化かし 化かされ 騙し合い
産まれた意味
神童。
幼少の時分にそう奉られた男がいた。
その男の御家は先祖代々、脈々と血と信仰が受け継がれてきた稲荷神社であった。
それなりの繁栄が約束された此処は彼の出生をきっかけで大きな転機を迎える。
産まれながらにして黄金色を持つ男児、神の使者である御狐様をまさに身に宿した証。
御狐様、御狐様。
皆がそう呼び持て囃す。誰も名を知らないはずがないのに、だ。
キツネじゃないよ。と訂正が出来るようになっても、皆はにこにこ笑顔を返すのみ。
かみさまおねがいです。ちょっとだけでもいいので話をきいてください。
そう願ってみても、豊穣の神からは何も返っては来なかった。
コクリ、そう呼ばれたのは彼が物心ついて数年が経ってからだった。初めて母に呼ばれた自分の名は、それはそれは美しい言葉に聞こえた。
しかしその実、母は遊んで汚れた自分を叱りつけた。
そんなに汚れてどうするのです。貴方は自分が何をしたのか分かっていますか。
とても難しかったし、分からなかった。
どうしてそんなに怒っているのか、どうしてそんなことを言うのか。
何度も何度も名前を呼ばれた。父からも母からも。
その度に彼は叱られ、良い子であるよう求められた。
両親の怒号を受けるのに耐えかねた幼子はどうしたのか。
良い子だけは理解出来たので、それを守るように自身の行いを徹底した。
良い子に、良い子に。
いつも綺麗でいれば、皆が笑顔でいた。いつも笑っていれば、皆が笑顔を返してくれた。
いつもいつもいつも。それがいつか習慣となり習性となり、いつしか彼を象っていた。
汚れたら気付かれる前に洗い流して。汚れなくてもすべてを洗い流して。笑えなくなっても笑った振りをして、口角を無理やり引き上げて。
「馬鹿馬鹿しい、デスネ」
朝露に濡れるコンクリートに革靴を叩きつけ、職場に警備員よりも早く着く。職員玄関の鍵を開けて真っ直ぐ向かうのは更衣室。
コートとジャケットを仕舞い、新たにジャケットを羽織る。革の手袋を直して気持ちを引き締める。
あの場所から逃れるために選んだ、教師の道。
十数年続けてきてようやく立ち振舞いにも慣れてきた。今日もまた一日が始まる。
神童。
かつてそう奉られた男、谷中コクリは今、日本を生きる若者たちの育成の一端を担っている。
19/04/13