◆過去ログ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
彼女の瞳は星に似ていた。
ローブの下にキラリと覗く一対の光。館の扉を開けるたびに、私はその流星のような眼差しに射抜かれてしまう。
「ああん、ようこそいらっしゃいました、ナナシ♡」
投げかけられた声も射抜くように力強く、重ねて穿たれた心臓が激しく暴れ出す。私はのたうつ鼓動を懸命に抑えながら扉を後ろ手に閉め、努めて穏やかに微笑んだ。
「こんにちは、ミステール」
三角形の輝石がテーブル上の宙に鎮座している。輝石はひとりでに回りながら光を振り撒き、背後に立つ彼女を一層輝かせていた。その眩しさが、テーブルに歩み寄る私の足を石のように固くさせる。
そうして無様に対面する私に、容赦のない翻弄の手が伸ばされた。
「朝からずっと心待ちにしていましたわ。今日は必ずあなたに会えると思っていましたから。ああん♡」
ドキリと跳ねる鼓動と同時に、輝石が一際強く光った。波打つ光の様子は、まるでこちらの心の動きを真似ているようで、いよいよ胸がはち切れそうになる。
「……そんなの今更じゃない。ここのところ毎日はあなたの所に通い詰めなんだから」
言い訳を絞り出す声は酷く震えていたかもしれない。
「ああん、それもそうです。いつも足繁くこの館に通い続けるあなたは、今やわたしの日常の一部とも呼べる存在……」
彼女は澄ました顔で言うと、ふっと視線を逸らした。
「それなのになぜでしょう。今日はどういうわけか、あなたがここに来る予感をいつもより強く感じたのです。星が何かを感じ取ったのでしょうか」
視線は気まぐれに彷徨うと、ぴたりと私の元に帰る。
「フシギなことも、あるものですね」
不思議なのはどっちよと心の中で叫んだ。本当にわかっていないのか、それともわかった上でとぼけているのか。ガラス玉を覗くように透明で掴み所のない仕草が、私をじりじりと疼かせていく。
──ああ、もうダメ。
均衡の糸は呆気なく断ち切られ、隠し持っていた本音を引きずり出した。
「……ごめんなさい。本当はね、今日はあなたに大事な用があってここに来たのよ」
一度打ち明けてしまえば迷う必要はない。私は枷を解かれたようにテーブルから身を乗り出し、彼女にぐっと詰め寄った。
「あなたの心の在り処を占ってほしいの」
視界に広がる端麗な顔。隔てられた輝石よりも近い距離。私はとうとう、越えてはならない領域に身を投じてしまった。
さすがの彼女も私の言葉の意味をわかっているのだろう。覗き込んだ双眸が僅かに見開いている。そこに映る私の顔は馬鹿みたいに必死で、貪欲で、余裕がなくて、だけどその目は骨の髄から焦がれるほどに彼女を求めていた。
彼女は言葉もなく瞼を伏せる。静寂がやけに長く感じるのは私の焦りのせいか、彼女の葛藤の重さからか。呼吸が乱れるのを自覚したその時、瞼がすっと開いた。
「わかりました」
それは幾度も私を貫いた星の光。空の果てまで見透かすような眼差しは、覗き込んだ者を一瞬で呑み込んでしまいそうで、私は息を詰めて半歩退いた。
たおやかに開いた手のひらが輝石の上に翳される。すぅ、と一呼吸を挟んだ刹那、裂帛の叫びが耳に轟いた。
ピケッピピッピ、ピケッピピッピ──呪文が紡がれ、禍々しい閃光が輝石から溢れ出す。部屋は暗闇に包まれ、星を象った光が周囲の壁を照らし出した。
固唾を飲む私を取り囲んで、くるくると踊る星の光。まるでルーレットみたいだと思った。煌びやかな宴が終わる瞬間、運命が決まる。私は今、運命の狭間に立っている。
きっかけは何一つ曖昧だった。記憶のどこを見渡しても、そこに境界線と呼べるものはない。ただ、探してもいない探し物を求めに館を訪ねたり、盆栽の手入れをする横顔にふと見惚れたりするようになった頃には、私は既にミステールという女性の虜になっていた。
おこがましいのはわかっている。彼女は誰よりも綺麗だから。ただそこにいるだけで全てを照らす恒星に等しい存在だから。私ごときの女が隣に並ぼうだなんて、自ら塵になるようなものだ。
だけどもう遅い。私は染まりきってしまった。彼女の姿が思い浮かぶだけで、あの星のような瞳に見つめられるのを想像するだけで、心はぼろぼろに溶け崩れ、気がつけば一心に彼女を求めている自分がいる。そのとてつもなく強大な引力に抗う術を私は持ち合わせていない。
ならばいっそぶつかってしまえばいい。そのまま砕け散ってしまっても構わない。
たとえあなたの心に私がいなくても、私の心にはあなたがいる。それだけでも知ってもらえば、私は満足して塵になれるから──
「あらん?」
暗闇が晴れて最初に聞こえたのは、この場の空気に似つかわしくない素っ頓狂な声だった。
彼女は輝石をまじまじと覗き込み、それから私を見て、しばし交互に見比べると、ほぅっと溜息を零す。その顔には陶然とした色が滲んでいた。
「あぁん、なるほど……そういうことでしたのね♡」
星の宴は幕を閉じ、部屋は元の明るさを取り戻した。占いが終わった合図だ。なのにいくら待てども運命は下されず、肝心の彼女は先程からうっとりと浸るように何事かを呟いている。その呟きから独り言以上の意味は拾えない。
「あの……ちょっと、なに置いてけぼりにしてんのよ。結果は? 結果はどうなったの⁉」
いつまで私を狭間に取り残す気なのか。痺れを切らして問い詰めると、彼女はひらりとテーブルを離れてこちら側に回り込んできた。
「え、え?」
私が戸惑う間にも、彼女は迷いのない足取りで目の前に来て、私の手に自身の手を重ねる。自分のものではない熱を肌に感じた瞬間、稲妻のような痺れが脊髄を襲った。だけどその感触を味わう余裕はない。彼女が与えてくれない。
「この頃わたしは、とても不可思議な現象に悩まされていました」
手元に視線を落として彼女は語る。苦しげな声は、同時に甘い熱を帯びていた。
「あなたに会えると胸が高鳴り、心が星空のように煌めく。あなたと別れると煌めきは雲に覆われ、嵐のような苦しみが胸を苛む」
──これは、夢だろうか。
今頃は砕け散っているはずなのに。もうここにいてはいけないはずなのに。私の肉体は今もここにある。私を壊すはずだったその手で繋ぎ止められている。
「わたしは長い時にわたり、この忙しなく移り変わる心模様に苦しまされてきましたが──あなたのおかげで、ようやくその理由がわかりました」
彼女は両手にぎゅっと力を込め、潤んだ瞳で私を見つめた。
「だって、わたしの心はあなたにあるのですから♡」
目の前にいるのは、神秘のベールを纏った美しい占い師ではない。私と同じ、ただの恋する女性だった。
──ああ、どうしよう。
握られた手の熱さ。そこから伝わる激しい高鳴り。知覚する情報の全てが、目の前の光景が夢の産物ではないことを証明している。私はどうすればいいかわからず、ただ熱に浮かされたように彼女を見返すしかなかった。
「ですが、それだけではいけません」
俯いた顔に、切なげな影が差す。
「わたしの心があなたにあっても、あなたの心がわたしにあるとは限らない。それでは意味がありません。星は引かれ合ってこそ輝けるものなのですから」
彼女は影を払うように顔を上げ、輝かしい面差しで私を照らした。
「さあ、教えてください。あなたの心の在処を」
二つの星がキラキラと輝いている。そこに映る私も同じように輝いている。重なり合う星と星が、互いだけを求めるように共鳴している。
綺麗だと思った。このまま吸い込まれたらどうなるだろうか。
私は魅入られるままに口づけた。
ローブの下にキラリと覗く一対の光。館の扉を開けるたびに、私はその流星のような眼差しに射抜かれてしまう。
「ああん、ようこそいらっしゃいました、ナナシ♡」
投げかけられた声も射抜くように力強く、重ねて穿たれた心臓が激しく暴れ出す。私はのたうつ鼓動を懸命に抑えながら扉を後ろ手に閉め、努めて穏やかに微笑んだ。
「こんにちは、ミステール」
三角形の輝石がテーブル上の宙に鎮座している。輝石はひとりでに回りながら光を振り撒き、背後に立つ彼女を一層輝かせていた。その眩しさが、テーブルに歩み寄る私の足を石のように固くさせる。
そうして無様に対面する私に、容赦のない翻弄の手が伸ばされた。
「朝からずっと心待ちにしていましたわ。今日は必ずあなたに会えると思っていましたから。ああん♡」
ドキリと跳ねる鼓動と同時に、輝石が一際強く光った。波打つ光の様子は、まるでこちらの心の動きを真似ているようで、いよいよ胸がはち切れそうになる。
「……そんなの今更じゃない。ここのところ毎日はあなたの所に通い詰めなんだから」
言い訳を絞り出す声は酷く震えていたかもしれない。
「ああん、それもそうです。いつも足繁くこの館に通い続けるあなたは、今やわたしの日常の一部とも呼べる存在……」
彼女は澄ました顔で言うと、ふっと視線を逸らした。
「それなのになぜでしょう。今日はどういうわけか、あなたがここに来る予感をいつもより強く感じたのです。星が何かを感じ取ったのでしょうか」
視線は気まぐれに彷徨うと、ぴたりと私の元に帰る。
「フシギなことも、あるものですね」
不思議なのはどっちよと心の中で叫んだ。本当にわかっていないのか、それともわかった上でとぼけているのか。ガラス玉を覗くように透明で掴み所のない仕草が、私をじりじりと疼かせていく。
──ああ、もうダメ。
均衡の糸は呆気なく断ち切られ、隠し持っていた本音を引きずり出した。
「……ごめんなさい。本当はね、今日はあなたに大事な用があってここに来たのよ」
一度打ち明けてしまえば迷う必要はない。私は枷を解かれたようにテーブルから身を乗り出し、彼女にぐっと詰め寄った。
「あなたの心の在り処を占ってほしいの」
視界に広がる端麗な顔。隔てられた輝石よりも近い距離。私はとうとう、越えてはならない領域に身を投じてしまった。
さすがの彼女も私の言葉の意味をわかっているのだろう。覗き込んだ双眸が僅かに見開いている。そこに映る私の顔は馬鹿みたいに必死で、貪欲で、余裕がなくて、だけどその目は骨の髄から焦がれるほどに彼女を求めていた。
彼女は言葉もなく瞼を伏せる。静寂がやけに長く感じるのは私の焦りのせいか、彼女の葛藤の重さからか。呼吸が乱れるのを自覚したその時、瞼がすっと開いた。
「わかりました」
それは幾度も私を貫いた星の光。空の果てまで見透かすような眼差しは、覗き込んだ者を一瞬で呑み込んでしまいそうで、私は息を詰めて半歩退いた。
たおやかに開いた手のひらが輝石の上に翳される。すぅ、と一呼吸を挟んだ刹那、裂帛の叫びが耳に轟いた。
ピケッピピッピ、ピケッピピッピ──呪文が紡がれ、禍々しい閃光が輝石から溢れ出す。部屋は暗闇に包まれ、星を象った光が周囲の壁を照らし出した。
固唾を飲む私を取り囲んで、くるくると踊る星の光。まるでルーレットみたいだと思った。煌びやかな宴が終わる瞬間、運命が決まる。私は今、運命の狭間に立っている。
きっかけは何一つ曖昧だった。記憶のどこを見渡しても、そこに境界線と呼べるものはない。ただ、探してもいない探し物を求めに館を訪ねたり、盆栽の手入れをする横顔にふと見惚れたりするようになった頃には、私は既にミステールという女性の虜になっていた。
おこがましいのはわかっている。彼女は誰よりも綺麗だから。ただそこにいるだけで全てを照らす恒星に等しい存在だから。私ごときの女が隣に並ぼうだなんて、自ら塵になるようなものだ。
だけどもう遅い。私は染まりきってしまった。彼女の姿が思い浮かぶだけで、あの星のような瞳に見つめられるのを想像するだけで、心はぼろぼろに溶け崩れ、気がつけば一心に彼女を求めている自分がいる。そのとてつもなく強大な引力に抗う術を私は持ち合わせていない。
ならばいっそぶつかってしまえばいい。そのまま砕け散ってしまっても構わない。
たとえあなたの心に私がいなくても、私の心にはあなたがいる。それだけでも知ってもらえば、私は満足して塵になれるから──
「あらん?」
暗闇が晴れて最初に聞こえたのは、この場の空気に似つかわしくない素っ頓狂な声だった。
彼女は輝石をまじまじと覗き込み、それから私を見て、しばし交互に見比べると、ほぅっと溜息を零す。その顔には陶然とした色が滲んでいた。
「あぁん、なるほど……そういうことでしたのね♡」
星の宴は幕を閉じ、部屋は元の明るさを取り戻した。占いが終わった合図だ。なのにいくら待てども運命は下されず、肝心の彼女は先程からうっとりと浸るように何事かを呟いている。その呟きから独り言以上の意味は拾えない。
「あの……ちょっと、なに置いてけぼりにしてんのよ。結果は? 結果はどうなったの⁉」
いつまで私を狭間に取り残す気なのか。痺れを切らして問い詰めると、彼女はひらりとテーブルを離れてこちら側に回り込んできた。
「え、え?」
私が戸惑う間にも、彼女は迷いのない足取りで目の前に来て、私の手に自身の手を重ねる。自分のものではない熱を肌に感じた瞬間、稲妻のような痺れが脊髄を襲った。だけどその感触を味わう余裕はない。彼女が与えてくれない。
「この頃わたしは、とても不可思議な現象に悩まされていました」
手元に視線を落として彼女は語る。苦しげな声は、同時に甘い熱を帯びていた。
「あなたに会えると胸が高鳴り、心が星空のように煌めく。あなたと別れると煌めきは雲に覆われ、嵐のような苦しみが胸を苛む」
──これは、夢だろうか。
今頃は砕け散っているはずなのに。もうここにいてはいけないはずなのに。私の肉体は今もここにある。私を壊すはずだったその手で繋ぎ止められている。
「わたしは長い時にわたり、この忙しなく移り変わる心模様に苦しまされてきましたが──あなたのおかげで、ようやくその理由がわかりました」
彼女は両手にぎゅっと力を込め、潤んだ瞳で私を見つめた。
「だって、わたしの心はあなたにあるのですから♡」
目の前にいるのは、神秘のベールを纏った美しい占い師ではない。私と同じ、ただの恋する女性だった。
──ああ、どうしよう。
握られた手の熱さ。そこから伝わる激しい高鳴り。知覚する情報の全てが、目の前の光景が夢の産物ではないことを証明している。私はどうすればいいかわからず、ただ熱に浮かされたように彼女を見返すしかなかった。
「ですが、それだけではいけません」
俯いた顔に、切なげな影が差す。
「わたしの心があなたにあっても、あなたの心がわたしにあるとは限らない。それでは意味がありません。星は引かれ合ってこそ輝けるものなのですから」
彼女は影を払うように顔を上げ、輝かしい面差しで私を照らした。
「さあ、教えてください。あなたの心の在処を」
二つの星がキラキラと輝いている。そこに映る私も同じように輝いている。重なり合う星と星が、互いだけを求めるように共鳴している。
綺麗だと思った。このまま吸い込まれたらどうなるだろうか。
私は魅入られるままに口づけた。
2/8ページ