柳葉凪いで龍はなく。
熱さ冷たさ通り越し
しらみ始めた早朝の江戸。
澄んだ空気を肺に収める申組の彼、高遠敬久は草履が朝露を含み湿るのを感じながらゆったりと歩く。
朝餉前の散歩には少々早かったか。人っ子一人いない町並みにいつもの騒々しさは全くない。それもまた一興か。
ふと、視線を投げる先、墨色の暖簾を掲げる墨廼江も今日はまだ静かなものだった。
かの店主は早起きだったと記憶する。
いつもなら動き出す時間はとうに過ぎているというのに。
思い立ったらなんとやら。高遠は遠慮なく敷居を跨ぐ。外と同じくひんやりとした空気、刺青に使われる色料の独特な匂いを掻き分け進む。
寝坊か、と慣れた足取りで奥へ。冷たい廊下に素足がひたひたと鳴る。
書斎にたどり着き襖に手をかけ、すっと開ける。
見れば机には蓮やら金魚やら、描きかけの刺青の柄案が所狭しと散らばっていた。
近くに敷かれた布団には何も被らずに五代目店主、墨廼江柳吾がうつ伏せに丸まり寝息を立てる。
否、浅く荒い呼吸を繰り返して寝転がっている、が正しいだろうか。
柳、と声をかける。
反応はない。
柳吾、と肩を揺する。
伝わった体温が高いように感じる。
これは、とおもむろに転がし仰向けにする。
赤らんだ頬に反して青白い唇。伸ばした手が触れた額は想像以上に熱を持っていた。
「……何や、びっくりするやろ。おめぇさんの手、冷たいなぁ」
ゆるりと持ち上げられた瞼から覗く茶の瞳、いつもより潤んで見えるのは気のせいではない。
「はは、お前が熱いんだよ、柳。具合はどうだ」
「見ての通りやわ、眠いのに寝られんのよ」
一つ身震いをして起き上がろうとするのをゆっくりと制止する。簡単に押し戻され布団をかけられた彼は呆けた顔をした。
「お前が眠るまで話していようか?この間……」
自分の記憶を言葉としてつらつらゆるりと吐き出していく。律儀な相槌を聞き流しながら、熱を奪うように頬や首筋に手を寄せる。
気持ちいいのだろう、深く息を吐き己の急所を晒していく。
ようやく呼吸が落ち着き、瞬きが緩慢になるのを見受け。高遠は視界を閉ざすように手を翳す。
手のひらを滑る睫毛が何ともこそばゆい。
「……なぁ、ごめんなぁ」
何が、と問いかける前に穏やかな寝息が聞こえてきた。
少々汗ばんだ額を拭うように撫でつけるが一度寝入るとなかなかに起きない部屋の主は、やはり身動き一つしなかった。
「お腹が、空いたね」
目覚めた江戸に言葉は掻き消える。
自分の分に、と用意された朝餉はとっくに下げられているだろう。
少々ざわめき出した腹の虫が収まるのはいつになるのやら。
18/03/12
*Thanks*
高遠 敬久さん