猫又は今日も廃墟を闊歩する。
陽炎〔二〕
正直言って、気が滅入る。精神が日に日にすり減っていくのがよく分かる。
同じ一日を繰り返すようになってから、もう幾度目になるか。重い瞼をこじ開ければ、いつもそこには赤の番傘と金糸を携えた白澤が待っていた。
そして、決まってこう言った。
「「やぁ、ねこ」」
「ちょっとねこ、僕の真似しないでよ」
「その文言を何度も聞かされるこっちの身にもなりなって」
起き上がる気力はすでに底を突くまでに。深い深いため息をついたまたたびは緩やかに瞼が落ちるのを感じた。
「ねこ?」
木陰がさらに濃くなった。
「まさか、死ぬの?」
「……冗談で言っていいことと悪いことの区別もつかなくなったのかい?」
すぐそばに見えた向こう脛を思い切り殴り付けたら「いたたっ」と笑いが漏れた。
その声と表情が数時間後の炎の記憶を呼び起こし、またたびの眉間に深い皺を刻む。
「全くもってどうなってるんだ……」
ぼやく彼女に華獅は立ち上がり。くるりくるりと番傘を回してこちらを見下ろす太陽を見上げた。
「本当はもう分かってるんじゃない?ここがどういうところなのか」
「ここは滅びるのを待つだけの世界。でも君の世界はまだあるだろ?」
「ねこ、君は鈍そうに見えて実は賢い。理想に浸ってたらどこにも行けなくなるよ」
華獅の言葉を一つずつ自分の中に落とし込み、またたびはまたゆるりと世界と彼とを見据える。その瞳には決意と迷いが宿り揺れる。
「あんたがあたしを諭すとは、あまりにも滑稽じゃないかい?」
「仕方ないだろ?どれもこれも、君の理想で願望なんだから」
「そんな夢みたいな……」
「あっちで『彼』も待ってるみたいだし」
会話の端々に蟠りが生じ、頭の中で行ったり来たり。
理想、とは?夢、とは?華獅がいつもと違う雰囲気を垣間見せた『彼』とは?
「何かが、抜け落ちてるってかい?もしかして、あたしは、何かを忘れてる……?」
「早く思い出してあげなよ、今まで僕を忘れてた癖に」
「は?何言って、」
「僕を思い出して、もう一人の『僕』を忘れてくれたの?それでもいいけどね」
またたびの目が、耳が、すべてを拾おうと無意識に集中した。
「「ねこ」」
声が、綺麗に重なる。
「「僕は生きてるさ」」
記憶が、歪に重なる。
「君の中で」
「君と灰色の世界で」
言葉が分かれて記憶を呼び覚ました。
廃都市に靡く、うざったいほど白く長い髪。
くるくると回る、身体に不釣り合いなほど大きな赤い番傘。
こちらに振り返って見えた、真紅色の三つの瞳。
走馬灯、とは死期が近いから見るものだと思っていた。いや本当に近いのかもしれない。だがそう簡単に従うつもりもないのがまたたびなのである。
「あぁ……そうか……どうやら、あたしゃすかっと忘れてたらしい」
「あれ、思い出しちゃったの?」
「何さね、そんな残念そうに。あんなに思わせ振りなこと言っておきながら」
「だってねこ、いつもと違って面白くなかったから」
華獅の言葉にまたたびがからからと笑う。
彼はいつもそうだ、彼らはいつだってそうだ。こちらの意志に関係なく、ただ自由に人生を謳歌する。こちらの意図を読んだり読まなかったり、しかし確信を外すことはない。
またたびは重い身体を叱咤して立ち上がる。頭上にあった太陽は西に沈み始める。
「さて、あたしゃそろそろ帰るとするよ。ニーナのところに、ね」
「あんたとは久しぶりに話せて、まぁ、それなりに楽しかったしね。華獅もそろそろ帰りなよ」
目を細めて見つめ合う紫黒の猫又と黄金の白澤は夕日に照らされそれはそれは綺麗な橙に染まる。
華獅が珍しく番傘を閉じまたたびの身を抱き寄せる。囁かれたのは別れの言葉ではなく「覗き魔は退治しないとね」と意味深な言葉。
短い断末魔が耳に届き、またたびが振り返ったときには突き出された番傘の先、何者かが霧散したあとだった。
「最後まで世話かけるね」
「これが最後じゃないかもよ?」
「はっ、言ってくれる」
世界の調和は崩れ、華獅の輪郭が朧気になる。しかし今度はすがらなかった。
またたびが伸ばした手は、華獅の頭を、角を、耳飾りを滑り、頬をそっと撫でる。
華獅が触れてきた唇には自分のものとは別種の体温を感じる。
「達者でね」
「うん、またね」
降ってきた金糸をくすぐったく感じながらまたたびは目を閉じた。
18/08/12
*Thanks*
華獅さん
ニーナさん