2014年5月
もしもし、こちらへおいでなさい。
ある噂話を入手した。なので、さっそく試してみることにした。
夕暮れ時、皐月院の近くにある小さな公園。ここには携帯機器が普及した今日でも、緊急時などの連絡手段として数少ない役目を担う公衆電話がぽつりと佇んでいた。
久瀬比奈周は古びた扉を開き、電話ボックスに滑り込んだ。小銭は投入せず、受話器を取り、耳に当てる。そして脳にしっかりと刻んだ、教えられた通りの番号のボタンを入力していく。
ぱち、ぱち、ぱち。
全ての入力を終えてしばらく待つ。すると、通話が出来るはずないのにどこかへ繋げようとコール音が鳴る。
ぷるるるる、ぷるるるる。
三回目のコール音の前、がちゃりと受話器らしきものを取る音が。周はにんまりと口元に笑みを浮かべ、見えない相手に話しかける。
「こんばんはぁ、僕は久瀬比奈周と言いますぅ。今から会いに行きますねぇ」
簡潔に用件だけ告げて、こちらから受話器を置く。返答はいらなかった。条件は揃ったのだから。
「すっごいなぁ、本当に噂通りだぁ」
顔を上げれば、そこには自分と公衆電話しか存在しなかった。窮屈な電話ボックスはいつの間にか消え去り、公園もすっかり綺麗になくなっていた。
ゆっくりとした動作で振り返ると、黒塗りのアンティークな扉。銀のノブを回すと軽い音がして開き、周を中へと導いた。後ろ手に閉めると鍵のかかる音。逃がすつもりはないらしい。
薄暗い空間を歩き、目の前のぼんやりとした明かりを目指す。近づくと見えてきたのは小さな燭台と足の長い丸テーブル。ゆらゆら揺れる蝋燭に照らされ、先ほど周が使用したものとは色違いの公衆電話が鎮座していた。
電話の相手を探すとすぐ後ろに何かの気配。刹那、空を切る鋭い音と同時に周は前方に転がり、間一髪、初撃から逃れた。
「いきなりだねぇ。危ない危なぁい」
起き上がりながら白のスマートフォンを取り出し、アレセイアを起動させて薙刀を召喚する。一振り、二振りして感覚を確かめ中段の構えを取る。
対峙するのは夢世界を根城とする黒い化け物、レテ。大きさは周よりは大きいが、平均的な成人男性とほぼ変わらない。
特定の形状は持たず、ぶよぶよと波打つ無形型レテの周りには半透明で薄い硝子の破片のようなものが九つ、ふわふわと浮いている。先の奇襲はこれらしい。蝋燭の灯りを受けて角度によりきらきら輝く。
「あれがいっぺんに飛んできたら、さすがの僕でも避け切れないかなぁ」
そんなことをぼやくとレテは身体を震わせる、まるで破片に指示を出すように。ひゅん、と硝子片が空気を切り風が鳴る。その数、九。
「タイミング悪すぎでしょぉ……!」
珍しく切羽詰まった声色、しかし冷静に軌道を読み、紙一重で躱す。これにはレテも考えたようで、今度は体勢を立て直す暇を与えない。
次々に襲いくる破片の応酬を時にはいなし、時には受け。周は噂話を思い出していた。
穴の出現条件は夕暮れ、公衆電話、指定の番号。レテの攻略法は絶対音感または記憶力。前者は持ち合わせていないが、後者には絶対の自信がある。
何度か攻防を続けるうち、ようやく攻撃パターンも読めてきた。レテの繰り出す破片攻撃にはある規則性があった。
1、5、3、9、5、7、4、6、2、5、8、0、0。
この不規則にも思える数字の羅列と飛んでくる破片の枚数は対応している。実はここに来る前に周が入力した番号の順番とも一致しており、これ自体がレテを倒すヒントになっていたのだろう。
そこまで分かればあとは待つだけ。0が二回、つまり攻撃が止むその瞬間を。
破片が二枚飛び、身体をひねり避ける。今度は五枚、薙刀で弾き落とす。八枚は捌き切れないのでいなしつつ受けつつ、周は走り出す。
目の前のレテは動かない。狙いはそこ。薙刀を上下から斜めへ、横から斜め下へ、下から振り返しへ、八方から攻め立て追撃を許さない。
最後に上段からの振り下ろしで真っ二つに裂く。そのころにはもう、化け物は自分の意思に反して重力に従い倒れるしかなかった。
黒い塊と成り果てたレテを一瞥し、周は息を吐いて緊張を解く。目を瞑り、再び開けばそこは元の公園だった。レテの残骸も黒塗りの扉もない。
程よい疲労感が周の身体に残る。
「噂話、これで一つ潰せたかなぁ」
空を仰ぎ見てつぶやいたのんびりとした言葉は、夕暮れに吸い込まれるようだった。
14/06/08