」
「・・・でも。」
『帰りたくないんだろ?』
言ってしまったら、本当に帰ってこない気がして
・・・言えなかった。
「相葉さん。俺が帰るのは、あの家だけだよ。」
「・・・本当?」
「うん。」
「俺、まだニノと一緒にいれる?」
自分の声が不安で震えているのが分かる。
俺の心の内なんて、お見通しなんだろう。
ニノは半分呆れたように溜息を付いて
でも、ゆっくりと力強く頷いてくれた。
「うん。」
「本当?」
「本当だよ。あんたは、俺の家族でしょうよ。」
遠回しに『だから恋人にはなれないんだよ』と言われている気がしたけど
家族同然ではなく、家族だと言い切ってくれたから
・・・それで、十分か。
「いつ帰ってくんの?」
「明日。」
「何か食べたい物ある?」
「ん~、久しぶりに中華が食いたいかな。」
「うん!」
大きく頷いた俺の頭を乱暴に撫でて
「作りすぎんなよ?」
口元を上げて笑ったニノの顔は、カッコよくて
可愛くて
もう完全に失恋したんだなと思ったら
また泣きそうになってしまった。