◆過去ログ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
昼間は活気に溢れたキノコタウンも、帳が降りればひとたび喧騒は遠のいていく。
仲間達の目をそろりそろりと掻い潜り、音を立てないように扉を開ければ、そこは見渡す限りの夜の世界。誰もいない暗闇の街へ、わたしは軽やかに足を踏み出した。
月明かりが行く手を照らしている。今夜は満月だ。夜空にぽっかりと浮かぶ真円だけが、寝静まった街の上で冴え冴えと輝いていた。
暗闇を照らす光は希望の象徴。地上を静かに見守る月の輝きは、わたしたちの明日が平和であるように祈ってくれているかのようだ。深夜になるとこっそりキノピオハウスを抜け出し、月明かりの下を散歩するのがわたしの日課になるのも、その安らかな光に触れたのならば自然なこと。
ところが穏やかな時間は長くは続かない。忍び寄る影はすぐそこに迫っていた。
「ひゃああああ⁉︎」
暗がりから染み出すように現れた何かに、わたしは思わず飛び上がる。喉から飛び出した悲鳴が静寂を裂き、心臓をバクバクさせながら立ち止まっていると、艶やかな含み笑いが耳朶をくすぐった。
「あーら、そんなに大声を上げてはご近所に迷惑でしてよ?」
月下に映える珠のように白い肌。暗闇を妖しく彩る深紅のリボン。くっきりと露になった正体に、肺からどっと緊張が抜ける。
「……なぁんだ」
犯人はやっぱりレサレサちゃんだった。ビビり散らすわたしを嘲るように笑いながら、扇子をフリフリ。相変わらず憎たらしいお嬢様だなあと、わたしはわざと膨れて見せた。
「もう。そっちが脅かしたくせしてよく言うよね」
「暗闇をのこのこお散歩だなんて、テレサをおびき出すようなものではなくて?」
「あはは、それもそっか」
おっしゃる通り、夜の散歩が日課のわたしはテレサにしてみれば恰好の餌だ。影に身を潜めて罪なき通行人に忍び寄り、脅かした瞬間の反応を楽しむ。それはテレサにとって生き甲斐であり、至上の快楽でもあるから。おかげでわたしは毎晩こうして悲鳴を上げる羽目になっているし、そのくせ性懲りもなく宿を抜け出すんだから我ながら文句を言える立場じゃない。
……脅かしてくるのは決まって目の前にいるお嬢様なんだけど。
「ナナシもそろそろ学習しませんこと?」
レサレサちゃんは扇子を弄びながら言う。
「さすがに何度も脅かされたら少しは警戒するのが筋でしょうに、いつまでも油断してキャーキャー声を上げちゃって。ま、あたくしはその方が脅かし甲斐あっていいのですけれど」
「しょうがないよー、びっくりするものはするんだもん」
わたしはヘラヘラ笑った。
「それに、これでも結構慣れてきたんだよ。さっきの悲鳴だって最初に比べればかなり小さかったでしょ?」
初めて脅かされた夜なんて、それはもう大変だった。あの日の絶叫はキノコタウンを越えてクリ村やノコノコ村まで届くほどの大音量だったもので、翌日のキノコタウンニュースはその話題で持ち切り。その後しばらくは行く先々でからかいの的になったし、クリオくんなんて今でもニヤニヤ笑いながら突いてくる。
「その頃に比べたらわたしもだいぶ平気になってきたもん。この調子ならいつか石みたいに動じなくなる日が来るよ。そうなったらレサレサちゃんの方がびっくりするかも」
ドヤ顔で胸を張ると、ふんと鼻を鳴らされた。
「相変わらず能天気な娘ですこと」
レサレサちゃんは溜息混じりに言ったかと思うと、ぐっとこちらに迫りきた。
「そもそも、かよわい乙女が夜遅くに一人フラフラほっつき歩くなんて、危機管理意識が欠け過ぎているのではなくて?」
「そ、それは……」
間近に広がる端正な顔に、わたしは思わず気圧される。長い睫毛が針のように鋭く見えた。
「だ、大丈夫だよ、門の外には出ないから。キノコタウンの中なら絶対平和だもん」
「以前ヘイホーが暴れ回っていたのをもうお忘れかしら?」
「はい、そうでした……」
ドスの効いた問い掛けが過去の記憶を掘り起こす。
あの日の事件は、キノコタウンを大パニックの渦に陥れた。おもちゃ箱から突如飛び出したヘイホーの群れが、街のあちこちを荒らしたり物を盗み回ったりしたのだ。マリオさんたちがヘイホーを退治する間、わたしはヘイホーに荒らされたお花畑をリップちゃんと一緒にせっせと直していたっけ。あれがきっかけでリップちゃんと仲良くなれたのは良かったけど、それを見たレサレサちゃんが不機嫌そうだったのは今でもよくわからない。
まあ、それは置いといて。
「でもあれはイレギュラーみたいなもんじゃない? ほら、ヘイホーって普段は小さなイタズラしかしないし。それに意外と人懐っこくて可愛いんだよー。きっとわたしたちと遊びたいんじゃないのかな」
「屁理屈はおよし! ヘイホーだろうと何であろうと、もしもいざという時に何かが起こってみなさい。あなたのように鈍臭くてカメよりノロマでろくに戦えない軟弱娘に果たして太刀打ちできますの?」
「うぅ……」
扇子をビシッと突き付けられ、わたしはすっかり縮こまる。さすがレサレサちゃん。容赦のない物言いだけど、ぐうの音も出ない正論だ。
確かにわたしは戦えない。元から運動神経もダメダメで、喧嘩や争いとは無縁の環境で生きてきたから。冒険ではメモや聞き込み、アイテム管理やお茶汲みなどのサポートに徹しているし、クッパの手下に遭遇してもビビって逃げ惑うことしかできない軟弱娘だけど──
「でも大丈夫」
わたしはケロっと開き直った。
「レサレサちゃんが守ってくれるから」
月明かりがほのかに眩しさを増す。にっこり笑うわたしと、虚を衝かれたように見返すレサレサちゃんの顔が、優しい光に照らされていた。
わたしを脅かすのが趣味のレサレサちゃんは、他の誰かがわたしを脅かすのを何よりも許さない。わたしに魔の手が迫ると誰よりも真っ先に躍り出て、得意のビンタで叩き落としてくれる。その姿はまるで気高い姫君のように凛々しくて、思い出すたびにわたしの頬を熱くする。
「レサレサちゃんが本当はとても優しい女の子だって、ちゃんとわかってるよ。わたし」
少し照れ臭い気持ちで告げると、レサレサちゃんはふいっと顔を背け、綺麗な横顔を扇子で隠した。
「あなたといると調子が狂いますわ」
漏れ聞こえた囁きに思わず吹き出し、わたしは扇子の後ろを覗き込んだ。
「そう言いながらわたしにばかりちょっかいかけてくるよね」
「おだまりっ」
頬にぐりぐりと扇子の先端が押し付けられる。それでもわたしは笑みを崩さなかった。
──きっと、今も守ってくれてるんだろうな。
今夜だけじゃない。レサレサちゃんは毎晩、こっそり出歩くわたしをこっそり追いかけて、危険な目に遭わないか見張ってくれていた。脅かし甲斐あるからなんて言い訳するけど、言葉の裏側ではいつもわたしの身を案じてくれていたのだ。さっきのお説教モードもその裏返しなのだろう。
振り返る出来事の一つ一つに温かさを感じて、その心地よさにわたしは目を細めた。
「これからもわたしを守ってね、レサレサちゃん」
レサレサちゃんはわたしを見て数度瞬きし、仕方なさそうに苦笑した。
「いつからあなたはこんなワガママな娘になったのかしら」
「レサレサちゃんだって同じでしょー。いつも『お茶はまだなの?』とか『あたくしに似合うアクセサリーを選びなさい』とか言うし。だからわたしもその分ワガママを言っていいんです」
「おまけに口まで達者になって」
その声は呆れているようで、どこか楽しそうに弾んでいた。
「言われなくともわかっていますわよ」
レサレサちゃんはひらりと身を翻すと、一瞬の間に姿を消した。蝋燭の火が消えるような呆気なさに不意を取られ、わたしは慌てて辺りを見回す。背後を振り返るとすぐに目が合った。
満月を背にこちらを見下ろす不敵な笑み。煌々と降り注ぐスポットライトを気高く纏い、レサレサちゃんは誇らしげに扇子を掲げた。
「ナナシはあたくしの奴隷ですもの! 所有物を守るのが主人の務めなのは当然のことでしょう? これからも一生あたくしの傍を離れられないと思いなさい。オーホッホッホッホッホ!」
「いつの間に奴隷になってたのわたし⁉︎」
ぎょっとするわたしなどお構いなしに、レサレサちゃんは上機嫌に笑い続ける。さっきまでの呆れた態度はどこに行ったんだろう。
……ナナシはあたくしの奴隷。ナナシはあたくしの奴隷。高笑いが夜空を駆け抜ける中、言われた言葉を反芻してみる。それを繰り返すうちに、わたしの顔はすっかり綻んでいた。
「やっぱり奴隷でいいや」
高笑いがぴたりと途切れ、レサレサちゃんは怪訝な目でわたしを見る。その隙をわたしは見逃さなかった。
「ずっと一緒にいられるならなんだっていいもん」
わたしは翼のように腕を広げ、大好きなご主人様の元へ飛び込んだ。驚いた美貌が目の前に迫り、捕まえたと思ったのも束の間、抱き着こうとした腕は空を掻くだけに終わってしまう。着地した足が勢い余ってつんのめり、転びそうな身体をなんとか持ち堪えた。
周囲を探しても今度はどこにもいなかった。透き通りを駆使した回避は冒険で何度も見てきたし、レサレサちゃん無敵だなあと感心していたけど、いざ自分がその対象になるとちょっと悔しい。
──ま、いっか。
レサレサちゃんは今もわたしのそばにいる。姿は見えなくても、温かい気配は変わらずそこにある。また顔を見せてくれるその時までは、素直じゃない優しさに甘えていよう。わたしは前を向いて歩き出した。
月明かりが行く手を照らしている。満月の輝きはなおも褪せない。白くて丸い、包み込むような優しい光に、わたしを守ってくれているご主人様の姿が重なった。
暗闇を照らす光は希望の象徴。今夜もわたしはあなたと寄り添い、希望の道を踏み締めていく。
──いつか、ちゃんと抱き着かせてくれたらなあ。
その希望が叶うのは、まだまだ先の話。
仲間達の目をそろりそろりと掻い潜り、音を立てないように扉を開ければ、そこは見渡す限りの夜の世界。誰もいない暗闇の街へ、わたしは軽やかに足を踏み出した。
月明かりが行く手を照らしている。今夜は満月だ。夜空にぽっかりと浮かぶ真円だけが、寝静まった街の上で冴え冴えと輝いていた。
暗闇を照らす光は希望の象徴。地上を静かに見守る月の輝きは、わたしたちの明日が平和であるように祈ってくれているかのようだ。深夜になるとこっそりキノピオハウスを抜け出し、月明かりの下を散歩するのがわたしの日課になるのも、その安らかな光に触れたのならば自然なこと。
ところが穏やかな時間は長くは続かない。忍び寄る影はすぐそこに迫っていた。
「ひゃああああ⁉︎」
暗がりから染み出すように現れた何かに、わたしは思わず飛び上がる。喉から飛び出した悲鳴が静寂を裂き、心臓をバクバクさせながら立ち止まっていると、艶やかな含み笑いが耳朶をくすぐった。
「あーら、そんなに大声を上げてはご近所に迷惑でしてよ?」
月下に映える珠のように白い肌。暗闇を妖しく彩る深紅のリボン。くっきりと露になった正体に、肺からどっと緊張が抜ける。
「……なぁんだ」
犯人はやっぱりレサレサちゃんだった。ビビり散らすわたしを嘲るように笑いながら、扇子をフリフリ。相変わらず憎たらしいお嬢様だなあと、わたしはわざと膨れて見せた。
「もう。そっちが脅かしたくせしてよく言うよね」
「暗闇をのこのこお散歩だなんて、テレサをおびき出すようなものではなくて?」
「あはは、それもそっか」
おっしゃる通り、夜の散歩が日課のわたしはテレサにしてみれば恰好の餌だ。影に身を潜めて罪なき通行人に忍び寄り、脅かした瞬間の反応を楽しむ。それはテレサにとって生き甲斐であり、至上の快楽でもあるから。おかげでわたしは毎晩こうして悲鳴を上げる羽目になっているし、そのくせ性懲りもなく宿を抜け出すんだから我ながら文句を言える立場じゃない。
……脅かしてくるのは決まって目の前にいるお嬢様なんだけど。
「ナナシもそろそろ学習しませんこと?」
レサレサちゃんは扇子を弄びながら言う。
「さすがに何度も脅かされたら少しは警戒するのが筋でしょうに、いつまでも油断してキャーキャー声を上げちゃって。ま、あたくしはその方が脅かし甲斐あっていいのですけれど」
「しょうがないよー、びっくりするものはするんだもん」
わたしはヘラヘラ笑った。
「それに、これでも結構慣れてきたんだよ。さっきの悲鳴だって最初に比べればかなり小さかったでしょ?」
初めて脅かされた夜なんて、それはもう大変だった。あの日の絶叫はキノコタウンを越えてクリ村やノコノコ村まで届くほどの大音量だったもので、翌日のキノコタウンニュースはその話題で持ち切り。その後しばらくは行く先々でからかいの的になったし、クリオくんなんて今でもニヤニヤ笑いながら突いてくる。
「その頃に比べたらわたしもだいぶ平気になってきたもん。この調子ならいつか石みたいに動じなくなる日が来るよ。そうなったらレサレサちゃんの方がびっくりするかも」
ドヤ顔で胸を張ると、ふんと鼻を鳴らされた。
「相変わらず能天気な娘ですこと」
レサレサちゃんは溜息混じりに言ったかと思うと、ぐっとこちらに迫りきた。
「そもそも、かよわい乙女が夜遅くに一人フラフラほっつき歩くなんて、危機管理意識が欠け過ぎているのではなくて?」
「そ、それは……」
間近に広がる端正な顔に、わたしは思わず気圧される。長い睫毛が針のように鋭く見えた。
「だ、大丈夫だよ、門の外には出ないから。キノコタウンの中なら絶対平和だもん」
「以前ヘイホーが暴れ回っていたのをもうお忘れかしら?」
「はい、そうでした……」
ドスの効いた問い掛けが過去の記憶を掘り起こす。
あの日の事件は、キノコタウンを大パニックの渦に陥れた。おもちゃ箱から突如飛び出したヘイホーの群れが、街のあちこちを荒らしたり物を盗み回ったりしたのだ。マリオさんたちがヘイホーを退治する間、わたしはヘイホーに荒らされたお花畑をリップちゃんと一緒にせっせと直していたっけ。あれがきっかけでリップちゃんと仲良くなれたのは良かったけど、それを見たレサレサちゃんが不機嫌そうだったのは今でもよくわからない。
まあ、それは置いといて。
「でもあれはイレギュラーみたいなもんじゃない? ほら、ヘイホーって普段は小さなイタズラしかしないし。それに意外と人懐っこくて可愛いんだよー。きっとわたしたちと遊びたいんじゃないのかな」
「屁理屈はおよし! ヘイホーだろうと何であろうと、もしもいざという時に何かが起こってみなさい。あなたのように鈍臭くてカメよりノロマでろくに戦えない軟弱娘に果たして太刀打ちできますの?」
「うぅ……」
扇子をビシッと突き付けられ、わたしはすっかり縮こまる。さすがレサレサちゃん。容赦のない物言いだけど、ぐうの音も出ない正論だ。
確かにわたしは戦えない。元から運動神経もダメダメで、喧嘩や争いとは無縁の環境で生きてきたから。冒険ではメモや聞き込み、アイテム管理やお茶汲みなどのサポートに徹しているし、クッパの手下に遭遇してもビビって逃げ惑うことしかできない軟弱娘だけど──
「でも大丈夫」
わたしはケロっと開き直った。
「レサレサちゃんが守ってくれるから」
月明かりがほのかに眩しさを増す。にっこり笑うわたしと、虚を衝かれたように見返すレサレサちゃんの顔が、優しい光に照らされていた。
わたしを脅かすのが趣味のレサレサちゃんは、他の誰かがわたしを脅かすのを何よりも許さない。わたしに魔の手が迫ると誰よりも真っ先に躍り出て、得意のビンタで叩き落としてくれる。その姿はまるで気高い姫君のように凛々しくて、思い出すたびにわたしの頬を熱くする。
「レサレサちゃんが本当はとても優しい女の子だって、ちゃんとわかってるよ。わたし」
少し照れ臭い気持ちで告げると、レサレサちゃんはふいっと顔を背け、綺麗な横顔を扇子で隠した。
「あなたといると調子が狂いますわ」
漏れ聞こえた囁きに思わず吹き出し、わたしは扇子の後ろを覗き込んだ。
「そう言いながらわたしにばかりちょっかいかけてくるよね」
「おだまりっ」
頬にぐりぐりと扇子の先端が押し付けられる。それでもわたしは笑みを崩さなかった。
──きっと、今も守ってくれてるんだろうな。
今夜だけじゃない。レサレサちゃんは毎晩、こっそり出歩くわたしをこっそり追いかけて、危険な目に遭わないか見張ってくれていた。脅かし甲斐あるからなんて言い訳するけど、言葉の裏側ではいつもわたしの身を案じてくれていたのだ。さっきのお説教モードもその裏返しなのだろう。
振り返る出来事の一つ一つに温かさを感じて、その心地よさにわたしは目を細めた。
「これからもわたしを守ってね、レサレサちゃん」
レサレサちゃんはわたしを見て数度瞬きし、仕方なさそうに苦笑した。
「いつからあなたはこんなワガママな娘になったのかしら」
「レサレサちゃんだって同じでしょー。いつも『お茶はまだなの?』とか『あたくしに似合うアクセサリーを選びなさい』とか言うし。だからわたしもその分ワガママを言っていいんです」
「おまけに口まで達者になって」
その声は呆れているようで、どこか楽しそうに弾んでいた。
「言われなくともわかっていますわよ」
レサレサちゃんはひらりと身を翻すと、一瞬の間に姿を消した。蝋燭の火が消えるような呆気なさに不意を取られ、わたしは慌てて辺りを見回す。背後を振り返るとすぐに目が合った。
満月を背にこちらを見下ろす不敵な笑み。煌々と降り注ぐスポットライトを気高く纏い、レサレサちゃんは誇らしげに扇子を掲げた。
「ナナシはあたくしの奴隷ですもの! 所有物を守るのが主人の務めなのは当然のことでしょう? これからも一生あたくしの傍を離れられないと思いなさい。オーホッホッホッホッホ!」
「いつの間に奴隷になってたのわたし⁉︎」
ぎょっとするわたしなどお構いなしに、レサレサちゃんは上機嫌に笑い続ける。さっきまでの呆れた態度はどこに行ったんだろう。
……ナナシはあたくしの奴隷。ナナシはあたくしの奴隷。高笑いが夜空を駆け抜ける中、言われた言葉を反芻してみる。それを繰り返すうちに、わたしの顔はすっかり綻んでいた。
「やっぱり奴隷でいいや」
高笑いがぴたりと途切れ、レサレサちゃんは怪訝な目でわたしを見る。その隙をわたしは見逃さなかった。
「ずっと一緒にいられるならなんだっていいもん」
わたしは翼のように腕を広げ、大好きなご主人様の元へ飛び込んだ。驚いた美貌が目の前に迫り、捕まえたと思ったのも束の間、抱き着こうとした腕は空を掻くだけに終わってしまう。着地した足が勢い余ってつんのめり、転びそうな身体をなんとか持ち堪えた。
周囲を探しても今度はどこにもいなかった。透き通りを駆使した回避は冒険で何度も見てきたし、レサレサちゃん無敵だなあと感心していたけど、いざ自分がその対象になるとちょっと悔しい。
──ま、いっか。
レサレサちゃんは今もわたしのそばにいる。姿は見えなくても、温かい気配は変わらずそこにある。また顔を見せてくれるその時までは、素直じゃない優しさに甘えていよう。わたしは前を向いて歩き出した。
月明かりが行く手を照らしている。満月の輝きはなおも褪せない。白くて丸い、包み込むような優しい光に、わたしを守ってくれているご主人様の姿が重なった。
暗闇を照らす光は希望の象徴。今夜もわたしはあなたと寄り添い、希望の道を踏み締めていく。
──いつか、ちゃんと抱き着かせてくれたらなあ。
その希望が叶うのは、まだまだ先の話。
8/8ページ