馬鹿と鋏は使いよう


傷のひとつやふたつ



お前の体にも、と言った先輩の表情を、どうしてだか覚えてない。普段ならそんなヘマしないのに。きっと発された言葉の印象が強かったからだ。
ジョシュア・ベーカリー。アンティフィシャルにて資料収集を担当する白銀の女性。常に肌の露出を極限まで抑えた服装。それが当たり前だったから何の気にも留めなかった。

「本当は、何か隠したいのかな」

何か、と抽象的に表したのは先輩への配慮だ。女性に限らず、人間誰しも知られたくないことは少なからずある。特にオレのように、相手からすると気に食わないやつに勘付かれたと分かれば不快極まりない、と思う。

傷、と先輩は言った。
ひとつやふたつ、とも言った。

よくよく考えれば、美術品の囮になるのは両手に余るほどある。なのに、いつだって逃げ回るばかりで美術品から実質的な危害を加えられたのは片手で事足りるくらいだ。先輩がくたばれの意味を含ませてぼやくのも無理はない。
しかし、それだけが理由ではないはず。あの傍若無人な先輩が、オレに対して望みを口にするなんて。

「もしか、して……」

先輩みたいになれるかもしれない。
もっと先輩に近づけるかもしれない。
見えるはずがない、あるかも分からない、白い肌に走ってるであろう傷が、自分にも。

ぞわり、と背中を駆け上がった疼きが、脳天に達すると痺れに変わった。ゆるゆると引き上がる口角を片手で覆い隠す。
これだから狂っている、と言われてしまう。そばに来るな、と遠ざけられてしまう。
駄犬と罵られても、嫌悪を顕にされても、先輩への敬愛を持った忠実な後輩である自分が知ったことではないが。

「明日が楽しみだな」

美術品の囮役は本当に怖い。でも先輩がおすすめしてくれる美術品に会えるらしい。
シャツをまくり晒される自分の腕を撫で、ざっくり走ると予想した裂傷に恐怖と興奮を知らず覚えていた。


21/06/10
*Thanks*
ジョシュア・ベーカリーさん
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