2014年5月
童歌と覚醒。
どこの学校でも、転入生というものはやはり目新しく珍しいようで。
転入初日は質問責めで身動きが取れず、二日目も同じく。三日目には元気が取り柄の久瀬比奈麗であっても少々疲れが見えた。
机に突っ伏して動かない彼女を心配した同級生の一人が声をかけてきた。
「麗ちゃん大丈夫?どこかつらいの?」
「ううん、全然つらくないよ。でもいろいろ聞かれてちょっと疲れたかな?」
「そうだったの、でも人気者だね。みんな麗ちゃんの話題で持ち切りだよ」
穏やかに言われ、自然と笑みが零れた。
兄である久瀬比奈周にくっつき夢路町へやってきて、一人で聖フィアナ女学院に転入したわけだが、初日から心細い思いをすることはなかった。
「そうだ!私ね、素敵なおまじないを先輩から聞いたんだ!みんなで行こうよ!もちろん麗ちゃんも!」
「あたしもいいの?行く行く!」
麗によく話しかけるある一人が言うと、周りからの賛同が多数得られ、麗は引っ張られるようにして彼女たちと教室を出た。
クラスメート六人に連れられてやって来たのは中学校舎と高校校舎を繋ぐ渡り廊下だった。窓から差し込む夕日が廊下を綺麗に染めていた。
「ここだよ!ここを手をつないで、わらべうたの通りゃんせを歌いながら通り切るの!そしたら私たち、ずっと仲良しでいられるんだって!」
「すごい!そんな言い伝えが!?」
「そんな古くさいものじゃないよ?」「何だろ、ジンクスってやつかな?」「そうそう!素敵なおまじないだよね!」
麗が素直に感動すれば、口々に思いを述べて笑っていた。手と手を繋ぎ、顔を見合わせた。
「準備はいい?行くよー!せーのっ!」
合図と同時に足を踏み出し、合わせて童歌が始まる。
通りゃんせ
通りゃんせ
ここはどこの
細道じゃ
天神さまの
細道じゃ
ちっと通して
下しゃんせ
御用のないもの
通しゃせぬ……
歌詞は途中だが急に尻すぼみになり、消え入ったころに列は立ち止まる。
「……あれ、みんなどーしたの?わらべうた途切れちゃったよ?」
麗の呼びかけには誰も答えない。六人とも、みな一様に虚ろな目をしてまた歩き始める。
様子がおかしい。
ふと廊下の先を見るとあり得ない光景が。
「なに、あれ……!ねぇ!みんな聞いて!やだ止まって!止まってよ!」
目の前には黒薔薇が幾重にも巻きついた、廊下の向こう側が見えないくらい大きな扉があった。
突然現れた扉はゆっくりと開き、吸い込まれるように六人は入っていった。もちろん、彼女たちと手を繋ぐ麗も一緒に。
彼女たちは知らなかった。人伝いに聞いたため詳しく知らなかったといったほうがいいか。
聖フィアナ女学院に伝わる幸せだが不吉な噂。夕方、渡り廊下を手を繋ぎ、童歌の通りゃんせを歌いながら歩くと末長く仲良しでいられる。
これには続きがあり、歌が途中で途切れたり、手が離れてしまうと仲が壊れて離ればなれになってしまうらしい。条件は知らず揃っていた。
七人がくぐり抜けると扉は音もなく閉まっていった。辺りは暗く、周りの様子が分からない。
ようやく各々の手が離れたかと思えば、突然身体に衝撃を感じ、重力に逆らい上へ引き上げられる。支えを求め手を伸ばすと四方は取り囲まれており、冷たい硝子の壁がどんどん迫ってくる。
麗は戦慄した。
これは、あのときと、同じだ。暗く、狭い空間に、閉じ込められる、あの感覚。
いやだ、せまい、こわい、くるしい、つぶれる……!
パニックに陥り震える身体を自ら強くきつく抱きしめる。そうするうちにも壁は迫り、ついには身動きを取るのも難しくなる。
だれか、誰か助けて……!
溢れた涙で頬をぐちゃぐちゃに濡らしながら必死だった。声にならない叫びが心の中に渦巻く。
そのときだった。ポケットに入った鶯色のスマートフォンが微かに震える。まごつきながらも取り出すと画面には色鮮やかな聖フィアナの校章が浮かび上がった。
「これ、そうだ、くれは先輩がくれたお守り……!」
夢路町に来てから一晩に同じ夢ばかりを何度も見ることを相談したら、お守りにと橘紅羽がインストールしてくれた特別らしいアプリ。使い方などこれほども分からない。しかし今はそれどころではなかった。
藁にもすがる思いで光に手を触れた。すると辺りが一瞬にして明るくなり、姿を現したのは一羽の鳥だった。勢いよく飛び出し風を巻き起こし、薄い硝子を割り裂いて麗を解放する。急に重力が戻ってきたことで下に落ち、咄嗟に受け身を取って天を仰ぐ。優雅に飛ぶ姿は猛禽類のそれだった。涙を拭い目を凝らし、ようやく正体が明らかになった。
「イヌワシだ……。でもなんで、どこから……?」
考えるよりも先に本能的に右腕を伸ばした。突然現れた狗鷲は空中で旋回し、ゆっくりと高度を下げて麗の腕に掴まった。爪がぐっと食い込んだが、痛みすら気にならない。美しい褐色の羽衣に凛とした金の瞳を持つ空の覇者が麗の瞳を覗き込む。
「お前があたしを助けてくれたんだね。ありがと、助かったよ!」
素直に礼を言えば、腕の上で頭を少し下げる。優しく撫でてやると小さく鳴いた。一人じゃない、そのことが麗に勇気を与えてくれた。
「お前と一緒なら、全然、全部、怖くない!」
見ればクラスメートはまだ硝子の箱の中。周りを黒い化け物が徘徊する。それはいつも夢の中で出会うやつと形は違えど一緒な空気を放っていた。
「あたしに力を貸して。みんなを、絶対助けるんだ!」
麗の呼びかけに狗鷲は高く鳴き、再び空へ舞う。呼応するようにアレセイアが光り始め、狗鷲の身体を同じ光が包み込み、大きくなり。弾けたときには炎を纏う美しい不死鳥へと姿を変えていた。透き通るような旋律に心が踊る。
「すごい……フェニックスだ……!よーしっ、いっけー!」
麗の声に応え、火の粉を散らしながら舞う。羽ばたくほどに煌めく炎は大きくなり、不死鳥を覆うように渦を成し、真っ直ぐにレテへと突っ込んでいった。
巨大な体躯の中心部を貫かれ、傷を修復しようともがくが時すでに遅し。傷口から侵食が始まり、あっという間に炎がレテを包み込んでいった。無慈悲な橙は化け物の命を食らい尽くし、塵も残さず消えていった。
見届けた不死鳥は悠然と降り立ち、とことこと麗へ歩み寄る。歌うような優しい響きが彼女の鼓膜を震わせる。
『我を呼んだのはそなたか。よくぞ耐え忍んだ。この世界で困ったことがあればいつでも喚ぶがいい。そなたの助けとなろう』
「うん分かった!ありがとね!グルちゃん!」
『グル、ちゃん……?』
不死鳥は小首を傾げて麗を見る。麗はにこっと明るく笑った。
「イヌワシはね、英語でゴールデンイーグル。だからゴルグル、略してグルちゃん!」
にこやかに主に言われ、ゴルグルは照れるような表情を見せる。先の凛々しい様子からは想像出来ない可愛らしさに頬が緩む。
ふらり、と麗の身体が揺れた。
「あれ?なんか、眠い……?」
『力を使いすぎたのだ。そのまま眠れ。また会おうぞ』
ゴルグルの言葉を聞きながら、麗は目を閉じた。
──────────
「らら、ちゃ……。うららちゃん、起きてよ、麗ちゃん!!」
揺さぶられ、頬を軽く叩かれ、麗はぱちりと目を覚まし飛び起きた。
「あれ!?ここ……!みんな大丈夫!?」
「それはこっちのセリフ!急に倒れるんだもん、焦ったよー?」
「そう、なの?ごめんね?」
謝れば同級生たちは笑って許してくれた。
あれは夢、だったのか。
はっきり覚えているのは麗くらいで、追求しないところを見ると六人は覚えていないようだ。一人、首を傾げる麗をよそに、会話は進められる。
「それより、どこまで歌ったっけ?」「次は七つの祝いのところだよ!」「そうだね、よしじゃあ続きから!」
また手を繋ぎ、歌の続きを紡いで歩く。
この子の七つの
お祝いに
お札を納めに
まいります
行きはよいよい
帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ
通りゃんせ
歌い終わると同時に、渡り廊下も終わりを告げる。ぱっと手を離してみんなで集まり抱き合った。
「これで私たち、ずっと仲良しだよ!」「麗ちゃんとも仲良しになれるね!」
にこにこと笑う同級生に、麗もつられて笑顔になった。不思議な世界と不思議なおまじないだった。
14/06/09
*Thanks*
橘 紅羽さん(企画公式さま/名前のみ)