このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

Episode1. はじまりの朝

Episode1.はじまりの朝

「それじゃあ、女子のクラス委員は栗林に頼んでいいかな。ここからの司会進行は栗林に任せて、次は、男子のクラス委員を決めようか」

「はい、わかりました」

クラスに着くなり、担任が入ってきた。担任の簡単な自己紹介とこれからの予定を話し、俺たちの自己紹介をした。担任は、少し大きめのスーツに身を包んだひょろ長い人であった。どことなく頼りなさげな感じである。自己紹介が終わるとすぐ係決めが始まった。女子のクラス委員はものの数秒で栗林に決まった。

「これから一年間、女子のクラス委員をやることになりました、栗林千尋と言います。早速ですが、残りの係りを決める前に、男子のクラス委員を決めたいと思います。誰かやりたい方はいませんか?」

女子のクラス委員は決まったせいか、どことなく女子たちは落ち着いているように見えたが、それとは対照的に男子たちはみんな一斉に下を向いた。

「…立候補者はいないということですね。かと言って決めなくてはいけませんので、逆に推薦したい人はいませんか?」

すると突然、男子たちの押しつけ合いが始まった。これは当分決まりそうにない、と俺は思い机に伏せようとしたとき、女子たちのある言葉が耳に入った。

「ねえねえ、さっき自己紹介してた、鈴井…くんだっけ?あの人かっこいいし、推薦しちゃわない??」

…陽向を…推薦?そんなことしたら、放課後の部活に支障が出る。だから、陽向には何がなんでも委員会には入ってほしくなかった。もちろん、当の本人はぼうっと前を見ていて気付いてないが。

「…え?成瀬くん…、やってくれるの?」

「は?んなわけ…」

俺は、陽向の推薦をどうにか止めようと色々考えているうちに、無意識に席を立ってしまっていたらしい。栗林は、目を丸くして俺を見る。

「おお?もしかして、栗林と成瀬は知り合いなのか?それなら、栗林も助かるよな。どうだ、成瀬。やるか?」

クラス中の目線が一気に俺に向けられる。陽向と目が合うが、この状況を分かってないという顔だった。

「………やります」

訳もわからず、俺は周りの断れない雰囲気に流されてつい承諾をしてしまった。俺は魂が抜けたように椅子に腰掛けた。

ー--

「…まさか、瞬が自分からクラス委員を名乗り出るなんて、驚きだよ」

男子のクラス委員が決まったあと、残りの係りを決めた。やはり、残りの係りを決めるのにはそう時間はかからなかった。担任が教室を出るとすぐに陽向は駆け寄ってきた。

「当の本人が一番驚いてる」

俺は絶望のあまり机に突っ伏していた。もちろん、立候補したつもりはさらさらない。

「瞬、面倒くさいことには一切首を突っ込まなかったからね…。なんか瞬がクラス委員って不思議だね」

お前のためだよとは言えず、俺は諦めて顔を上げた。瞬なら大丈夫だよ、とニコニコ励まされたら、やるしかなくなってしまう。

「成瀬くん、ちょっといい?」

「?」

そう言って俺の名前を呼ぶのは、朝から何度も言葉を交わした栗林だった。正直、悪い予感しかしなかった。

「まさか成瀬くんが立候補してくれるとは思わなかったけど…。まあ、大半は私がやるつもりだし、その辺は気を楽にしてくれていいよ。それよりね、早速仕事なの。今日はもう学校終わりなんだけど、クラスの名簿作らないとだから残ってもらわないといけなくて」

まさに悪い予感が当たった。

「あ、早速仕事あるんだね。じゃあ、俺はこれから部活見学に行ってこようかな」

「…ああ、わかった」

「じゃあ栗林さん、瞬をよろしくね」

「うん、また明日。それじゃ、成瀬くん。ぱぱっとやって帰ろう!」

俺たちは誰もいなくなった教室で、適当な机を二つ選び、向かい合って座った。

「私は女子をやるから、成瀬くんは男子をよろしくね。あ!なるべく綺麗な字でね!」

「……努力はする」

静かな教室で、2つのペンを動かす音だけが聞こえる。時々、廊下から話し声は聞こえるが、通り過ぎるとすぐにまた静かになった。

「(鈴井…陽向)」

綺麗な字で、と頼まれた俺はようやく陽向の名前まで書くことができた。陽向の名前をフルネームで書くのは恐らく初めてで、見慣れているはずなのに、変な感じがした。

「ねぇ、成瀬くん」

「…ん」

静かな教室に耐えられなくなったのか、栗林が口を開いた。

「鈴井くんとはさ、いつから仲良いの?」

「んー…、中1」

「ああ、じゃあ榛日野からなんだね。私が2人と同じクラスになったのは最後の1年間だけだったけど、仲良さそうなのは分かってたんだ」

「お前は本当クラス委員に向いてるよ」

1年間しか一緒じゃなかった上、ろくに会話もしたことがなかったのに、栗林はそういうところまできちっと見ていた。

「あぁ、でも、成瀬くんが何の部活してたかーとか、そういうところまでは知らないよ。鈴井くんはバスケ部でかなり活躍してたみたいだから、小耳に挟んだことはあるけど。高校でもバスケを続けるのかな?」

「俺はずっと帰宅部。ここでもそのつもり。あいつは、中学の頃からバスケやってんだよ。だから、バスケ部んとこ行った」

「へぇ!運動部ってやっぱりいいよね。私は基本球技系は苦手だし、他の種目も得意ってわけでもないから、スポーツが出来る人って憧れちゃうな」

栗林は嬉しそうな顔をした。

「お前はどっちかっていうと、勉強だもんな」

「あはは、そうだね。…でも、何だか鈴井くんがバスケ部って、何かちょっと意外だなあ」

「まあ、あの見た目だしな」

「何かね、私の中では部活というより、保育園の先生とかやってそうなイメージなんだよね」

「ふっ……なんだよそれっ」

栗林はちゃんと話すと意外に面白い奴だった。…それにしても、保育園の先生という例えは分からなくもなかった。

「……」

「…何だよ、じっと見て…」

「成瀬くんって、鈴井くん以外の前でも笑うんだなあって思って。私、成瀬くんはいつもこうやって眉間にしわ寄せているイメージだったから」

そういいながら、栗林は眉間にしわを寄せて俺を睨んでみせた。

「は…?!俺普段そんな顔してんのか…?」

「してるよー!とりあえず、中学の頃の1年間はそういうイメージだったよ。鈴井くんの前だけではいつも笑顔ーみたいな」

「…俺、お前はもっと静かなやつだと思ってたよ」

そういうと栗林は笑い、つられて俺も笑った。

「よし、おしゃべりはここまで!せっかく今日は午前中に学校終わったんだがら、成瀬くんも早く帰りたいよね。さっさとやっちゃお!」

「そうだな」

それから俺たちは、さっきまでの気まずい沈黙が嘘だったかのように、黙々と集中していた。

---

それから10分後、俺たちはクラス全員の名前を書き終えることが出来た。

「んーっ! お疲れ様、成瀬くん! あとは、これを職員室に出しに行ってくるだけだから、成瀬くんは先に帰ってくれて大丈夫だよ!」

「出しに行くだけなんだろ? だったら、俺も行く。ちゃんと最後まで仕事はする」

「…ふふ、そうだね。ありがとう」

どうせ帰ると言っても、一旦バスケ部に行って陽向の様子を見に行こうと思ってただけで、そのまま帰ったところで特にすることもなかった。

「…というか、職員室どこ…?」

「…確かにな」

入ったばかりで場所も把握してない生徒に、いきなり職員室に持って来いだなんて、先生たちも意地悪だ。

「…仕方ねぇ、地道に探すか」

「そうだね…」

すると、窓の外から、向かいにある体育館で部活をするむさ苦しい男たちの声が聞こえてきた。

「どこの部活かな?バレー?」

「……あ、陽向…」

そのむさ苦しい部活の正体は、バスケ部だった。

「え、バスケ部!? …あ、本当だ、鈴井くんいるね」

部活見学に行ってくると教室を出ていった陽向は、他の見学者に混じってそこにいた。今まで大きいと思っていた陽向も、周りの見学者や先輩たちと比べると普通くらいに見えてしまう。

「片桐ってバスケ部強いの?」

「あー…、いや、強豪校と呼ばれる学校に比べたら弱いかもな。榛日野で活躍してた何人かは推薦で多方面の強豪校へ入学してるしな。もちろん、陽向だってその対象だっただろうに、何故かあいつは片桐を一般受験したんだよ」

「ふぅん…。あれほど活躍してた鈴井くんが、強豪校からの推薦を蹴ってまで片桐を受験した理由って何だろうね」

俺の話を聞いた栗林は、むむと考え込んだ。

「あいつが片桐を受験した理由を、俺はまだ聞いちゃいないんだ。何か言いにくいような事でもあるのかと思ってはいるけど」

「なるほどねぇ。仲のいい成瀬くんですら、鈴井くんが片桐を受験した理由を知らないって訳ね。…ねぇ、鈴井くん、なんか元気なくない…?」

「そうか?」

俺はそんな風に答えたものの、栗林の言葉が気になり陽向をもう一度見た。中学の頃は、陽向ほど背が大きいやつはメンバーにいなかったし、どこの中学とやっても大体一番大きかった。しかし、片桐ではどうだ。陽向と同じくらいの背はごろごろいるし、むしろデカい奴らばかりだった。

「鈴井くんのこと心配だろうけど…、とりあえず職員室探さない?」

「あぁ、…そうだな」

陽向の部活見学についてはあとから本人に聞くとして、職員室を探すことにした。

「…ねぇ、成瀬くん。鈴井くん、バスケ部に入ると思う?」

「…は?」

俺は、栗林の発言に驚きを隠せなかった。

「いや、私は鈴井くんの実力とか詳しくは知らないから何とも言えないんだけど…。片桐って、強豪校に比べたらそこまで強くないんだよね?榛日野で活躍してた鈴井くんにとって、物足りなく感じちゃったりはしないのかな…?」

「試合の勝ち負けは、スポーツにとって大事な事だと思う。けど、陽向はそれ以前にバスケが好きなんだ。何か理由があって推薦を蹴り、片桐に入ったとしても、きっと陽向はバスケを続けると思う」

俺は何の確証もなかったが、栗林を真っ直ぐ見てそう言った。そう言いたかった、のかもしれない。ただ、陽向がバスケをやめるとも思えなかった。

「鈴井くんを一番理解してる成瀬くんが言うんだもん…、大丈夫だよね」

栗林は俺の言葉を信じ、笑った。俺自身も自信はなかったけど、栗林が俺を信じて笑うのを見て、不思議と大丈夫な気がしてきた。

「…あ、職員室」

「本当だ!よかった〜。割とすぐに見つかったね」

失礼します、と一礼し職員室に入る。担任を探すと向こうも気付いてくれたらしく手招きしてくれた。

「やあ、2人ともお疲れさま。助かったよ」

「2人でやったので、すぐでしたよ」

「…職員室の場所くらい教えておいてくれてもいいと思いますけど」

「ち、ちょっと、成瀬くん!」

俺は担任の、戸塚に聞こえるか聞こえないかぐらいの声の大きさでそう呟いた。

「え!教えてなかったっけ?!いやー、ごめんごめん。おっかしいな…」

戸塚は、見た目通り頼りないというか、天然っぽそうなところが誰かさんに似ていると思った。

「…うん、とりあえずちゃんと終わってるみたいだね。本当にお疲れ様。明日から授業始まるから、1限、よろしくね」

「「1限…?」」

俺と栗林は声を揃えて言った。

「うん、明日の1限数学だよ」

「そういえば、さっきの自己紹介で言ってましたね」

陽向をどうクラス委員の候補から外すかばかり考えていた俺にとっては初耳だった。見た目と違って、戸塚は数学担当らしい。

「んん?成瀬くん、黙っちゃってどうしたの?もしかして、数学嫌いかな?」

「いえ、別にそういうわけでは…」

「戸塚先生、成瀬くんはどの教科も人並み以上に出来るんですよ。特に数学は」

栗林は数学の部分だけやけに強調してそう言った。

「へぇぇ!それは嬉しいなあ!」

「お、おい栗林なんでお前それ知って…」

「クラス委員だよー?」

「いや、それはクラス委員関係ないだろ…。それに、人並み以上に出来るって言ったらそれはお前のほうだろ、学年一位さん」

「……それでも、どう頑張っても数学は誰かさんに負けてたの」

「?」

栗林は急にぼそぼそと呟き、何と言っていたのか聞き取ることが出来なかった。

「それじゃ先生、私達はもう帰りますね」

「ああ、うんそうだね。じゃあ、また明日」

戸塚は、にこにこと笑いながら俺たちを見送った。

「じゃあ、成瀬くん。私はこれで。今日は色々災難だったかもしれないけど、これからよろしくね」

「ああ、こちらこそ」

2つのおさげを翻し、栗林はその場を去った。

「…さーて、俺はどーすっかな」

このまま陽向の所へ行って、聞きたいことを聞きに行くのでもよかったが、そんな気分にはなれなかった。その時、栗林の言葉が頭の中をよぎった。

「鈴井くん、バスケ部入ると思う?」

毎朝陽向が迎えに来て、一緒に学校へ行き、授業を受けて、昼は一緒に飯を食って、放課後陽向は部活をする。そして、陽向の試合の日は必ず俺が応援に行く。こんな毎日が、また当たり前のように続くと思っていた。だからこそ、今の俺にはその言葉が不思議な程に気にかかった。

「…やめるなんて、言わないよな」

俺は一言そう呟き、その日は陽向の様子を見に体育館へ寄るわけでもなく、ただ真っ直ぐ家に帰った。
2/3ページ