Song bird (長編連載)
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圭と会ったその夜に、音也とトキヤにお礼と、明日 直接嶺二の自宅に行ってみるという旨のメールをして、教えてもらった住所までの行き方を調べる。
埼玉の少し郊外にあるようで、電車を乗り継いで最寄り駅からは徒歩でしばらく歩くような距離だった。
タクシーを使った方が早いかな。なんて考えていると、トキヤから『迎えをよこすので明日14時に寮の前で待っていて下さい』と簡潔なメールが来た。
「迎えって……?」
状況がよく分からないが、まだ足の調子が良くはないので、とにかく今の雛子にとっては助かる話だ。
もう一度お礼のメールを送って、希望と不安を抱えながら眠りについた。
◆◇◆
「やあ、レディ」
「レンくん!」
翌日、約束の時間よりも早く寮の前に行くと、すでにその鮮やかなオレンジ色の外車が停まっていて、中からは車に負けないくらい華やかな雰囲気の神宮寺レンが出てきた。
「さあ、乗って」
恭しくエスコートされて車に乗り込むと、嶺二の車とはまったく異なる雰囲気ですこし戸惑う。嶺二の愛車はどこかレトロで可愛らしさがあるが、レンの愛車はスタイリッシュでかっこいい印象だ。
「ありがとう、レンくん。トキヤくんが頼んでくれたんだよね?」
「イッチーが俺に頼み事なんて珍しいと思ったら、レディの事だったからね。引き受けないわけにはいかないさ」
昨日の夜に雛子がトキヤにメールした後に、トキヤはすぐレンに連絡してくれたのだろう。仲間内で免許を持っているのはレンしかいない。トキヤはここ最近ずっと杖をついて歩く雛子を気にかけてくれていた。
「それに、どんな形であっても、レディと2人きりでドライブできるなんて光栄だよ」
そう言って、ウインクをひとつ飛ばして車を発進させる。
レンだって最近は仕事が増えて忙しいはずだ。元Sクラスの仲間たちが卒業してからもこうやって力になってくれることに心から感謝して、もう一度お礼を言った。
車内ではレンもゴシップ誌や嶺二のことを知っているはずなのに、そのことには触れずに、最近の仕事のことなど、とりとめのない話をしてくれた。そのおかげで雛子の少し緊張はやわらいできた。
窓から流れる来たことのない土地の風景を眺める。
見ている景色も、車も、隣りにいる人も、何もかも違うのに、思い出すのは嶺二とドライブしている時のことだった。何気ないあの時間が大好きだったことに今さら気付いてしまった。
じわりと目頭が熱くなるのを、小さく鼻をすすってごまかす。
「ブッキーのことが、好きかい?」
レンを見ると、やわらかな微笑みと目が合った。
雛子はコクリと小さく頷いた。
「……でも、好きだって、言わせてももらえなかった」
あの時、自分だって言いたかった。
自分にとってもあなたが大切で特別な存在なのだと、大好きなのだと。無理にでも言っていたら、なにか変わっていたのだろうか。
「………くやしい」
雛子の瞳から大粒の涙がぽろりと溢れた。
横からそっとハンカチが差し出される。
「……キミの涙を拭ってあげたいけど、残念ながら、それは俺の役目じゃないからね」
でも、レディならいつでもこの胸に飛び込んで来ていいからね。と、いつもの軽い調子で付け足してウインクを飛ばした。雛子も少し笑って、その上質そうなハンカチを受け取って涙を拭った。
◆◇◆
(ここが、嶺二くんのお家……)
見上げると『寿弁当本店』の力強い文字が看板に書かれてある。昼のピークはもう過ぎたようで、店頭にお客さんはいなかった。
いざお店の前に立つと変な緊張でドキドキしてきて、中に入るのを少しためらう。
すると、お店のカウンターにいた女性がこちらを向き、目が合うとにこりと微笑んだ。
「いらっしゃいませ。お弁当ですか?」
笑った顔の目尻の優しさが嶺二にそっくりだと思った。
この人が嶺二の姉だと確信すると、店の中に入って意を決して口を開いた。
「……あの、わたくし、シャイニング事務所所属の作曲家で桜井雛子と申します。寿さんとは歌謡祭でパートナーを組ませて頂いていて……」
できるだけ怪しまれないように言葉を選んで、雛子はその女性にそっと名刺を渡した。
「あら!あなたが、嶺二のパートナーさん。
私、嶺二の姉です。あの子がいつもお世話になっております」
名刺と雛子を交互に見て、少し意外そうな表情だ。
「あの、嶺二さんはご在宅でしょうか……?」
おずおずと雛子が聞くと、嶺二の姉の視線がやや気まずそうに泳いだ。
「……えーっと、……あの子、ここには居ないの。せっかく来て頂いたのに、ごめんなさいね」
「そう、ですか……」
「あっ!もし、戻ってきたら、嶺二からあなたに連絡するように言っておくから!」
明らかに肩を落とした雛子に嶺二の姉は申し訳なさそうにフォローした。
「ありがとうございます。……すみません、お忙しい所お邪魔してしまって…」
そう言って、店を出ようとする雛子に「ちょっと待って!」とストップがかかる。
「ちょっとだけ、そこで待っててもらえる?」
そう言って嶺二の姉は裏のキッチンスペースにさがって、何やらゴソゴソと音がして5分も経たないうちに出てきた。
「これ、よかったら食べて?」
手提げのビニール袋を渡されて、その中を見るとパック詰めされた唐揚げが沢山入っていた。
「えっ!こんなに、悪いです……」
「いいのよ!嶺二がお世話になったお礼ってわけでもないけど……あの子のために、わざわざこんな所まで来てくれて、ありがとね」
ビニール袋を返そうとする雛子の手をそのまま押し返して半分無理やりに持たされる。さすがにそれ以上遠慮するのも失礼だし、本音を言えば、そのまだほんのり温かくていい匂いがする唐揚げはとても嬉しかった。
「……じゃあ、頂きます。ありがとうございます」
何度も何度も頭を下げながら店を出る雛子に嶺二の姉はやさしく手を振った。その姿はやはり嶺二を思い出させるくらい似ていた。
店を出て、少し離れた所に停めているレンの車に向かう。
嶺二の姉の優しさが嬉しかった。でも、最初に聞いた時のあの目の泳ぎかたと申し訳なさそうな顔が気になった。
車の前に着いて、もう一度振り返って上を見た。
2階は自宅のようで窓がふたつ見える。どちらかが嶺二の部屋だろうかと思って見ていると、ひとつの窓のカーテンがかすかに動いたように見えた。
(嶺二くん?)
◆◇◆
嶺二はカーテンのほんの隙間から、その華奢な後ろ姿を見つめていた。杖をつく姿はいつもより歩き辛そうで心が痛む。
雛子は少し離れたところに停めてあるオレンジ色の車に乗り込もうとして、一瞬立ち止まって振り返る。
その視線は明らかにこちらを向いていて、慌ててカーテンをきっちりと閉めた。
(あの車、レンレンの……)
その鮮やかなオレンジ色の車には見覚えがあるどころか、何度か乗ったことがあった。
その助手席に雛子が乗っていたのだと思うと、胸に黒いもやがかかる。それが嫉妬だと気付いて、すぐにその考えを振り払う。自分の車の助手席以外に座って欲しくないなんて、そんなことを思う権利なんて今の自分にはひとつも無いのだ。
「ひなちゃん」
最後に会った日の、抱きしめた時のあのやわらかな感触を、小さな手のぬくもりを、澄んだ瞳から溢れる透明な涙を思い出して胸が苦しくなる。
『だって、私も嶺二くんのことが……』
その言葉の続きを止めたのは自分のエゴだ。
その先を聞いてしまえば、もう気持ちが止められなくなって、雛子が好きでいてくれたアイドルとしての自分を投げ捨てて、無理にでもキスして押し倒して、そのまま全てを奪ってしまいそうなくらい、あの時は自暴自棄になっていたのだ。
(もう、これ以上あの子を傷付けたくないんだ……)
◆◇◆
あの部屋に、嶺二が居るのではないかと思った。
自分が来ることを想定して、姉に口止めしたことは充分に考えられる。でも、それでも、自分が来たことが分かったら、もしかして出てきてくれるのではないかと淡い期待があった。雛子が来たことを分かっていて出ないということは、完全に拒否の姿勢ととれる。
そうなったら、もう例え無理やり家から引っ張り出しても嶺二の心は拒否したままだろう。
(嶺二くん……)
“絶望の淵にいる人は誰のなんの言葉も届かない”
あの海で嶺二に言った言葉は昔の自分のことでもある。
かつての自分がそうだったように、今の嶺二にも何の言葉も意味を成さないのではないだろうか。
(だったら、もう……なにも届かないの?)
ふと、音楽が流れる。
レンがラジオをかけてくれたようだ。
車に戻って、店でのことを説明した後、ずっと暗い顔で考え込んでいる雛子に気を使ってくれたのかもしれない。
それは、昔の曲だった。
歌手も曲名も分からない、それでもそのメロディは暗く沈む雛子の心を癒すように寄り添ってくれているような気がした。
そして、ふと思い出す。かつてその状況にいた自分がどうやって立ち直ったか。どうしてだか、不思議なくらい今まで忘れていた。
病室のベッドの傍らに小さなラジオが置いてあった。
もう二度と舞台には戻れないことが分かって、なにも喋らなくなった雛子に気を使って誰かが勝手に置いたのだろう。オンになったまま喋り続けるラジオを煩わしくも思ったが、手を伸ばしてオフにする気力すらその時の自分にはなかった。
モノクロの雑音にしか聞こえなかったラジオから、その時、急に色がついたようにそのメロディが流れてきた。
いつの誰のなんの曲かも分からない。
でも、そのメロディと歌声はその時の雛子にぴったりと周波数が合ったかのように、自分の中に流れ込んできた。
そして、その心にそっとやさしく寄り添って固くなった心をほどいてくれたのだ。
そして、雛子は事故にあってから初めて大声を出して泣いたのだった。
(誰のどんな言葉も届かない……でも、音楽なら……)
届くかもしれない。
そう思った時に、雛子の頭の中で瞬時にあるアイデアが浮かんだ。
「レンくん、ごめん。寮じゃなくて、事務所まで送ってもらってもいいかな?」
その目にちらりと静かな炎が宿る。
レンは、その目を見て少し安心して「もちろん、OKさ。レディ」と優しく笑った。