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それは、本当に些細な出来事だった。
だけど、現実はそんなものかもしれない。
この家の近くに女が逃げてきたのは、計算か偶然か。
今となっては、どうでもいい話だ。
ただ、それを助けようとした馬鹿が、何も考えずに女の手を引いてこの家に飛び込んできた。
「・・・本当に、ごめんなさいっ!」
泣きそうな顔で頭を下げる馬鹿を見て、溜め息が出る。
そう
馬鹿とは、和の幼なじみで料理番をしている雅紀の事だ。
「カタギの人間助けたんなら、文句は言わねえよ。」
和は何でもない事のように言っているけど
・・・今回は相手が悪い。
雅紀が助けた女は、武闘派で有名な組の幹部が熱を上げていた相手らしい。
当然、向こうはウチに女を攫われたと思うだろう。
「・・・女は?」
「客室にいます。」
「はぁ~・・・ったく。」
・・・厄介事に巻き込まれやがって
いや、自分から飛び込んだと言った方が正しいか。
雅紀にまだ小言を言おうとした俺を和が制した。
「もう、いいよ。・・・相葉さん。」
「ごめん、ニノ。迷惑かけて。」
「大丈夫だから。美味い晩飯、作って?」
「うん。」
困ったような笑顔で頷いて、雅紀はキッチンに入って行った。
何故だか知らないが、和は雅紀に甘い。
正式には組の人間じゃないけど、一緒に暮らしている訳だし
そんなに他の奴らと区別しなくてもいいんじゃねえかって俺は思う。
完全に雅紀の気配が消えてから、俺は思っていたことを口にする。
「・・・相変わらず、アイツには甘いな。」
「いいんだよ。あれは俺の良心なんだから。」
謎かけみたいな台詞を吐いて、和がよいしょっと立ち上がった。
・・・良心、ねえ。
正直な所コイツが何を考えているのか、俺には分からない事が多い。
和は表面上に見えるものより、ずっとたくさんの闇を抱えてそうだし
心の中は複雑に入り組んでそうで、おいそれと近寄れない。
「翔さん。何、難しい顔してんの?」
ふいに顔を覗きこまれて、ドキリとした。
どうも距離感がおかしいんだよなあ。
「・・いろいろ考える事があるんだよ。」
「ふ~ん。」
適当に返事を誤魔化した俺を特に気にする様子もなく
和は真っ直ぐ客室へと向かった。