2014年6月


キケンの選択、分かれ道。



夢路町には『夢世界』という表裏世界がある。ここでは聖フィアナ女学院、皐月院、夢路第一に在籍する生徒、その中でも選ばれた存在である『特権者』が日夜レテと呼ばれる化け物を討伐している。

食うか食われるか、殺伐とした空間に彼自身も身を投じることはしばしばある。そのため、最近囁かれる噂には些か興味があった。
ここ数日、女子校に関する噂が飛び交っている。こちらから積極的に探さずとも、噂好きな誰かが話すのに聞き耳を立てることで情報はいくらでも手に入った。

何でも、明松財団なる聖フィアナ女学院の背後組織が女子校を利用して、在校特権者の記憶が何らかの経緯により消え去った昨年度の年末の事件に関与しているらしい。魔女を育成しているとか、魔術に信仰があるとか、噂が噂を呼び話が独り歩きの末に溢れ返り、周りの生徒は踊らされているような感覚を覚える。
それと同時期に夢世界の女子校学区に突如として出現した時計塔。仕組まれたようなタイミングからして、行ってみる価値はありそうだ。

雨の日の放課後、久瀬比奈周は教室の窓に溶け込んだ掛け時計を瞳に写し、時計塔内部へ潜入した。
降り立ったのは丸く小さな部屋。ぐるりと見回すと壁にはレンガをアーチ状に積み上げて作られたいかにもな通路が点在していた。どれからも漂う殺気立つ空気に小さく舌なめずりをして、アレセイアを起動し薙刀を召喚する。手に馴染ませてから移動を開始する。選んだのは一番淀んだ空気が流れる目の前の通路。

「さぁて、鬼が出るか蛇が出るか。それともぉ……」

鋭い殺気を背後に感じる。現れたレテはかなり好戦的で周を確認するやいなや、襲いかかってきた。接触を避けて薙刀での初撃を見舞うがこれは外れ。何度か斬撃を繰り出すがどれも不発。狭い廊下では周に不利があった。
くるりと踵を返して通路を走る。レテはずるずると追いかける。風の流れは奥から来ている。この先に何があるかは分からないが、ここより状況はいいかもしれない。
果たして、賭けに出た周に運は味方をした。

「ここなら思い切り暴れて大丈夫だねぇ」

抜けた先、ドームのような広い空間が待ち受けていた。中央まで進み、立ち止まる。薙刀を構えて相手を待つ。黒い塊は身体を引きずりドームに滑り込む。ぶるぶると震えて形を変えていく。
その姿は狢と呼ばれる小動物になり。こちらに近づいて間合いの外で立ち止まり、また震えて今度は人の形になる。ドッペルゲンガーと称するのが正しいだろうか。薙刀を構える姿は周そのものだった。

「人を化かすとはよく言ったものだねぇ。正体晒したら元も子もないんじゃないかなぁ」

反論はなく、黒い周は一気に距離を詰めて挑発するように刀身を周の喉元に突き立てる。

「へぇ、随分とやる気だねぇ。……勝負、しようかぁ。ここ夢世界だろうし何でもありでぇ、勝敗はどちらかが倒れるまでだよぉ」

周の提案に薙刀を下げて離れていく。距離を取り、こちらに向き直り一礼。

「ふふっ。……礼儀よし。無言は肯定と認めるよ。僕に化けたからって容赦しないからね」

いつもの間延びした言葉は消えて、眼光鋭く口元を歪めて笑う。
心底、狂っていると思う。命のやり取りに気持ちが高揚するのだから。

互いに中段の構えを取り、緊張が高まる。
開始の合図は突然やってくる。まず仕掛けたのは黒い周。大振りな所作は期待していた周からしたら興ざめなものだった。一歩引いて振り下ろされた太刀筋から逃れ、自身の獲物で切先を外に払う。刹那、薙刀の召喚を解きそのまま間合いを詰めて鼻っ面に殴りかかる。
拳に伝わるのは人間の感触。これには周も少し驚いた。このレテは忠実に人間へと変貌を遂げていたようだ。だからか、反応もそれらしかった。
突然の殴打は相当に予想外だったのだろう。黒の力が緩み薙刀を取り落とす。相手が丸腰だろうと拾う隙など与えない。柄を踏みつけ押さえつけ。自身は再度召喚した薙刀をくるりと返し、石突で胸を強く突き。よろけたところを今度は柄で殴りつけ。衝撃で床に転がったのを確認して、押さえていた薙刀は蹴飛ばして手の届かないところへ。
胸板に右足をかけ体重を乗せて動きを封じる。切先は黒の左首に宛がう。表情は窺えないが、畏怖なのか焦燥なのか、ぐっと圧をかけた足を掴む黒の手には力が入った。

「今さら命乞い?何て無様なんだろうね。もう飽きたし、そのまま逝けばいいよ」

首に当てた刃をすっと横に薙ぐと柔肉を裂く感触が伝わってくる。骨まで再現されているかと思えば、そこまでは気が回らなかったのか、はたまた文字通り骨抜きになったのか。
頭部はころころと転がり、止まると風船が破裂するような乾いた音を立てて消えてしまった。身体もみるみるしぼみ、跡形もなく消滅していった。

「……期待外れもいいところだねぇ」

ふぅ、と息を吐き溜まっていた毒素と緊張を解放する。
レテが狢になり、狢が人に化ける。一種の伝承付与とも取れるが、人間に近づこうとしすぎたために能力を活かしきれていない部分が露呈していたと分析する。一言で言ってしまえば、物足りない。

気分が沈んだことで落ち着きが戻り、そろそろ帰ろうかと思った視界の端にきらりと何かが見えた。視線を向けると蹴飛ばした薙刀の方向、またきらりと。
歩み寄り、見つけたのは装飾を施されたアンティーク調な銀製の鍵。薙刀が成り変わったと見るのが定石か。先の衝撃だろう。鍍金が剥がれ、錆びついた中身が顔を覗かせる。
着飾っても本質は変わらない。さながら、一連の出来事を暗示するかのようだった。

「ふぅん、噂に鍵ねぇ……。この世界、この町には何が蔓延っているのかなぁ?」

至極楽しそうな笑みを浮かべ、周は鍵を拾い上げ、手の中で転がした。


14/07/06
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