2014年5月
得意で特異な借り物
楽しい楽しいゴールデンウィークが明けたある日。
新入生や転入生にとっては堅苦しい入学式を除いて初めての学内行事、在校生からしたらある意味悪夢のような恒例行事、全校オリエンテーションが始まった。
夢路第一のそれは一風変わっており、学生同士が決められたグループで決められたミッションをこなすものとなっている。その期間も数時間で完遂するものから数週間かかるものまでさまざまである。
朝方、寮の掲示板を確認した久瀬比奈轍は自室で探し物をしていた。一体、どうやって個人の持ち物を特定するのか、その真理は定かではないが、あの生徒会長のことだ。情報源など腐るほどあるのだろう。
ようやく見つけ出し、引っ張り出してきたのはいろんなポーズをした小さく可愛らしげな猫が散りばめられたブランケットだった。借り物に指定された【にゃんこ模様入りの毛布】とはきっとこれを指すのだろう。皺を伸ばして綺麗に畳み直し、分かりやすいように机の上に置く。ノートを一枚破き、走り書きで『持ち出し可、扱い注意』と残して学校へ向かった。
放課後を待ち、轍は同じグループメンバーの
「俺たちが探す猫ってのはこの時間帯なら校舎の周りにいるらしいな」
「あっそ。どうでもいいけど、そいつからリボン取って、会長のとこに持ってったらミッション終わりなんでしょ?マジかったるい、猫探し頑張ってよね」
気だるそうに言うなり、迷は近くのベンチに座り、持っていたクッションを整えて寝転がり、すぐに寝息を立て始めた。眠る寸前に「起こすなよ」と眼光鋭く釘を刺されたため、ため息をつきながらも猫を探し始める。
無類の猫好きで夢路町に住む猫たちのことをある程度は網羅する轍だが、実はリボンを尻尾につけた猫の存在は知らなかった。それ故に補足として書かれた情報はありがたかった。
しかし、よくよく考えてみればおかしな話である。借り物を指定するだけならば、他と同じように【夢路第一の寮に昔から住みつく猫から、尻尾に結ばれた「夢路第一の校章が刺繍されたリボン」】とだけ記しておけばいいはず。これだけでも十分詳しく書かれているのに、昼から夕方にかけて校舎の周りを散歩している、猫又の噂がある、とまで懇切丁寧に補足があるのはどうしてか。
他にも、グループの借り物一覧をざっと確認して気がついたのは、何故か自分のグループだけが学生からの借り物ではなかったこと。これも何か意図的であるような気がする。
今回のミッションは厳正なくじ引きにより公平に割り振られたと聞くが、それもどこまで正しいのやら。曲者で有名なあの会長のことだ。何か裏があるに違いない。
ねえ。アナタ。アナタ。
猜疑心から深く考え事をする轍にか細いながらもはっきりと呼びかける声。きょろきょろ見渡せばまたその声。それは薄暗い茂みの中から聞こえた。
こっち。こっちよ。そう。ここに来て。
呼ばれるままに覗いてみると、そこには一匹の黒猫が優雅に座っていた。尻尾には金の刺繍がされた赤いリボン。目当ての相手だと直感する。話しかけてきたあたり、どうやら猫又の噂は真実のようだ。
「……お前か。俺を呼んでたのは」
そう。ワタシ。ワタシを探していたのでしょう?アナタはこれが欲しいのでしょう?
口元を歪めて笑い、尻尾を揺らす度にリボンも揺れる。黒猫は妖艶な雰囲気を纏いゆるりと腰を上げ、茂みから出てきた。再び腰を据える黒猫に倣い、轍もしゃがみ視線の高さを近づけ向かい合う。
「欲しいわけじゃない。ちょっと貸してくれればそれでいいんだ」
いいわよ。貸してあげる。その代わり。ワタシの言うこと聞いてくれる?とても困っているの。
対峙する黒猫の背後におぞましいものを感じて、半ば脅迫されて頷くしかなかった。断ることは許されない。
いい子。三日後。またここに来なさい。その時に話すわ。それまで肌身離さずこれを持っているのよ?
こちらに背を向け、リボンを差し出す。轍がするりと解いたのを確認して、黒猫は茂みの奥へと消えていった。約束よ、と一言残して。
気配が消えるとようやく一息つくことが出来た。面倒なことになりそうな予感はひしひしとするが、目をつけられ気に入られたからには後の祭りだろう。太陽が沈みかけ、夕闇が迫る中、足早に迷のところまで戻り、彼女を起こして校舎へと入っていった。
夢路第一高校の二階の一室、生徒会室には鮮やかな緑をふわふわと遊ばせる現生徒会長、
「指定の借り物、持ってきましたよ」
「さすがは轍じゃな。猫に関しては主を置いて他には頼めぬからのう」
「借り物はくじ引きで公平に決めたはずなのでは?」
「はて、そうだったか……。細かいことを気にするでないよ」
声高らかに笑う弓弦に轍は目を細める。
絶対、何か、明らかに隠している。
そんな心中を知ってか知らずか、わざとらしく、今しがた思いついたかのように「おお、そうじゃ」と弓弦は手を打ってみせた。
「時に轍よ、主は最近夢路に現れる穴のことを知っておるか?」
「もちろん知ってますよ、いろいろよくない噂も聞きますし。生徒会も対処に追われてるとか」
「そうかそうか、知っておったか。……主も気をつけるに越したことはないかもしれぬな」
それって、どういう……?
こちらが言葉を発するより早く、ぱんっと音を立てて開かれた扇子が会話の流れを遮り、弓弦はそのままにこやかに口元を隠した。
「何にせよ、ご苦労じゃったな。二人とも下がってよいぞ」
「……失礼します」
納得のいかない雰囲気を露わにする轍だったが、これ以上を語らないであろうことを察すると大げさにため息をついて一礼し、いつの間にか来客用のソファーでうとうとしていた迷とともに部屋を出た。
「さて、主の望み通りにしてやったぞ。あとは好きにするがよい」
誰もいない生徒会室に落ちた弓弦の声。独り言かと思えば、聞いていたのはあの黒猫。
窓越しに一人と一匹が見つめ合う。先に動いたのは黒猫だった。絡む視線をふいと外し、窓枠から飛び降りるように身体を重力に任せ消えていった。それを追うでもなく、ただ差し込む橙の光に目を瞑る。「武運を祈るぞ」と呟かれた聞く相手のいない言葉は夕闇に紛れていった。
生徒会室を出て生徒玄関へ向かう道すがら、轍は肩に入った力を抜き、迷は大きく伸びをした。
「俺は三日後、これを返しに行くけど、閉話ちゃんはどうする?」
「私には関係ないわ。ミッション終わったし、あとはどうでもすればー?」
「そっか、付き合わせて悪かったな。気をつけて帰れよな」
欠伸をしながら歩き去る迷の背中に向かい声をかけ、轍は手にする赤いリボンを眺める。猫又の言葉、よく耳にする穴の存在、何かを隠す生徒会長の胡散臭い笑みが引っかかる。
「完成に、巻き込まれたんだよな……」
うっすら感づいてはいたが、言葉にするとどっと疲れがやってきた。何にしても、どう転ぶかは三日後にならないと分からない。現段階であらかたの想像はついてしまうが、頭を緩く振り払拭する。今は深く考えないほうがいい。
気分転換にと窓ガラスを眺め夢世界へ移動していった轍を一匹の黒猫がじっと見ていた。
14/06/07
*Thanks*
閉話 迷さん
柳霧 弓弦さん(企画公式さま)