墨の絵よ、永久にあれ。


粋な江戸からハイカラ明治



散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする。などと締め括られた都々逸はもう聞き飽きた。
本当に叩いたことがあるのだろうか。空っぽで小気味好い音がして、あちらさんに驚かれるのが落ちではなかろうか。

長らく閉ざされてきた外との交易を始め、これまでの遅れを取り戻さん勢いで改革が押し進められ、無理に背伸びをした動乱の世、明治。
一体何と戦っているのやら。自国が抱える問題を解決せず、ただ周りに同調しようとするのはどういった了見なのか。
やれ洋装だ、やれ断髪令だ、と囃し立てどれだけの人間がついていけるのか、と揶揄していたものの。流れやすさは、いや順応性は一級品。瞬く間に東京は変わっていった。
何をそんなに必死になるのか。何にそんなに焦がれるのか。自分を棚に上げてでも敢えて言おう。時代に振り回されたところで利益なぞない、と。後悔しても遅いのだ、と。

変化を嫌うわけではない。むしろ歓迎しよう。立ち止まっては見聞は広がらない。取り入れてこそ、革新的な物が産み出される。しかし限度があるのも事実。器量良しでも目を回せば足元が覚束ない。道を踏み外せば落ちるのみ。古きを捨て新しきを得る。共存する道は端から存在しなかったのか。刺青に対する規制もその中の一つだった。
歴史を、文化を廃して何が残る。何も残すつもりはないのか。自分には分からない。

絵びら屋の奥、八畳間には創成期からの歩みが在る。刺青の図案から資料の類いまでが山積みとなり、背の高い棚にもぎっしりだ。
墨廼江すみのえ十和とわは絵びらの仕上げ以外でも、暇さえあればここに入り浸っている。旧きに触れ、新しきにも触れ。そうして生まれる構想を大事にする時間は心の安らぎでもあった。
それなのにくたびれた紙をめくる度に嘆息を漏だった。
東京に蔓延る人ならざる者を処断する組織、討鬼隊。その第壱部隊のお偉いさん方がまた見えた、とか。
同じ人間であるはずのに、あの黒い隊服に染められた人間の考えることは分からない。いや、分かりたくない。

己が信念を貫かんとする生き様は、墨廼江を未来に残そうと奮起する自分にも当てはまる。しかしあちらの手法が極めて意地汚い。
何者をも貶めて成果を手にする、その行為に如何様な喜びを感じているのか。貶める意識のない者は、では己が行いの全てを是とする気概はどこから溢れるのか。
絶対的信頼を置く存在があるからこそ、自身の思考を蚊帳の外とし、盲従することで自尊心を保っているのか。

やはり、自分には理解し難い。この明治の世相より遥かに。


20/02/02
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