2014年5月
猫と噂が穴を呼ぶ。
あのオリエンテーションから三日。
放課後、久瀬比奈轍はまた校舎裏へと来ていた。今回は一人である。約束通り、赤いリボンは肌身離さず身につけ、今も左手首に結びつけてある。
出会った場所、薄暗い茂みまで来るとあの独特な気配があった。
「出てこいよ。いるんだろ?」
声に呼応するかのように茂みが揺れて、あの黒猫が姿を現した。口元には歪んだ笑みが張りついていた。
いい子。おいで。
黒猫は呼びかけ、歩き出す。轍はついていく。
ある人物が話していた。
こんな噂話を知っているか。夢路に棲みつく黒い猫又の伝説。ついていけば骨の髄まで食い尽くされてしまうという恐ろしい噂。
頭の隅ではいけないと分かっている。だが進む足が止まらない。いや、止めてはいけない。化け猫であれ、猫に食われるなら本望か、など足を動かしながらそんなことを呑気に考えていた。
「マジかよ……」
行き先は分からないままついていくと、目の前には黒く重厚な扉があった。案内役を務めた黒猫はその前で待つ。催促するような鋭い視線に轍が近づけば、空気にでもゆっくり押されるよう音もなく開き、黒猫は中へと消えていく。
「噂が呼んだってのか……」
見つけたからといって入る必要はない。しかし、約束をまだ果たしていない。口約束ほど簡単で根深いものはない。しかも相手は猫又。破るのは許されない。
渋々とくぐり抜けて向こう側へたどり着くと、内側からの強風により扉は一気に閉まる。空間はどこか閉鎖的で、息苦しさを感じる。
「やっぱりか……」
中央には待っていたと言わんばかりの黒く大きな塊。夢世界を徘徊する化け物、レテがいた。
「困ってるってのはもしかして、こいつのことか?それを俺に倒せ、と」
レテとの戦闘は不得手な轍にとって、これは些か厳しい状況である。生半可な気持ちでは食われるのが落ちだ。
「どうなるか分かんねぇけど、やってみっか」
轍はアレセイアを起動し、言霊により木製の薙刀を召喚して構えを取る。その足下には召喚した覚えのない彼の相棒、茶伍がいつの間にかすり寄っていた。
「チャゴちゃん!?おま、危ねぇって……!」
声色に焦りが見えるが、茶伍は素知らぬ顔だった。あなただけでは頼りない、とでも言いたげな眼力に轍は観念してため息を一つ。
「手伝ってくれるのか。そりゃ、ありがたいな」
素直にそう言えば、満足げににゃぁと鳴く。姿勢を低く取り、肉食獣の狩りを彷彿とさせる。
「やる気満々だな……。んじゃ、行くか!」
轍が地面を蹴り駆け出すのを合図にレテとの交戦が始まった。その様子を少し離れたところから黒猫は静かに見守る。
茶伍がレテの撹乱を担い、轍が攻撃を予測して回避しつつ、隙を見つけては仕掛ける。じりじりと、少しずつ体力を削っていく。一気に仕留めるだけの技量はない。積み重ねて、蓄積させて大きな揺らぎを待つ。
そして、その瞬間が訪れる。
見逃さず懐に入り込み、上段の構えから一気に振り下ろす。渾身の一撃が打ち込まれ、レテはぶるぶると震えたのち、音を立てて崩れ落ちた。
距離を取り、緊張が切れて轍が尻餅をつくころにはレテも、閉鎖空間も、扉もいつの間にか消えていた。
ご苦労様。助かったわ。変な噂のせいで邪魔くさい扉だったの。
労いの言葉をかける黒猫は轍に近づき、ゆったりと腰を下ろした。それを視界に捕らえた轍は息を整え左腕を出し、借りていたリボンを見せた。
「約束は守ったぞ。ほら、これ返すって」
もう要らないわ。アナタにあげる。
「いや何言ってんだよ。お前の大事なもんだろ?」
それはワタシをこの地に縛りつける鎖。何度も断ち切ってやろうかと思った。でも出来なかった。
ワタシには触れることすら叶わなかった。だからアナタを待っていた。忌まわしき呪いを受け入れてくれるアナタを。
「要するに、とばっちりかよ……」
そういうこと。それはあげる。呪いもあげる。ワタシは自由。
アナタも自由になさい。大丈夫。全てアナタのもの。ワタシから受け継いだもの。アナタにとって悪いものではないから死んだりはしないわ。
その言葉を最後に、黒猫は腰を上げ、振り返ることなく悠々と夢路の夕闇に消えていった。
「まさか、こんなことになるなんてな……」
リボンを手首から解いて手の中に収めて眺める。返せなかったときのことまで考えていなかった。しかも、それが得体の知れない置き土産ときた。
会長が怪しく笑っていたのは、これを知っていたからか。くじ引きで公平に決めたと言っていたが、今ではそれ自体が仕組まれていたのだろうという確信に変わっていた。
「仕方ない、天勝寺ちゃんに相談するか。山籠りに誘ってくるくらいだし、こういうの得意だといいな……」
実家が寺だと言っていた他校の同級、
14/06/08
*Thanks*
天勝寺 染真さん(名前のみ)