日当たりの良い花畑に穏やかな春の花あり。


夜明けの香



燦々と照り注ぐ陽の下、ブラウンソバージュの髪を遊ばせる女性が街を歩く。ご機嫌な鼻唄は空気を震わせ、ハイヒールは拍を取るようリズミカルに鳴る。

すれ違う人々から親しげに声をかけられ、軽く会釈を返して到着したのは『SUNrise』の看板を掲げる老舗アロマショップ。店主の女性は、客の悩みや相談を親身に聞き入れ、好みに合わせた調香が上手、店員の男性がすごく優しくて紳士的、季節を越えた植物がいっぱいあってまさしく都会のオアシス、と口コミも上々なのである。

楽しみにノブを捻ると、来客を告げるベルが揺れる。店内はアロマが香り、少々薄暗い調光に初めて訪れたのに安心感を覚える。

「いらっしゃい、ま……え?」
「こんばんは。まだ開いているかしら」

陽は高いが、時刻はすでに夕暮れ時。逆光に包まれ小首を傾げる女性に、出迎えた店番中のつぼみは言葉を失った。だって仕方がない、目の前に。

「トレイシー!?」

『SUNrise』のオーナーであり、自身の魔法の師であるトレイシーがあったのだから。
数時間前の記憶を辿れば、確か調香室で仕事をしているはず。しかも。

「どうしたのその姿は!?まるで、まるで」
「いつも通りでしょう?おかしいことありませんわ」

若々しく、文字通り若々しく。皺一つない、つぼみが初めて出会ったかつての彼女が目の前に、現れたのだから。

「ちょっと待って、何の冗談だい?まさかぼくをからかって」
「おかしなことを仰るのね、わたくしの姿を毎日見ているでしょうに」
「いいえ。それがおかしいのですよ」

おや、と今度は女性が目を丸くした。声に振り返るつぼみは、奥から出てきたトレイシーを確認して、己の目を擦り現実を受け止めようと頭をフル回転する。

「つぼみ、よくご覧なさい。彼女はわたくしの旧い友人です。この前話したでしょう、そろそろ訪ねて来る頃だと」
「はーあぁ、そう簡単にバラしてしまってはつまらないだろう?しかも誤算だ、学生時代の君とは見る影もないなんて」

若いトレイシー、もとい【現し鏡の魔女】が自身の声で発する言葉は少々不服の意が籠められていた。しかし悠久を生きる魔女、些細なことは気にしないようで。
つぼみに向き直り、初めまして、と挨拶をする彼女に、つぼみは段々と居たたまれなくなり頭を深く下げた。

「大変、大変失礼を致しました……取り乱しただけでなく、馴れ馴れしく話しかけるなど」
「春の国の謝罪の礼儀はいつ見ても潔いな、気にするでないよ」
「あまりいじめないでくださいませんか?つぼみ、これでも傷心しやすいので」
「いや見たまんまではないか?」

頭の上で和やかに話す彼女たちに、つぼみは視線だけ上げる。初老の彼が許しを請う姿がなんとも幼く見えた魔女は肩を優しく叩き、詫びなど必要ない、と言葉を添えた。トレイシーがお茶を用意するよう助け舟を出し、つぼみはようやく、本来の落ち着きには欠けるが奥へと消えていった。

「可愛い子だ。君をよく慕っている」
「ええ、愛弟子だもの。ところで、今はどちらで何をなさっているの?」
「ん?手紙に書き忘れたか、しがない旅人だよ。あちこち旅行気分さ」
「あの頃は引き籠もりがちだったのに。会わないうちにいろいろ変わったのね、お互いに」
「特に君は。ずいぶんと老け込んだじゃないか。見た目だけでなく。そんな大人しいタマじゃなかっただろ?」
「あの子と釣り合う自分になりたいですもの、努力は惜しまないわ」
「あー、分かった分かった。それが君の倖せということか。頑固者にこれ以上の口出しは野暮ってものだ」

トレイシーの、表情は柔らかいのに棘のある語調に両手を見せて降参の意を示す彼女に、後からやってきたつぼみがはてなを浮かべる。それもすぐ、彼の手にある紅茶と焼き菓子にかき消された。

「おや!この芳醇な香り、上物じゃないか!これはどこの店のものだい?」
「恐れ入ります。ぼくが趣味でつくった茶葉になります。【現し鏡の魔女】様のお口に合うと嬉しいです」
「なん……と……」
「ふふ、飲んでみれば分かりますわ」

つぼみは店先や裏の庭で植物を育てている。季節のもの、土地柄のもの、種類は豊富。愛情を注ぎ育てた植物たちは彼に応え、上質な香り、肉厚な葉を提供してくれる。
そんな健気ないのちが群生する庭へ移動して、三人は彼自慢の花々を愛でながら夜のティータイムとした。ポットに注がれた湯の中で踊る乾燥茶葉の色味が一気に広がり、カップに移ると香りが弾けた。

「いやはや、趣味の域を超越したな……いただいても?」
「もちろんです、十分蒸らしたので飲み頃かと」
「そんなに慌てずとも逃げませんわ」
「熱いうちに口にしたい、と思うのは至極当然だろう。ここまでの代物を他国で見たことがない」
「お褒めに預かり光栄です」
「褒美にそうだ、昔話を聞かせてあげよう。トレイシーから聞いたことあるかもしれないが」

【現し鏡の魔女】は上機嫌で話し始めた。魔女たちの出会いのきっかけ、魔法学校でどのように親交を深め、どのように過ごしてきたのか。成績や功績、ちょっとした珍事も赤裸々に話して時折、トレイシーが諌めるほどだった。
師弟のことも気になったようで、つぼみとの出会い、ここで働き始めてから花束を持ち弟子入りしたときの思い出をトレイシーは紡いだ。今では魔法使いとして成長した彼を褒め称えると、つぼみの頬はどの花よりも赤く染まった。ただでさえ昔と今の師匠が目の前にいて恥ずかしいのに……とぼやくのを耳にして魔女たちは大いに笑い合った。

会話が弾んで時間もあっという間に過ぎ去り、ティーカップは空になり、焼き菓子もなくなる頃合いで、おかわりに立とうとしたつぼみは引き止められる。

「もう行くのですか?」
「君らしくない、ほら笑って」
「もっとゆっくりなさってもいいのに」
「師匠は今日の日を本当に楽しみにしていらっしゃいました。貴方様の訪問、素敵な時間に心から感謝致します。お暇を見つけてまたいらしてください」
「こちらも同じ気持ちだ、ありがとう。再び相見えるその時まで、達者で!」

君らに祝福を!と一陣の風を巻き起こした【現し鏡の魔女】は真っ白な鳩となって『SUNrise』を飛び立った。

「立つ鳥跡を濁さず、とは彼女のことなのかな」
「お上手ね。約束は守る人ですから、次までこれも残しておきましょうね」

ふわりと舞い落ちた羽根を取ったトレイシーとつぼみは姿が見えなくなるまで見送り。首と腰をさすりながら後片付けをする二人の話も止まることはなかった。
次を楽しみに。長い長い時間を生きる彼らにとって、待つのも一つの娯楽となるのかもしれない。


24/01/20
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